24 / 32
Trick or treat3
「調子のんなよ駄バト、てめえ風情が下剋上なんて万年はええ。鳩はマメ啄んでるのがお似合いだ」
様子がおかしい。少し虐めすぎたろうか?
狭苦しいクローゼットの中、物理的に密着せざるえない状況に閉塞感が募りゆく。
「そうやっておいしいの全部独り占めする気か?半分こしろよ」
「は、シェアにフェアしろってか?お前だってじゅーぶんいい目見てんじゃん、さっきだってノリノリでケツ振ってたろ」
「吸血鬼はハンターに倒される宿命だ、お菓子を欲しがる良い子たちはハッピーエンドを望んでる」
間接と長さのバランスが絶妙なしなやかな指が、スワローの胸元を悪戯っぽくくすぐる。
縺れ、絡まり、ほどける、体位をほのめかす淫靡な仕草。
「それもいいかもね」
ピジョンは役になりきってる。
もとからコイツはのめりこみやすい、思いこみが激しい性格だ。
性的な隠喩を孕む指遣いで弟の胸板を逆撫で、器用に遡っていく。
ねだるな。
甘えるな。
欲しいものは力ずくで奪いとれ、それがスワローの信条だ。
子どもの頃からそうやってぶんどってきた。
気が優しいピジョンにはとてもマネできないだろうと高を括ってきたが、攻め手に回った兄は壮絶な色気を放ってスワローの動揺を誘い、仰け反る首筋に接吻を施す。
突き飛ばすのは簡単だ。
振りほどくのはわけない。
だけど、だからこそ、この先の展開が見たい。
そもそもピジョンが積極的になるなど滅多にないことで、今回の機会を逃せば二度とお目にかかれないかもしれず、もう少し遊んでやってもいいかと悠長に構え直す。
膂力と体格から来る自惚れ、絶対的な優位が傲岸な余裕を与える。
兄貴のおふざけに付き合うのも弟の器量だ。
はたして誘惑しているのはどちらか、される側とする側がボーダレスなシチュに燃え上がる。
ピジョンがスワローの首をやんわり片手でねじ伏せ、耳元で囁く。
「命乞いしろよ」
「さっきの腹いせか」
「いいから」
喉仏に軽く巻かれた親指が、くいとズレて顎を押す。
スワローは軽く息を吸い、過剰な演技で唄いだす。
「おおハンター様お助けを、なにとぞお慈悲を。もう人を襲いません、若い処女の生血など吸いません。後生ですから見逃してください」
ピジョンは留飲をさげてほくそえむ。
お芝居とわかっていても、普段威張り散らしてる弟に詫びを入れさせるのは気分がいい。
スワローは眉八の字に、大袈裟に顔を顰める。
「ご覧のとおり、わたくしめは棺桶に閉じ込められて手も足もでない囚われの身。この上は清く正しいあなた様の御手で、灰に帰されるより他ありません」
「改心を誓うなら見逃してやってもいい。俺は寛大だからね」
調子のりやがってと心の中で舌打ち、そろそろ茶番にも飽きてきた。
スワローは嘆かわしげに首を振る。
「ですがわたくしめは人の血を糧にするより生き術ない呪わしい体質……改心と申されましてもどうせよと」
「契約だ」
棺桶に見立てたクローゼットの中に、凛とした声が響く。
キザったらしく自嘲する吸血鬼の顔を片手で起こし、真っ直ぐに目をのぞきこむ。
「一生俺の血しか吸わないと約束しろ」
ピジョンが持ちかけた契約は、互いを束縛するものだ。
スワローをゆっくり組み敷き、その上にのしかかる。
前髪がばらけた額を擦り合わせ、鼻の先端を突き、指の股に指を噛ませて締め上げる。
「ざけんな降りろ、遊びはしめえだ」
「浮気するな、俺だけ見ろ」
冗談に織り交ぜてしか言えない本音が、伝えられない本心がある。
即ち、独占欲から生じる熱情。
付き合いきれねえと吐き捨てるのを許さず、目線を固定して辛抱強く言い聞かせる。
「っあ、」
