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第6話
アンデッド・エンドは移民の天国でもある。
もともとこの国は世界中から多様な人種が集う多民族国家だった。
ネイティブアメリカン、黒人、華僑、日系、ヒスパニック。アイルランド、イタリア、プルエトリコ……あらゆる民族が国の屋台骨を支えてきた歴史がある。
それは幾たびかの戦争を経た現代でも変わらない。
かてて加えて、そこにミュータントが登場する。
数世代かけて混血が進み、人と亜人の境は曖昧になった。
往来の雑踏にちょっと目をやれば、頭に獣耳を生やしてしっぽを揺らし、肌を鱗で覆った男女がちらほらまぎれているのに気付くだろう。
ほかの地方ではめったにお目にかからないミュータントが、アンデッド・エンドでは普通の人とまざって暮らしている事実からもわかるとおり、ここは一種の自治区に指定されている。移住の規制も緩く、亜人の権利も最低限保護されるとあり、よそでの迫害を逃れたミュータントたちが新天地を求めてやってくる。
生活水準を見分けるのはごく簡単。一番底に低所得層が住むスラムが広がり、上にいくにしたがって経済的に豊かになっていく。
ちなみに名前の由来だが、終戦まもなく付近一帯が放射能に毒されていた頃、あてどなく荒野を放浪していた生き残りが数か月に及ぶ激しい砂嵐をくぐりぬけて辿り着いた終焉の地という説が濃厚だ。
アンデッド・エンドの西一番街、通称「快楽天」。
華僑が多く住むことからチャイナタウンの景観を呈し、赤い提灯が鈴生りに吊られ、漢字やハングルの看板がやたら無秩序に突きだす繁華街。
路地裏では床几に胡坐をかいた|老頭児《ロートル》たちが麻雀に打ち興じ、表通りでは爆竹を追いかけて子供たちがはしゃぐ。
毎日がお祭り騒ぎのような中華街の日常に、その店は実にしっくり溶け込んでいた。
外観はただの鄙びた定食屋、東洋ではお馴染みの粥や飲茶をメインに取り扱っている。
地元の常連でごったがえした店内では、速射砲の如く喧しい中国語と英語とどことも知れぬ国の言葉が飛び交っている。
『操!』
『他妈的屄、你脑袋有问题!』
饒舌に唾とばし赤ら顔でまくしたてる客の熱気と、それに応じ濁声でがなりたてる親爺の剣幕。
油ぎった喧騒から離れて屋外に席を取り、テーブルに突っ伏した若者が今にも死にそうに嘆く。
「あ――――だりぃ―――……」
肺の息を全部吐きだすように語尾を伸ばす。
油じみたテーブルに完全に上体を突っ伏しており、伸びた前髪に隠れた顔の造作はよくわからない。
悪趣味でサイケデリックなアロハシャツを羽織り、大胆に胸元を開けている。
ダークブラウンの髪は寝癖でぼさぼさ、あちこちハネ放題でろくに手入れもされていない。
両方の耳は大小のピアスで埋め尽くされ、ほぼ皮膚が見えない状態だ。
若者は眠たげな声でくりかえす。
「くそだりぃ―――――ィ……」
「二度目だぞシツっけえな、エコーかよ」
「俺はニコチンで動いてんだよ……切れたら死ぬんだ……」
「じゃあ死ね」
対面の青年が心底興味なさそうに吐き捨て、蒸篭に盛られた肉饅頭を頬張る。
こちらはイエローゴールドの髪で、ぼやいた若者に負けない位両方の耳をピアスだらけにしている。
遅い昼食をとるスワローの正面、相変わらず突っ伏したまま片方の手だけ伸ばして図々しく無心する。
箪笥の後ろから沸きでたゴキブリを見る視線でてのひらを釘さし、舌打ちと共に一本投げ渡す。
「ほらよ」
若者がのろのろと煙草を咥え、アロハシャツの胸ポケットから出したライターで点火。
背凭れに大きく仰け反って深呼吸―
「―ってマリファナじゃねえか!!テメェ俺がメンソールっきゃ喫わねーの知ってんだろ馬鹿か!?」
「メンソールなんざだれが喫うか馬鹿、ありゃなよっちいオカマが喫うもんだ。即ちてめえだ劉」
