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HolyNight
「馬鹿がいる!!!!」
バスルームに魂の怒号が炸裂。
スワローは顔真っ赤で怒る兄をよそに、両手に持った瓶を逆さにし、澄んだ黄金の液体を勢いよく浴槽に注いでいく。
「今夜はすっげえのくれてやるって言ったろ?お前がいままで味わったことのねえ最高のプレゼント、有り難く飲み干せ」
「こーゆーすごさは望んでない!!おまっ、ばっ、なにしてるんだやめろ正気の沙汰じゃないぞ今すぐ手をはなせ、嗚呼そんなもったいないよりにもよってドンペリじゃないか一本いくらするとおもってんだ!?」
バスルームに一歩踏み込むなり目にした光景は、ピジョンから冷静さを奪いさるのに十分な破壊力を兼ね備えていた。
もはや完全に取り乱し、手を無意味に上げ下げして慌てふためく兄とは対照的に、スワローは至ってご機嫌だ。
軽快な口笛を吹きながら空になった瓶を無造作に投げ捨て、次の一本を引っ掴む。曲名はアップテンポにアレンジされた「きよしこの夜」。
弟の暴挙をなんとしても阻止せねばと、正気を取り戻したピジョンが濡れたタイルに足をとられながら走り寄り、瓶を奪おうとするのをひょいひょい躱す。
ピジョンの手がむなしく空振るたび、傾いだ瓶口から高貴な黄金が迸る。既に浴槽の半ば以上ドンペリはたまっている。
空き瓶が増えるごと水位を上げていく浴槽の中身を覗き込み、縁を掴んだピジョンの顔は蒼白になる。
「あァああああああああああああああ!!!!」
「るっせーよ」
「だっておまえ、ドンペリだぞ?あの超高級シャンパンだぞ?それをこんなもったいない使い方……酒は飲むものでバスタブに入れるものじゃない、っていうかこんな大量にどっから持ってきた、トラックの荷台に積んであったの盗んだならトラックはどこだ??」
「地下のガレージに隠しといたの兄貴がいねーあいだに運んだ」
「お前にどやされて追加の料理をデリカッセンに買いに行ったときか??まさかその為に追い出して……わかったスワロー落ち着けまずは瓶をおけ話はそれからだ、な?いくら経済観念がぶっ壊れたお前でもドンペリがどれだけ貴重かわかるだろ、世界一美味くて高いと評判のあのドンペリニヨンだぞ、俺だってまだ飲んだことないんだぞ」
「だから飲ましてやろうってんじゃねーか」
「フツーにグラスで乾杯しろよ!!」
遂にピジョンがキレる。
スワローの傍若無人な行動はいまに始まったことじゃないが、今回のコレは目に余る。
コイツはなんだってドンペリをどぼどぼバスタブに注ぎ入れてるんだ??
片手で注ぎ入れる傍ら、片手に持った瓶を行儀悪くらっぱ飲みするスワロー。
口の端からあふれた酒が、しなやかに仰け反る喉を伝っていく。
「俺の稼ぎで買った酒をどうしようが自由、とやかく言われるいわれはねえ」
豪快に干し、手の甲で滴りを拭い傲然と宣言。
ピジョンは口をぱくぱくさせていたが、浴室の床に転がる空き瓶を指さし説教をおっぱじめる。
「言うさ!保護者がわりの兄として弟の浪費癖を見過ごせない、無駄遣いは金輪際やめろ!食べ物飲み物を粗末にしたら絶対許さないぞ、子どもの頃のひもじさを思い出せよスワロー、そしたらとてもじゃないけどそんな罰当たりなマネできないはずだ、毎日スパムスパムスパム、食パンとスパムとシリアルの無限サイクルだったろ!?」
「ピクルスも忘れんな」
「お前は抜いてたろ!?それは今どうでもいい、俺が言いたいのは今のお前を見たら母さんがどれだけ哀しむかってこと、ドンペリは酒だ飲み物だ、しゃれたグラスに注いで有り難く味わって頂くのが礼儀だ、それをなにとち狂ってバスタブにぶっこんでるんだ!?俺が寒風に吹かれてデリカッセンにでかけてるあいだに、お前はドンペリをドブに捨ててウチのエンゲル係数に反旗を翻したんだぞ!!?」
「まあバスタブにためりゃいずれドブにいくけど」
