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第16話 初めてのデート(?)
駅前は人でごった返していた。定番の待ち合わせスポットになっている時計のはめ込まれた巨大な彫刻――ではなく、そこから少し離れたパン屋の脇で俺は行き交う人々をぼうっと見ていた。
頭と表情はぼうっとしているが、心臓はそうでもない。待ち合わせまではあと十分ある。まだ待ち人が来ていないというのに、鼓動はいつもより早い。
天野から指定された待ち合わせ場所で、俺はゆっくり左人差し指の指輪をなぞった。藤さんから貸し出された指輪が、藤さんだけでなく、蘭さんや鹿さん、近藤さん達からのエールを届けてくれる気がした。
(――あ)
見覚えのある顔が、改札を抜けてやって来る。天野は即座に顔を俺がいる方へ向けると、小走りでやって来た。
「ごめん、待たせて」
「いや、俺も今来たとこだから……」
何でもないように答えているが、俺の頭の中はそれはもう大騒ぎだった。
格好いい。何その羽織ってる緩めのシャツ。色合いはシックだけど、柄がかなり派手だ。でも中の無地のクルーネックや下のジーンズのおかげで纏まっている。ローファーも傷一つなく鈍く輝いているし……。
顔も完璧だ。天野の顔はいつも完璧だけど、今日は特に完璧だ。何だろう、肌艶がいいのか、前髪が決まっているのか……黄金比の秘密を探ろうとして、深い黒目とかち合う。俺は咄嗟に目を逸らした。
「小竹君?」
天野が近寄る気配。かき乱された空気が、俺の鼻を擽った。
――いい匂いがする。爽やかさの中に、甘さと苦さが混じったような……詳しくはないけれど、ウッド系? みたいな。天野にぴったりだ。天野の、声から受ける印象とちょっと似てる気がする。
しかし高校生男子ってこんないい匂いがするものなのか? 旧校舎で密着したけど、こんな匂い――それどころじゃなくて覚えてないな……ていうか思い出したら駄目だって!
「大丈夫?」
「あ、うん! 天野、香水つけてるのか?」
天野の一重が見開かれた。――もうちょっと訊き方あっただろ俺! 下手くそか⁉
テンパりすぎて何だかアホみたいになってしまった。天野ははにかんで「一応」と言った。
……格好いい。
ほう、と息を吐いてしまう。
香りにも気を遣ってるってことだよな……。俺はそこまで気が回らなかった。第一香水なんて持ってないし……と思ったところで、俺の中のイマジナリー藤さんが「慣れないことをして緊張するとしくじる確率が上がるぞ」と囁いた。
そうだ、平常心、平常心……。
「すごい――格好いいな、いい匂いだし」
……この感想大丈夫か? 気持ち悪くないか? なんかまたしくじった気がする……。そう思っても、口から飛び出したら最後戻ってはくれない。男が男にいい匂いって言うの変だったりしないかな……。
どくどく心臓が早鐘を打つ。天野の表情が歪んだらどうしよう。でも天野は、嬉し気に目元をとろかしてくれた。
「そうか? ありがとう」
それだけで、それだけで俺は、俺の全ては許された気になるのだ。
「小竹君も指輪、格好いいな。そういうのするんだ」
「と、時々」
早速藤さんの指輪について触れられ、声が上ずる。早い。せっかく付けて来たのに、俺は天野から隠すように指輪を弄った。
見せたくて、見てほしくて付けて来たはずなのに、いざ話題に上ると急に恥ずかしくなるのはなぜだろう。期待を見透かされたように感じるからか、自意識を握られるからか。
天野は目を細めて「行こうか」と俺を促した。
女子中学生らしき集団、親子にしては年が離れている男女、老夫婦、日曜なのにスーツで固めて早足で歩く男性――。色々な人が俺達と同じ方向に向かい、俺達が来た方へ歩いて行く。
「天野は、しないのか? こういうの……」
「装飾品は、そうだな……あまりしないな。嫌いとか苦手って程じゃないんだけど」
確かに、天野はアクセサリーの類をつけていなかった。会話が途切れる、予感を察知した俺の頭が必死に回転し始める。
どうしよう、好きだったり、逆に嫌いだったらその理由を訊けたけれど、天野の返答は何とも中途半端だ。何で? なんて言おうものなら困らせてしまうのが目に見えている。
「好きな人はすごく好きだよな、そういうの。時々馬屋先生に怒られてる人見るし」
口を開いたのは、天野だった。驚いて顔を上げると、天野が自分の耳たぶを指して「ピアスとか」と言っている。馬屋先生とは、生活指導部の教師のことだ。
「……ああうん、確かに。でもつけてるけど怒られてない人もいないか?」
「聞いた話だと、派手すぎると駄目らしい。控えめなら許されるみたいだな。噂だけど」
「それ基準は何なの?」
「馬屋先生基準じゃないか?」
