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第15話 ノリノリの大人達

「……で、俺の分も一緒に持って行ってくれて」 「あらーそつがないわねー。モテそうだわ」 「どちらかというとひっそりモテるタイプっぽいね」 「計算なのか天然なのかが気になるポイントだな」 「話を聞く限り大体の人間相手にこの調子のようですし、今のところ天然なのでは?」 「計算だからこそあらゆる人間に、っていうパターンもあるだろ」 「労力は凄まじいですが……まあ有り得ない話ではないですね」 バー・ヒアシンスのカウンターは、わいわいと賑やかだった。開店準備をする蘭さんと鹿さん、カウンターに座る藤さんと近藤さんはいつの間にか俺の方に身を寄せて、俺の話す天野トークに好き勝手感想を述べている。油崎は俺の隣でちまちまオレンジジュースを飲んでいた。 話を聞いてくれる人の存在というのはやはり凄い。中村さん相手の時もそうだが、今はそれ以上に自分の口が回っているのがわかる。初めはたどたどしく、何を話していいのかわからなかった俺も、気付けば天野の優しさとか、弓を引く時の眼差しの格好良さとかを語っていた。 頬から耳にかけてが熱い。冷ますようにストローに口をつけると、藤さんが顎に手をあてて首を捻った。 「うーん、しかしいまいちわからんな」 「あーそうねえ」 「え?」 ストローを這いあがって来ていたオレンジジュースが、口を離したことでグラスに戻って行く。わからないって、ついさっきまであんなに相槌やら何やらを入れてくれていたのに? 蘭さん達の表情からは、困惑と躊躇いのようなものが窺える。 「空見君がその天野君のことを好きなのは伝わって来るんだけどね」 鹿さんがちらりと目線をやり、それを受けた藤さんが引き継いだ。 「どうにも天野君という人物が見えてこない。いや、優しくてドーナツが好きで弓道部で部活中の目が格好良くて大胆で可愛い子が好きでイケメンであまり口数は多くないが賢くて運動神経もよくて家庭科の授業では後片付けまできちんとこなすタイプなんだろ? それは聞いた」 口を開きかけた俺を、藤さんの息継ぎゼロのマシンガンが遮る。俺は自分の体温がさらに上がる感覚を味わった。確かに俺が話したことだけど、そのまま暗唱されると恥ずかしい。 「だが、なんだかな……」 藤さんは親指を人差し指と中指の境で擦り合わせていたが、不意にパチンと指を鳴らした。 「湿り気がない」 「……湿り気?」 何だそりゃ。意味が分からなくて周りを見回すが、蘭さんも鹿さんも、果ては近藤さんも神妙な顔をしていて俺は混乱した。 え、皆同じ意見なのか? 湿り気? 天野に湿り気がない? いやだから湿り気ってなんだ? 湿気? いやに真剣な面持ちで、藤さんは俺を見る。 「空見君の話を聞く限り、天野君はいい人だろうね。好きになるのもわかる。でも、空見君の話す天野君は何だかそういうキャラクターみたいだ」 「キャラクター……」 中に役者がいそう、と藤さんは言う。 「こういうので人間を測るのはナンセンスかもしれないが……天野君の失敗談とかはないの? 彼が恥ずかしがることでもいい」 「え、えっと……」 失敗談。ぱっと思い浮かんだのは、旧校舎での出来事だ。あれこそまさに天野にとって最大の失敗だろう。俺と二人っきりになったことで起きた、あの事件に「失敗」というタグ付けをするのは胸が痛むけれど、事実なのだからしょうがない。 他には……他には、思いつか、ない。 俺は瞬いた。 ない。言われてみれば、どれだけ記憶を漁っても、天野の失敗と呼べるようなものは見当たらない。天野が恥ずかしがっている姿は見たことがないし、焦っているところも……あ、そう言えば。 「この間、遅刻してました」 今週の月曜日、俺が油崎と出会った日の次の日に天野は珍しく遅刻してきていた。……まあその時も天野から羞恥や焦りは感じ取れなかったけれど……。それよりも、印象的だったのはその後の目が――いや、これはやめよう。こんなところで思い出すとまずそうだ。 「遅刻かあ」 藤さんは呟くと天井を仰いだ。 隣の油崎がじっと視線を送って来る。旧校舎での出来事の一部始終をローションボトルの中で見ていた目。訴えんとすることはわかったが、俺は、言うなよという意思を込めて横目で睨み返した。 あれは天野にも事情があってのことだし、第一理由も含めて不特定多数の人に喋るような内容じゃない。アドバイスをしようとしてくれている藤さん達からすれば、天野の解像度を上げるのは大事なことだろうけれど、それでぽいと渡せるようなプライバシーじゃないのだ。 「……悪いな。貶めるつもりはなかったんだが、ちょっと気になった」 藤さんは息を吐くと、コーヒーを啜った。 「あ、いえ、単純に俺があまり天野と話さないっていうのもあると思うので……」 「でも空見君は熱心に天野君を見てるんだ。それこそ部活中の様子も知ってる。