ピジョンが怒り狂うのは珍しい。
子どもの頃の質素な食生活の反動か、飲食物を粗末にするふるまいに関しては殊に厳しいのだ。
今日はイブ、イエス・キリストの生誕節。
昼間はクリスマスマーケットにくりだし、夜はアパートでささやかなお祝いをした。
物心付いた頃から家族水入らずでイブを祝っていたピジョンにとって、今年は最愛の母と離れて初めてのクリスマス。
不特定多数のセフレと乱痴気騒ぎの予定でも入れてやしないか危ぶんだが、スワローも兄と過ごすのに異論はないらしく、テイクアウトのフライドチキンやデリカッセンで見繕った総菜をテーブルに並べ、普段よりほんのちょっぴり豪華なディナーに舌鼓を打った。
『さすがに都会のマーケットは豪勢だね、田舎と比べ物にならない』
『手荷物ほったらかしてかっぱらわれたの反省しろ』
『お前が無理矢理押し付けたんじゃないか!それにその、オーナメント飾るちょっとの間なら大丈夫だとおもって……』
『他人を見たら泥棒とおもえ。ひとっ走りボコって取り返してやったからまぁセーフだが、てめえは隙だらけなんだよ。隙が服着て歩いてるようなもんだ』
『どんなたとえさ。なら言わせてもらうけど、俺をさしおいて自分ひとり飲みまくって良心痛まないのかよ?』
『あっちが飲め飲めけしかけるんだ、ノッてやんなきゃ興ざめだろが』
『客寄せにはなったね』
『酒も滴るイイ男ってな。グリュックだっけ、あのホットワインは甘すぎたぜ。ハチミツ入りホットビールも悪くはねェが、俺的にゃ樽入り生ビールがイチバンだ。鮮度と喉越しが違うよ、やっぱ。ジョッキでぐいとやりゃキブンはプロージット、しゅわしゅわ吹きこぼれる泡がまたたまんねーのなんのって。星5はくれてやる』
『頼んでもない感想詳細に語るのはいやがらせかよ、本当やな性格だな……』
スワローはスマーケットで飲み歩きした酒を饒舌に評し、ピジョンはせめて空想の中でおこぼれにあずかろうと、弟が手振り身振りで褒めたたえる味の再現を試す。
その間もちゃっかり缶ビールを開けていたのだから、酒呑みは始末におえない。
『グチグチシツケーな、てめえはちびちびホットチョコレート啜って満足だろ』
『アレはアレでおいしかったけどイブくらい羽目を外したい、俺だっていい大人だしね……酒を呑めたほうが都合いい場面もこれから増える』
『オンナ口説くの?』
『~~~じゃなくて!賞金首がその手の店に潜伏してたら酒の一杯でも注文しなきゃ怪しまれるだろ!!』
『てめえはおんもで立ちんぼしてろ、おとりは俺が引き受けてやらア』
『なんで俺ばっか外で痺れ切らしてなきゃいけないんだ、街娼の誘い断るの大変なんだぞ?それだけならよくないけどまだいいとして、下手するとウリ専に間違われて絡まれる始末』
『こないだもケツさわられてたな』
『手首折るのはやりすぎ。年齢からいっても俺がバーに行った方が』
『酔うとめんどくせーからだめ』
『そーやって昔のこと持ち出すのはズルい、記憶がないのいいことにテキトー盛ってないか?』
『起きてさっぱりド忘れたぁ幸せもんだな』
予算の都合で七面鳥の丸焼きとケーキこそ用意できなかったが、スワローが癇癪を起こし口喧嘩になる日常と比べれば上出来な夕食だった。
雲行きが怪しくなりはじめたのは料理をあらかたたいらげたあと、食い足りねえとぼやくスワローに尻を蹴られ、近くのデリカッセンにひとっ走りしてからだ。
いざ帰宅すれば後片付けもされてないダイニングに弟の姿はなく、バスルームから断続的な水音がする。怪しんで覗いてみれば……というわけだ。
「どうしてこんな……すっごいプレゼントってゆーから期待したのに」
「お前が言ったんじゃねえか、一生に一度でいいからドンペリ風呂に浸かりてえって」
「え」
おもわず真顔になる。
そういえば、そんなようなことを言った気がする。数か月前に。
スワローがかたくなに飲酒を禁じたのは、とっておきのサプライズを用意してたからか。
