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Touch me if you can
アンデッドエンドには路面電車 が走っている。
もともとこの街は大戦時に爆弾が落ちてできた街で、サラダボウルのような形をしている。上にいくほど地価は高くなりセレブが増える。なので金持ちが居を構える上層をアップタウン、庶民が暮らす下層をダウンタウンと俗っぽく呼びならわす。
そんな経緯を踏まえて成立した街なので、必然坂道や階段が多い。皮肉なことに経済的格差を反映するように土地のアップダウンも激しく、俺みたいに体力と根性のないヤツは、毎日ひいひい息を切らしキツい坂道を上り下りするはめになる。
そこで主要な交通手段となるのが、この国では前世紀から愛されてきた路面電車だ。
西海岸では観光方面でも活躍した名物らしいが、赤を基調にしたレトロな外観の車両が、路面に敷設されたレールの上をのどかに走る光景は、多種多様な人種が混在する異色の街に妙に馴染んでいる。
「早く来いグズ、おいてくぞ」
「薄情なこと言うな、ていうかお前も荷物持てよ!」
「荷物持ちはてめえの仕事だ」
「そんな役割分担した覚えないぞ、兄さんをパシリ扱いするのもいい加減にしろ!」
「喚く肺活量あんなら走るのに回せ」
「これが全力疾走だってば、体力馬鹿のお前と一緒にするな!ああッ林檎がおちた!?」
傾いだ袋から一面にばらまかれた林檎に悲鳴を上げる。
腰をかがめ拾い集める間にも続けざまに雪崩広がって軽くパニックをおこす。
「ちょっ、そっちはだめだめ迷子になるぞ、側溝に投身自殺したらさすがに俺も齧るの躊躇するぞ!?」
紙袋から脱走を企て、なだらかな傾斜を転がっていく林檎をあたふた追い回す。
そんな鈍くさい俺を見るに見かね、親切に手伝ってくれた通行人ひとりひとりに「どうも」「ありがとうございます」と礼を言い、トラムの上り口に片足かけ、ポールを掴んだスワローのもとへ駆けていく。
弟はすっかりあきれ顔だ。
兄の醜態を恥じているのか要領の悪さに苛立っているのか、もうこっちを見もせず全力で他人のフリ、無駄に上手い口笛を吹いている。
本当に冷たいヤツ。血も涙も情もない。
林檎を放りこんだ紙袋を抱え直し、片手でポールを掴んで停車中のトラムに飛び乗る。
間に合った、ギリギリセーフ。
安堵の息を吐いてポールにもたれかかる俺に、顔を戻したスワローがそっけなく指摘。
「坂道で林檎をばらまくとかベタなコント」
「だって急かすから……」
「よく洗って食えよ、バイキンだらけの手にさわられたんだ」
「善意で手伝ってくれた人たちに失礼なこと言うな。薄情な弟にはシカトこかれたけどね」
「甘やかすと付け上がんだろ。それ位持てねェで狙撃手が務まるか、ゴッツいライフル持ち運ぶんだから腕力と体力鍛えろ」
「話をすりかえるな、ただ自分がサボりたいだけのくせして。面倒なことは全部俺に押し付けて、一人さっさと先に行って……もう怒った、お前にはこの林檎やらない。全部まるっとひとりじめしてやるから指くわえて羨ましがるといいさ」
「いらねえよンな汚ねェの、靴裏の味がしそうで食欲うせる」
「大丈夫、袖で拭けばイケる」
「てめぇの洟水でかぴかぴになったコートの袖でか?」
「ちゃんと洗ってるから汚くない。多分。どうしてもっていうなら塩水に漬けて消毒するし……」
「林檎は生かじりが一番うめえ」
「焼き林檎や煮林檎も好きだな。果肉にギュッと糖分が凝縮されて、口の中でまろやかにとろけるのがたまらない」
「作んねえぞ」
「なんで?お前の焼き林檎絶品なのに……」
「めんどくせェ」
「せっかくいい林檎が手に入ったのに……しょうがない、食べきれない分はジャムにして保存するか。戸棚に空き瓶あったかな……家帰ったら探さないと。生搾りジュースもいいな……林檎潰せる?」
「素手で?蹴りで?」
「口に入るものを蹴るなよ……」
「なんで食べきれねェほど買うんだよ?馬鹿だろ」
「安くてたくさん売ってたから……子供の頃はめったに食えなかったろ、新鮮なくだものなんて」
「腐らせて捨てる羽目になんぞ」