鳩尾に蹴りくれてどかそうか頭をよぎるも、首筋を甘噛みされて走る快感が、上手いこと思考を散らす。
嫉妬の熾火を孕むまだるっこしい接吻は、じらし上手の緩やかさでスワローの皮膚にくるまれた性感を炙る。
「っ…………、」
全てにおいて荒々しく過激なのを好むスワローと違い、相手を気持ちよくするのに手間暇を惜しまぬピジョンの愛撫はじれったく終わりがない。
心と体を征服するのに暴力に頼るのは短絡、いちばん残酷なのは限りない優しさの裏返しの生殺し。
火照りを帯びたまなじり、上気した頬、潤んだ瞳に湿った吐息……ピジョンの秘めたる嗜虐心は、尽くす対象が汲みあげる官能で報いられる。
手と唇で実直な奉仕を続けながら興奮に乾いた唇をなめる、挑発的な表情にぞくりとする。
「俺の血なら好きなだけくれてやる。たらふく飲めよ」
「淫乱神父が」
「どっちがさ」
「カソック引ん剝くぞ」
「やってみろマント毟るぞ」
ピジョンがスワローの胴に跨る。見下ろされるのは癪だ。コイツ、こんな顔で女を抱くのか?杭打たれる恐怖にも増し、豹変した兄に違和感を抱く。おもむろに手をのばし、カソックの襟に掴みかかる。
「見下ろして悦ってんじゃねェ、ハロウィンのお遊戯は打ち切りだ、とっとと出るぞ」
「ちょ、強く引っ張るな伸びるだろ!皺になったらどうする借り物が、やめろってスワロー」
「てめえが俺様を犯そうなんざ思い違いも甚だしい、今日は素股で勘弁してやろうと思ったがやめだ、その辛気くせえカソック脱げ」
「役割交代、今度は俺の番。やられる一方はごめんだ」
「生意気言うじゃん駄バトの分際で、神父さまのマネしたってちっとも似合ってねえよお生憎様!」
「この……!」
ピジョンの顔が真っ赤に染まり、侮辱を浴びせたスワローに掴みかかる。
互いに激しく揉みあい衣装を引っ張って暴れれば、クローゼットがガタガタ不吉に揺れだす。
最前までの色っぽい雰囲気は霧散し、スワローがピジョンを小突いて蹴りをくれ、ピジョンがそれに抵抗してマントを掴む。
「誰がてめェのまずい血なんざ飲むか俺様はグルメなんだ、トマトジュースでビタミンためて出直してきな!」
「吸血鬼は大人しく退治されろよ、引っ込みが付かないじゃないか!」
「知ったことか、やりたいようにやるかんな!」
「十字架の前に平伏せ!」
「お断りだ馬鹿!」
十字架を翳す手を乱暴に薙ぎ払えば、その拍子にクローゼットが傾く。
「「あ」」
同時に声を出す。
視界が大きく傾斜し暗転、クローゼットの内壁に身体を打ち付ける。
どちらからともなく腕を伸ばし、咄嗟に庇い合い抱き締める。
轟音と衝撃。濛々と埃を舞い立てクローゼットが倒れ、スワローとピジョンは縺れあって目を回す。
「いだだだだ……暴れるからだぞ」
「俺のせいかよざけんな、てめえが騒ぐからだろ」
二人とも怪我はない。
クローゼットが倒れる寸前、ピジョンの背中に腕をまわして懐に抱きこみ、ピジョンもまた十字架をあっさり手放し、弟を選んだ。互いがクッションになったおかげで、奇跡的に無傷ですんだのだ。
眩暈に襲われて蹲るピジョンのもとへ、ドタドタと足音が駆けてくる。
嫌な予感……まさか。
「やっぱりあそこだ!」
「ほら見ろ言った通りじゃん、おれの推理的中したね!」
廊下を走る子どもたちの歓声に、スワローは素早く思考を切り替える。
「ちっ……逃げんぞピジョン」
勢いよくドアが開け放たれ、仮装に身を包んだ大群が「トリックオアトリート!」のかけ声と共になだれこむ。
扉を蹴破ってクローゼットから這い出したスワローは、兄の片腕を掴んで窓へ向かうが……
「汚い手でさわるな闇の眷属」
「はァ?」
「俺はヴァンパイアハンター。お前とは敵同士だ」