スワローが褒めてほしがる子どものような恩着せがましいドヤ顔をきめる。
「喜べ、夢を叶えてやった」
「……カネはどこから?」
「兄貴が修行にでてたあいだにためた残りをパーッと使った」
「計画性が死んでる。将来の為に貯金とかもっといい部屋借りるとか、そうだ、ずっとバイク欲しがってたじゃないか好きなの買えばよかったろ?ドンペリのダース仕入れで使い果たすなんてどうかしてる」
「ンなのちょっとやる気だしゃすぐ買えるしよ。どうせならくだらねーことに使いてェじゃん、そっちのがおもしれー」
スワローの行動基準は面白さなのかとあきれる反面、けっして口に出さない本音を深読みする。
ひょっとして。もしかして。
コイツはコイツなりに、ピジョンを気遣っているのだろうか。
日頃迷惑をかけているし、一年に一度のクリスマスくらい少しばかりいい目を見せてやろうとフンパツし、数か月も前に口走った妄想を叶えてくれたのだろうか。
そうだ。
数か月も前になる、ピジョン自身すら忘れていた戯言をしっかり覚えていた事実からして驚嘆に値する。
些か甘すぎるきらいはあるが、そしたらもう怒るに怒れなくなったピジョンの前で、スワローが服を脱ぐ。
大胆にシャツをめくりあげて腕を抜き、下着ごとジーンズを落とす。均整とれた肢体に見とれるまもなく、その手がこっちに伸びて、器用に服をまくりあげていく。
「!おま、なにす」
「一緒に入るんだよ」
「ええっ??」
「ためて終わりじゃ意味ねーじゃん、こっからが本番だろ」
「ちょ、待、自分で脱ぐからへんなとこさわるな」
ああだめだ、すっかり流されている。
もっとちゃんと怒れ、それとも匂いだけで酔っ払ってるのか?頭が変にクラクラする。肩に手をかけ押しのける兄をものともせず、上着を巻き上げて引っ張り、お次はズボンをおろす。
「すわろっ、よせ、てば!後片付けまだ……皿洗わないと」
「ンなのあとあと」
スワローが笑って急かし、あっというまにピジョンを裸にひん剥く。
「お先にどうぞ」
茶化して礼をするスワローに促され、ピジョンは渋々片足をあげる。こんなことならドンペリ風呂など望まず、弟が真人間になるよう願えばよかったと心底悔やむ。
「!っ、」
裸の爪先が水面に浸かり、同心円状の波紋が生じる。
反射的に引っ込めてから、浴槽の縁を掴み直して度胸を奮い起こす。
思いきって片足からいく。
続いて反対側の足、腰、肩と沈めていけば水面が波立ち、馥郁たる香気が鼻腔に抜ける。
夢にまで見た、されど実現はしてほしくなかったドンペリ風呂に、ちんまり膝を抱えて呟く。
「……ぬるい……」
「第一声がそれか」
「ガレージに常温放置してたな?ドンペリへの冒涜だ」
「冷えてたら風邪ひいちまうじゃん、わざとだよわざと。俺様ってばやっさしー」
スワローが盛大に波をたてとびこみ、反対側の壁に凭れる。
狭い浴槽で兄弟向かい合わせになるも、互いの膝が突き合って邪魔でしょうがない。ピジョンが空白の表情で嘆く。
「……イブになにしてんだろ俺……」
「グラスもってきて乾杯するか」
「自分が浸かった風呂水はちょっと」
縁に腕をかけたスワローが、余りの瓶をとって中身をがぶ飲みする。
ピジョンはため息を吐き、両手を皿にしてドンペリをすくいとる。
美しいピンクゴールドのきらめきが、両てのひらから小さい滝となって流れ落ちていく。
「バブリシャスだろ」
「想像とはちがうけどね」
肌や粘膜がアルコールを吸収し、ほんのり顔が上気する。ピジョンはてのひらのドンペリに見とれ、スワローはそんなピジョンに見とれる。
ピンクゴールドの髪がしっとり張り付いた顔は、子どもの頃の面影を残しながら大人へと成長した。
毛先から滴る雫が物憂げな伏し目を際立て、そこへスワローが水鉄砲をくれる。
「そらよ」
「ふざけるなよ」
「俺様のプレゼントにシケた顔すんじゃねえよ、クソ萎えるぜ。サプライズにゃそれなりのリアクションで報いるのが礼儀だろ、悔しかったら反撃してみろ」