それでも見たことがないっていうのは……元からそういう人間というだけなのか、家では違うのか……まあ空見君からの情報提供だけだしなあ。恋は盲目と言うし」 最後の一言が、油崎からの言葉とダブってどきりとする。気付かない様子で藤さんは「じゃ、この完璧天野君にいい印象与えられるように頑張らなきゃな」と言った。 「天野くんの服装の好みとかあるのかしら。どんな服着てるの彼?」 「うち制服なので……」 「清潔感重視で行けば間違いはないだろ」 「それはそうだろうけど、素材を生かしたいじゃない」 「相手の好みがわかってりゃ攻めるのもアリだが、わからない内は無難な方が事故らなくていいと思うがな」 そうだけどぉ、と蘭さんは不満げに口をすぼめる。 「今まであんまり話してないっていうなら、尚更得点よりも失点しないことを気にした方がいいだろ」 「あんたほんとに何だかんだ言って妥当よね」 「褒められてる気がしないんだが」 心の中で、俺は蘭さんの言に頷いた。……何だか意外だ。藤さんはもっとこう、攻めて行く感じの人だと思っていた。案外守りも大事にしているのか。百人斬りとか言っていた人とは思えない。 「だから別に今日の服とかでもいいと思うけどな」 「えー、もうちょっと特別感出しましょうよー」 「指輪一個とかでも可愛いよね」 「俺は靴を推す」 「髪型変えるのもいいわよ!」 「敢えての眼鏡もいいねえ」 鹿さんの指輪を皮切りに、蘭さん藤さんからぽんぽんと案が飛び出してくる。 「な、なんか派手になりませんか……?」 「別に全部やれとは言ってないぞ」 そ、そうか。せっかくアイデアを出してくれているのだから、受け入れなければという気持ちになってしまっていた。指輪と伊達眼鏡をして髪型を変え、いい靴を履いた見慣れぬ自分を頭から追い出す。 「でも普段制服ってことは、大体何着てても新鮮には映りそうだけどね」 「それもそうね」 成程、鹿さんの言うことも一理ある。……待てよ。俺が私服を見せるということは、即ち天野の私服も見れるということだ。天野の私服。私服の天野……どういう感じなんだろう。綺麗系、カジュアルな感じ、滅茶苦茶個性的だったり……。 脳内天野にファッションショーをさせてみるが、どれもこれも似合いすぎて困ってしまう。天野だったらパリコレみたいな服だっていける。絶対格好良く着こなせてしまうに違いない。 俺が脳内のランウェイを歩く天野に胸を高鳴らせている内に、現実では藤さんの指輪が貸し出されることが決まっていたらしい。 「これ嵌めれるか? 人差し指とか……ああいけるな」 「え、あの」 藤さんは俺の左手を取ると、人差し指に銀の輪っかを滑らせた。シンプルなつくりで、二つ重なった輪が指の後ろでくっついている。甲側には斜めのスリットが二つの輪っかの上に入り、隙間を作っていた。 ちょっと緩いな……と言いながら藤さんが隙間を調節する。俺は目を白黒させた。 「ごめんねえ、今ぱっと出せるのがなくて」 家に帰ったらもっと可愛いのがあるのに、と蘭さんは不服そうだ。「シンプルイズベストだろ」と言う藤さんは調節が終わったらしく、しばらくじっと自分の指輪を嵌めた俺の手を見つめた。 無骨な指が俺の指先を纏めて掴んでいる。 「よし、これでいいだろ」 「で、でも悪いですよ、こんな……」 「デートが終わったら報告がてら返しに来てくれりゃいいさ」 にっと笑う。俺は一瞬呆けた。この人、笑うと目尻に深めの皺が入って優しい印象になる。第一印象は気怠げな風だったのに、突然甘さを孕んだような。結構しっかりアドバイスしてくれたし、ちゃんと考えてくれてるし……案外いい人なのかもしれない。――百人斬りしようとしてたらしいけど。 「ありがとう、ございます」 「あとは何だ。話題だったか?」 するっと手が離される。人差し指の付け根に、慣れない締め付けだけが残った。 「同じ学校に行ってるんだし、何かしらあるんじゃない?」 「いざ話すとなると難しいのかもね。安直だけどドーナツとかかなあ」 「掴みならいいとは思うが、それで引っ張るのはきついだろ。ドーナツ屋に行くわけじゃなさそうだし――ドーナツ好き?」 「え? まあまあです」 急に話を振られて肩が跳ねてしまった。ドーナツは嫌いじゃないけれど、大好きでもない。天野がよく食べているから気になる食べ物になっている、というのが大きい。 藤さんは俺の返答を聞くと、また蘭さん達との会話に戻って行った。 「空見君がドーナツ好きって言うならドーナツ好き同士で盛り上がるかもしれんが、そうじゃないみたいだしな」 「好きの度合いを合わせるのも限度があるしねえ」 「もし天野くんがドーナツ博士みたいだったとして、ドーナツ好き初心者だから教えてって言えばいいんじゃない?」 「そもそも天野君はどのレベルのドーナツ好きなんだ?」 「よく食べてるって言ってたじゃない」 「好きだからよく食べてる場合もあれば、惰性で食べてる可能性もあるだろ。脳みその習慣だな。