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(旅行前)呼称を変えるタイミング 1

※  世の中の恋人は、どういうプロセスを辿ってお互いの呼び方を変えてゆくのだろうか。 「先生。五月に旅行しない?」  僕の部屋のソファーに腹ばいになった悠里が、床に座る僕にスマートフォンの画面を見せてきた。A大学があるA県から新幹線で二時間くらいの場所にある、大型テーマパークのホームページだった。 「ここに行きたいんですか?」 「うん。やっぱり近場だとさ、知り合いに会ったりするじゃん。これだけ遠く、しかも都会なら、人も多いし、男同士のカップルも変な目で見られないかなって思って。俺、先生と手をつないでデートがしたい。だめ?」  かわいすぎるお願いだ。でも、悠里にそんなふうに思わせてしまっていることが申し訳なくなる。たかが手をつなぐためだけに遠くに行かなければならないなんて、知り合いと会うかもしれない場所で手をつなぐのが恥ずかしいだなんて、悠里と同じように僕までそう思ってしまっている事実に気づいて、切なくなる。  ――世間一般からはあまり認められていない関係だとしても、せめて僕だけは堂々としてあげなければ、悠里を不安にさせるだけなのに。 「だめじゃないですよ。行きましょう」 「先生、いつなら空いてる?」 「僕は特に予定がないので、君に合わせます」  僕が答えると、悠里がスマートフォンでスケジュールを確認しはじめた。 「ゴールデンウィークは混んでるし高いだろうから、そのあとの土日かなあ……」  独り言のように呟く悠里を見ながら、「『健人さん』と呼ばれたのは、『悠里』と呼んだのは、いつが最後だろう」と思う。呼称を変えるタイミングは何度かあったはずだが、「先生」「君」と呼び合っていた時期が長すぎて、日を改めるとリセットされ、自然と元に戻ってしまっていた。  僕が「健人さん」呼びを求めているのと同じくらい、悠里も名前で呼んでほしがっていることは、何となく伝わってきていた。それでも「君」と呼び続けてしまうのは、恥ずかしさが先立ってしまうからだ。  もどかしくはあったが、名前で呼ばれたい気持ちよりも、悠里を名前で呼ぶ恥ずかしさの方が強くて、ずるずるとここまできてしまった。悠里が僕の恋人になってから、二週間が経っていた。こんなことなら、初めて会った日から、名前で呼んでおけばよかった。「悠里さん」「悠里くん」「悠里」と段階を踏んで徐々に慣らしておけばよかった。今更もう遅いけれど。  二人の関係が変わるとしたら、この旅行がきっかけかもしれない、という直感めいたものがあった。 「この日でいい?」  悠里がスマートフォンのカレンダーを見せてくる。指でさしたのは、今から二週間後の土日だ。 「構いませんよ。一泊二日ってことでいいんですよね?」 「え? うん」  僕が問いかけると、悠里が驚き、戸惑ったような声を出す。何を当然のことを言っているの? という反応だ。  ――セックスするんですか? とはもちろん聞けない。 「ホテルはシングル二部屋にしましょうか?」  思惑を探るために提案してみると、悠里が首を傾げた。 「え、なんで? ツイン一部屋の方が安くない? 付き合ってるんだし、一緒の部屋じゃだめ? 先生は、俺と一緒の部屋、いやなの……?」  目をうるませて僕に近づいてくるから、思わず顔を背けた。本当はキスしたかった。付き合う前はもう少し気軽にスキンシップを取っていたはずなのに、最近は指先が触れてしまうことすらためらっていた。本当は悠里の全身をなでまわしたくてたまらない。一瞬でも悠里に触れたら、欲望があふれ出して、自分が制御できなくなりそうで、怖かった。 「一緒が『いや』なんて、そんなことは。というか、むしろ……いえ、何でもありません」  悠里は、恋人同士が同室に泊まるという意味をどこまで分かっているのだろうか。男同士だから、はないと思っているのだろうか。悠里にばれないように、静かに息を吐き出す。 「じゃあ、ツイン一部屋にする」  悠里がスマートフォンをいじり、「このホテルが一番安い!」と笑顔を浮かべた。 「しかも朝食バイキングつき! やったー。俺、バイキング好きなんだよ」  無邪気に喜ぶ悠里を見ていると、性欲を抱えている自分がとても汚らわしく思えてくる。悠里が「健全なお付き合い」を望むのなら、この気持ちは心の奥底にしまって、何重にも鍵をかけて、僕はそれにこたえよう。 「楽しみですね」  僕が微笑むと、悠里がきらきらの笑顔で大きく頷いた。

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