「あのなスワロー、いい加減にしないと怒るぞ」
「ほらほら」
「大体頼んでないし、自発的に皿洗いしてくれるほうがよっぽど嬉しいサプライズだ」
「狙撃手が一方的に的にされて笑いぐさだな」
その一言が逆鱗に触れる。
両手を組み合わせたはざまからピュッ、ピュッ、と間欠的に水鉄砲を放ち続けるスワローへ両手でドンペリをひっかぶせる。
「やりやがったなてめえ!?」
「やり返したけど問題でも?」
濡れ髪をかきあげてピジョンがふてぶてしく開き直る。
まともにドンペリを浴びた顔をひとなめ、前にも増した容赦なさで水鉄砲を連射するスワローに、こちらもまた両手を組んだ水鉄砲で応酬。
「やったなコイツ、お返しだ!」
「どーせなら口ねらって飲ましてくれよ!」
「雛返りで餌付けが希望ならスポイトでタバスコたらしてやる!」
「『目ん玉に』って最後に付けろ、じゃねーと脅しが半減だ!」
「恐喝のプロのアドバイスは参考になるね野良ツバメ被害者の会ができるわけだ、このドンペリだってクリスマスセールでてんやわんやの卸業者を強請って安値で仕入れたんだろ!」
「あーそうさ小便で薄めたニセドンペリさラベルよく見ろドンペリニヨンじゃなくドンペニシリンて書いてあっから、甘ェのは糖尿病なせいだ!」
「そうなの!?」
口に入った雫をぺっぺっと吐き出せば、とことん人を食った悪魔的な哄笑が響く。
「ばーか信じんな匂いでわかれ痛でっ、脚蹴んのは反則だろ文字通り水面下で妨害すんじゃねえ!?」
弧を描いて水しぶきが飛び交う中、じゃれあいの延長の賑やかな兄弟喧嘩をくり広げれば、体力を消耗したぶんだけアルコールの巡りが速くなる。
水しぶきの高度が徐々にさがり、ちびた噴水を最後に沈黙する頃、ピジョンは真っ赤になっていた。
「ギブ、もうでる……」
先にあがろうと縁に足をのせ、滑る。
「おっと」
よろけて倒れ込んだ肘を支え、スワローがとびきり甘く囁く。
「ここでしようぜ」
「……バスタブで?」
「そ」
「体積と面積を考えろ」
「それがいいんだよ」
「中に入ったら?」
「下の口でも酔っ払えてラッキーだな」
「冗談じゃない、急性アルコール中毒になる」
何が哀しくて聖夜のバスタブで事に及ばねばならないのか。イエス・キリストの誕生を祝す夜に、罰当たりにもほどがある。
スワローの悪ふざけは今に始まったことじゃないし、コイツは一度言い出したら聞かない。
ピジョンの合理的な説得などすげなく一蹴し、ドンペリを飛び散らせにじりよる。
スワローに追い詰められ、あとじさった背中が壁にあたる。浴槽の縁に手をかけただちに出ようとするも、引き戻されて元の木阿弥。
「ばか、ほんとやめ……ッ、せめて出てから、ソファーかベッドで」
必至の形相と声音で懇願するピジョン。
浴室では声がよく響く、へたしたら隣室の住人に聞かれてしまうと案じ極力罵り声を抑える。
ピジョンはスワローほど精力絶倫じゃないし、セックスに積極的でもない。故にスワローに求められて仕方なく体を開くのが日々の営みだ。
痛いし面倒だし疲れるし……そりゃ気持ちはいいけれど、俺が一方的に我慢するだけでアンフェアだ。
そんな不公平感が根強くある。
「ここはいやだ、風呂場はそういうことをする場所じゃない。どうせやるなら向かい合ってきちんとやりたい」
「正常位をリクエストか、感じてるカオ見てほしいなんて淫乱だな」
「~~怒るぞ本当……こんな狭いバスタブの中でシたらあちこち当たって痣だらけなうえ筋肉痛だ、はずみでカラン蹴飛ばして水道管が破裂したらどうするんだ、修理屋になんて説明する、修理費だって馬鹿にならない」
「そんなに激しくされてえのかよ」
「何言っても無駄だな」
「セックスには刺激が必要。体位も場所もワンパターンじゃ飽きるだろ、冒険あるのみ。いろんなシチュを試して新しい性癖開発するのも悪かねェ」
「悪いに決まってる。なんでお前はそうなんだ、今日くらい心穏やかに過ごしたいのに……」
