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第1話 地獄で仏
仕事に煮詰まって気分を変えたい時にとる方法は、人それぞれあるだろう。大島 怜 の場合は、自分の席を離れて、会社のフリースペースで、大きな窓から外の景色を見ることだ。
今日も窓際のカウンター席でノートパソコンを広げ、開発者コミュニティサイトを眺めながら考えを巡らせていると、後ろからマネージャーの話し声が聞こえてきた。
「ゲームエンジニアとして入社してもらった春田 君に、いきなり火消しを頼むのは心苦しいんだけどね。エンタープライズレベルのシステム開発経験があるって聞いて、ぜひ君に、基盤チームの助っ人をお願いしたいんだ。本務部署のマネージャーからも、聞いてると思うけど」
「はい、聞きました。どれくらいお役に立てるか分かりませんが、使っていただけるなら、喜んでやらせていただきます」
(あぁ……。マネージャーが、『他部署の中途入社社員の経歴がドンズバだから、うちの助っ人に借りよう』って、珍しくフットワーク良く根回ししてくれたんだった。まぁ、スケジュールが遅れて上から怒られるのは、僕だけじゃなく、マネージャーも一緒だもんな)
薄く皮肉な笑みを口元に浮かべていると、パーティションの向こうから、マネージャーが見慣れない男性を連れて、怜に近づいてきた。
「大島、こちらが春田君。助っ人に来てもらった中途入社社員。春田君、こちら基盤チームリーダーの大島君。二人とも、大手システムインテグレーター出身だから、話も合うと思うよ。仕事の内容とかは、大島君に聞いて? じゃ、大島。あとはよろしく」
マネージャーは怜の肩をポンと一つ叩くと、踵を返した。
「春田 真人 です」
彼は、控え目な笑みを浮かべながら、右手を怜に差し出した。百八十センチほどの長身で、怜にとっては見上げるほどだが、比較的細身なので圧迫感はない。焦げ茶色で柔らかそうな髪は前髪が長く、斜めに分けられている。垂れ目気味で大きな二重の目、厚めの唇と、顔のパーツは大ぶりだが、顔自体が小さく細面なため、品が良く温厚そうに見える。ストライプのシャツの上にライトブルーの薄手のセーターを着ている。カジュアルなドレスコードの会社だが、流石に初日なので小綺麗にしてきたのだろうか。
(……ムカつくくらい、ハンサムだな。それに、握手は普通、目上から求めるものじゃないのか?)
一瞬、怜は思ったが、口数が多くないのは好感が持てたので、素直に握手に応じることにした。
「大島 怜です」
「ああ。その字、リョウさんって読むんですね。てっきり、レイさんかと」
彼は、首から下げている社員証を目ざとく読んでいたらしい。
「この漢字でレイって読む、女性芸能人がいるからね」
「ええ。才色兼備な」
(あなたもそんな風に見えます、ってか? ふん、これだからイケメンは。調子ばっかり良いんだから。ていうか、握手長すぎだろ。……こいつ、もしかして『こっち側』か?)
手を握りながら、真人は如才なく誉め言葉を口にしたが、これまで幾度となく美人で高学歴の女性タレントを引き合いに出されてきた怜は、眉一つ動かさず、素っ気なく彼の手をほどいた。握りこぶしに立てた親指で自分の背後を指差す。
「……基盤チームのメンバーを紹介するよ。こっち」
怜は、真人より少し背が低く、更に細身だ。前髪は、おろせば目を隠すほどの長さだが、軽くワックスで後ろに流して散らしている。大きな丸形フレームの眼鏡は、その大きな瞳を隠そうとする鎧のようだ。日本人には珍しい、緑色がかったヘーゼルカラーの瞳は人を惹きつけるが、本人はそれについて触れられるのを嫌っている。鼻や口が小さく額が広い、いわゆる子どもっぽく見える顔の作りだし、痩せていることを気にしてオーバーサイズの服を着ているので若く見られがちだが、今年で三十歳になる。ちなみに、ゲイセクシュアルだ。ただし社内ではカミングアウトしていない。
真人は三歳年下だと、事前に聞いていたので、遠慮なく敬語なしで呼び掛ける。
怜と真人が勤めるのは、まだ歴史の浅い、伸び盛りのエンターテインメント企業だ。ゲーム事業も、そこそこ市場で認知されている。
「基盤チームっていうのは、ハードウェア、ミドルウェア、ネットワーク、セキュリティ。そういうリアルな足元と、開発環境の維持。それと、ゲームの共通機能部のソフトウェア設計・開発・維持がミッションね。今、まさに、共通機能部を刷新するプロジェクトの最中なんだけど、認証とか課金とか、そのあたりに強い技術者がいなくて苦しんでたんだ」
チームメンバーの集まる部屋に向かいながら、簡潔に説明する。
「強力助っ人が来てくれたぞー!」
声を張りながら怜が先頭に立って居室に入ると、重低音の歓声が上がった。
「うおー!」
「やったぜえ!」
ちょっと驚いたように目を丸くして居室を見まわしている真人に、怜は、ニヤリと悪い笑みを浮かべて言い放った。
「基盤チームには、野郎しかいないから。この会社の女性比率からすると、異様な部署なんだけど。悪いけど、リリースまでは頼むわ」
(もしかしたら、こいつも男が好きかもしれないけどな)
そんな内心は、鉄壁のポーカーフェイスで隠し切る。
居室内の打合せ卓に二人で腰掛け、大型ディスプレイに自分のパソコンを接続しながら、怜は幾つか真人に質問した。
「前職はシステムインテグレーターだって聞いたけど、どんなプロジェクトやってたの?」
「殆どウェブのシステムです。ショッピングサイトとか、予約サイトですかね。学部時代と修士に機械学習やってたんで、AI組み込んだシステムの提案も少しやりました」
「へえ。じゃあ、git ciとか使える?」
これまで全くニコリともしなかった怜の声のトーンが上がり、自分に興味を示してくれたと思ったのか、真人は少し能弁になった。
「ええ、使ってました。……学生時代からものづくりが好きで、プログラミングばっかりやってたので。人事には、ひたすらそれをアピってました」
怜は表情を和らげ、無言で頷く。旗色の悪い前線に、戦闘経験が豊富で屈強な兵士が援軍に来たような希望で、胸が躍っていた。
(確かに、この経歴なら。ホントにコードが書けたら即戦力だ)
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