「全部食うよ」
「駄バトは豆啄んでガマンしてろよ」
「豆は飽きたよ」
ガタンゴトン、一定の振動が床を伝ってくる。ポールを挟んで立ち話をしながら、常に腹を空かせていた子供時代を思い出す。
戦争の傷痕深く荒廃した土地では作物が育ちにくいのに加え、大陸全体が中西部の乾燥気候に激変したせいで、生鮮野菜やくだものは祝日や祭日を除いてまず庶民の食卓には上らない高級品と化して久しい。
缶詰やドライフルーツじゃない、瑞々しい水分を含んだくだものなんて数えるほどしか食べたことない。ところが、この街では比較的簡単に、しかも安価で手に入る。さすがに大陸中から人が集まる都会は違うと感動、うっかりテンションが上がってしまった。
スワローと買い出しにでた帰りのトラムに揺られながら、自分の計画性のなさを反省。今度から家計簿付けようかな。
「節約と倹約の口癖はどうした」
スワローが生意気に鼻を鳴らし、「うっ」と黙り込む。
「……たまにはいいじゃん」
「ずっけェ」
「今日は特別。それにほら、買いだめしとけばしばらく市場に通わなくてすむだろ?林檎はいろいろ使えるし……生でよし煮てもよし焼いてよし、万能の食材さ。お前も好きだったよな?覚えてるだろ、農場主のネルソンさん。母さんの馴染みだった……十五番目の恋人の」
「十四番目だ」
「そうだっけ?まあそれはどうでもいいや。あの人が林檎くれたことあったろ、庭の木でとれた……」
「核爆くらってねじれた木になった化けリンゴな。放射能に汚染されてる」
「だからそーゆーこというなって……核爆弾がおちたのは百年以上むかしの話、とっくに除染されてる。俺達が生き証人だ、分けて食べてもぴんぴんしてる」
胸を張って強調すれば、スワローが疑い深いジト目で反論。
「半分こにしたから毒がまわんなかった説を推すね」
「なんでネルソンさんが俺達殺そうとするんだよ、親切でいい人だったじゃないか」
「惚れたオンナと一緒になるにゃコブがじゃまだから」
「お前は心が汚れてるね」
百歩、いや万歩ゆずって本当に毒林檎だったとしても、おいしかったのでよしとする。あの人ニコニコ笑って見てるだけで、自分じゃ一口も食べなかったな……。
働かない言い訳だけは一人前の口達者な弟に辟易し、催促する。
「一緒にきたなら働け」
「働いてんじゃん」
「なんで?どこが?」
「かわりに値切ってやってんじゃん。兄貴はてんで弱腰の上に頭がお花畑だもんな、世間ずれした商人どもに足元見られまくるんだよ。駄バトが駄ガモに降格だ。いいか、値切りは押しとハッタリが肝心だ。他の店を引き合いに出して捲し立てるんだよ。色仕掛けもアリだ、女ときどき男に有効。スキンシップのフリして、べたべた手や腕にさわるんだ。人によっちゃいやがっからパーソナルスペース見極めろ、まあ客商売やってるヤツにゃ大概イケる」
身振り手振りをまぜてレクチャーされても困る。
スワローは値切りの天才だ。
肉屋の親爺には強気に出、乾物売りの女将には下手におもねり、おだて、なだめ、世辞や方便に比較を生かし、思わせぶりな流し目やボディタッチで希望通りかそれ以下の値を引き出す。特に店主が女性の場合は連戦連勝だ。
俺は肩を竦める。
「大量に仕入れて在庫が余ってるって言われると強くでれなくて……」
「馬鹿、それこそお人好しに付け込んだ作戦だよ。まんまと騙されやがって」
「絶対そうとは限らないじゃないか、本当に困ってたらどうするんだ」
「スルー一択」
よく兄貴の人を見る目は死んでると言われるが、そこまでひどいとは思えない。前科があるから説得力は弱いけど……人の善意をいちいち疑ってかかる方が気疲れする。
スワローが首を傾げ、端正な顔に魅惑的な微笑を浮かべる。
「年上の女なら斜め四十五度に首をかしげて上目遣いで一発、はにかみがちな微笑みをかます。同年代や年下なら壁に片手付いて、屈みこむように迫ればイチコロ。お前もやってみろ」
「え、ここで?」
「いいから」
素早く周囲を見、誰も注目してないのを確認後に小さく深呼吸。
顎をしゃくるスワローをまねして首を傾げ、口端が痙攣しがちなぎこちない笑みを作る。