こんな時になにほざいてやがる、まだお芝居続いてんのか?困惑顔で立ち尽くす弟を指さし、十字架を掲げたピジョンが朗々と叫ぶ。
「よく来たみんな、俺は味方だから安心して!吸血鬼を狩るなら知恵を貸す!」
「…………」
信じられねえ。
コイツ、俺を売りやがった。
「えっ味方?」
「うそでしょ、いっしょに隠れてたよ」
「逃げる時も一緒だった」
「敵をだますにはまず味方から、仲間のフリして弱点をさぐってたのさ」
「ゲボクじゃないの?」
「俺はみんなが大好きな神父様の友達だよ?吸血鬼なんかにたぶらかされるわけないじゃないか、心外だ」
疑い深げにさざめく子どもたちを、堂々居直って諭すピジョン。「神父と友達」の一言がもたらす影響力と説得力は絶大で、子どもたちは「そっかー」「なら安心だね」と頷き合い、ピジョンを仲間に加える。
「だまされんなガキども、ソイツ仲間にしても役立たねーぞ!」
「ニクタテやタマヨケにするわ!」
「どこでそんな言葉覚えたの」
「バンチ」
「子どもは読んじゃいけません」
「えー面白いのに」
猫娘がピジョンの右足に抱き付いて叫び、左足に纏わり付く蛇娘がコクコクと追従する。
あっけにとられたスワローをキレイに無視、素晴らしい変わり身の早さで子どもたちを率いる陣頭に立ち、片手に杭、片手に金槌の完全武装でじりじりとにじりよる。
「終わりだよ吸血鬼さん」
ピジョンの背後に両手をぶらさげて続く子どもたち。スワローは舌打ち、即座にベッドに飛び乗る。
「あ、私のベッドお!?足跡付くから土足でのっからないでー」
猫娘の悲鳴を無視、等間隔に並ぶベッドからベッドへ軽捷に飛び移って窓へ接近、直接中庭へ逃げる。
「追いかけるぞみんな!」
「ヒャッハアアアア生け捕りだあああああ!」
ピジョンの号令一下、子どもたちがすばしっこく窓枠を跨いで中庭へ降り立ち、マントを翻して礼拝堂へ走る吸血鬼を追跡。
中庭にはテーブルが出されていた。
「あらあらまあまあ」
「元気だこと」
「転ばないよう足元に気を付けてね」
清潔なクロスを敷いた長机の間、お菓子を盛り付けたボウルを持って立ち働いていた修道女が、大人と子ども入り乱れる追いかけっこを微笑ましげに眺める。素直ないい子たちが「はあい」「わかってるよー」と間延びした返事で応じ、遠ざかるマントの背中に、泥をこねて固めた玉を投げ付ける。自前のパチンコで小石を打ち出す子どももいる。
スワローは後ろを見もせず、次々投擲される球を右に左に躱す。
「なにあれ、背中に眼が付いてんの!?」
「殺気を読んでるんだよ」
「ずるい、反則だ!」
憤るハリーに簡単に説明し、スワローに遅れること数秒、礼拝堂の正面扉へ続く階段を駆け上る。
神様、お許しを。
心の中で十字を切って開け放たれた扉をくぐり、荘厳な吹き抜けに優美な穹陵を描く礼拝堂へ。
ステンドグラスを嵌め込まれた天窓から極彩色の恩寵が注ぐ中、説教台と向かい合った吸血鬼の背へ、静かに忍び寄る。
「追い詰めたぞ」
「はっ、泣いて跪いて許しを乞えば満足かよ?」
子どもたちがピジョンの指示に従い散開、吸血鬼を包囲する。礼拝堂に追い詰められても、尊大な態度は些かも改まらない。神への不敬もあらわに、冒涜的な立ち振る舞いを演じてみせる。
「今ならまだ間に合うぞ、降参して俺達の仲間に……」
「トマトジュース点滴してくれんの?」
ドレスシャツの襟元を緩め、肩幅に足を開いて踏み構える。
「来いよピジョン、序でにガキども。全員生血をくらってやる」
交渉決裂だ。
誠意あふれる説得をむげに一蹴、追い詰められるほどに生き生きとするスワローが獰猛に牙を剥く。
吹き付ける眼光の威圧にたじろぎ、「ひっ」と喉奥で声を発する子どもたち。彼らを守るように先陣に立ち、ピジョンはため息を吐く。
