145 / 173

神宮寺家 3

 蓮の家に着くと「先行っててー」と言うお姉さんに甘え、先に二人で家に入った。  玄関では、おっとりとした雰囲気の、蓮の親だと瞬時にわかる柔らかい笑顔のお母さんに出迎えられた。俺よりも小柄で可愛い感じだ。   「蓮、おかえり。本当に久しぶりね?」  しゃべり方はとてもゆっくりで、言葉がふわふわと優しく響く。   「うん、ただいま、母さん」 「ちょっと大人っぽくなったんじゃない?」 「そんな半年くらいで変わんないよ。母さん、こちらが秋さんです」  蓮に紹介されてドキドキしながら頭を下げた。   「初めまして。久遠秋人です」 「まあ、秋人くんっ。わぁ、テレビよりすごく綺麗ねぇっ。いらっしゃいませ。お正月にわざわざごめんなさいね」 「こちらこそ、突然お邪魔してしまいましてすみません」  全然戸惑う感じがないことに驚いた。あれ、お姉さん本当に話したのかな。もしかしてお母さんは聞いてない……? 「母さん。秋さんが菓子折りを用意したいって言ったのに姉さんがいらないからーって言って、どこにも寄れなかったんだ」 「いいのよ、そんなの。楓が正解。あれ、楓と雫は?」 「いま雫を降ろしてるよ」  お母さんと話しながらの蓮に背中を押され中に入る。  俺の実家のときと同様に手土産も用意できなかった。本当に申し訳ない。あのときの蓮の気持ちが痛いほどわかった。  通されたリビングには雫ちゃんのパパ、お兄さんがのんびりテレビを見ていて「ああ、どうもどうも」という感じのゆるい挨拶を交わした。   すると、待ちわびていたというように、すぐに奥からお父さんがやってきた。蓮と同じくらいの身長でスラッとしている。  大学教授だというお父さんは、蓮から聞いていたイメージそのままで、少し気難しそうな頑固そうな、芯の強そうな人だなと思った。  お父さんは向かいのソファに座るなり俺に言った。 「君が秋人くんか。さて、詳しい話を聞かせてもらおうか」    さっそく本題に入るようだ。俺たちを見るお父さんの表情が硬い。  お兄さんはテレビを消して、奥の食卓テーブルに移動した。  どうなっても大丈夫、怖くない。そう思っていたのに、緊張でいまにも心臓が口から飛び出しそうだった。  俺が覚悟を決めて口を開こうとしたとき、蓮が先に話しだした。 「父さん、ここは大学じゃないよ? 秋さんは父さんの生徒でもない。初めて会うのに挨拶もないの?」    蓮がめずらしく眉を寄せている。  さっそく不穏な空気になり始めて俺は焦った。  蓮、いいよ。挨拶なんて俺だけすればいいじゃんか。 「あの、初めまして。久遠秋人と申します」  俺は深々と頭を下げた。そしてすぐに顔を上げて続けた。 「お正月でゆっくりお休みのところ、突然お邪魔をしてしまい申し訳ありません。今日は――――」 「あきとー! れんくんも、あそぼー!」  挨拶の途中でリビングのドアが開き、雫ちゃんが勢いよく入ってきた。そして、いい意味で空気を壊してくれた。  お父さんと蓮の間に走っていたピリピリとした空気が一瞬で消える。 「じいじ、あきときたよ! れんくんのかれし、やっぱりかっこいいねっ」 「雫。ママはどうした?」  お父さんが雫ちゃんに問うと同時に、お姉さんもやってきた。 「ただいまぁ。雫下ろすの手こずっちゃった。あれお母さんは?」 「楓。雫を連れてちょっとどこかに行ってなさい」 「え?」 「ここに雫がいてはだめだ」 「は? え、なんでよ」  お父さんの言葉を聞いて雫ちゃんが声を上げた。 「なんでだめなのっ? しずくあきととあそぶのっ!」  雫ちゃんが俺の元に駆け寄って、ぎゅうっと足にしがみつく。 