「どう?」
「殴りてえ」
にべもない。
「お前がやれって言ったんじゃん」
「おどおどしながら人に媚びてるずぶ濡れの犬みてえでムカツく」
不条理だ。
話がズレた。本題に戻る。
「値切ってくれるのは大助かりだけども。荷物も分担しようよ、林檎をふたりでかじったみたいに」
「やなこった」
「なんでさ」
「戦闘以外の肉体労働はかったりぃから嫌い」
にべもない。
下町を吹き抜ける爽やかな風を切ってトラムが進む。
レールの枕木に乗り上げるたび揺れが襲うも、それすら心地よくまどろみを誘い、センチメンタルな感傷に耽る。
母さんとスワローと三人、トレーラーハウスで旅をしていた頃を思い出す。車とトラムの振動は違うけど、少し似ている。
昼下がりの車内にはまったりと弛緩した空気が流れ、親子連れや老婦人、インテリっぽい紳士が、それぞれ会話したりうたた寝したり読書をしたりと、思い思いの寛ぎの時を過ごしている。
席は空いているが、景色を眺め風を感じるのがトラムの醍醐味だ。
あえて立ち見を選び、新旧パッチワークの混沌とした街並みを行き交う人々に視線を飛ばす。
帆布を張った露店が軒を連ねるダウンタウンの猥雑な景観。
屋台に積まれた果物や吊られた肉のかたまり、敷布に陳列された小物が目をひく。
「……母さん元気かな」
「新しい男とよろしくやってる」
「会話じゃない、独り言」
「答えてんじゃん」
「これも独り言。勝手に食い付いてくるな」
「また落っことさねえようしっかり両手で持て」
「うるさいな……ほら、満足か」
林檎を満載した紙袋を両手で抱えて安定をとれば、スワローが「お利口さんだこと」とまぜっかえす。ヤなヤツ。
トラムが停車して急に大勢がのりこんでくる。俺は紙袋を庇い、邪魔になるまいと隅に移る。そんな配慮とは無縁のスワローは、ポールに背を預けて目を瞑る。
コイツとでかけると喧嘩ばかりしてるから疲れる。
「はあ……」
殺伐とするのは仕事中だけでたくさんだ。
たまに二人で外出した時くらい楽しく過ごしたいのに、そんなささやかな願いすらさっぱり報われない。
長々嘆息、体前に掲げた紙袋のてっぺんに顔を埋める。
ホームシックにかかったわけじゃない。
ただちょっとトレーラーハウスが恋しくなっただけ、母さんが懐かしくなっただけだ。月一の手紙のやりとりは続けてるけど、こっちにでてきてからどうしても疎遠になった感が否めない。
母さんに新しいヒトができたのなら、祝福できるくらいには俺はもう大人だ。反抗期が永遠に終わらないスワローとは違うんだ。
「!?うぐ、」
甲高い警笛が鳴る。トラムが駅に停車し、また人が増える。
席はもう全部埋まってる。コケないよう吊り革を掴みたいが、両手が塞がっていちゃ物理的に不可能だ。
アンデッドエンドに引っ越してきて初めて体験したものの中で、歓迎したくない項目に満員電車が含まれる。
「すわ……」
思わず名前を呼びかけ、慌てて口元を引き結ぶ。
迷子になる年じゃない。心配してやる義理なんかこれっぽっちもない。
後から殺到した乗客に押しやられて、入り口近くのスワローとだいぶ引き離される。
反射神経と動体視力が抜群の弟は、忙しく乗り降りする人々を上手く躱し、ちゃっかりポールのそばをキープ。俺の場合、両手が塞がって踏ん張りが利かなかったのが敗因だ。
とりあえず林檎だけは死守しようと覚悟を決め、吊り革を掴んだ人に挟まれ、極力体を窄める。
アパートの最寄り駅まであと10分ってところか……
「?」
尻がもぞもぞする。
骨ばった男の手が、スラックス越しに臀部をなでまわしている。
この気配……まさか。
笑って否定しようとして、中途半端に引き攣った表情で硬直。車内は満員状態、隣同士と密着を余儀なくされるが、事故や偶然にしては尻を触る手付きは執拗でいっこうに離れない。
痴漢。
いやいやいや待てよちょっと待て、俺は男で相手も男、同性で痴漢は成立するのか?そりゃするんだろうけど、他にも女性客はいるのに何で俺に狙い定めてさわる?いや、けっして他の人が被害に遭ってほしいわけじゃなくて純粋に動機が不可解だ。その手の嗜好の持ち主とか……?