「―仕方ないね」
いかにスワローといえど礼拝堂で大暴れはしないと信じたいが……
かくなるうえはわが身を犠牲にして子どもたちを守ろうと決意、敢然と立ち塞がった―……その時。
「地球人 皆トモダチ 喧嘩ヨクナイ」
奇妙なカタコトの言葉が、唐突に流れだす。
「えっ?」
ヘリウムガスでも吸ってるのだろうか、突如として響き渡った高音域の声に、子どもたちがあちこち見回してパニックに陥る。
「礼拝堂 暴レル 物壊ス ヨクナイ。神様見テル 火星人見テル」
「キャー―――――――――!」
トンガリ帽子をかぶった蛇の幼女が、ピジョンの左足に抱き付いて絶叫する。彼女が指さす方角、説教台の後ろから満を持して現れ出たのは……
「脳だ、脳だけ星人だ!?」
「うわきもっ」
「なにあれ金魚鉢かぶってる!」
「違うよ、宇宙飛行士のヘルメットだよ」
金の縁取りを施した赤いマントの下、やけにぴっちりした緑の全身タイツを着込み、ゴツい酸素ボンベを背負っている。頭部を覆うのは電球に似て、丸く膨らんだヘルメット。
透明な表面越しに、グロテスクな皺が畝を刻む脳味噌と、眼窩から半ば飛び出した眼球が見える。さながら大昔の映画に登場する異星からの侵略者、レーザー銃を撃ちまくる悪い宇宙人のコスプレだ。
「あー…………」
「なあピジョン、アレって」
「映画でやってた」
「火星人が攻めてくるアレ」
「マーズがアタックするヤツか」
間違った方向に気合入れすぎです、先生。
当然というべきか、子どもたちはドン引きしてる。
殆どの子が映画なんて観たことないのだ、脳味噌に眼球を埋め込んだ気持ち悪いのが沸いて出たらショックを受ける。
見せ場をかっさらわれたスワローが無表情に呟き、ピジョンは片手で顔を覆い、子どもたちは泣き喚いて逃げまどう阿鼻叫喚の中、何人かが扉から外へ脱出。
「待て!」
混乱に乗じて身を翻すスワローを、ピジョンが追いかける。
両開きの巨大な扉から光溢れる美しい庭へ、吸血鬼が駆け出した瞬間―
「ひっかかった!!」
木の上でこの時を待っていた男の子が、快哉を上げる。
パチンコに小石を番え、ギリギリまでゴムを引き絞る。スワローの頭に狙い定めて放たれた小石に、ピジョンの身体が勝手に動く。
「あぶない!」
「うお!?」
前を行く背中をおもいきり突き飛ばす。蹴っ躓いたスワローがいた地面を小石が抉り、木の枝に跨った男の子が、狙いを外して「チェッ」と舌打ち。気を抜いたせいか、その手をパチンコがすりぬける。
「あっ、俺の!」
折からの強風に飛ばされたパチンコを追い、虚空に腕をたらしー……
そして、落ちる。
「!!」
枝に跨った身体が大きく傾ぎ、真っ逆さまに風切り落下。
下は固い地面、打ち所が悪ければ大怪我か最悪死。周囲で金切る悲鳴が連鎖、表の異常に教会から転げ出た神父が目を瞠る。
ピジョンは迷わない。
少年の手から逃げたパチンコをすかさずゲット、小石を番えて叫ぶ。
「スワロー!」
「命令すんな!」
駆け寄る?助ける?いや、間に合わない。庭木まで距離がある、少年の落下速度のほうが断然速い。
瞬時に風の向きを読んで調整、スワローが自身のマントをとって力任せにぶん投げる。
宙空に膨らみ広がる漆黒の落下傘、風を孕んだマントの中心を小石が穿って更に飛距離を稼ぎ、木の枝に上手い具合に引っかける。
「よかった、勘は鈍ってない」
スリングショットを使うのは久しぶりだが、思い通りに的を射抜けた。
所要時間たった数秒、木の枝に張られたマントがクッションになり代わり男の子がバウンド、低空から転げ落ちる。
「大丈夫、怪我はない?」
「うん、ちょっと擦り剥いただけ……」
