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第2話 蓼食う虫も好き好き

「春田君には、認証とか権限管理を担当してもらおうと思ってるんだけど、まずプロジェクトの概要について説明するね」  表情を引き締め、自分のノートパソコンを開いた真人は、怜の説明に集中している。途中で、何か質問はないかと怜が尋ねると、真人は真剣に怜を見つめた。 「……ユーザーデータベースの設計は、現行と同じですか?」 「変えない予定だよ。そこを(いじ)っちゃうと、影響が大きすぎるからね」  納得したように頷く真人に、怜は内心、良い着眼点だと舌を巻いていた。 「他に何か質問は?」 「移行の担当者はいるんですか? 体制図から読み取れなかったので」 「……僕も、専任の担当が必要だと思ってるんだけどね。僕個人の認識を正直に言うと、専任のチームや担当者の必要性が、プロジェクトとして共有されてない」  旧システムから新システムに必要なデータを移植する作業の担当がいないことを早々に指摘され、痛いところを突かれたと、怜は内心忸怩(じくじ)たる思いだった。奥歯を噛み締め、両手の指を強く組む。 「大規模なシステムを持ってて、それを作り替える経験がないと、移行の大変さや重要性は、なかなか分からないですよね。……微力ですが、お手伝いします」  口元には薄く笑みを浮かべているが、来るべき戦いの困難さを理解し覚悟を決めた、歴戦の勇者の色をその目は(たた)えている。  怜は、真人を同じ船に乗った仲間と認め、初めて冷やかしでない笑顔を見せた。 「大島さん、全体会議始まりますよ」  サブリーダーの杉山に声を掛けられ、怜は真人に目配せをして立ち上がった。 「これまでは僕と杉山の二人で出てたんだけど、これからは、春田君にも出てもらおうと思ってる。基本、進捗報告だから。今日は聞いててくれるだけで良い。終わったら、何が分かんなかったか教えて。説明するから」 「……それで、開発基盤の進捗遅れは、リカバリしてないんだな」  エグゼクティブ・プロデューサーは、凄みすら感じさせる低い声で、じろりと怜と杉山を睨みつけた。あまりの威圧感で、会議室の中では、報告者以外は物音ひとつ立てない。彼の裏でのあだ名は『将軍』だ。ゲーム業界の激しい荒波を潜り抜けてきた猛者中の猛者としてヘッドハントされてきたので、社長ですらゲームに関しては将軍に意見が言えないとの専らの噂だ。その彼への進捗報告の場である全体会議は、『御前(ごぜん)会議』と密かに呼ばれている。 「現行から引き継ぐ予定のモジュールのうち、幾つかが、新バージョンのエンジン上でうまく動作しないんですが、エラーの再現性がないんです。現行モジュールが再利用できれば大幅に生産性が上がります。なるべくそのまま持っていけるように、杉山君が原因究明してくれています。メーカー側も、通常のヘルプデスクではなく、開発者が直接対応してくれるようになって、一緒にトラブルシュートし始めています」  怜は、部下である杉山を(かば)った。元々、性格が内向的な杉山は、将軍から圧を掛けられると、まるで蛇に睨まれた蛙のように冷や汗をかいて黙り込んでしまう。 「現行のまま行くのはどうなんだ」 「現行バージョンは、もうすぐ販売終了します。あと一、二年でサポートも打ち切られることを考えると、今、問題究明しておいたほうが良いと思います」  怜の進言に、顎に手を当てて少し考えた後、エグゼクティブ・ディレクターは、重々しく宣言した。 「来週の全体会議では、メーカー開発者の見立てと、それに基づく検証作業の結果が出ていたら報告するように。……じゃあ、次はデザインチーム」  今週は何とか将軍の追及に耐え抜いた。怜と杉山は思わず肩を撫で下ろした。 「それでは、入社早々、基盤チームの助っ人に来てくださった春田さんの歓迎会を始めたいと思います! チームリーダー、挨拶と乾杯をお願いします」  若手に促され、怜はジョッキを手に立ち上がった。 「春田さん、ようこそ基盤チームへ。全体会議でも分かったと思うけど、弊社のゲーム事業部には、けっこう若い女性がたくさんいます」  おどけた怜に、一同は、どっと笑った。 「……なのに、野郎ばっかりで、しかも進捗ヤバみの基盤チームに来ちゃって、マジか! と思ってるかもしれません。でも、逆に言えば、気楽に過ごせて、色々面白いチャレンジもできると思うんで、よろしくお願いします。乾杯!」  メンバーたちは重低音の乾杯の声をあげ、さっそくリラックスした雰囲気だ。 「春田さん、今日の全体会議どうでした?」 「会議室に向かう大島さんと杉山さんの背中に、緊張感が(みなぎ)ってたんで、そんな怖い会議なのかなぁって漠然と思ってたんですけど。……怖かったです(笑)」  正直に怖かったと口に出せて、しかも真人は笑顔だ。そんな彼を見、きっと前職で修羅場をくぐった経験があるのだろうと推察しながら、怜はジョッキを傾けた。 「あー……。基盤チームは今、一番のやり玉ですからねぇ。でも、大島さんカッコ良かったでしょう?」 「ええ、そうですね。部下を守って、毅然としてて」  人懐っこい若手が真人に絡んでいると、横から杉山が割り込んだ。 「ところでさぁ、すごかったよ。春田君が会議室入った瞬間、女性陣が色めきたっちゃって。『これが噂のイケメン中途社員ね!』って、すごい勢いで目配せし合って。舌なめずりする雌豹(めひょう)の群れみたいだったな」  杉山の言葉に真人は苦笑し、他のみんなはどっと湧いた。その後は、真人の経歴やプライベートについて質問したり、各メンバー同士が和気あいあいと(いじ)り合ったり、新しいチームの船出にふさわしい温かい雰囲気になった。フットサルが趣味だと話し、早速、会社のフットサルチームに入らないかと勧誘されている。スタイルも顔も良い彼は、学生時代、男性ファッション雑誌のモデルをしていたと分かり、怜を含めて全員が納得した。 「ねえ春田さん。うちの社内って、けっこう可愛い子が多いと思いません?」 「うん、そうだね」  酒に弱い若手は既に赤ら顔だが、真人は嫌な顔もせず、話に付き合ってやっている。 「今日会った人の中だと、誰が一番タイプですか?」  がやがやと歓談していた周りのメンバーも、その声で一斉に真人を振り向いた。興味津々といった表情で、彼の返事を待っている。 「……大島さんかな」  真人は茶目っ気ある笑顔で、ちらりと怜の顔を眺める。意表を突かれ、一瞬ポカンと口を開けた若手は、真人と怜の顔を交互に見やる。 「え、大島さんって……、うちのチームリーダーの?」 「うん」  真人は涼しい顔だ。周りのメンバーは、「おおお……」と低いうなり声をあげた。

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