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藤の女 8
「こちらになります」
そう言い、妖艶な視線から逃げるように鴛鴦を差し出して顔を伏せ、居心地悪く年若い少年のようにもじもじと指を弄る。
濡れたようなしっとりとした目が流れるように動いて、手渡された鴛鴦をひたと見つめた。
……どうだろうか?
自分としては満足の行くものが描けたと思うが、それを依頼人が気に入るかは別の話だ。
「素敵ですね、良いものをありがとうございます」
幸い満足そうに頷いては貰えたけれど、わずかに首を傾げるさまが気にかかった。
「犬にして貰えばよかったかしら……?」
「犬に?」
問い返して、あぁと思った。
先方の奥方が懐妊したのだろう、安産の願掛けに犬の絵を求めることがあるのは知っている。
「でも、こちらもめでたいですものね。それでは……翠也、出かけますよ」
いきなり話を振られて、俺の隣に座っていた翠也はびくりと大袈裟に肩を跳ねさせた。
「どちらに?」
「黒田のお屋敷よ」
しゃなりと立ち上がった峯子に頭を下げて、俺はその場から下がることにする。
「──あの」
上がった、翠也の声。
「卯太朗さんの工房にお邪魔する約束をしています、だから……」
「だから?」
細く眇められた目が俺を見る。
「そのお約束は日を改めても差し支えありませんでしょう?」
笑む形の紅い唇は有無を言わせない。
怒気もなく、穏やかな声なのに翠也は気圧されたのか拳を握っている。
助けてやりたかったが後援を頼っている身の上で、俺に何を言えるだろうか?
縋る翠也の視線を振り切るように、
「次の機会においで、俺はいつでもいいから」
そう言ってやるしかできなかった。
行きたくない とぐずる子供のように呻く翠也を送り出し、霍公鳥と川蝉の構図を朧げに写生帳に描く。
「……霍公鳥と、川蝉?」
なぜこのまったく種類の違う二羽なのだろうか?
好きと言ってはいたが。
「あのように、俺にも言ってはくれないものか……」
ふぅっと息を吐き、写生帳を持って立ち上がった。
そしてふと、馬鹿な笑いが口の端に浮かぶ。
こちらの気持ちをはっきりとした言葉にして告げもしていないのに、欲しがるばかりなのは良くない癖だ。
いつもいつも華奢な体を弄ぶだけの相手に、翠也はどんな思いを持ってくれているのか?
あのように淫らな行いを受け入れてくれるのだから、憎からず思ってはくれているのだろうが……
けれど、
その淫行に気が行っていないと、誰が言えようか?
例えそれが女にするような愛撫の形を取っていたとしても、年若い彼が夢中になるには十分な快感ではあるだろうし……
彼が、俺に体を自由にさせる理由と考えるにはそれが一番しっくりきてしまう。
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