「人にパチンコを向けて撃ったらだめだ、木登りはいいけど高すぎる所に上るのも危険だよ」
少年の無事を確認して胸をなでおろすピジョン。
彼の肩越しに何かを目撃した男の子が、「あ!」と顔を輝かす。
「ストレイ・スワロー・バード!」
「あん?」
「賞金稼ぎのストレイ・スワロー・バードだよね、バンチにのってた……今年デビューした若手の中で注目株のルーキー、凄腕のナイフ使い!女にモテモテの超ハンサム!すごい、雑誌に載ってたのよりずっとカッコイイ!おれのこと助けてくれたの、わーすごい自慢しちゃお!ね、ね、アレほんと?コヨーテ・ダドリーの話聞かせてよ、ショーに乗り込んでアジト壊滅させたんでしょ?」
興奮しきった男の子がピジョンをさしおいてスワローに駆け寄り、裾を掴んでねだる。
「握手して!サインして!あのねおれ、あなたのファンで」
「てめえは憧れのヤツに石投げんのか」
「違うカッコしてたから気付かなくって……ごめんなさい。ファンなのはホント、あなたの記事ぜんぶ切り抜いてスクラップしてるんだ」
「どーせくだらねえゴシップだろ」
「どうやったらそんなに強くてモテるの?俺もがんばればスワローさんみたいになれる?そうだナイフ、ナイフ捌き見せてよ!レオナルドっていうんでしょ、知ってるよ。子どものころ襲われた賞金首からパクったんでしょ」
「ストーカーかよきめえ」
「お怪我ありませんかトニオくん!」
とことんツレない塩対応にもめげずはしゃいで感嘆符を連発、ねえナイフ見せてと拝み倒す男の子のもとへ、神父と彼が引き連れる子どもたちがやってくる。
「やべっ!」
スワローが露骨に渋面を作り、木の枝にぶらさがったマントをひったくって一散にかけだす。
「ばっくれる、あとは勝手にしな!」
「は?待てよスワロー、これからパーティー始まるのにすっぽかすのか?」
兄になじられてもどこ吹く風と受け流し、神父が到着する前にさっさと消える。庭を突っ切ってどこへやら行方をくらます弟を呆然と見送れば、火星人改め神父が、ヘルメットをすぽっと脱ぐ。
「よかった……ご無事ですね。ありがとうございますピジョンくん、何とお礼を言えばいいか」
「たいしたことはしてません、弟のおかげです」
「その弟さんは……」
「なんか消えちゃって……」
「残念です。大事なお兄さんを預かる手前、一度ちゃんとご挨拶したかったのですが……シャイなんでしょうか?」
「どうだろ……みんな仲良く和気藹藹はアイツの向きじゃないし。反抗期をこじらせてるっていうか……すっごいひねくれてるんです。うるさく言ったから一応顔出してはくれたけど、もういいやってなったのかも」
「子どもたちに追いかけ回されてこりたんでしょうか……面目ない、私の監督不足です。仮装に気張るあまり、注意が疎かになっておりました」
「先生のせいじゃありません」
「やりすぎは禁物とよく言い聞かせたんですが……とくに飛び道具は言語道断ですよジョンくん、当たったら死にます。皆も聞きなさい、いくらハロウィンだからと羽目を外してはいけません。ピジョン君と弟さんは、皆の為にわざわざお越しくださったのですよ。恩を仇で返す仕打ちを我らが主が許しますか?ハロウィンは皆で仲良く楽しむお祭り、力ずくでお菓子を強奪し大人をいじめる日ではありません」
「シスターだってチェーンソーふりまわしてたよ?」
「ハリボテはセーフです」
「先生の仮装はー?」
「コレは手作りです。製作期間は一か月と三日、脳味噌のリアル表現にこだわりました。素材は段ボールです」
「いちばん楽しんでんじゃん……」
「段ボールで脳味噌作れんの?泥こねてヒト作るよりむずかしくね?」
「七日間あれば神も世界を作れます。気合ですよ気合」
アイツ、先生を嫌ってバックレたのか?
