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「君はチョコレートみたいに」5

 数秒後、不思議そうな顔で悠里が目を開けた。ぱちりと目が合った。チョコレートを口から外し、微笑みかける。 「ふふ。冗談ですよ」  とろんとした目と、半開きの唇。それが徐々に変化していく。眉間にしわが寄り、口がへの字に曲がる。怒っているのだ。ぞくぞくする。もっといじめたくなる。  悠里の目を見ながら、チョコレートをわざとゆっくり噛み砕いた。 「……いじわる」 「何がです? 食べさせてあげるとは言ってませんよ。勝手に勘違いしたのは、君――」  悠里の顔が近づいてきて、言葉が途切れた。キスされる。そう思った瞬間、眼鏡が顔に食い込んだ。悠里の頭が直撃したのだ。 「痛っ。何するんですか!」  抗議の気持ちをこめて悠里をにらむ。悠里はというと、額をさすり、見せつけるように自分の唇を舐めながら、 「ほんとだ。すごく甘くて美味しいね」  と笑った。 「嘘つかないでください。かすってもいませんよ。頭突きしただけでしょ? ほら、ちゃんと味わってください」  悠里の口に、箱から出したトリュフチョコをつっこむ。閉じかけた悠里の唇と自分の指が一瞬接触した。生温かくてぬるりとした感覚。どきっとして、慌てて引っ込める。幸い、悠里には気づかれていないようだ。  不満げな顔でもぐもぐと口を動かす悠里は、リスみたいだった。甘さを感じたのか、徐々に表情が明るくなっていく。 「美味しい。……でも、どうせなら、先生がくわえてたヤツを食べたかった」  悠里が唇を尖らせた。 「なぜです?」 「そっちの方がもっと美味しそうだったから」 「……馬鹿なんですか? 全部同じ味です」  かわいい。そう思えば思うほど、僕の思いは純真な悠里を穢してしまっているのではないかという恐怖に襲われる。 「先生」  唾を飲み込んだのだろう。悠里の喉仏が動いた。ごくんという音が聞こえてきそうだった。大切な話が始まる予感がした僕は、わがままを言いたくなった。  ――こんな時くらい、名前で呼んでほしい。 「もう『先生』じゃありません」  拗ねた声が出てしまう。恥ずかしい。 「健人さん」 「はい、なんですか?」  僕はずるい。自分だって、悠里の名前は心の中でしか呼べないくせに。 「……今日は赤くならないんだね」 「大人ですから、慣れました」  嘘だ。悠里に名前を呼ばれると、背中を何かが駆け上がっていくような感覚がある。それを必死に(こら)えているだけだ。 「俺、健人さんのことが、すき」  悠里が僕と目を合わせて言った。悠里の感情はいつも真っ直ぐだ。それを目の当たりにするたび、素直になれない自分の汚さやずるさを責め立てられているような気がしていた。悠里と向き合う時は、後ろめたさがつきまとっていた。 「健人さん」  悠里が喋るたびに、チョコレートの甘い香りがした。くらくらする。 「恋愛感情として好きだよ。大好き。俺と付き合ってください」  純粋で真っ直ぐな悠里の言葉が、心の奥底に突き刺さる。僕を見つめる悠里の澄んだ瞳に、「悠里だったら、僕のこの汚い感情もきれいに浄化してくれるかもしれない」と思わされる。  それは僕のエゴかもしれない。執着心に別の名前をつけて、きれいに言い換えたって、中身は変わらないだろう。でも、悠里。君と向き合うために、僕も覚悟を決めないといけないよね。どろどろとした執着心も、君にいじわるした時の興奮も、君に触れた時の恍惚感も、優越感も、嫉妬心も、独占欲も、何もかも全部ひっくるめて「恋愛感情」だと名付ける勇気を持たなければならない。引け目なんて感じずに、真っ直ぐな君とずっと一緒にいたいから。 「悠里」  名前を呼ぶと、顔を赤く染めて僕を見てくれる。それだけのことが、こんなにも愛おしい。 「僕も好きです。悠里に出会えて良かった」  悠里の目が大きく見開かれた。 「それって――」  悠里が何かを言い切ってしまう前に、僕は口を動かした。 「僕の恋人になってほしいです。でも、僕の『好き』は、君の『好き』よりもだいぶ重たいかもしれません。どうでしょう? お口に合うかどうか、味見してみてくれませんか」  答えを待たずに、悠里の唇を自分のそれで塞いだ。甘くてむせそうな悠里(チョコレート)の味がした。 (「君はチョコレートみたいに」了)

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