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第7話

スラムとチャイナタウンのちょうど中間に伸びるストリート、通称デスパレード・エデン(ならず者の天下)。 その名のとおり大層治安が悪く、銃声や爆音、不幸なだれかの断末魔がごみごみ犇めくアパートや薄暗い路地裏から響かない日はない殺伐としたエリアだ。 住民の過半数を身持ちの悪いろくでなしが占め、終始どこかで喧嘩がおきてはだれかが巻き込まれて怪我をし、縄張り争いに腐心するギャングがおっぱじめた抗争の流れ弾でだれかが命を落とす。 一日の死者は多い時だと二桁に達し、アンデッド・エンドの中でも一際物騒な界隈と敬遠されている。 そんなデスパレード・エデンの一角に兄弟が住む部屋はある。 外観は何ら変哲ない、古臭いアール・デコ様式の十階建てアパート。 殺風景な赤レンガの外壁に等間隔に穿たれた馬蹄型の鎧窓。 枯れかけた植木鉢やロープに翻る洗濯物など、おもいおもいのインテリアが賑やかに窓辺を彩っている。 なによりインパクトを与えるのは屋上のばかでかい看板だ。 オレンジ、ピンク、赤、青と、今もカラフルに移り変わりビビッドな原色のネオンで壁面を染めている。 刻々と移り変わるネオンに顔を照らし、アパートが面する路上に立ち尽くす。 側面にジグザグに取り付けられた外階段は小さな踊り場を備え、各階の非常口へと繋がっている。 一方、正面エントランスのむこうには刑務所の面会室に似たプラスチック仕切りに隔てられた管理人室があり、ピジョンの記憶が正しければ大家が不審者の出入りに目を光らせているはずだ。 「…………」 どちらでいこうか数秒迷うも、足は外階段に引き寄せられる。 正直いまのメンタルで大家の相手はご免こむりたい、話が無駄に長いのだ。それ以外にも顔を合わせたくない理由がある。 「悪い人じゃないんだけどな……」 小声でぼやき、ペンキが剥げ落ちて元が何色だったかわからないみすぼらしい外階段を上る。 靴裏に体重をかけるたび軋んで錆が落ちるのが心許ない。いま地震がきたら崩落して即死だ。 手摺を掴んで足を運び、四階へ到着。 「アンタっ、まーたキッチン戸棚あさったでしょ!?」 「るっせェ、俺の稼ぎで買った酒をどうしようが勝手だ!」 「亭主の稼ぎだって?笑わすんじゃないよごく潰しが、ありゃアタシが身を削ったカネで買った酒さ!」 「仕事もねェカネもねェ、挙句カカアは他のヤツとファックときた。これが呑まずにやってられっかってんだひっく」 「ヤケ酒かっくらってくだ巻いてる暇あんならさっさと組合行ってきな、コソ泥の見張りでもドブさらいでも似合いのはしたヤマを世話してくれるよ!」 「んなもんだれが行くかッ、組合のやっかいになるほど落ちぶれてねェ、ありゃジブンひとりじゃネタも引っ張れねえ無能がいくとこだ!」 「プライドじゃおまんま食えないよ!」 「そのぶんおまんこで稼いでこい!」 酒焼けした濁声と甲高くヒステリックな罵声が飛び交い、反射的に首を竦める。その隣のドアから調子っぱずれの歌が響く。 「コカイン交換、ヘロインへろへろ、ドラッグ一発グッドラック……」 でたらめな歌をがなっているのは402号室のジャンキーだ。 廊下に貼り付いたガムや吸い殻、使用済みの注射器を踏まないよう用心深く歩きながら、近所の夫婦の痴話喧嘩やジャンキーのご機嫌な独り言を聞き流す。 へこみとキズだらけのドアの向こうで401号室の亭主がキレて喚き散らす。 「いいか!?組合はなァ、賞金稼ぎとして終わってる連中の寄り合い所帯なんだよ!!」 「随分な言いようだな……」 組合とはハンターギルドのことで、賞金稼ぎにとっての職業安定所だ。 |中央保安局《セントラル》は地方に散らばった支部の統括および登用試験と免許発行の機能を担っているが、裏を返せばただそれだけで、合格後の仕事までご親切に世話しちゃくれない。