勘違いだと思い込みたい。
キツく目を瞑り不快な感触をやり過ごそうと務めるも、無抵抗をいいことに行為はさらにエスカレート。
両手は使えない、大量の林檎を詰めた紙袋で塞がっている、大混雑の電車内でコイツをぶちまければ阿鼻叫喚の大参事で最悪怪我人続出。
視界の端に母親と手を繋いだ女の子が入る。
最寄り駅まであと10分ぽっち、俺が我慢すればすべてまるくおさまる……
湿った手が極端な緩慢さで内腿をさする。
「………ッ、」
唇を噛んで俯く。
相手の顔を見る勇気はない。やめろと一声出せばいいのに、舌が縮かんで紡げない。生理的嫌悪と恐怖、それらを上回る凄まじい羞恥心……むず痒さに似た何か。
ゴツゴツと節くれた男の手が、俺の腰から内腿にかけて、何往復も滑っては這い上る。
スラックスに包まれた尻たぶを揉みほぐし、中心線を人さし指でなぞり、無防備な会陰にまで侵入してくる。
「…………は…………」
周囲の人に異状を悟られまいと強く唇を噛み、じれったくこみ上げる疼きに耐える。
片手が自由なら即座に払いたいがそれすら許されない状態とあって、恥辱とパニックで頭が煮える。
熱っぽく潤んだ目でスワローをさがす。乗客の頭越しに見え隠れするスワローは、俺の切迫した眼差しに気付き、怪訝そうな顔を返す。
どうする?
スワローはまだ俺が痴漢にあってる事実に気付いてない。
気付いてほしい気持ちと気付かれたくないプライドがせめぎあい、紙袋に腕を食い込ませる。
吐息が熱く湿り、耳朶に血が集まる。
もう限界だ。
「よせよ」
低くかすれた声で嗜めるが、俺の抗議を無視して蠢く指が追い上げていく。
「ふ……、」
性感に慣らされた体が勝手に高ぶっていき、腰がわななく。
背後に回った痴漢の顔は見えないが、粘着質な愛撫とサディスティックな指遣いが、倒錯した性癖を伝えてくる。
ダメだ、こんなところで……人が大勢いる場所で、公共の車両で、痴漢されて感じるなんて変態か俺は?ドМの謗りを免れないぞ。
「バレてもいいのか。それとも……そういうのが好きなのか」
耳裏を這う淫靡な吐息にぞくりとする。
混乱しきった頭で、落ち着きなく左右を見比べる。
右隣は耳の遠い年寄り、左隣は吊り革を掴んだまま器用にうたた寝する若者。どっちも俺の苦境に気付いた様子は微塵もなく、心底安堵。
「バレないでよかったね」
「!ッ……調子にのるな」
見透かすような揶揄に怒りが爆ぜるも、抵抗の手段が封じられた状況では分が悪い。
どうにか体をずらして逃げを図るも、林檎を一杯に詰めた紙袋が邪魔をして身動きできない。
「痛い!」
「す、すいません」
「頼むよ君」
肘をあててしまった年寄りの迷惑そうな一瞥に、詫びながら泣きたくなる。
声を上げたい。上げたくない。
気持ちがいい。気持ちが悪い。
「ふぅぅ……んッぅ」
矛盾する感情と感覚が脊椎に錯綜。