悔しげに唇を噛んで俯く。
「俺とイブを祝うだけじゃ不満なのか」
胸の内に鬱屈した感情がこみあげる。
もどかしさと哀しみと、苦い諦念に似た何かが心を浸蝕していく。
スワローは自分勝手な俺様だ。
ピジョンの気持ちなんて少しも忖度してくれない。
今日くらい、年に一度のイブくらい譲歩してくれたっていいのに、結局コイツの思い通りにもてあそばれるのか。
昼間はクリスマスマーケットをそぞろ歩いてツリーを見物。帰りにデリカッセンで総菜を買い、手作りのリースと紙輪で部屋を飾り、ささやかなご馳走を囲んで、それで十分ピジョンは満ち足りていたのにコイツの横暴なふるまいでなにもかもぶち壊しだ。
「……ただいるだけじゃ、だめなのか」
肌や粘膜からアルコールを吸収したせいか、頭に薄ピンクの靄が渦巻いて思考力が鈍る。
感情の浮沈が激しく、眼前の弟に対しどうしようもない衝動をかきたてられる。
濡れ髪に全裸でたたずむ弟に催す衝動を欲情と呼ぶことを、潔癖なピジョンはけっして認めたがらない。
「!ひ」
チュ、と音がする。
スワローがピジョンの右手指に指を絡め、次いで左手指に指を絡め、壁面にやさしく磔にする。
首筋に唇をすべらし吸いたて、赤く火照った耳たぶに接吻。
兄の髪の先端に結んでは滴りおちる雫を見送り、切実に囁く。
「お前はそれでいいかもしれねーけど俺は物足りねェ。もっとガツンと強えのが欲しい」
噛んで含めるように言い聞かせ、ピジョンのおくれ毛を梳き、形良い耳の裏側まで丁寧にキスをする。
「ふ…………、」
半開きの唇から熱い吐息をもらし身じろぐ。
拒まなければいけないと理性じゃわかっていても、本能はすでにスワローを受け入れている。これから始まる行為に高ぶっている。
裸の胸板でロザリオとタグが絡み、スワローの胸でもおそろいのタグが揺れる。
「うざってえからとれよ」
「やめろ」
十字架をむしりとろうとしたスワローを無意識に拒絶、強い意志を宿した目でかっきり見据える。
「このまま、してくれ」
ピジョンは師から贈られた十字架に良心を託している。これを奪われるのは彼自身の善性を否定されるも同然だ。
そんな兄の一言は、不条理にもスワローの嫉妬を煽り立てる。
世の中にジェラシーほど強烈な媚薬はない。
耳や首筋、皮膚が薄く敏感な部位へのキスの施しは打ち切って直接唇へ。
「ふ……ぅ、ん」
「は……ふ……」
スワローの唇はドンペリの味がする。それはピジョンの唇も同じだ。
こそばゆく啄むのはやめて、口をぴったり塞ぎ舌をもぐらす。
重なり合う唇から夢中で赤い舌を絡ませ、互いによく似た恍惚の表情で前戯にふける。
行為にのめりこむごとに指の股をキツく締め上げられ、苦痛に顔が歪む。
「美味いだろ」
ピジョンはもうすっかりのぼせきって、背骨ごと蕩けてスワローにしなだれかかる。
「……わかった。降参」
ドンペリに甘く濡れた唇をひとなめ、ばらけた前髪の間から艶めかしい流し目をおくり、おもむろにスワローの下半身へ。
「でも無理矢理はナシ。今夜は俺も楽しませてもらうぞ」
「お固い兄貴が気分だしてきたじゃん、イブは特別無礼講ってか。最初からそうすりゃいいのに意地張りやがって」
「そっちのが好都合だろ?ただでさえ風呂場でするなんて倒錯してるのに、レイプまがいの強引さでしらけるのは願い下げだ」
バスタブの縁に腰かけたスワローの間に座し、ペニスを含み転がす。
徐徐に芯が通り始めた竿を片手で愛撫、丁寧に舌を絡めて唾液をまぶし、鈴口に膨らんだ透明な雫をすくいとる。
「……っは……、ドンペリの味がする」
「世界でいちばんリッチなフェラチオだな」
「世界でいちばん嫌な飲み方の間違いだろ」
「そこから飲む時がいちばんいいカオしてるぜ、お上品ぶったグラスなんていらねーな」
「んっ、む、ァは」
ドンペリに浸かったペニスをいやらしく吸い立て、完全に勃起させる。
「もういい、こっちだ」
スワローが勇んで腰を浮かせ、ピジョンを後ろに向かせる。
