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第1話

「明日、デートなんだ」 翔の部屋に入った俺は、心底うれしそうな顔をしていたに違いないが、翔は、いつものように興味なさそうな視線を向けるだけだった。 この従弟は、まるきり、俺を小馬鹿にしたような態度をしている。小さいときは、後から付いてきて俺の真似ばかりしていたのに、久しぶりに会って、大きくなっていたのは、図体だけではなかった。態度もやたらとでかくなっていた。 俺の両親は、田舎で農業を始めるとかで、半月前に、家を売り払って田舎に引っ越してしまった。あと半年の高校生活を残す俺は、翔の家に居候させてもらうことになった。高校は少しばかり遠くなったが、文句は言えない。 単身赴任中のおじさんも快く了承してくれて、おばさんも「男手が出来て嬉しいわ。翔ったらほとんど家にいないから」と優しくて問題ないが、ただ一つ、翔の尊大な態度にだけが、少し、いや、随分癪に障る。 「お前でも、デートできる相手がいるんだな」 年長者に向かって偉そうな言い草。いつから、そんなに性格がねじ曲がったんだ? 昔は、光お兄ちゃんと、かわいく呼んでくれていたのに。 だが、今日、翔は俺にひれ伏すことになる。俺は、スマホの画面をレアカードのようにかざした。 「デートの相手」 実は、彼女は、可愛くて清純で、俺の高校でも目立つ存在。まさか、地味な俺に告白してもらえるとは思わず、俺は舞い上がっている。 「ふーん」 「おい、見ろよ」 「ふーん」 翔は興味なさそうにチラッと見た。興味なさそうな割に「何ていう名前?」なんて聞いてきた。へいへい、レアカード、効いてるっぽい? 「久藤一花ちゃんです。クラスも一緒です。ラブラブライフの始まりです」 浮き浮きとした声を出してみたものの、翔は、退屈そうに、スマホをいじってる。その横顔を見ながら、いかにも、女の子に好かれそうな外見に、こっちの気持ちも萎えてきた。とても血縁とは思えない、俺との容貌の差。この遺伝子のばらつきは何なんだ? はあ、今日のところはレアカードの威力はここまでか。まあ、これからたくさん写真を撮って自慢しよう。 とっとと部屋に戻ろうと背を向受けた俺に、翔は、声をかけてきた。 「つうかさ、お前、キスとかできんの?」 「はッ!?」 驚いた声を出すんじゃなかった。キスごときに、うろたえてどうする、と思っても後の祭り。 顔をあげた翔には、いやな笑みが浮かんでいた。腰を上げて、近寄ってくる。 「明日、デートなんだろ? キス位するんだろ?」 ノーノー。まさかまさか。 翔は首を横に振る俺ににじりよる。 「キスが下手だったら、彼女、がっかりしちゃうね」 「だって、初デートだし。一花はん、清純派だし」 はん? 焦りすぎて京都弁みたいになっちゃったじゃないか。ああ、また馬鹿にされる。しかし、翔は突っ込まなかった。 「清純派は、竹からでも生まれたと思ってんの? 清純派も、あんなこともこんなこともやったお母さんから、生まれてきたのに。光ってホント、子どもだよね」 「そんなことわかってる……。清純派もキスくらいするよ」 いや、キス以上のことも、多分。いや、絶対に。じゃないと、清純派の血が途絶えてしまう。 「じゃあ、相手が目を閉じてキスをせがんだら、そっぽ向いて逃げる気?」 「まさか、そんなこと」 「やっぱり、光、キスもできないとか?」 翔は、俺に迫った。顔が近くなる。 「なッ。できないわけねーだろ?」 「じゃあ、してみろよ。どうぞ?」 何と翔は、俺の前で、背をかがめて、目を閉じてしまった。 「できるわけねーだろ?」 「あ、そ。じゃあ、明日もできないね。やっぱガキだねえ」 翔は、肩を竦める。いかにも、馬鹿にした態度だ。 「キスくらいできる。でも、お前相手には、無理ってこと」 「へー。さすがファーストキスは、男相手じゃ嫌だよねえ? ウブだからねえ、光お兄ちゃんは」 わざわざ、お兄ちゃんと、呼びやがる。それに、何で、ファーストキスだと言い切る? 確かに、キスはしたことないけれども。 「わかったよ。やればいいんだろ、やれば」 「がっかりさせないキスができるといいけどねえ?」 もー、黙れって。すればいいんだろ、すれば。 