自力で飯のタネを掴めない落ちこぼれは、組合の使い走りで口を糊するしかない現状だ。 「気持ちはわかるけどね……組合が回す仕事って熟女のストッキング専門の空き巣とか、ラブホの窓への投石常習犯の検挙とか、総じてろくでもないし」 本当にどうでもいいが、投石犯の動機は恋人にフラれた腹いせだった。 初めてできた彼女とラブホに入るも勃たなかったのを嗤われ破局、以来幸せなカップル憎さにラブホの窓へ瓶や石ころを投げ込むのをくりかえしていたそうだ。 どうしてそんなにくわしいかと言うとピジョンが捕まえたからだ。正直ちょっとだけ同情してる。 404号室がピジョンの部屋だ。 三重のチェーンにさらに南京錠をかけた防弾仕様の扉と向き合い、ポケットから鍵を出して解錠。南京錠の暗証番号はスワローの誕生日だ。 カチカチとダイヤルを回す。 「ただいま」 弟は帰っていない。今日は遅くなると言っていた、どうせ女と会っているのだろう。もぬけの殻とわかっていながら静寂が寂しくて口にだす。 「……おかえり」 独り言に小さく応じてドアを閉め、手早く鍵をかけなおす。 ご近所の夫婦喧嘩とでたらめな歌はまだ続いてる。 このアパートでは一日中だれかが喚いてなにかが壊れ、完全に静まり返るということがない。 故障したボイラーの音、風に吹かれる雨樋の軋み、バスルームのシャワーの放水、壁を殴る轟音に上階の足音……もろもろの所帯じみた生活音に住民が出す騒音が加わり、四六時中しっちゃかめっちゃかお祭り騒ぎだ。 いい加減慣れた今では騒音の中で眠れるくらい神経が図太くなったが、最初の頃は寝不足で消耗した。 「さて……と」 数日ぶりの我が家だ。相変わらず散らかっている。これからゴミを分別してガレージに運び、朝一番で大家に挨拶して滞納している家賃を渡す。気が重い。 紙袋をキッチンテーブルに置いて肩をほぐす。 ピジョンはスワローと同居している。家賃は折半だ。部屋のグレードは下の上か中の下といったところ。さして広くもないが、子供時代を過ごしたトレーラーハウスと比べたら豪邸だ。 なんたって自分の部屋とベッドがある。 「はあ……片付けはあとでいいか……」 テーブル上の食べ残しにウンザリする。主にスワローのしわざだ。 シリアルをかっこんだまま放置したボウルとチーズとトマトソースの付いたピザの空き箱、ハンバーガーの包み紙。行儀悪く投げ出されたフォークとスプーン、大量に転がるコーラの空き瓶とビールの空き缶…… シンクには油に汚れた皿が突っこまれ、締まりの悪い蛇口からポタポタ水が滴っている。 「ちゃんと捨てろよ……」 ため息と愚痴が一緒に口を突いてでる。 目障りに飛び回る小蠅を片手で追い立て、ペダルを踏んで蓋を開け、ピザの空き箱とハンバーガーの包み紙をゴミ箱に落とす。 紙袋をあさって食糧を分類していく。ツナやスパムの缶詰にシリアル、レーションにチョコレートなど栄養価の高い保存食が多い。 賞金稼ぎは出張が多い、賞金首を追いかけて大陸中西へ東へ尻軽にどこへでもでかけていく。なので長期の保存がきいて持ち運びが可能な食べ物が重宝される。 あとはトイレットペーパーやオリーブオイルなど消耗品だ。 トイレットペーパーを積み上げて、オリーブオイルの小瓶を香辛料立てにおき、はたと手を止める。 紙袋の底から発掘した一枚のメモ。 くしゃくしゃに握り潰された形跡の残る紙片には、やたらとハネの主張が強い汚い手書き文字でこうしるされている。 コンドーム。 ローション。 ピジョンの顔が真っ赤に沸騰する。 「~~~~どこの世界に実の兄にゴムとローション買ってこさせる弟がいるんだ……!」 死ぬほど恥ずかしかった。コンドームは自販機で買えるし、ローションはドラッグストアで普通に入手できる。