壁に手を付いて尻を突き出す屈辱的なポーズをとらされ、ピジョンの頭がいい具合に煮えていく。
スワローがボディソープのポンプをプッシュ、潤滑剤がわりの粘液をよく塗して手のひらに馴染ませる。
ピジョンが首をねじり、その光景に慌てる。
「待てよ、それ使うのか」
「シャンプーのがよかった?」
「そういう問題じゃない!」
「シェービングクリームなら洗面台にあるぜ、剃毛プレイしたけりゃとってこい」
「本来の用途から著しく外れるだろ!寝室にローションあるんだからそっち使え、万一かぶれたり炎症起こしたら」
「体の外に使うか中に使うかだけの違いだろ?大丈夫だって」
「大雑把な……」
「まっぱでとりにいけってのか、待ちきれねーよ。それともなにか、今度から風呂場にローションのチューブおいとく?」
「ジェル状の何かが手の届くところにあれば所構わずやりたがるくせに」
「台所でヤりてえならオリーブオイルの出番だ、体によくすりこんで一丁上がり、あとは美味しく召し上がれ」
「ヘンなモノ塗りたくられる身にもなれよ……」
「チョコや生クリーム代わりに使うか」
「食べ物を粗末にするな」
「怒るポイントそこかよ」
「賞味期限切れてたら絶対腹壊す」
「体の中までちゃんと洗ってやっから安心しろ」
「キレイにしたあとに出したら意味ない」
「ぐちゃぐちゃ萎えることぬかすな、慣らしてやるだけ感謝しろ」
これ以上ごねると前戯に手をかけてもらえず無理矢理突っ込まれそうなので、不承不承引く。
「下の口でもたらふく飲んだみてーだな」
「!ぅ゛あッ……」
意地悪い指が肛門にめりこみ、入口を押し広げていく。
腰がずり落ちかけるのを意志の力のみで支え、耐え抜く。
二本に増えた指が括約筋の圧力にあらがって中をかきまわし、ボディソープをまぶして準備を整えてく。
「すっげえ熱い」
「ぅ……もういい、早くぬけ……」
「膝かくかくしてる。指だけでイッちまいそうだな」
「絶対わざとやってるだろ……!」
「裂けちまわねーように十分慣らしてやってんだから文句いうな、恨むンならうまそうに指を咥えこんで離さねえケツマンコを恨みな」
人肌のぬくもりが移った粘液が襞に塗りこまれ、異物が蠢く不快な違和感が膨らむ。
ピンク色のボディソープが会陰から内腿を伝い落ちる卑猥な眺めに、ピジョンは痺れを切らしてねだる。
「スワロー早く……ッ、お前のが欲しい……」
「情熱的じゃん」
「!!あァあっ、ああッああっぅあッ」
ピジョンの腰を掴み、ボディソープで滑りをよくした肛門へ一気に自身を挿入。
めちめちと肉をこじ開ける衝撃に腰がへたり、壁に付いた手が下方へすべる。
風呂場で致すのは初めてだ。
浴槽は狭く男二人で満杯、身動きする自由はほぼない。ピジョンがよがるたびに張られたドンペリが派手に波立ち、バスタブの縁をこえてあふれる。
タイル張りの床をひたしたドンペリが、黄金の渦を巻いて排水溝に吸い込まれていく。
「呑めよ」
「あッ、ふあ、すわろっ……キツ……あぁッ!?」
水音と水しぶきが連続、スワローが兄の腰を掴んで乱暴に抽挿を開始。
ペニスが直腸を滑走することで生まれる快楽の荒波が、ピジョンの喘ぎ声から容赦なく羞恥心を剥ぎ取っていく。
「部屋に、バスタブ、付いて、よかったな。トレーラー、ハウスにゃ、シャワーだけだもんな」
「こんなッ、ことの、うァッ、ために、使うんじゃ、あッ」
「下の、口は、悦んでる、ぜ、アブノーマル、な、シチュに、燃えてんのか?」
「突っこんでる、ときに、しゃべるな、噛むぞ!」
壁面が水滴にぬれて滑りやすくなる。
ピジョンは切り整えた爪を辛うじて立て壁に縋り付き、ドンペリを波打たせ打ち込まれる杭に耐える。
「あっぁうあっ、あっあっ、あっうっああ」
バックスタイルでガツガツ犯され、サイズといい硬度といい凶器と化したペニスでくりかえし削りとられ、粘膜を通して何重にも響く刺激が恥骨の奥の官能を目覚めさせる。