ニヤニヤと小馬鹿にした翔の顔に、俺は、目をつむってぶつかった。 口だか鼻だかが当たって、顔を離すと、首を傾げた翔と目が合った。 「は? これがキス?」 「なんだよ、そうだろ?」 「マジで?」 翔は、噴き出した。何で、笑いやがるんだ、ここで。笑い終えると、その広い幅のある肩を竦めて、はあ、と、溜息までついて見せる。 「唇が当たっただけでいいと、本気で思ってるの? 鼻にも当たったし。ホント、光お兄ちゃんは。困った子だねえ」 何、その言い草。お前が、困った子だろうが。困らされてるのはこっちだ。 「キスはね、女の子の口の中を、舌で、ぐちょぐちょにかき混ぜてあげなきゃいけないんだよ」 俺は、言葉を詰まらせた。何、その言い方。こっちが、恥ずかしくなるからやめろ。こいつ、頭の中、エロい妄想でいっぱいだろ。 「そんなの、別に、いい」 「じゃあ、何? 唇が重なるだけのキスしかしないでいて、もっと大事なところをかき混ぜてあげたりできると思うの?」 なっ。なっ。なんつーことを。ホント、こいつ、澄ました顔のくせに、頭の中、エロ妄想で、満タンだな。 そんなの、わかってるよ、わかってるけど。そんなあからさまに他人の下半身の欲望を暴くようなこと言うなよ。そうだよ、俺だって、毎日、エロ妄想を欠かさないさ。 逃げ腰になる俺に、翔は、再び、顔を寄せてきた。 「舌、入れてみろよ」 また、なんつーことを。こいつ、満タンにしたエロ妄想に、火がついて、爆発してるだろ。 「何で、お前なんかに?」 「別に大したことねーじゃん。犬が相手だと思ってみ? 小さいとき、俺んちにいた犬に、唇舐められて喜んでたじゃん」 喜んでませんッ。お前の従兄は、そんな変態じゃありませんから。それは、お前の記憶違いですから。 「ほら。今度は、ちゃんと舌出せよ?」 翔に乗せられて、俺は、つい、舌を出した。そして、目をつむって、そっと顔を翔に近寄せる。目を閉じなきゃ、恥ずかしくてやってられない。 まったく、何でこんなことになってるんだ? しかし、俺の顔は、翔の手のひらに押し返されていた。 人がせっかくやる気になっているのに、何だよ? はじけるような笑い声があって、目を開けると、翔は思いっきり腹を抱えて笑っていた。涙まで流している。 「どこに、ベーしてキスするバカがいるんだよ。お前、ホント、バカ、あーおもしれー」 俺は、自分の顔にようやく気付いた。確かに、おかしい。舌を出して、女の子に顔を寄せれば、皆逃げちまう。俺は、慌てて、舌を引っ込める。 「教えてやるよ」 翔は、ひとしきり笑い終えると、俺の前に屈みこんできた。 そして、俺の背中に手を回すと、顔を近づけてきた。 翔、何か、男っぽい匂いがする。ギャツビーのペーパータオルの香料の匂いに混じって、何ていうか汗臭いというか泥臭いというか男っぽい匂いがする。そのなかに、懐かしい匂いを嗅ぎ取って、俺は安心してしまっていた。 「目、つむって」 さりげなく出された命令。 何で? と思いながら、つい目を閉じると、口に柔らかいものが当たる。そして。 なななな何!? 唇が濡れたもので撫でられている。 頬に当たる翔の息が、怖いくらい熱い。 うわ……。 俺、翔にキスされてる……。 熱いものに口の中を優しくなぶられている。舌が、口の中をかき混ぜる。あ、口の中って味覚だけじゃなかったんだ。触覚があったんだ。 などとアホなことを考える。 は……あ、もう、そんなにされたら。 舌先で、丁寧に口の中を舐めとられている。 足ががくがく震えてくる。すっかり力が抜けて床に崩れそうなるところを、背中で、翔の腕に支えられてしまう。 いつのまにか、胸元がスースーしていた。 肌の上で何かが動いているのを感じる。 胸に感じる熱いのは……。 これは翔の手? 熱い手のひら。 ちょっと、何? 俺、何されちゃってんの? 目を開けると、薄目の翔が俺の顔を見ていた。とても真剣な目で。夢中になったような目で。 俺は、我に返った。 「わわわッ」 俺は、翔を精いっぱい押し返した。 いつの間にかシャツのボタンを外されて、胸があらわになっていた。 翔、俺の胸触って、いったい、何やってんだ?

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