忸怩たるものを噛み締めフォローするピジョンの隣、神父がちびっこギャングを一列に並べ説教を開始。叱られた子どもたちはしゅんとなる。
獣耳としっぽをしおたれ、涙ぐんだ子どもたちを愛情深く見回し、神父が温厚に問いただす。
「反省しましたか」
「はい……」
「よろしい、では」
「パーティーの準備ができましたよー」
中庭に長机を出し、飾り付けにいそしんでいたシスターたちが手を振る。
子どもたちがワッと駆け出し、神父が柔らかく苦笑する。
「さんざんな目にあわせてしまいましたね……」
「子どもは加減がきかない生き物ですから」
「お詫びといってはなんですが、本日は存分に楽しんでいってください。おいしい料理とお菓子も用意しましたので」
並んで会場へ向かいながら、早くもシスターの手作りパンプキンパイの匂いに釣られるピジョンの裾を、神父が目敏く指さす。
「そのシミはどうされたのです?」
「えっ、あっ、コレは」
「白い……糊でしょうか?」
「ごめんなさい洗って返しますので!ていうか汚す気はなくて成り行きで、アイツ押しが強いから断れなくて、ホント俺はやだったんだけどヘンに拗れて帰られても困るし、だからそれでその」
しどろもどろ言い訳を口走り、世にも情けない顔でカソックの裾を控えめに摘まむ。
「…………着替えてきていいですか」
「パーティーが終わるまでは我慢してください」
「ですよね」
がっくりうなだれるピジョンに悪戯っぽく微笑みかけ、神父は言った。
「よくお似合いですよ」
ピジョンが真っ赤になったのはいうまでもない。
塀の向こうから賑やかなパーティーの音が聞こえてくる。
食いしん坊のピジョンは今頃シスター特製のパンプキンパイやプリンに舌鼓を打ってる頃だろうか。
孤児院の敷地を囲む塀に、数人のゴロツキが群がっている。刷毛を突っ込んだブリキのバケツをさげ、いたずら書きの真っ最中。
「なーにしてんの?」
『ミュータントは出てけ』『とっとと潰れろ』『死ね、クソ神父』……赤に黄色に青、カラフルなペンキで殴り書きされた罵詈雑言。女性器や男性器の落書きもある。
犯行の現場を踏み押さえられた男たちは一瞬ぎょっとするも、相手がたった一人、しかも十代の少年と見るやふてぶてしく開き直る。
「何って、アートだよ」
「殺風景な塀をスラム流の芸術で染め上げんのさ」
「へえ?俺にゃしみったれたいやがらせにしか見えねーけどな」
スワローは既にスタジャンに着替えている。やっぱりこの格好がいちばん落ち着く。
「スペル間違ってるぜ」
スニーカーで塀を蹴って指摘すれば、それを書いた大男が気色ばんで歩み寄る。
「ンだよお前、ここの関係者か。邪魔だから消えろ」
「俺たちゃ清掃活動にいそしむただのボランティアさ、気持ち悪ィばけものどもが消えりゃくそったれたスラムもちったァ住みやすくなる」
「ふーん」
どうでもよさそうに聞き捨て、壁の一箇所に視線を落とす。
そこには腹を裂かれ、腸を蝶々結びされた子どもを描いた稚拙な絵がある。ANTI FREEKS……視覚的に強烈な、なんともわかりやすい脅迫。
「ホントはAだけどな」
「文句あんのか?」
「ミュータント贔屓かテメエ」
「こんな辛気くせえ建物があるから俺らの毎日もパッとしねーんだ」
「バケモンどもと隣り合わせて暮らすなんてぞっとすんね」
「どうするよ、バイキン伝染ってケツからしっぽ生えてきたら?」
「知ってっか、ミュータントの娼婦はテメエのしっぽでアナニ―すんだ。天然のしっぽバイブだ」
「ここのガキどもも躾けられてんじゃねーか」
「神父さまの稚児好みは有名だかんな、とっくに手遅れさ」
言いたい放題罵倒して馬鹿笑いする男たちと対峙、退屈そうに壁を観察していたスワローは、ポスターを剥がした痕に気付く。
クソ兄貴のしわざか。
一目見て直感する。
何故って、いらいらするほど仕事が丁寧だから。