「雫ちゃん……」  必死で足にしがみつく小さな手を撫でると、今度はその手をぎゅっとつかんできた。  ああ癒やされる。ずっとここにいてほしい。  するとお父さんは、さっきとは違う柔らかい表情で雫ちゃんを見て呼びかけた。 「雫。ちょっとおいで」 「やだっ。じいじ、だめっていった。きらいっ」 「雫、じゃあそのままでいいからちゃんと聞くんだよ。いまからじいじが、大事なことを言うから」 「だいじなこと? なぁに?」 「雫。蓮と秋人くんは恋人じゃないんだ。秋人くんは、蓮の彼氏じゃないんだよ」  俺たちがまだなにも言う前に否定されてしまった。  落胆して血の気が引いていく。 「ちょっとお父さんっ」 「楓は黙ってなさい」  また厳しい表情で、お父さんがお姉さんを黙らせる。   「れんくんとあきとは、こいびとでしょ? かれしでしょ?」 「違うんだよ。あれはドラマと言ってね、雫がみんなとよくやる、おままごとと同じなんだ。お芝居って言うんだよ。本物じゃないんだ。わかるかい?」 「おままごとなの? ほんものじゃないの?」 「そうだよ。雫はちゃんとわかってえらいね。蓮と秋人くんは、本当はただの友達なんだ」 「ふたりは、ともだちなの? しずくと、りんちゃんと、にこちゃんみたい? ともだち?」  じっと目を見つめてくる雫ちゃんに、どう答えていいのかわからなかった。  困ってお父さんに視線を向けると、そうだと言え、という意味なのか、うなずかれた。  蓮を見ると、かなりショックを受けてるようで呆然とした様子で視線が定まっていない。  うん友達だよ、という言葉は口には出せなかった。  俺はまだ……まだなにも話をさせてもらえてない。 「……さて、雫。ちょっとじいじ達は大人の話があるから、少しだけ別の部屋で遊んでおいで。楓、しばらく二人で外してくれ」 「お父さんっ。お父さんがそんな人だなんて思わなかったっ。がっかりよっ」 「楓。雫の前ではやめなさい。文句はあとで聞く」  ああどうしよう。俺たちのせいでせっかくのお正月が台無しだ……。申し訳なくて胸が痛い。  雫ちゃんがなにかを感じ取っているのか、つないだ手にぎゅっと力がこもって、不安そうな顔でお姉さんとお父さんを交互に見ている。 「雫、パパと公園に行こうか」  お兄さんが立ち上がってこちらに来る。  でも雫ちゃんは俺から離れず、さらにしがみついた。   「いやっ。あきととあそぶっ」 「雫。秋人くんはじいじと大事なお話があるんだって。秋人くんにはあとで遊んでもらおう?」  お兄さんはそう言うけれど、この感じだと雫ちゃんとは遊べないだろう、そう思った。  でも、遊べるといいなという願望で、雫ちゃんに聞いた。 「雫ちゃん。もしあとで一緒に遊べるとしたら、なにをして遊びたい?」 「えっとねっ! えっとねっ! おかいものごっこがいいっ!」 「お買い物ごっこかぁ。いいね。じゃあ、雫ちゃんがいい子で待っていてくれたら、あとでいっぱいお買い物ごっこで遊ぼうか」  「ほんとっ?! うんっ! しずくいいこでまってるっ! あのねっ、ママがつくってくれたのっ。おやさいと、くだものっ。あとドーナツと、パンもあるよっ」 「すごいね、楽しみだな。あとで遊ぼうね」  もし遊べなかったらごめんね……。心の中で謝った。  でももしそうなっても、今度絶対に雫ちゃんのお家に遊びに行くからね。    「うんっ! ねぇパパ、おうちかえろっ。おかいものごっこもってくるっ」 「よし、そうしよう。行こうか」 「うんっ」    お兄さんは雫ちゃんの手を引いて「僕が行くから。楓は蓮くんのお姉さんなんだからここに残って」と言ってリビングを出て行った。

ともだちにシェアしよう!