とうとう押し殺せなくなった喘ぎを、吐息に区切って漏らす。
しっかりしろピジョン、勇気を出せ、ばしっと決めろ。
お前ももう一人前の賞金稼ぎ、卑劣な痴漢のひとりやふたり毅然とした態度で追い払えるはずだ。
尻を揉みしだくのに飽きた手が前に回る。
「!~~~~~~~ッあ」
ズボンの上から股間を包まれ、直接的な刺激に喉が仰け反る。
痴漢が俺の背にぴたり密着、固くなった股間を尻の窪みに抉りこみ、トラムの振動と同期してリズミカルに突き上げる。
もう片方の手は俺の股ぐらを掴み、円を描き、指を波打たせ、グリグリと圧を加える。
「んッくゥ、うぅ」
口の端から一筋よだれがたれる。
「膝がかくかくして、生まれたてのバンビちゃんみたいだ」
「ぅあっ、くふ……」
体重を支えるのが辛くなり、片方の膝が抜ける。
腰がへたれて泳ぎ、腕の震えが紙袋をかさかさ言わせる。
意地でも喘ぎは上げず噛み殺せど、生煮えの頭と尻が、股を擦る男の動きに自然と合わせだす。服越しの愛撫がもどかしく狂おしい。
少しでも動けば隣の人に腕があたるこんな状況で、走るトラムの中で知らない男にもてあそばれて。
胃をしこらせて膨れ上がる、吐き気を伴う生理的嫌悪と恐怖感。
反面、スワローの精を受け止めなれた体奥はドロドロに煮え立ち、思春期に入る前から続く調教で羞恥にさえ貪欲に感じるよう改造された身体が、脚のはざまに押し込まれた異物を挟んで辛うじて食い止める。
「うっ……ぁ……」
尻肉の下―脚の付け根でかたまりを押さえこめば、それが意地悪い刺激となって会陰を圧し、ビクビクと引き攣る。
「立てないなら支えてやろうか?俺のイチモツに跨れよ」
「誰が……そんな貧相な棒に」
服の上からの愛撫はまだるっこしいが、電車の振動が二重の刺激を生み、未知の感覚が広がっていく。
スワローが見ている。
弟に見られながら、見知らぬ男に痴漢される。
それを自覚し、捌け口を持て余したカラダが悩ましく火照りだす。気付いてほしいのか気付かれたくないのか、自分でもわからない。
「処女みてェに甘ったれた声だな」
「ぅあっ……」
野卑な声が鼓膜を這い、処女膜にスタンガンをくらったような被虐の快感が粘膜を貫く。
男は疑似的に俺を犯す。
紙袋をキツくキツく握り締め、恥ずかしさで蒸発しそうになりながら、途切れ途切れに制す。
「やめ、ろ。声だすぞ」
「いいぜ、恥かくのはアンタだ兄ちゃん」
コイツ……。
これ以上感じてたまるか、好き勝手させてたまるか。
何も知らないスワローの疑問の視線が、その後ろで尻を遊ばれてる現実が、板挟みの羞恥で俺をいたたまれなくさせる。
見るなと一心に念じ、ぐっと顎を引いて口惜しげに歪んだ顔を伏せる。
当惑顔で立ち尽くすスワローの目に、刹那理解の光がともる。
「ピジョン!」
あの馬鹿、叫ぶな!俺の苦労が水の泡だ!