教会の関係者じゃない、孤児院のガキでもない。
スワローは見て知っている、ハロウィンパーティーを手伝ってくれとせがむピジョンの爪がところどころささくれ割れていたことを。
その爪に赤い塗料が挟まっていたことを。
「一応、確かめねーとな」
ピジョンの爪を汚す塗料の正体は、乾いたペンキ。孤児院の塀の落書きに使われたのと一緒だ。
きっとあのバカは、うんざりするほど丁寧にテープをこそいで痕跡を消し、悪意にまみれたポスターを順にひっぺがしていったのだ。
「見た目は結構な上玉だが、テメエもミュータントか?」
「連中、高く売れるんだ。孤児院なんかで飼うのは惜しい」
殺気だった男達が下卑た笑みを広げ、右に左に首を倒して鳴らすスワローを取り囲む。
スワローはにっこり笑い―
「悪戯してみろよ。できるもんならな」
「待てよコイツ見覚えが……バンチに載ってた……」
最後尾の一人が遅ればせながら青褪めるも、今さら遅い。
ブリキのバケツをぶちまけた男たちが雄叫びを上げて突進、ポケットに手を突っ込んだまま、悠然と立ち塞がるスワローに掴みかかる。
勝負は一方的だった。
「くそったれ……なんだお前、めちゃくちゃだ……」
「その強さ反則だろ、ばけもんだ。カラダの中いじくってんのかよ……」
ナイフを出すまでもない。
スワローはたった一人で五人の荒くれを相手どり、全員をしこたま叩き伏せた。
地面に伸びた男たちを見下ろし、ポケットから抜いた煙草で一服。
優雅に紫煙を燻らすスワローに、右目に青痣を作った男が吐き捨てたのは、イレギュラーの次に有名なミュータントの蔑称。
スラムなど生活水準が低く治安が悪い区画では、むしろこちらのほうが定着している。
「アブノーマルの分際で調子のりやがって……あち゛ィッ!?」
男の手の指を地面に広げて固定、その付け根で煙草を揉み消す。
「この手がオイタしたのか。だめじゃん、人んちの塀に落書きしちゃ」
熱と激痛に悶絶する太い絶叫が長く尾を引き、累々と倒れた男たちが蒼白になる。
暴れ苦しむ男の手で煙草を揉み消して立ち上がったスワローは、心底しらけた眼差しで、自らがぶち撒けた赤いペンキに塗れて転がる男たちを見下す。
「お前らってさ、|健常者《ノーマル》であること以外とりえあんの?」
素朴な疑問の調子で問えば、図星を突かれた男たちが黙りこむ。
中の一人がスワローを見上げ、呟く。
「コイツは人間だ……売り出し中の賞金稼ぎ、ストレイ・スワロー・バードだ」
スワローが同類だと告げられた全員の顔に動揺と疑念が生じ、火傷した手を押さえて泣き喚く男が、しとどに脂汗をかいた醜悪な形相で怒鳴る。
「てめえ、どっちの味方だ!?」
スワローは言った。
何ら衒いなくあっさりと。
「俺は俺の好きなヤツの味方だよ」
兄貴を傷付けるヤツは許さない、絶対に。
教会に来た目的は、詰まるところそれに尽きる。
俺はアイツと違って食い意地張ってないし、キレイどころのシスターが作る、ほっぺた落ちる菓子とやらに釣られたわけでもねえ。
ピジョンが受けた傷なら、たとえそれが僅かな爪の欠けでも絶対にツケを払わせる。
あのバカが告げ口しなくたってわかる、一緒に来いとせがむ口ぶりはやけに必死だった、爪にゃ塗料が挟まってた、孤児院に行った日に何かあったのは確実だ。
結果はビンゴ、アイツはまた性懲りなく他人なんぞのためにカラダを張ってきやがったのだ。
「……じゃなきゃ誰がこんな胸糞わりーとこ来るかっての」
ピジョンが心酔するクソ神父に会わずに帰るのは、正気を保てる自信がないからだ。俺以外のヤツがアイツの隣に立ってるとこを想像するだけではらわた煮えくり返る、嫉妬でどうにかなりそうだ。
用は済んだ。
とっとと帰ろうと踵を返したスワローは、塀の切れ目にあたる門の前に、薄汚い身なりのガキどもが屯っているのに気付く。
またいやがらせかと勘繰ったが、そんな雰囲気でもない。