体全体が心地いい浮遊感に包まれて上昇していく感覚……根拠のない全能感と多幸感。
「!!んッぅ、あ」
突如としてスワローが動く。
ピジョンの身体をあざやかに表返し、自身は立ったまま、膝を割り開いて縁に座らさせる。
ピジョンの望み通り、至近距離で向き合うかたち。初体験の対面立位。
「こっちのが楽だろ?」
「……何もこんな時に……」
「はっ、結局どっちでも文句言うんじゃねーか」
下半身は繋がったまま、急に反転させられたはずみにペニスが変な角度で擦れる。
スワローは最悪のタイミングで願いを叶えてくれた。
嬉しいのか悔しいのか哀しいのか情けないのか、わけがわからず名前を呼ぶ。
「スワロー……」
首の後ろに腕を回す。
しけって張り付いたイエローゴールドの髪の毛と切れ長の双眸、セピアのフィルムを透かしたルビーの瞳を間近で覗き込み、自分から口付ける。
「俺のツバメさんは、まったくしょうのないヤツだな」
スワローが一瞬目をまるくしてから、真っ赤になったピジョンの片頬に手をあてがい、聖母のように微笑む。
「メリークリスマス、兄貴」
「!あっ、あっ、あっああっあぅああっあ!!」
両足を抱えて突き上げると同時、剛直がまた一回り太って前立腺を殴り付け、潤滑油を泡立てる抜き差しの圧が高まっていく。
スワローの首にキツく腕を回し荒波を被る、縁を乗り越えた津波が床に広がっていく、ピジョンは無意識にスワローの唇を啄みスワローもまた無我夢中でお返しをする。
「んぅッ、ふう゛ッ」
「はッんぐ」
「ふあッ、んぅッうッ」
「ァぐ、ふぅーッ」
かたや上唇をぬらす雫をなめとり、かたや鼻の先端から滴る雫を舌で受け、みだらがましく物欲しげに、舌で舌をねじふせ各々の唾液で割った酒を飲ます。
「ッ、でる……」
「!!!!んーーーーーーーーーッ……」
切ない一声と同時に体内に粘液が爆ぜ広がり、ピジョンも絶頂に至る。
喘ぎ声は一瞬早く達したスワローの唇によって封じられ、こもった呻きにしかならなかった。
「はあ……はっ……」
「な?たまにゃ風呂場でやるのもいいだろ」
「『な?』じゃない、死ぬかと思った」
「ノリノリだったじゃねーかよ」
「お前にせがまれて仕方なくだ。もう当分ドンペリは見たくない飲みたくない、瓶は片しとけよ」
「ヘイヘイ」
ヤったあとにこれだけ憎まれ口が叩けるんだから、俺の小鳩はタフだ。
縁を跨いで降り立ったピジョンが苛立たしげにカランを捻り、熱いシャワーで身を浄める。
スワローも仲良く喧嘩しながらともにシャワーを浴び、べたべたと不快なドンペリの残滓を洗い流す。
仄白い湯気をまとってバスルームを出たあと、スワローは部屋着に着替えてソファーを独占し、ピジョンは家事を放棄した弟の分まで晩餐の後片付けをする。
「サボってないで手伝え」
「もー腹いっぱいで動けねー」
「激しい運動する元気はあるのに?」
「ぐでんぐでんに酔っ払っちまって」
「こっちのセリフだよ……このさきドンペリ見るたび今日のこと思い出す……」
「一生分呑み尽くしたってポジティブに考えろ」
「口以外は飲酒にカウントしない」
「毛穴から吸収しても酔えるぜ」
「お前はドンペリの汗かくのかよ、瓶に回収して売ってこい」
「おーおードンペリのションベン詰めて売ってやらあ、オンナどもが群がって呑みたがるぜ」
「股間の蛇口を締めれば上の口も静かになるか」
テーブルの上をフキンで拭き、チキンの遺骨は屑籠に捨て、食べ残しにはラップをかけて冷蔵庫へしまい、几帳面に片付けを済ませたあとは弟の戯言に付き合いきれないと早々に部屋へ戻る。
「……やりすぎちまったか?」
間の抜けたしゃっくりが止まらず引き上げる後ろ姿を見送り、自堕落にソファーに寝そべる。
一生忘れられない夜にしやろうとはりきってイロモノな趣向を張ったのだが、堅物が服を着て歩いてる兄には些か刺激が強すぎたようだ。
大盤振る舞いは有難迷惑?
フツーに栓抜いて乾杯すりゃよかった?
