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「君はチョコレートみたいに」1

『僕も、君に再会できたことを嬉しく思っていますよ。僕を見つけてくれてありがとう』  入力画面に打ち込んでみた返信を、すぐさま全部消した。スマートフォンを床に投げ出し、髪の毛を両手でぐちゃぐちゃとかき回す。  悠里からは、二時間前に連絡が来ている。 『今日、やっと会えて、ちょーーーーー嬉しかった。また会いたいな』  わざと無視しているわけではない。メッセージを打ち込んでは消すという行為を繰り返しているうちに、二時間も経ってしまったのだ。その間、悠里から追加でメッセージが来ることはなかった。  きっと、僕からの返事をじりじりと待ちながらも、催促してはいけないと(こら)えているのだろう。悠里はそういう優しい子だ。  我慢させて申し訳ないと思う。スマートに答えを返せなくて申し訳ないと思う。深いため息が漏れた。  大学で悠里と再会した時からいろいろありすぎて、正直いっぱいいっぱいだった。  ――抱き着かれて、キスされて、抱きしめて、「僕も好きだ」と言いかけてしまった。  思い出すだけで顔が熱くなる。もういやだ。  耳元で聞こえた「健人さん、すき」という言葉に、悠里の思いの全てが詰まっているように感じた。でも、それを真正面から受け取ってはいけない気がする。  そうしてしまったら、傷つけてしまいそうだから。君も、僕自身も。  ――悠里。君は僕のことを好きだと言ってくれたけど、それは勘違いなんじゃないか。君はまだ若い。思春期特有の、一過性の感情ではないか? 警戒心たっぷりだった猫が、徐々に懐いてきてくれて嬉しくなった、とか、その程度の愛情を、恋愛感情だと思い込んでいるだけなのではないだろうか。  それと、性別のことも気になった。悠里は僕のことを好いてくれている、とは思う。でも、初めて会った日に交わした会話を思い返すと、悠里の気持ちが果たして本物なのか、疑いたくもなってしまう。 『残念でした。俺は女の子が好きだよ』  途中から恋愛対象が男性に変わるなんてことはあるのだろうか。でもそれは自分だって同じだ。むしろ、恋愛はしないと誓ったはずなのに、いつの間にか頭の中に悠里を住まわせてしまった僕の方が、道理が通っていないのではないかと思う。  ――自分でも分かってる。ただの自己防衛だ。悠里からの好意を受け取るばかりで、自分の気持ちをはっきりさせずにいる僕自身の罪悪感を、少しでも薄れさせるための言い訳だ。  スマートフォンに再び目を落とす。悠里とのトークルームに表示されているのは、悠里が送ってきた二文だけで、僕が送信しない限り、きっとこの先に吹き出しが現れることはないだろう。  本当は、悠里に言いたいことがたくさんある。でもうまくまとまらなくて、正直な気持ちを書くのも気恥ずかしくて、返事を先延ばしにしてきた。  田丸さんと叔母を介して「模試でD判定が出た」「A大に合格した」という報告を受けた時もそうだった。悠里を喜ばせる言葉で、なおかつ大人二人に見られても問題なさそうな言葉を探した。悩みに悩んでいるうちに一週間が経っていて、しかたなく「頑張ってください」「おめでとうございます」とだけ返した。  去年連絡先を交換していなくて良かった、と心から思った。もし悠里の連絡先を知っていたら、意味深な文を送りつけたり、こんな風に返信を滞らせたりすることになっただろうから。受験生の大事な時間が、僕のせいで無駄にならなくて良かった。 「悠里。悠里、悠里……」  トーク画面、悠里からのメッセージを親指でなぞれば、画面がわずかに上に動いた。  いつからこんなに好きになってしまったのだろう。「面倒をみてあげないと」が、「僕を見てほしい」に変化したのは、いつからだったのだろう。気づいた時には、悠里から目が離せなくなっていた。悠里の言動に一喜一憂するようになっていた。  他の人は、僕が話せば話すほど幻滅して遠ざかっていくのに、悠里は違った。どんな僕にも、真正面から向き合ってくれた。だから。  ――特別、なのかもしれないと思ってしまった。  自分でも持て余している、悠里に対する執着にも似たこの気持ちを、「恋愛感情」なんてきれいな言葉でまとめて、悠里にぶつけてしまうのは抵抗がある。だから僕は、今のまま、ずるずると君との関係を続けようとしている。狡猾な手口だと分かっている。でも、この関係をはっきりとした言葉で表現するのが怖かった。 『ありがとうございます。また会える日を楽しみにしていますよ』  ようやく送信ボタンが押せた。すぐに既読がつく。 「ああ、悠里……。待たせてごめんなさい」  アプリを閉じようとした瞬間、悠里からメッセージが届いた。 『うん! またね』  ――既読をつけてしまった。  このままアプリを閉じてしまおうか迷ったが、スタンプを返した。二足歩行のうさぎが跳ねながら「Bye」と言っているイラストだ。返事が遅くなってしまったお詫びの気持ちも込めたつもりだった。

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