しかも高校生で購買で買ってるってことは、安いからっていう理由も考えられるし」 「それ言いだしたら全部そうじゃない」 「ま、情報自体が『らしい』程度の確度じゃ推測を重ねるしかないからな」 「う……すみません……」 藤さんの一言がぐっさり刺さって、俺は俯いた。元はと言えば、俺が全然天野と接触がないからこういうことになっているのだ。藤さんの言う通り、ドーナツも俺が勝手に好きなんだと思い込んでいるだけで、天野からしたらそうでもない可能性は大いにある。 へこんでしまった俺を「大丈夫よ!」と蘭さんが励ましてくれる。 「少ないけど全く情報がないわけじゃないんだし! 好きになっちゃったんだもの、しょうがないわよねえ」 「結局二人で経験したことを話題にするのが妥当だろうな。だから、当日に行ったレストランのこととか、料理のこととか話せば間違いはないと思うぞ」 「あんたねえ……」 さらりと言う藤さんに、蘭さんがジト目になる。藤さんは片眉を上げた。 「事前情報で会話デッキ作るのもいいけどな。特に空見君の場合は思い込みが足を引っ張る可能性が高そうだ。情報の出処も本人からというより、観察結果が多そうだしな。先入観があるぐらいなら、まっさらの方がいいこともあるぞ」 「なるほど……」 すとん、と腑に落ちた。 言われてみれば、俺は天野のことを本当の意味では知らないのかもしれない。俺の知っている天野は、俺が見て、聞いた情報で構成されている。天野から直接聞いた情報も……あるにはあるけど、藤さん達には話していないし、あれはちょっと特殊すぎる。――いや、こうやって無意識の内に取捨選択しているんだろうか。 見たり聞いたり、ぽろっと天野本人から得た情報を、自分の中に取り込む前に、フィルターにかけているんだろうか。そうやって自分に都合のいい天野をつくっているんだろうか。 俺の中の天野。優しくて格好良くて、俺だけの天野。俺の中にしかいない天野……。それって誰だ? と俺の中が言う。そいつは油崎の形をしていた。 『あいつは別に、お優しいわけじゃないだろ』 神聖視しすぎてるんじゃないか、と油崎は言った。そうかもしれない。俺は天野を、俺の中の天野を神聖視していたのかも――。 「空見君?」 「あ」 はっと意識が現実に帰って来る。藤さんが俺を探るように見ていた。しまった。潜りすぎていて、傍からは藤さんを熱心に見つめる人になってしまっていた。 「いや、ええと、凄いなあと思って」 これは事実だ。わたわたしている俺に、藤さんはふっと笑う。 「俺に乗り換えてもいいぞ」 「え」 途端、藤さんの顎が鷲掴まれると、ぐりんとその顔が左を向かされた。藤さんと鼻を擦り合わせる勢いで顔を近づけた近藤さんが低く唸る。 「あなた、いたいけな高校生に何ということを」 「冗談に決まってるだろコンちゃん。それより俺の顎がイカれそうだし首は既に持って行かれてるんだが」 「砕いてやりますよ」 上下で歯一本分横にずらしてあげてもいいです、等と何だか恐ろしいことを言っている。藤さんの手が近藤さんの筋が見える手首に添えられた。 「いざ砕いたら大変なことになるのはお前の方だろ」 「――」 「哀れっぽいお前はあんまり見たくないんだが」 「……顎砕かれてもその余裕が継続できるなら尊敬してあげます」 近藤さんは早口でそう言うと、投げ捨てるように藤さんの顎を解放した。そのままカウンターに腕を置くと、木目に視線を注いでいる。 ――何だこれ。俺はそっと蘭さんと鹿さんを窺った。二人は仕込みの続きをしている。もう終わりそうだ。その視線は不自然なまでに手元に落とされ、藤さん達の方には向いていない。 「……でも藤さん、本当にありがとうございます。俺一人だったら絶対ドーナツのこと訊いてたと思うし……」 俺は無視することにした。藤さんと近藤さんの下りをなかったことにして、その直前から話が繋がっているかのように声を張る。顎をさすっていた藤さんが、一度だけ瞬く。 「ドーナツが駄目なんじゃないぞ? これしかない、みたいに凝り固まると面倒だぞってことだ。それはそうとドーナツはもう訊いちゃっていいだろ。気になってるんだろ?」 「あー……何となく」 「好きな人の好きなものって気になるわよね。食べ物だったら気軽に自分でも試せるし」 「好きにせよそうじゃないにせよ、会話の取っ掛かりにはなるだろうしな」 大人達の優しい眼差しを受けて、俺はこくこく頷いた。頭を上下させることでさっきの雰囲気を押し流せるとは思えないが、徐々に空気は流れて行く。 「そろそろ開店だけど、ご注文は?」 鹿さんの問いに、忘れていた空腹が刺激された。もうそんな時間か。それじゃあ、とメニューを手に取る前に横から声がする。 「オムライスで」 さっきまで全然喋っていなかった油崎だった。しれっとした顔で「お前は?」と訊いて来る。お前、本当にこういう時だけ……。

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