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宍の襲 10
「それは……」
俺を寂しそうに送り出したるりの顔が過りもしたが、気づかないふりをして翠也を抱き締め直す。
「過去のことは 」
「どうしようもないとはわかってます! でも、気づきたくないんです。貴男の手が他の人に触れたことがあるなんて……」
引き攣るようなしゃくりは堪え切れない感情が零れ落ちたようだった。
「すまない」
幾らこの瞬間に悔やんだどころで過去、玄上とした数々の悪さや関係を持った相手とのことが消えるわけではなく。
「でも、俺が欲しいのは翠也だけだと言うのは変わらないとわかってくれ。将来、君が手に入れる権力が欲しいわけでも、奥様の代わりに抱いているのでもない。これだけは誤解しないで欲しい」
毅然と言葉にすると、頷いてくれるかと思えた瞳がゆらりと震える。
「でも、僕には何もありません。貴男の力になれるものなんて、何一つないのに。そんな僕に卯太朗さんが気をかけてくれるはずが……」
柳眉が崩れて、縋る手が力を込め過ぎたのか真っ白だ。
「あるだろう?」
はっきりと返した俺の言葉に、涙で縁どった瞳を不思議そうに向ける姿はまったく心当たりがないとでも言いたげだった。
「君自身だよ」
「ぼ……? 冗談は……僕なんてなんの役にも立たないのに……」
「この体と、その才能が欲しくて堪らない」
俺を見る目は怪訝だ。
まるで怪しい路肩売りにでも出会ったような反応で……
「飾りのない君が欲しい」
翠也はとんでもない詐欺にでも遭ったような顔をしていたが、きつく握りしめていた手がわずかに緩んで血の気を通わせている。
「駄目だろうか?」
「だ……駄目では……」
「その代わりに俺をあげよう」
「 え?」
切れ長な瞳をはっと見開き、翠也は俺の言葉を胸中で繰り返しているようだった。
「残念ながら、俺は君のように誤解できるほど持ち合わせがないんでね、必然的に身一つだ。……もらってくれるかい?」
腕の中で飛び上がるように反応した翠也は、恐る恐る腰に手を回してくる。
「だから、もう苦しまないでおくれ」
「……卯太朗さんが、僕の、ですか?」
力強くしがみついていると言うのに、その表情は意味を掴み損ねてまるで子供のようにぽかんとしたままだ。
「いやならいいよ?」
「いえっ! そうではなくて……」
幾つも涙の痕のついた頬を胸に摺り寄せ、わずかにこちらに翠也の体重がかかる。
見下ろした表情はやはりぽかんとしていたが、俺の心臓の音を聞いているうちに腑に落ちたのか微笑んだ。
久し振りに見たその笑顔は、胸の内に温かさを灯すような柔らかなものだった。
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