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赤い写生帳 9

「っ……翠也、すまな……」  取り返しのつかないことをしてしまったんじゃないかと言う恐ろしさに、胸の内が凍りつく。 「卯太朗さん?」 「少し……出かけてくる!」  俺を引き留めようと一瞬声を上げかけた翠也は、何かを感じ取ったのか拳にぐっと力を入れて頷いて返してくれた。  幾度か無様な姿を晒しながら辿り着いた粗末な家の戸にしがみつき、勢いよく戸を開けた俺を見たるりの目が見開いた。  今にも天から零れ落ちてきそうな玻璃色の瞳に、顔色を無くした俺がはっきりと映って…… 「る、る……り…………」  肩で息をする俺に、いつぞやと同じように水を差し出してくる。  飲み干せば喉を潤すこともできるそれを押し退けて言葉を紡ごうとした俺に、静かさに満ちた瞳が向けられた。  それは、言葉なんて必要なかった。  なぜならその目はすべてを見通していて…… 「おにいちゃん、逝っちゃったんだね?」  問いかける形を取っていたが、俺の返事を必要としてはいなかった。  玄上の訃報を告げることができなかった安堵と落胆に、土間の冷たい床に視線を落とす。 「あぁ、ひどいなぁ……さむくなったら、温泉につれて行ってくれる約束だったのに」  いつもの調子だ。  まるで、天気の話しでもするような何気ない言葉。    軽く、約束を反故にされて拗ねる口調に腹が立ち、思わず怒りで顔を上げた。  けれどそこにあったのは震える硝子の瞳で…… 「  やくそ……っ」  ぱた と、水晶が零れ落ちて土間に染みを作る。 「約束っ! ……ふ、ぅっ……にぃ  ちゃんのっ嘘つきぃぃいいっ」  いつもの達観した仮面が剥がれて、年相応に泣きじゃくるるりにしがみつかれて、かける言葉を見つけることができないまま細く頼りない体を抱き締めた。    湿気の含まれた土間の冷たさは骨に沁み入るようで、るりの泣き声をさらに悲壮なものへと変えていく。 「ひ  ぅ、っ、う……」  跳ねる肩を抱くようにして宥めてやっと、自分の視界が歪み始めたのが分かった。  自分の感情のままに悲しみを表すその姿に、ぐっと歯を噛み締める。  悲しみよりは、ただただ悔しくて。  あの溢れんばかりの才能を、  その才能から今後生まれるはずだった作品を、  共に競い合うことができた時間を、 「お、に  ぃちゃっ  ぅ、あぁぁんっ  」  寂しいでも悲しいでもないその悔しい思いは、るりの泣く理由とは違うだろう。  けれど、見栄も建前もなく嘆き続けることができたのは、玄上と言う人間に共に深く関わったるりが共に泣いてくれたからだった。

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