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紅裙 8

「は?」  翠也は絵に布を被せてから、俺の肩にそっと触れた。 「僕の絵は卯太朗さんだけが知っててください」 「は……? いや、……どうして?」  声が裏返りそうになるのを堪えて訊ねた。 「貴男以外の人に、見て欲しくないから」  至極当然の顔で翠也はそう答える。  自分の手で羽をむしり取る勇気のない悪魔の手の内へ、自ら飛び込むと言うのか? 「────……俺だけのものにして、いいのかい?」  おそるおそる問うと、 「僕は、貴男のものです」  そう呟きが返ってきた。      仔犬が戯れる絵を峯子に見せると、翠也のものとは違う色香を含んだとろりとした笑みが現れる。  詰めていた息を吐き出し、緊張から強張っていた肩の力を抜く俺に、「まぁ! なんて可愛らしい」と感想が投げかけられた。 「お祝いにぴったりね! 喜ぶでしょう」  そう言うとはっとした顔で立ち上がり、志げに橋田を呼んでくるように指示を出す。  突然のことに何事かと怪訝に思う俺に、峯子は小気味よく手を叩いてみせた。 「今から出かけましょう、ご用意ください」 「は?」 「ああ、橋田。黒田のお屋敷に今から行くと伝えて頂戴。画家の先生をお連れするとも伝えておいて」  部屋に来た途端そう言いつけられて、橋田は目を白黒させながら頭を下げて出て行く。  目を白黒させたいのはこちらも同じで、いったい何が起こったのかと困惑する俺に峯子は「この絵を渡しに行きますよ」と告げる。  また「は?」と言葉が漏れそうになったのを慌てて飲み込み、こう言う場合は事前に手紙でも送って伺いを立てるものではないのかと、額の汗を拭いながら思う。 「奥様。恐れながら、私のような無作法者がお供をすればご迷惑が……」 「いいのよ、古くからの馴染みだから。そんな堅苦しく考えないで頂戴、一度紹介したいとも思っていたのよ」  ふふ と笑い、俺の戸惑いなんて意にも介さずに峯子は志げと共にさっさと行ってしまった。  いきなりの出来事にぽかんとしてしまったが、用意をしろと言われていたのを思い出して、慌てて離れへと駆け戻る。 「……母がまた何か思いつきでご迷惑を?」  俺の様子とみつ子から出かける準備をするように言われた翠也が、眉を八の字にしてそろりと入り口から顔を覗かせる。 「……急に出かけるので供をと言われて……」 「母は外に出たがる人ですから、機会を逃すことはないと思います」  困ったように笑う翠也だが、それでも峯子のこの行動に振り回されるのは満更でもない様子だ。 「犬の絵を見せたら、黒田の家に行くとおっしゃられて」  失礼にならない服に袖を通しながらそう言うと、翠也は急に口を閉ざして俯いた。

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