店番のちょっとかわいい女の子はピジョンが恋人とお楽しみを控えていると思ったにちがいない。永遠に勘違いしててほしい。 でもまあ、ないと困るのは自分だ。なるべく痛い思いはしたくない。 一度は握り潰し道端に捨てたメモを丁寧に開いて伸ばし、言われたとおりゴムとローションを購入したのだが敗北感が凄まじい。 腹立ち紛れにコンドームの小箱をぶん投げれば、壁にあたって跳ね返る。 ピジョンは居間の窓を開け放ち、ぐったりと桟に突っ伏す。 アンデッド・エンドは些か特殊な事情の上に成立する街だ。 ピジョンたち一家が旅した地方では、主に風力発電による電気の供給がおこなわれていた。街はずれの丘には夥しい風車が回り、各世帯へ電気を送る。 辺鄙な田舎ではそもそも電気が届かず、人々は懐中電灯やランプ、蝋燭をともし、朝になれば起きて夜になれば寝る生活をいとなんでいた。 なお歓楽街が発展した地域はネオンによる電力消費が半端ないので、店ごとに自前の発電機を構えているケースが多い。蛇の道は蛇というが、目立ってなんぼの商売だ。闇業者に大枚はたけば|廃棄場《ジャンクヤード》からメンテナンス済みの発電機を調達してくれる。 アンデッド・エンドの地下では、巨大な発電機が半永久的に稼働している。 大戦中この都市には軍の研究施設があり、大量の電力が必要とされた。戦争がとっくに終わった今も、当時の最新技術が結集した発電機は停止せず動き続けている。そのパイプラインからまんまと電気を盗んで歓楽街は大いに繁栄、アンデッド・エンドは砂漠の誘蛾灯になった。 その名前には「眠らない街」という皮肉もこめられている。 「不死者は眠らず、か……」 咎人は永遠の安らぎさえ奪われる、だから棺の中でも目を開けているとは師の言葉だ。時々おっかないことを言い出す。 「初めて来たときはこんな明るい街があるんだって驚いたっけ」 『|中央《セントラル》が|終点《エンド》にある』とは、内外で流行るジョークだ。 屋上から降り注ぐネオンが壁と顔を染め、ピジョンはおもいっきり伸びをする。拍子にゴキッと関節が鳴る。 ここからの眺めは悪くない。 教会の窓から見た光景とは趣が異なれど、ドロップスをばら撒いたように安っぽいネオンの下には確かな人の営みがある。 「シャワー浴びて寝るか……」 今日は疲れた。肩を回してこりをほぐし、バスルームへ行きかけて…… 一発の乾いた銃声が響き渡る。 「!」 慌てて引き返し桟に齧り付く。 どこだ?そんなに離れてない。 発砲騒ぎは日常茶飯事だ。界隈では常に爆音や銃声が響き渡る。こんな時は窓をぴったり閉ざし、しっかり戸締まりして引きこもるのが鉄則だが、にわかに好奇心が騒ぎだす。巻き添えを避けるために場所だけでも確認しておきたい。 背負ったライフルを桟を支点に構え、スコープを立てる。 片目で覗いた丸枠の中、十字に区切られた視界で現場をさがす。 「ここじゃない、違う、じゃあここは……?」 隣のアパートとの境の路地、向かいのデリカッセンの横道、ピザ屋とアダルトショップに挟まれた小道、スプレーアートが描き殴られたシャッターを下ろした雑居ビルの裏…… 発見。 銃声の響いた方向をスコープ越しに目視、三本ほど通りを隔てたビル裏のゴミ捨て場で、今まさに修羅場がくりひろげられている。 柄の悪いスーツの男連中が一人を取り囲み、殴る蹴るの暴行を働いている。 リンチにかけられている男はまだ若く無抵抗だ。数軒の建物に遮られてやや離れているため、スコープで拡大しなければわからなかった。 「あれ?」 殴られている男の顔にやけに見覚えがある。 ピジョンは瞬きしスコープがブレないようライフルを固定、表情にやや真剣な成分をのせる。 鼻血にまみれた鼻梁にずれたゴツい伊達眼鏡、三白眼にべったり貼り付いたどす黒いクマ、サイケデリックで悪趣味な柄シャツを無駄にはだけた痩せた胸板に靴跡を付けている。 