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「君はチョコレートみたいに」4

 砂糖を渡すと、悠里が紙袋を差し出してきた。 「よかったら食べて」 「これは?」  中に入っている箱を取り出して眺める。 「バレンタインチョコだよ」  悠里が恥ずかしそうに笑った。 「……もう四月ですけど」 「知ってる」 「バレンタインデーの日付も分からないくらい、馬鹿になってしまったんですか?」 「違うよ! ちゃんと分かってる。でも、ほら――去年はちゃんとできなかったから、今年は渡したくて」  悠里の声が尻すぼみになっていった。  去年。悠里を傷つけてしまったことを思い出し、眉をひそめてしまう。  あの瞬間は、悠里に情けをかけられてイラっとしてしまったのだと思っていたが、あとから考えればただの嫉妬だった。悠里があまりにもたくさんのチョコレートをもらってきたから。「幼なじみ」に悠里が取られてしまいそうに見えたから。  「隣の家の姉ちゃん」だという奥田さんからプレゼントをもらって楽しそうにしている悠里を見た瞬間、ショックを受けるよりも先に、「しっくり」きてしまった。悠里は僕の隣にいるよりも、奥田さんと一緒の方が絵面的におさまりがいい気がした。それに、あの人は絶対に悠里のことが好きだ。悠里は気づいていないようだったけれど、僕には分かる。悠里を見つめる眼差しが、愛情と期待に満ちていたから。  彼女が本気でアプローチをかければ、悠里は彼女とくっついてしまう気がした。僕と違って付き合いも長いし、何より悠里の恋愛対象である「女性」だ。  大量のお菓子と、気遣いのポテトチップス。「しょっぱいもの最高」「一人じゃ食べきれないんだ」という悠里の声。全てに動揺して、嫉妬して、悠里にあげようと思っていたチョコレートも、「いつも忙しい時間帯にお邪魔してしまっているお詫びの品」と偽って、田丸さんに渡してしまった。  そんなことを言えるわけもなく、僕は黙って、悠里からもらった箱の包み紙をはがし、ふたを開けた。トリュフチョコが六つ入っていた。 「バレンタインチョコって言っても、二月に買ったわけじゃなくて、この前買ったやつだから安心して! 先生、去年はお世話になりました、これからもよろしくね、っていうアレです」  へへ、と悠里が頭をかいた。  ――僕はいつまでも悠里の「先生」なのだろうか。この距離を保ったまま、悠里との関係性は変わらないのだろうか。  ――はは。悠里がうちに来る前は、今のままの関係をずるずると続けたいって思ってたくせに。矛盾してる。  沈黙した僕を気遣った悠里が、顔をのぞきこんでくる。 「……もしかして、嫌だった?」 「そんなわけないでしょう。嬉しいですよ」  慌てて笑顔を取り繕う。悠里がほっとしたように頬を緩ませた。 「良かった。じゃあ食べてみて」  僕が手を伸ばすより、悠里がチョコレートをつまみ取る方が早かった。そのチョコレートは、僕の口元に一直線に向かってくる。  ――これは、もしかしなくても「あーん」なのでは?  驚きが顔にあらわれそうになるが、口を開くことでごまかすことに成功した。驚いたのではない。チョコレートを食べようと思って口を開けたのだ。完璧だ。突然の「あーん」にも動じない、余裕たっぷりの大人にしか見えないに違いない。なぜか悠里が嬉しそうに笑っている。顔が熱いような気がするが、部屋の温度が高いだけだろう。  口の中に入ってきたチョコレートを噛みしめた。 「美味しいです」  甘い。ほんのりと洋酒の香りがした。今までの人生で食べてきたチョコレートの中で、一番美味しい。もう一つ食べようと手を伸ばしたとき、物欲しそうな顔をしている悠里に気づいた。 「君も食べたいんですか?」  こくん、と頷いた悠里を見たら、いたずらしたいという気持ちがむくむくと芽生えてきた。僕は、チョコレートを口にくわえて、悠里の顔に近づいていった。はじめのうちはあたふたとしていた悠里も、あと十センチでぶつかるというところで覚悟を決めたらしく、ぎゅっと目をつぶった。僕はそのまま静止する。

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