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埋火の欠片 1
夜、珍しく開いたままになっていた工房の戸から翠也に声をかけた。
「翠也くん」
けれどこちらを見ることはなく、気づいた様子もない。
二度三度と呼んでようやく緩慢な動きで振り返り俺を見る。
「……卯太朗さん」
いつものように微笑んでくれるかと思ったが、翠也はぼんやりとしたまま画架へと視線を戻してしまった。
静かな視線の先にある緋色が、翠也の目に埋火を見せる。
「玄上には、ちゃんと挨拶をしてきたよ」
「……はい」
その返事もどこかぼんやりとしていて……
「どうした?」
工房に入り、翠也の前に置かれた緋色の絵を見る。
鮮やかすぎるその色合いは、じりじりとした焦燥を掻き立てるようであり、何かを求めてもがくような雰囲気だった。
押し込められた画布と言う空間から「助けて」と声が聞こえてきそうな重苦しさに、らしくない絵だと思う。
どこか遠い場所を想う、そんな雰囲気のあった絵から考えるとその変わりようが不思議だった。
「……苦しそうな絵だね」
「 」
翠也が画架に置かれた筆を取り上げたと思った瞬間、完成したばかりと思われるその絵に向かって投げつけた。
「っ!? やめろっ!」
画布に掴みかかろうとした翠也を羽交い絞めにしてすぐに引き離したため、絵は緋色のわずかな部分を歪めただけで済んだ。
「放してっ! 放してくださいっ! こんな絵、見たくない……」
腕の中で崩れ落ちる翠也に合わせて床に座り込むと、転がる筆を握り締めてすすり泣く。
翠也の思うところがわからず、傍らに座り込んで辛抱強くその背中を撫でながら、画布を見上げる。
鮮やかな緋、
燃やし尽くすかのような火、
わかっていながら身を焦がす……蝶。
意図を汲み取ろうと見つめるも、息苦しさに近い救済を求める感情しか湧き出ない。
苦しい と。
「……こんな絵、捨ててしまってください」
「何を馬鹿なことを」
顔を上げた翠也は、その長い睫毛を光に濡らしてこちらを見つめた。
「いったい……どうしたって言うんだ?」
柔らかに問いかけると翠也の顔が苦しそうに歪む。
「 っ」
「……奥様が出した条件のことかい?」
小さく肩を震わせて頷く姿は言葉を探しているようで、逡巡をみせるその態度に焦れそうになるのをぐっと堪えて、翠也が口を開くのを待つ。
「────会ってきました」
その一言がすべてだ。
以前からそう言う話がまとまっていたのか峯子の行動は素早く、昨日の今日で翠也の一人の女性と会うようにと勧めてきた。
「そうか」
そう聞き、覚悟はしていたがどっと不安が押し寄せてくる。
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