やっぱりアレは…… 「劉じゃないか」 彼はスワローとピジョンの共通の友人で、同じアパートに住むご近所さんでもある。 ピジョンは少々焦りスコープを覗く。十字に区切られた視界の中、劉は一方的に嬲りものにされている。前髪を掴んで頬を張られ、こぞって蹴飛ばされゴミ山に倒れ込む。男たちは笑っている。ニヤニヤと下劣な笑み……あきらかにこの状況を愉しんでいる。腐るほど見飽きた、弱いものいじめを愉しむゲスの笑み。 胸中に苦いものが広がる。 「借金の取り立てか……?ツケが嵩んでるって言ってたもんな。それともギャングの……?」 もうすぐ三年の付き合いになるが、劉のことはよく知らない。ギャングのパシリや|情報《ネタ》の売り買いで小銭を稼いでいるというが噂でしかない。 他人の悪い噂はなるべく信じないようにするのがピジョンの生き方だ。 ピジョンが固唾を呑んで成り行きを見守る中、暴行はどんどんエスカレートしていく。ゴミに埋もれぐったりする劉の鳩尾に容赦なく革靴の爪先が突き刺さり、細い体が跳ねる。 ピジョンは油断なく眸を細め、男たちの唇の動きを観察する。 「|黒後家蜘蛛《ブラックウィドウ》……?」 どこかで聞いた単語だ。 ピジョンは師匠仕込みの読唇術を用い、男たちの会話を繋ぎ合わせる。 『黒後家蜘蛛のネタを渡せ』 『居所掴んでんだろ?ありゃもともとうちのヤマだ』 『テメエも知ってるはずだぜ劉、アレはうちのボスのお気に入りだ。さんざ可愛がってもらったのに、後ろ足で砂かけてトンズラしたんだ』 『恥かかせやがって……』 『裏切者には死を。組織の掟だ』 『きっちりツケ払わせてやる』 物騒な会話だ。男たちは気が立っている。どうやら劉が持っているネタを渡せと脅迫しているらしい。 『強情張んな、殴る方も手が痛てえんだぞ』 『言い値を出すっていってんじゃねーか、何が気に入らねェ』 よってたかって小突き回し、苛立ちに尖った声を張り上げる男たち。ゴミを背にのろくさく上体を起こした劉が、その磨き抜かれた革靴に血の混ざった唾を吐く。 『てめえらの態度だよ。買う方はフツー下手にでるもんだ、お願いしますってな。いきなりしゃしゃりでてやれ渡せよこせって強請りの手口だぞ、俺ァ信用できねーヤツらたァ商売しねー主義だ。そういう連中は大抵代金踏み倒すんだ』 『この……!』 いけない。 ライフルをひっさげて部屋をとびだし、外階段を伝って駆け上ぼる。息を切らして到着、伝書鳩の飼育小屋と物干し竿、コンテナハウスの他は遮るものとてない屋上の端へ行きライフルを構えて伏せる。 なんとか間に合った。劉はまだ死んでない。だがそれに近い状態だ。 うるさい呼吸を整え再びスコープを覗く。 いきりたった男が懐から出したピストルの銃把で劉を殴り付け、額が切れて血が滴る。爆笑の渦。 それだけじゃ飽き足らず、リーダー格の巨漢が唇にひっかけた煙草をとり、仰け反る劉の顔面めがけ盛大に煙を吹きかける。 『聞いた話じゃ結構なヘビースモーカーなんだって?今はどうした、煙草切らしてんのか』 『うる……せェよ……』 『可哀想に。モクが恋しいだろ、お裾分けだ』 激しく咳き込む劉に男達がけたたましく笑い、巨漢が太い指で瞼をこじ開け、赤く爆ぜる先端を極端にゆっくり近付ける―…… 『煙草が欲しけりゃくれてやる』 極め付けの恐怖と苦痛、そして絶望に強張る劉の顔。 屋上に出たのは射線を確保する為と自己保身。部屋から撃ったら弾道で場所が割れる。 師の顔が一瞬脳裏を掠め、引き金を絞る指先に力が湧く。 嘗て神父は言った、狙撃手の強みは自己暗示の強さだと。 日常から非日常へのスイッチの切り替えが重要だと。 『狙撃手は長時間の緊張と忍耐にさらされる役割です。どうかすると何時間何日も所定の場所での潜伏を余儀なくされる。されど必ず成果を出せるか?