テンションの浮き沈みが激しいノリ突っ込みにスワローがニヤケて中指を立てる。
たちどころに煙草をはたきおとして席を立った若者は年の頃24・5、極端な痩せぎすだ。
東洋人特有の黄色い肌は長年の不摂生が祟って青ざめ、伊達眼鏡が遮る三白眼の下にどす黒いクマができている。
はだけたアロハシャツから垣間見える胸板は不健康に薄く、痛々しいほどに肋骨が浮いている。まるで鳥ガラだ。
チンピラまがいのファッションに身を包んでいるが、隠しきれない三下臭が全身から滲み出る若い男は、聞いてるだけで黴が生えそうなうっそりと陰にこもった声で呪詛を吐く。
「~~俺にいやがらせしてたのしいかよ……あー世の中夢も希望もニコチンもねえ、生きてく甲斐がねえ。鬱だ死にてぇ……でも死ぬのだりぃ……首吊りするのに踏み台上がるとかメンドくせぇ……銃の引き金引くのもメンドくせぇ……」
「引き金引くとき突き指しそーな不幸顔だもんな」
「ツキのなさに驚け、首縄くくりに踏み台上がると足の小指捻挫する」
「足の小指だけ捻挫って器用。逆にツイてんじゃね?」
「首吊りは苦しくて後汚ェから気がのらねえし……銃はがらじゃねーし」
「剃刀」
「スプラッタはお断り」
「睡眠薬」
「失敗するとゲエゲエ苦しい」
「文句の多い自殺予備軍だな」
「だから体中の毛穴にニコチン染み渡らせて緩慢な自殺を遂げようとしてんだよわかれよ」
「肺癌がオチ」
「それならそれでいいから煙草くれ」
「さっきから何周目だよこの会話」
「うるせェ、こちとらシケモク買う金も切らしてんだよ」
「下手の横好きでギャンブルに突っ込むからだろーが」
「あそこで|字一色《ツーイーソー》がこなけりゃ勝てたんだよくっそ~……」
日頃からニコチンが尽きた時が寿命が尽きる時と吹聴してまわってるが、まんざら誇張でもないらしい。
人として終わってる愚痴を延々紡ぐ若者―劉に、スワローは鶏の腿肉を手掴みで豪快に齧ってふっかける。
「金さえ払えばラクにしてやるぜ?」
「自殺幇助頼むほどおちぶれてねえよ」
「怠け癖極まって往生際悪く死に渋るだれかさんの代わりに引き金引いてやるって言ってんだよ。まあナイフのが好みだからそっちでもいいがリクエストは応相談」
「人生最期に見るのがお前のニヤケ面なんざ願い下げだ、胸糞悪すぎて死にきれねェ。腹立ちすぎて体中の穴という穴から煙ふくぜ」
「おもしれー見世物。死に際が笑えるザマならケツの穴にしこたまタバコ突っ込んで写真バラ撒くか考えたが」
「死ぬほど悪趣味だな」
「俺流の手向けさ。ニコチン大好きだろ?上と下の口に何本咥えこめっか見ものだな」
死体の尻穴に剣山の如く煙草が突き刺さった光景を思い描き、「うへぇ」と辟易する劉。スワローはズズッと椀からスープを啜る。
ほぼ満員の店内から注文を頼む声と承る声、剣戟さながら食器が触れ合う騒音が響き渡る。
「煙草がねーと力がでねえ……駄目だ禁断症状で饅頭が分裂した」
「店先で廃人化すんな、メシがまずくなる」
「ってなに俺の分まで勝手に食ってんだ」
「ケチケチすんな、仕事帰りで腹減ってんだ」
「知るかボケ。返せ小籠包」
「てめえは饅頭の残像食ってろ」
「残像で腹が膨れるか」
死んだ目で弱々しく突っ込む劉をよそに、スワローは食卓を占める料理をかたっぱしからたいらげていく。
肉饅頭を素手で掴み取り、食べながら大口で喋り、箸が使えない代わりに汁物は直接飲み干し、総菜はレンゲでかっこんで下品に咀嚼……行儀はてんでなっちゃない。
劉は常に機嫌が悪く顔色も悪い。ことさらに体調が悪いわけではなく、これがデフォルトだ。慢性的な寝不足と低血圧の二重苦に加え、今は煙草を切らして特に元気がない。
こんな臨終一歩手前の心電図のようなテンションで人生楽しいのか疑問だ。