「……それじゃあツマんねえし……」
兄貴のあっと驚くカオが見たい。
行動動機はそれに尽きる。
アイツが予想だにできないことをしでかしてアッと言わせたい、凄いねスワローと言わせたい。
その点ドンペリ風呂はナイスアイディアとうぬぼれたのだが、残念ながらピジョンはお気に召さなかったらしい。
一人反省会は面倒くさくなって打ち切り、目を瞑ってうたた寝をしてたら、何か忘れ物でもしたのか鈍くさい足音がもどってくる。
「スワロー、起きてる?」
「ンだよ……酔い止めの錠剤なら戸棚の三段目」
薄く片目を開けたスワローの胸の上に、ぱさりと羽根を編み込んだ装飾がおかれる。
「メリークリスマス」
肘掛けに背中をもたせ、億劫げに起き上がる。
ピジョンがわざわざ自分の部屋から持ってきたのは、手作りのドリームキャッチャー。悪い夢から人々を守る、インディアンの伝統的な魔除け。
「……コレは?」
「クリスマスプレゼント、まだだったろ」
「……作ったの?自分で?」
ドリームキャッチャーとは本来蜘蛛の巣状の目の粗い網が組み込まれ、羽やビーズなど独特の神聖な小道具で飾られた装飾だが、ピジョンのハンドメイドは一風変わっている。
輪の縁から垂れさがる房は、瑠璃の光沢帯びた群青の羽根。
「ツバメの羽根を使ったんだ。今の季節に手に入れるの苦労したよ、ドリームキャッチャー自体長いこと作ってなかったから勘を取り戻すのが大変で……でもさ、なかなかの出来だろ?こことか上手くできたと思うんだけど、どうかな」
「……悪くはないんじゃねーの」
ひねくれもののスワローにとって、それは最大級の賛辞だ。
この馬鹿でお人好しでどうしようもないクソ兄貴は、ドンペリ風呂で自分を犯した弟の喜ぶ顔見たさに、一人シコシコ何日もかけ、世界にたった一つきりの特別なプレゼントを仕上げたのだ。
スワローはピジョンの驚く顔見たさにサプライズを練り、ピジョンはスワローの喜ぶ顔見たさに内緒のプレゼントを用意した。
「お前にかぎって夢にうなされて飛び起きるなんて繊細な感受性のかけらは持ち合わせないだろうけど……昔さ、一回あったろ。変な夢見て……そんなのでも、気休め位にはなるだろ」
「……まあ……ないよりはましだな」
「だろ?」
奇妙な沈黙が落ちる。
ピジョンが頬をかきかき、「じゃ」と告げる。
「風邪ひくから部屋で寝ろよ」
「待てよ」
おせっかいを焼く兄を制し、ソファーの下に一本隠しておいた瓶をだす。
ピジョンが寝てから一人でやろうと思ったが、気が変わった。
「まだしてねーだろ?」
棒立ちのピジョンに瓶を押し付け、食器棚の抽斗を開けワインオープナーを持ってくる。
フルートグラスなんてシャレたモノはないから、何の変哲もないガラスのコップで代用し、再びピジョンの手から大振りの瓶をひったくる。
「ボケッと突っ立ってんな、乾杯しようぜ」
ピジョンがぽかんとしたまま椅子を引いて座り、スワローはらせん状に捩じれたオープナーをコルク栓に突き刺す。
「お前……さっきので使いきったんじゃないのか、一本キープしとくなんてどこまで卑しいんだ、完全にだまされるところだった。ていうか冷やしとかないと味が落ちるぞもったいない」
「俺様の気まぐれで奇跡的におこぼれに預かれるんだから泣いて喜べ」
勢いよく抜けたコルク栓が宙に弧を描き、瓶口から泡が噴きこぼれる。
ピジョンの分と自分の分、二杯のコップに目分量で均等にドンペリを注ぐ。
自分の名前にちなみツバメの羽根を編み込んだドリームキャッチャーを卓の真ん中に恭しくおき、気泡まで美しく澄み、飲める奇跡で満たされた片方のコップを高らかに掲げる。
「メリークリスマス」
「……メリークリスマス」
カチンと硝子質の高音が響く。
窓の外には遠く繁華街のネオンがちりばめられ、薄暗い部屋の中、イブを跨いで乾杯する番いを儚く照らす。
コップの中身を一気に干したスワローが、窓の外へ視線を放ってそっけなくうそぶく。
「キャンドルなんざいらねえな」
「ネオンで十分事足りるね」
「なあピジョン」
「なんだよスワロー」
「愛してるぜ」
思惑は見事にハマり、間違いなく本日最大のサプライズが投下される。
最初の一口で派手にむせてから仕切り直し、今度という今度こそ一滴たりともこぼすまいとちびりと啜り、ピジョンはごく小さく呟く。
「……お互い様だろ」
さらに蛇足な後日談を語るなら、罰当たりを上塗りするイブを過ごしたピジョンとスワローは、クリスマス本番を酷い二日酔いでむかえることになったのだった。
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