ハロウィンパーティーは誰でも参加自由のふれこみで、門は開放されている。
兄弟だろうか、顔立ちがよく似た男の子が物欲しげに指を咥え、中庭で行われるパーティーの様子をじっと見詰める後ろに回り込む。
「お預けで満足?」
男の子がびくりと震え、消え入りそうに囁く。
「でも……お父さんたちが、ここに来ちゃいけませんて」
「ここの子と遊んだら、汚いのが伝染るから……」
「そりゃ初耳だ。さっきまで中にいたけどピンピンしてるぜ、俺は」
「お兄ちゃんも?」
「あそこのテーブルにいんのわかる?あのアホ面が兄貴だ、うまそうにフルーツポンチ食ってんだろ。いい年して炭酸ニガテだからお子様向けのソーダ抜きだぜ、だっせえの」
「食べて平気なの……お腹壊さない?」
「アイツが腹壊してるように見えんの」
「でもお父さんたちは……」
ミュータントの子らに懐かれ、幸せそうに笑み崩れる兄を取り巻くパーティーの様子と、親の偏見のはざまで躊躇するスラムの子どもたちを見比べ、スワローはそっけなく嘯く。
「大人だって間違えんだろ。時々は」
「…………」
「早くいかねーと駄バトが全部食っちまうぜ。おいおいパイ何個目だよ……」
スラムの子どもたちが急いで駆け出す。
彼らに気付いた神父が驚き、それから酷く嬉しそうに破顔し、新しい仲間を迎え入れる。
神父の人柄の影響で殆ど人見知りしないのか、孤児院の子どもたちも輪になってハロウィンの珍客を目一杯歓迎する。
その中心にピジョンがいるのは、なかなか悪くない眺めだ。
盛り上がる一方の団欒に背を向け、孤児院を去りかけたスワローのもとへ靴音が近付く。振り向けばピジョンがいた。
片手に齧りかけのパイを持ち、もう片方の手にキャンディだのチョコレートだのをずっしり詰めこんだ袋をさげてる。
「どこ行ってたのさ」
「野暮用」
「お前も食べてけよ」
「もー帰る」
「シスターが会いたがってる、あの子にサインしてやれよ」
「くそだりぃ。俺ん中じゃハロウィン終了したの、わかる?くだらねー茶番に付き合わされんのはウンザリ」
新しい煙草を咥えてライターで炙る弟に、ピジョンがむっとする。
大急ぎでパイをたいらげてから、食べ滓の付いた手で袋をかきまわす。
「ここは禁煙」
スワローが唇に挟んだ煙草をもぎとり、代わりにシガレットチョコを突っ込む。
「~~てめえ」
散弾銃の如く罵倒がとびだしかけた口を人さし指で封じ、ピジョンがはにかむ。
「いい子だスワロー。ウチに帰ったらご褒美やるよ」
「……っとにくれんだろうな?」
「ハロウィンだからね、特別。いやいやきたのに子どもを助けるの手伝ってくれたり、がんばったもんなお前」
ちょろい。甘すぎる。シガレットチョコを噛み砕いてムッツリ黙りこくる弟に寄り添い、ピジョンは「半分ちょうだい」とねだる。
何言ってんだと訝しむスワローの返事を待たず、弟の肩を軽く押して向き直らせ、シガレットチョコの半分をぱきんと前歯で折る。
掠めた唇のぬくもりがチョコレートを溶かし、一瞬近付いた顔がまた離れていく。
「ん。イケる」
「……意地汚ねーの」
「あとでクローゼット戻すの手伝えよ」
「大好きな神父さまに手伝ってもらえばいいじゃん」
「お前が倒したんだろ」
「いやお前だろ」
「お前がへんなとこさわるから」
「てめえが身の程知らずに下剋上企むからだろ、神父がノリノリで姦淫してんじゃねーよ」
「それゆーならお前こそ、吸血鬼のロールプレイの最中に中庭に逃げるなよ。せめて日にあたってもがき苦しむ演技しろよ、子供だましだましだ」
「かわいい弟が灰に帰りゃ満足か」
「その灰を溶かして固めた粘土でまた作ってやるさ」
「てめえは神か?泥人形に命ふきこむのか」
「だいたい悪戯した上に菓子までぶんどるって発想がギャングだろ、たち悪いぞ」
帰宅した二人が無事トリックオアトリートできたのか、真実は神のみぞ知る。
ともだちにシェアしよう!