相手が女だろうと容赦せず、邪険に押しのけて無理矢理突き進むスワローの剣幕に、母親の隣の女の子が泣きだす。
「スリ?ひったくり?」
「いてえ押すなよ!」
「そっちこそ足どけろ!」
車内が騒然とし背後の手がサッと離れていく。人ごみに紛れて消える気か。
「逃がすかクソが!」
「もういいスワロー、さっさと降りるぞ!」
これ以上大袈裟にしたくない、不可解そうな人々の視線に耐えられない。やっと駅が見えてきた。
すぐそばまで来たスワローの腕をひったくり、片腕に紙袋を抱え、「すいません通してください急いでるんです」と、溺れもがいて乗降口へ。
バランスを崩した林檎が二、三転がり落ちるも泣く泣く諦め、車内のざわめきから逃げるようにうってかわって閑散としたホームに降り立てば、スワローが俺の肩を掴んで振り向かせる。
「痛ッ……」
「なにされた?言え」
「……」
「言わなきゃ殴る」
「尻をさわられたんだ」
「痴漢かよ」
至近距離で問いただされ、気まずげにそっぽをむく。
硬質に澄んだ警笛を響かせてトラムが再出発、石畳に敷かれたレールの上をあっというまに走り去る。
スワローと並んでトラムの最後尾を見送れば、露骨な舌打ちが響く。
「……なんで抵抗しねェんだよ。振りほどけよ」
「両手が塞がってちゃ無理な相談」
「言い訳だね。片手は使える」
「しっかり持てって言ったのお前じゃないか」
「こんな時まで律義に命令守ってんじゃねーよ」
「電車の中でぶちまけたら大変だ、林檎も人も無事じゃすまない」
「てめえは無事じゃすまねーでもいいのかよ!?」
スワローが激高。唾飛ばして怒鳴るのを殊勝に受け止め、情けない涙目で俯く。
「男が男に痴漢されたなんて、言えるかよ……」
「意地張ってる場合かっての」
ようやく痴漢から解放された安堵も急激に萎んでいく。
ホームに落ちた林檎をさっさと拾い集め紙袋にもどしてから、消え入りそうに呟く。
「ごめん……」
なんで謝っているのか、自分でもわからない。
ただ無性に情けなく恥ずかしくて、無抵抗に徹してただ時間が過ぎるのを耐えるしかなかった自身の意気地のなさが歯がゆくて、スワローに詫びる。
スワローが大仰にため息一回、皮肉っぽく唇をねじる。
「……好き放題されてる兄貴の真っ赤な顔、結構そそったぜ」
「な……、」
「白状しろよ、途中から気分入れて感じてたろ?俺にいじくられてるときとおんなじ、おねだりする目ェしてた」
あんまりじゃないか。
いくらなんでも薄情すぎる弟にそう食ってかかろうとしたが、紙袋を抱いてるせいでよろめき、スワローの胸へと倒れこむ。
スワローが俺の上腕を掴んでひっぺがし、いきなりズボンの前を鷲掴む。
「!よせ、こんなとこで……」
「こっちは準備万端だろ?服の上から出してやろうか、生殺しでお預けは辛ェだろ」
「スワロー頼む、続きはせめて家で……」
「続けるのはやぶさかじゃねーんだな?」
スワローの両手が俺の背にもぐり、腰へとすべりおりていく。シャツをはだけてズボンの内へ通り、肩甲骨の尖りを存分にたのしんでから、尻をじかに揉み回す。
「ぅあ……んんッ、くふ……スワローよせ……ここ駅、だれかきたら……」
「じゃあジュクジュクにおっ勃ててんじゃねーよ、相変わらずエロいカラダだなオイ。パンツの上からケツの穴までほぐされちまった?」
震える両腕に膨らんだ紙袋を抱え、意地悪に耐え抜く。次第に息が荒くなり、前が熱を持っていく。
性急な手付きから抑えた怒りが伝わってきて、お仕置きの恐怖と表裏一体の欲情がこれでもかと盛り上がる。
スワローは乱暴に俺の腰を揉み、尻たぶを掴み割り、先走りが滴る会陰へと震えを波及させる。
「ふぁッ、やめっ、そこ……!」
「手ェはなすな。ちゃんと持ってろ」
スワローの指が軽快に腰をタップ、痛痒さを被虐的な快感にすりかえる力加減で尻を抓る。
寂れたスラムの端っこの駅なので、幸い人通りはないが、次のトラムがきたら詰む。
手が使えないから口も塞げず、破廉恥な喘ぎ声がだだ漏れだ。
「ぅあッ、ふぅうッ、あッああ」
「林檎。もう一個でも落っことしたら延長戦だ」
愉悦を孕んだ脅しに精一杯力を籠め、袋を抱き寄せる。俺とスワローの間で紙袋が潰れ、危うい均衡が何度も崩れかける。
痴漢に辱められてる時は辛うじて維持できた理性が、スワローにさわられた途端、あっけなくはじけ飛ぶ。
他の男に尻を遊ばれ、泣き寝入りするしかない俺をどう思っているのか……
スワローの眼差しが脳裏にぶり返し、辛抱たまらず肩を甘噛み。
「ふうッ、うう゛ッ、ふーーーッ!」
スタジャンの肩に唾液が濡れ広がる。濃く透明な染みの淫靡さに性的に興奮、水膜が張り詰めた目元が悲痛に歪む。
もうやめろ、頼むから……内股がひくひくと痙攣し、立っているのが辛い。
スワローが膝小僧で会陰を圧迫、リズミカルに小躍り。
うるさく鳴る紙袋からぼとぼと林檎が落下、俺とスワローの足をすり抜けて逃げていく。
お仕置きは突然終わる。
スワローがだしぬけに手を振り抜き、ぶたれると思って咄嗟に首を竦めるも予期した衝撃が訪れず、不審げに薄眼を開く。
「上物だな」
紙袋のてっぺんから林檎をくすね、二・三度軽く投げ上げてから、おもいっきり高みへ放る。
青空へ舞った林檎が陽光にきらめき連続回転、自由落下のタイミングを見計らいナイフを振るえば、林檎の身と皮のはざまに刃がすべりこみ極薄に削っていく。
一繋がりの皮が足元に渦巻き、スワローの手には豊潤な禁断の果実のみが残される。
何の真似だ?