死んでいるのにもいい加減飽きてのっそりと顔だけ起こし、腹ごしらえを終えて爪楊枝で歯をせせるスワローに恨めしげなジト目を向ける。
劉の皿まで綺麗にからだ。
隅々までなめたように光り輝く皿をどんよりと覗き込み、しみじみ噛み締める。
「ほんッッとクズだな」
「そりゃどーも。よく言われる」
「初めて会った時から知ってたわ」
「シケたヤマで組まされたのが運の尽き」
「余り者の悲哀だな」
他にアテがありゃ誰がこんなヤツと。
言外にそう込めて睨むも本人はどこ吹く風とふんぞり返り、爪楊枝をくるくる回す。
「おいおい劉よ劉ちゃんよ、命の恩人サマにむかって随分な言い草だな?あの時俺がいなけりゃ今ごろ細切れで下水に流されてたぜ」
「はっ、そっくり返すぜ。誰のおかげで今メシ食えてるとおもってんだ、俺がケツ拭いてやんなきゃテメエなんざ今頃生首ファックだ、その首から上だきゃ売り物になるかんな、この街に腐るほどいる変態が欲しがるだろうさ」
売り言葉に買い言葉で過激な応酬をくりひろげる、劉もアンデッド・エンドに腐るほどいる賞金稼ぎの一人だ。
ピジョンが修行にでていた一時期、フリーで活動していたスワローと成り行きで組まされて以来の腐れ縁だ。
年こそ離れているがスワローの数少ない友人……否、貴重な悪友といえる存在だ。
億劫げに身を起こし、心底どうでもいいが黙っているのも据わりが悪く、惰性と義理を割った無関心な素振りで劉が聞く。
「で?仕事帰りだろお前。首尾はどうなの」
「クソくだらねーネタ。片っ端から女をさらって売り飛ばす、思い上がったザコどものお掃除だ。何とち狂ったんだかテメェらがちったあイケてると勘違いしてお笑いぐさ、歯ごたえなさすぎで欲求不満。兄貴がとってくんのはそんなんばっかだ、女子供にゃ激甘なんだ」
「オンナが痛め付けられてるとほっとけないわけか、とんだお人好しだな。んで兄貴は?」
「ほかに行きてーとこあるんだと」
「別行動か。珍しい」
「一日中べったりじゃねーよ」
別行動を申し出たピジョンにいちいち付き合う義理もなし、一足先に馴染みの店にきたら知った顔を見かけて相席した次第だ。
「あ゛~~~暴れたりね~~~!」
「ガキか」
「こっちはパーッとド派手にいきてーんだよ、ナイフで頸動脈かっさばいてさァ」
「さァって言われても」
「マジだりぃ。だるすぎ。殺しちゃいけねーとかヌルいんだよ、ンなのちんたら守ってられっかっての」
「あー……まーよかったじゃん、オンナは全員無事だったんだろ?命が助かったのは不幸中の幸いだ」
「へえ珍しい、女に勃たねー童貞が女の心配?」
神経を逆なでするスワローの揶揄に、劉はおもいっきり顔を顰める。
「……悪いかよ。いいだろ別に」
劉は重度の女性恐怖症だ。
故に生まれてこのかた二十五年、後生大事に童貞を守り続けているともっぱらの噂だ。
プイとそっぽをむく視線の先、短いスカートからパンツ丸出しで駆けていく女児に慌てて目をそらす。
伊達眼鏡の奥、常に気だるげな三白眼に一瞬痛みが過ぎり霧散する。
小便くさいメスガキにさえ怖じる友人の反応に、スワローはほとほとあきれかえる。
「てめえのソレも重症だな。ガキの頃逆レイプでもされた?」
「ほっとけ」
「テンション低いのはダウナー系のヤクでもキメてんの?」
「クスリはやんねーよ。メンソール一筋だ」
「ツマンねえ人生。何が楽しくて生きてんだよ」
「は?何?なんか楽しくなきゃ生きてちゃいけねーの?俺は死ぬのメンドイから生きてるだけなんですけど」
「逆ギレうぜー」
「うぜぇっていうほうがうぜぇ。別に楽しくなくても息していいだろ、副流煙垂れ流して全員道連れだ」
「もうそれ無差別テロじゃん。元凶消した方が早ェわ」
「まあこの位置関係だとモロに吸い込んでお前が死ぬな」
「酸素を二酸化酸素に変えるだけの簡単なお仕事だな」
