111 / 135
「君はチョコレートみたいに」3
三十分後、インターホンが鳴った。ドアスコープで確認すると、指で前髪をつまみ、目を泳がせる悠里が立っていた。そわそわと落ち着かない様子で、しきりに左右に重心移動をしている。
――かわいい!!!
じゃなかった。僕は自分の太ももをつねった。真顔、平静。悠里は僕のこんな姿を知らない。悠里が思う「角巻健人」を演じ切りたい。
顔の筋肉に力を入れ、ドアノブをひねった。
「いらっしゃい」
悠里はパッと顔を輝かせるが、すぐに僕から目をそらし、頬をかいた。
「部屋の掃除してくれたってことは、上がっていいってことだよね?」
歯切れが悪い。僕は首をひねった。悠里が家に来たいと言ったんじゃないか。
「もちろんそのつもりでしたが、何か問題ありましたか?」
「ううん! 嬉しい。でも俺、玄関先で良かったから、気を遣わせちゃったかなあって、思っ、て……」
みるみる赤くなる悠里を見て、僕は目を見開いた。
玄関先で別れるという発想は初めからなかった。それに、家に入るだけでこの反応。悠里は僕に「何か」を期待しているのだろうか。いや、それはあまりにも都合よく考えすぎか。
あさっての方向を見ている悠里の手には、手のひら二つ分くらいの小さな紙袋が握られていた。ピンクと黒のストライプ。ガーリーな袋だ。これを悠里が持ってきたと思うと、それだけで頬が緩みそうになる。
「大丈夫ですよ。少し掃除機をかけたくらいですから」
変なところに力を入れているせいで顔がゆがみそうだった。表情の変化を悠里に見られる前に、きびすを返して部屋の中に入る。
「どうぞ」
「お邪魔します」
悠里の声が背中に当たった。
「今からお茶を入れますが、コーヒーと紅茶どちらがいいですか?」
電気ケトルに水を入れながら尋ねる。
「先生はどっち飲むの?」
いつの間にか、悠里が「先生」呼びに戻っていた。再会した日はあんなに名前を呼んでくれたのに。少し寂しくなり、そっけなく答えた。
「僕はいつもコーヒーです」
「じゃあ、俺もそれ」
「分かりました。お砂糖とミルクは?」
「……いらない」
奇妙な間が気になったが、マグカップを二つ取り出し、それぞれにドリップバッグをセットした。
「ソファーに座って待っていてください。すぐに持っていきますから」
悠里が近づいてくる気配がしたので、顔を上げずに言うと、悠里は「分かった」と僕の後ろをすり抜けていった。
「わー、すげーきれい!」
部屋の中を見た悠里の反応が嬉しくて、くすりと笑ってしまった。
※
「お待たせしました」
マグカップを両手に部屋に入ると、悠里はソファーの隅にちょこんと座っていた。緊張してくれているのか、体がかちこちに固まっている。紙袋はテーブルの上に乗っていた。
「どうぞ」
悠里の前にブラックコーヒーを置いた。その隣にミルクを入れた薄茶色のコーヒーを並べると、悠里が僕に目で何かを訴えかけてきた。「言いたいことがあるなら言ってごらん」という気持ちを込めて微笑んでみせるが、悠里は無言で目の前のマグカップを手に取った。恐る恐るといった感じで、口に近づけ、カップを傾ける。
その顔がぎゅっとしかめられた。明らかにコーヒーの苦みに慣れていないように見えた。
――僕に見栄を張ろうとしてくれたのか。かわいいが過ぎる。かわいいの大行進。この世に悠里よりもかわいい人なんていないんじゃないか。
ふふ。笑い声が漏れてしまって、悠里ににらまれた。
「笑うなよ!」
「本当は何も入れないと飲めないんでしょう?」
「そんなことないもん!」
「バレバレですよ?」
悠里のお尻を指さすと、悠里もつられてそちらを見た。
「何?」
「僕にだけ見える、君の『しっぽ』です」
「もー! からかわないでよ!」
怒っている顔もかわいらしかった。
「君が飲んでる方が美味しそうなので、交換してください」
僕は悠里の手からマグカップを奪い取って、自分で飲もうと思っていた方のカップを握らせた。
「えっ? 何?」
「牛乳が入っています。お砂糖もいりますか?」
「うん……」
悔しそうに目を伏せる悠里が愛おしくて、もっとからかってやりたくなった。悠里の視線に合わせてしゃがみ込み、先ほど悠里が口をつけたところからブラックコーヒーを飲む。間接キスを見せつける。もちろん、わざとだ。
「お子ちゃまの君には、ブラックはまだ早かったようですね」
「そんなに年変わんないじゃん!」
悠里が赤い顔で怒っていた。くすくす笑いながら、僕はキッチンスペースにシュガースティックを取りに戻った。
ともだちにシェアしよう!