否です。敵が退却すれば同時に動く、ポイントを捨てる引き際を見定めねばならない、下手な執着は身を滅ぼします。はてしない孤独との闘いに心が折れることもある。そういう時は集中力を上げるおまじないです』 『おまじないって……』 『東洋では緊張するとてのひらに|人《ピープル》の字を書いて飲み込みます。そうすると成功するという迷信があるのです』 『人を食った話ですね』 『同感です』 『待てよ、迷信じゃ意味ないんじゃ……』 『プラシーボ効果をご存知ですか?薬効のない偽薬でも絶対きくと言って聞かせれば回復する現象です。結局の所狙撃手の要は精神力、信じることを力に変換する。絶対上手くいく、この一発でキメると自分に魔法をかけるのです。たとえば私の場合―……』 師の教えを実践し、胸元にたれる十字架を握り締めすばやく接吻。 唇から伝うひんやり硬質な感触に、何故だか安らぎを憶えると同時に神経が怜悧に研ぎ澄まされていく。 集中力が頂点に達した瞬間。 巨大なネオン看板を背負い、逆光に食われて影と化し、スコープの照準を絞って引き金を引く。 放たれた弾丸が空中を駆けて、劉の目に煙草を抉り込まんとした男の手が柘榴の如く爆ぜる。 「~~~~~~~~~~~~~ッ!!」 声にならない絶叫がビリビリと空気を震わす。 その場に跪いて悶絶する男に駆け寄る仲間、混乱のうちに身を翻すピジョン。銃声の方向はわかったろうが場所までは特定されてない。 わざわざ屋上に移ったのは位置と高さを計算したからだ。 ピジョンの部屋からでも狙撃は不可能ではないが、周囲に立て込んだアパートが邪魔をし上手くあてる自信がない。 ―「畜生、どこの組織だ!?」 「刺客……|狙撃手《スナイパー》だ、|狙撃手《スナイパー》がいやがるぞ!」 「ボサッと突っ立ってんな、いい的だ!あっちの方からとんできた、まだ遠くにゃ行ってねえ、とっ捕まえろ!」― 簡単な話だ。 的は大きいほどあてやすく、小さくなるほどむずかしい。手を狙うより頭を吹っ飛ばすほうがずっと易しい。 ピジョンはあえてそれをしない。 スナイパーライフルを持った時から自分の中でそう決めている……不殺が彼の信念だ。 俺はスワローの安全弁だから。 大急ぎで外階段を駆け下り地上へまろびで、迷路のように入り組んだ路地を縫ってひた走る。 逃げ道と抜け道……デスパレード・エデンでは地理に明るくなければ生き残れない。最短の近道で現場に到着、すでに男たちは消えていた。事前に避けたアパートに近い路地裏で荒々しい声と発砲音……血眼になって姿のない狙撃手をさがしている。 これが狙いでもあった。 背後から闇討ちを受けたのだ、その場にマヌケ面をさらして立ち尽くしているほど連中も馬鹿ではない。 負傷した男を支え即座にピストルで報復に出るも、スナイパーライフルの弾丸ならいざ知らず屋上までは届かず自力でさがしにいくしかない。 半殺しにした劉をほったらかして。 地面に散った血はまだ新しい。ピジョンは周囲を見回し呼びかける。 「劉?」 「ここ……」 ゴミ捨て場のすぐ脇の路地から弱弱しい呻きが漏れ、生傷だらけの劉が這い出てくる。 顔色は酷いがギリギリ死んでない。ピジョンは安堵する。 「なァ……煙草くんね?」 「持ってない」 「はあ?なんで!?」 「喫わない」 「嘘だろ……何が楽しくて生きてんだ」 劉が愕然と顎を落とし、次いでがっくりと肩を落とす。心外だ。 「喫煙以外の色々。いい加減禁煙しなよ」 「最期に一服してえのに……お前ら兄弟ホント悪魔だ、血も涙もねェ……」 「スワローと一緒にするな」 ゴミ塗れで転がり出した劉に肩を貸して立ち上がらせる。 「部屋に帰ればアイツのをやる。ちょっとだけ辛抱しろ」

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