何だそりゃ、と笑いながら、俺はほっとしていた。
よかった。無言にならずに済んだ。ここから店まで無言の道中になったかもしれないイフを想像し、身震いする。もう想像だけで泣きそうだ。そうならなくて本当によかった。
それにしても、と俺は笑う天野を見つめる。
普段は口数が多くはないのに、会話自体は巧みだったらしい。一対一だと変わるのか。まあ口数が少ないイコール会話下手というわけではないから、それはそうなのかもしれないが。
つまりこういうことが、藤さんの言っていた思い込みというやつなのだろう。
「二年生にかなり大きなフープピアスを付けて来た人がいるらしいんだが」
「フープ?」
「耳たぶを挟んで輪っかになっているピアスだよ」
天野が親指と人差し指で輪を作り、指同士の隙間を自身の耳たぶにあてがう。
「それもう駄目じゃないか? どうなったんだ」
「没収されたらしい。でも本題はここからなんだ」
目線で続きを促すと、天野は思い出したのか上がる口角を口を引き結んで押しとどめた。
「すっかり返すのを忘れて家に帰ってしまったらしい。帰ってから気付いて、悪いことをしたと、次の日忘れないように玄関に置いておいた」
「……玄関にピアス?」
「そう。そして、次の日の朝、目覚めるや否や奥さんと修羅場に……」
「待って、それもしかして二週間ぐらい前の話?」
「馬屋先生の顔に大きい絆創膏が貼ってあった日な」
「え、何、じゃああの下って」
「奥さんからの紅葉がでかでかと」
「あれそういうことだったのかよ⁉ こわ!」
「本当にな」
凄い。足取り軽く階段を上り、太陽を浴びながらアスファルトの上を歩き、横断歩道を渡りながら、俺は感動していた。
天野と話している。ローションでも謝罪でもなく、他愛もない話と言うやつで。今まで見つめるだけで、話すきっかけも理由もなかったのに。普通の友達みたいに天野と話している。奇跡だ。すごくうれしい。旧校舎での事故みたいなキスよりも、この時間の方が死ぬほどうれしい。
俺の望んでいる関係にはキスの方が近くて、今の方がどちらかと言えば遠いのに。ずっとこうでいい。ずっと、ずっと俺と楽しく話していてほしい。
道を覚える暇もなく、天野が予約してくれたというレストランに到着した。
洋食屋とのことだが、シンプルな外装で、青と白の縦じまの庇がモダンでありながら爽やかさを演出している。こういう店には珍しく、店先に食品サンプルが出ていない。色合いの濃い木製の扉に「OPEN」という看板が掛かっているだけだ。
天野が扉を開けると、カランとベルが鳴る。中は石を積み重ねたような壁に本物かはわからない蔦の這う、涼し気な空間だった。天井で緩くシーリングファンが回っている。
「天野です」
「こちらへどうぞ」
奥からやって来た店員さんに天野が名乗ると、すぐに奥の窓際へ通される。窓の外では、木が風に揺れていた。その足元には犬の置物が数匹置かれていて、思い思いのポーズを取っている。どうやら塀で囲って庭のようにしているらしく、木の向こう側に道路が見えたりすることはない。
結構凝ってる店だな……と俺が少し緊張していると、店員さんが水とメニューを置いてくれた。シンプルな白シャツに紺のエプロンが内装と調和している。
「お決まりになりましたらお呼び下さい」
店員さんが去ってから、天野がメニューを開く。
「ここ、ちょっとおしゃれな感じで雰囲気重視、みたいだろ」
「う、うん」
潜められる声にどきりとする。でもな、と天野はメニューを捲った。ハンバーグ定食、カレーにオムライス、鮭のムニエル、とんかつ、サンドイッチ、親子丼……親子丼?
「種類が多くて、あと」
天野の指先が、料理の写真の横を指す。サイズと価格が書かれているようだ。S、M、L、XL。XL?
「量が多い」
そう言って、秘密を共有する小学生のようににやりと笑った。くだらない、でも今この瞬間には重大な秘密だ。腹ペコ高校生男子にとっては何よりも重大な。
俺はふっと笑ってしまった。店に入った時に知らず強張っていたらしい肩の力が抜ける。天野が選んでくれたおしゃれな店というだけで身構えてしまっていたようだ。
やっぱり天野はちゃんと考えてくれているし、優しい。思えば天野は運動部なのだから、ご飯の量が大事なポイントになっていてもおかしくない。
「XLってどれぐらい?」
「実は俺も試したことはないんだ」
「行ってみる?」
「そうだな」
意味もなくひそひそ話しながら、俺達はメニューに向かった。様々な写真が並ぶページを捲るのも、それを追う天野の目線を盗み見るのも、どきどきして楽しかった。
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