「仕事なら金くれねーかな……時給でいいから」
「一生童貞とか人生大損」
「キブン的には非童貞だ」
「非処女みてーなツラでナニぬかす」
「ひしょ……?」
劉が絶句、鼻梁に眼鏡がずりおちる。
彼はけっして美男子ではないが、倒錯した手合いが好みそうな退廃した空気を全身に漂わせている。
純粋すぎるがゆえに穢したくなるピジョンとは別ベクトルで嗜虐心をそそる見てくれ……その性根の屈折ゆえに虐めたくなるタイプだ。
椅子を蹴立て身を乗り出し、スワローの胸ぐらを掴んで恫喝。
「おい撤回しろ、だれが非処女だ。お前と違って野郎と乳繰り合う趣味ねーよ」
「オンナとデキねーのに?」
「消去法でオトコに走るってか?ふざけんな」
「マジギレってことはマジでマジに童貞なの、そのトシでぴかぴかチェリーなわけ?あのピジョンでさえ酔った勢いで捨てたってのに?未使用の棒なんざ輪投げの的にするっきゃ取り柄ねーぞ、上手くヤる自信ねーなら練習台になってやろうか、秒で出しても笑わねーからさ。ただしカネはとる」
伊達眼鏡の奥、負の重力渦巻くダークブラウンの眸に殺意が爆ぜる。
スタジャンの胸ぐらを力任せに締め上げ、間合いを詰めて凄む。
「ガキが。殺して犯すぞ」
「上等。犯して殺すぞ」
睨み合うふたりに一触即発の危険を感じ取ったか、通行人が足早に避けていく。
緊張感を破ったのは、突如として乱入した若い女の黄色い声。
「スワロー!」
「なんだリンファか」
「ひさしぶりじゃん、最近ちっとも会えなくて寂しかったんだから。ほったらかしはやめてよね」
「わりーわりー仕事が立て込んでてさ、帰りに寄ろうとおもってたトコ」
「ほんと~?」
雑踏からまろびでた赤いチャイナドレスの女が、出鼻をくじかれて虚しく立ち尽くす劉の存在など完全スルーし、スワローの首ったまに抱き付いて甘える。
抱擁を受けたスワローはまんざらでもなさそうな笑みを浮かべ、柔い二の腕をあやすようにぽんぽん叩く。
「しばらく可愛がってやれなくて悪かったな。そのぶんすげェのくれてやる」
「たのしみ!あ、キスマーク発見。ちょっと~~浮気~~?」
厚化粧の女がわざとらしく膨れ面をし、スワローの首筋を……正確にはそこに一点、赤く色付いて主張するキスマークを突付く。
「よその娘と寝た?」
じゃれてくる女の指摘を受け、今初めて首筋に残る痣に気付いたスワローが挑発的な流し目で劉を一瞥、とびきりふしだらな笑みをこしらえてみせる。
「男かもしんねーぞ。ゲストに呼んで3Pする?」
「もうッばかばっか!」
「妬くなよ。ほかは遊び、愛してんのはお前だけ」
「信じらんない、どーせみんなに言ってんでしょ」
「ベッドの中で証明するさ」
ふざけてひっぱたく女に不実なキスで応じる。
女はべったりとスワローにしなだれかかり、スワローは女の腰になれなれしく手を回し、女性恐怖症が原因で凍り付くしかない劉の眼前で、いささか刺激の強すぎるペッティングをおっぱじめる。
挙句は互いの口を貪り濃厚に舌を絡めるディープキス、名残惜しげに離れたときには女の顔はすっかり上気していた。
「じゃねー帰って準備してる!」
「おーすぐ行く」
意気揚々と鼻歌まじりに去っていく女を見送り、席に戻ったスワローを憤懣やるかたなく青筋立てた劉がでむかえる。
「~お前ほんッッと評判悪いぞ、野良ツバメ 」
「知ってる」
野良ツバメはスワローの蔑称だ。保安局に正式に登録した通り名はまた別だ。
負け惜しみかあてつけか、本人を前に悪評をぶちあげた劉を見返すスワローの顔はいっそ清々しく、食器が載った卓にどっかと足を投げだして宣言する。
「嫌いなヤツに嫌われんの気持ちいいじゃん?」
「人として外道がすぎるぞ」
劉はあきれた。
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