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神宮寺家 4
シンと静まり返ったリビングで、お姉さんがお父さんを睨みつけていた。
蓮はまだ呆然としたままだ。
「ごめんねぇ、お茶っ葉床にこぼしちゃって」
そこにお母さんがパタパタとトレーを持ってやってきた。
「すっかり遅くなっちゃった。……あれ? 楓どうしたの、そんなおっかない顔して。とりあえず座りなさいな。ね」
そう言ってお姉さんの背中を押して、コの字のソファの中央に座らせると、テーブルに飲み物を並べ、お父さんの隣に並んで座った。
「どうしたの? なんだかどんよりしちゃって。蓮、お母さん秋人くんとの馴れ初めが聞きたいなぁ」
お母さんがふわふわと笑った。
驚いた。お母さんも俺たちのことをちゃんと聞いて知っていたんだ。
お姉さんとお母さんは反対していない、それだけでも嬉しくてありがたくて胸があたたかい。
蓮はまだショックから立ち直れないようで、うつ向いて手を強く握りしめていた。
俺はどうしたらいいのかわからず口も開けない。
挨拶していい雰囲気でもないし、しゃしゃり出ていいのかもわからない。
するとお姉さんが言った。
「お母さん、いまそんな空気じゃないの。お父さんが、二人は恋人じゃないなんて言い出したのよ」
「ええ? うそよぉ。そんなわけないじゃないの。ねえ、お父さん?」
話を振られたお父さんが、深いため息をついた。
「楓。いままでは雫が恋人だの彼氏だの言ってても別に放っておいたがな。これからはだめだ。二人が友達だとちゃんと理解するまで言い聞かせなさい」
「だからなんでっ。もうこれ以上がっかりさせないでよっ」
「よく考えなさい楓。いまはまだ小さくてよくわかってないからいいだろうと思ってるんだろう。じゃあいつからだめなんだ? 何歳になったらだ。それまで二人が恋人だとわかる振る舞いを見せ続けて、途中でやっぱり違うんだよとでも言うつもりなのか?」
「え…………」
「幼稚園に入ったらどうなる? 二人が恋人だと、良し悪しもわからず話すときがくるかもしれない。うそつきだと言われて、本当だと言い返したらどうなる? 二人が本当に恋人だとわかるようなことを話してしまうかもしれないだろう。そうすれば大変なことになる。お前は二人の人生の責任が取れるのか?」
「…………っ」
お父さんの言葉にハッとした。
これは反対してるんじゃない。俺たちを守ってくれてるんだ。
蓮の顔がやっと上がり、お父さんを見た。
「父さん……反対してたんじゃないの?」
「私はまだお前からなにも聞いていない。楓から、お前が秋人くんと結婚式を挙げるつもりだと、それだけ聞いた。ちゃんとお前の言葉で聞かせてくれ」
蓮は一度深く深呼吸をして俺を見つめ、それから俺の手をぎゅっとにぎってお父さんとお母さんを見た。
「え、ちょ、蓮……っ」
俺は慌てて手を離そうとしたが蓮は離そうとはしなかった。
「父さん、母さん。俺……」
そこでもう一度深く息を吸い、覚悟を決めたような目を二人に向けた。
「俺は、秋さんと一緒になりたい。いや、一緒になります。正式には結婚できなくても、結婚式を挙げたいと思ってる。秋さんを愛してるんだ。こんなに誰かを好きになったのは初めてで、ずっとそばにいたいんだ。だから、俺が秋さんを一生守るって決めた。そして、父さん母さんにも認めてもらいたいんだ」
蓮の言葉に心が震えた。「一生守る」という言葉が脳内でこだまする。本当に俺は幸せ者だ。
俺の親に挨拶に行ったときはドッキリなんてふざけたもので、俺はこんなに心のこもった言葉を蓮に聞かせてあげていない。今更ながら後悔した。
「お前は、同性愛者だったのか? いつから自覚があった?」
「同性愛者……。わからない。いままで自覚は無かったし、同性を好きになったのは秋さんだけだよ」
「秋人くんは?」
「あ、私も自覚はありませんでした。同性を好きになったのは初めてです」
「……なるほど。……正直に、言ってもいいか?」
お父さんはずっと厳しい表情のままだ。
なにを言われるのか少し怖い。
蓮の家族の前なのに、蓮の手を離すことができなかった。つないだ手にぎゅっと力がこもる。それに気づいた蓮は、両手で俺の手を包んでくれた。
「いいよ、言って。なに?」
「もしお前たちが同性愛者だと自覚があるなら、反対はしなかった」
「え……」
「正直、自覚がないのにその愛がずっと続くのか、私は疑問だ」
ドクドクと心臓が嫌な音を立てた。
それは俺も思ったことがある。いつか蓮の目が覚めるときがくるんじゃないかと。蓮の周りには素敵な女性がたくさん寄ってくる。だからそのうちいつか、やっぱり男は違うとなりはしないかと。初めの頃はずっと不安だった。
でも蓮の愛は日々増していくのがわかる。伝わってくる。だからもう考えるのをやめた。不安になることをやめた。やめたことを、いま思い出した。
「ずっと続くよ。俺は秋さんしか目に入らない。いままで、なんとなくいいなとか好きだなって思う人もいたことはあるけど、そんな気持ちとは比べものにならないくらい、俺は秋さんを愛してる。俺の気持ちはずっと変わらないよ」
蓮は落ち着いていた。
お父さんの言葉に憤慨するとか激高するとかそういうのではなく、ずっと落ち着いていた。もし前者だったら、図星をさされたからか、と俺はまた不安になっていたかもしれない。
「お前は昔、役に入り込みすぎてなかなか抜けだせなかったことがあるな」
「…………なにが言いたいの」
「ずっとドラマの役を引きずってるだけじゃないのか?」
お父さんの言うことはなにもかもが的を得ている気がして怖い。
反対だと激怒されるほうがまだマシだった……。
「そんなことは父さんに言われなくても、もう自分でさんざん考えたよ」
「え……」
そんな話は初めて聞いた。役を引きずってるのかもと思ったことがあったのか、と驚いて蓮を見る。
それでもまだ蓮は落ち着いていた。俺の手をぎゅっとにぎり直して俺を安心させてくれた。
「さんざん考えて、逆だったって気づいたんだ」
「逆、とは?」
「役を引きずってるんじゃなくて、秋さんを好きな気持ちを引きずったまま演じてた。役に完全に入り込めていなかった。あのドラマでの俺は、役者としては失格だったんだ。でもそれくらいなんだよ。大好きな仕事がまともにできなくなるくらい、秋さんが好きなんだ」
やばい、涙がにじんできた。だめだ、泣くな俺。そう言い聞かせて必死でこらえた。
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