あっけにとられて棒立ちの俺に詰め寄り……
「!!?むぐぐッ」
問答無用で、林檎を口に突っ込む。
「好きだろ?食え」
確かに好きだ。好きだけど、意味がわからない。
しかし吐き出すのは食べ物を粗末にするなと叩きこまれた精神が断じて許さず、言われるまま噛み砕いて咀嚼すれば、口いっぱいに天然の甘味が凝縮された果汁が広がる。でも全部は入りきらず、スワローが掴んだ林檎の表面、ごく一部をかじりとる。
シャリ。涼しい音と感触がしみる。
刃の当たった痕跡が殆ど判別できないほど丸くなめらかな表面を見せる林檎の向こうで、スワローが力んで指を立てれば、第一関節までゆっくりめりこんでいく。
「断り入れたプレイなら別として、俺の前で俺のモノに横っちょから手ェ出すたぁいい度胸じゃねェか」
握り潰すまでいかずとも、そのパフォーマンスだけで十分肝が冷える。
指が沈む窪みから潮吹きに見立てた汁をまきちらし、スワローが低く凄む。
「次はへし折る」
「歯を?」
「ペニスを」
訊くんじゃなかった。
「……ペニスって骨あんの?」
「勃起すんならあんだろ」
言われてみれば、そうだ。
足元に渦巻く薄皮をさもいやそうにナイフの先端にひっかけて摘まみ上げたスワローが、無造作に投げてよこすのを右に三歩ずれて口でキャッチ。
林檎の皮を咥えてたたずむ俺のマヌケ面をまじまじ見、冷たく言ってのける。
「どうしたよ、行きずりのテクが恋しいか?」
林檎の皮をシャリシャリ食べながら、慌てて首を横に振る。
スワローが肺の残量を全て絞り出すように嘆息、片手を振って踵を返す。
「……意地汚すぎて怒る気もうせたわ」
「待てよ」
「今度からライフル持ってこい」
「あんなの担いでトラムに乗ったら迷惑だろ」
「~~~だからさァ!お前のさァ!そういうとこさァ!」
めちゃくちゃに髪をかきむしって吠えてから、ぶすっとふてくされる。
「……次は用心棒代とるぞ」
吐き捨てる声音に、嫉妬と憤怒の綯い交ぜになった激情が揺らめいていたのは気のせいか。
先に立って歩きだしたスワローを小走りに追い、困惑しきった声をかける。
「なあ」
「荷物は持たねーぞ」
「さっき俺のケツさわった手で林檎切ったよね?」
「……」
「なあおい」
「……」
「おいって!」
「兄貴のケツは汚くねーからセーフセーフ」
「何言ってんだよ汚いよ!いや中まで洗ってキレイにしてるけど汚いだろ常識的に考えて、条件反射で食っちゃったけどさ!?」
「あーもううるせェなァ、いいじゃんどうせもっと汚ねェトコやモノ舐めたりしゃぶったり咥えたりすんだからこまけー衛生観念気にすんな。どーせその状態じゃムラムラしてどうしようもねえだろ、アパート帰ったらヌいてやっからちょっとのあいだガマンしろ」
そう宣って、今しがたナイフで剥いた林檎をうまそうに齧り、俺の歯型の隣に出来た自分の歯型を満足そうに見やる。
このあと、アパートに帰って無茶苦茶されたのはいうまでもない。
ともだちにシェアしよう!