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第3話 機を見るに敏
「へぇえええー。春田さん、”そう”なんスね?」
少し面白がるような気配も声に滲んではいるが、若者が多く自由な社風のこの会社では、ゲイセクシュアルやバイセクシュアルをオープンにしている社員も少なくない。だから、マイノリティに対しても、あからさまな嫌悪感や侮蔑を表す社員は殆どいない。真人は質問に答える気がないようで、無言のままニコニコしている。若手は、ターゲットを真人から怜に変える。
「大島さーん! 春田さんは、大島推しですってよー」
今度は、みんなが怜に注目する。
「悪いけど、部下とはデートしない主義なんだ」
肩を竦め、困ったような笑みを小さく浮かべて答えると、真人を除く全員がどっと笑った。確かにこれは気の利いた返しだと、普通は思うだろう。
飲み会が終わり、三々五々に解散する。真人が怜に近寄ってきた。
「大島さん、三軒茶屋 ですよね? 俺、池尻大橋なんで、一緒に帰らせていただけませんか」
「……酔い覚ましに歩こうと思ってたんだけど」
「ああ、俺も歩きますよ」
遠回しに付いてくるなと断ったつもりだが、彼は気づいていないのか、平然と怜に付いてくる。ワンブロック歩いて、他の社員たちの声も聞こえなくなったところで、何の前置きもなしに彼は切り出した。
「部下とはデートしないってことは、男の俺でも、部署が変われば可能性あると思って良いですか?」
「そんなこと、部下に言う必要ないだろ。ましてや初対面で。失礼だと思わないのか?」
ムッとして条件反射で答えたが、『あれは冗談だ』と笑って躱 すべきだった。怜は瞬間的に後悔した。真人は、したり顔で深く何度も頷いている。
「やっぱり大島さんは、上司部下の関係ではダメなんですね。初対面からグイグイ来られるのも嫌いですか? こんなに好みの人、絶対逃したくないです。だから最初から必死ですけどね、俺は」
プロジェクト概要説明を受けている時と同じくらい、真人の表情は真剣だ。からかっているわけではなさそうだ。ならば、こちらもハッキリ思ったことは言ってやろう。怜は冷ややかな流し目で一瞥し、きっぱり言い放つ。
「顔だけで寄ってくるような奴は好きじゃない」
「なるほど。大島さん綺麗だから、初対面で顔だけ見て言い寄って来る手合いにはウンザリなんですね。でも俺は、大島さんのこと顔だけじゃないですよ。それだけで入社初日に上司口説くほど、軽くはないです」
結局、真人は自分の駅を通り過ぎて、怜をマンションの前まで送り届けてから引き返していった。ただでさえ難局を迎えているプロジェクトに疲労困憊 しているうえ、助っ人に現れた有能そうなイケメンに口説かれ、怜は混乱しながらも、アルコールのせいで程なく眠りについた。
着任翌日から、真人はバリバリ与えられたタスクを進めた。それだけでなく、基盤チームで最大の難関になっていた、開発環境用ソフトウェアのバージョンアップに関しても、自発的にフォローし始めた。
「杉山さん。メーカーの開発者と、コミュニケーションうまく取れてますか?」
「あー……。俺、英語苦手でさぁ。電話だと辛いんだけど、メールのやり取りだと時間かかるよね……」
「技術的にはどうです? 聞いたことに正しく答えてくれてます?」
「うーん……。すぐ、何でもできるって言ってくるんだよ。ガイジンってそういうもん? 俺、あんまり海外とやり取りした経験がないから、分かんなくて」
「もし、良かったらですけど、俺、よく知ってる開発者いるんですよ、あの会社に。その彼に聞いてみましょうか? 前職で同じ製品使ってたので」
「えっ、マジで! お願いして良い? 助かるわー」
真人が知っている開発者は、技術的にも明解で的確なアドバイスをくれたらしい。何より信頼関係がある真人が間に入っているので、コミュニケーションが非常にスムーズだと、杉山は文字通り泣いて喜んだ。
一方、真人は歓迎会の後、怜に対して殊更に色目を使うことはなかった。あくまで部下として、節度を保ち礼儀正しく振舞っている。初日から言い寄ってきたことを考えると、意外だった。
(公私のけじめは付けますよ、ってこと? ふうん……。その辺は大人じゃん)
ただ、ふとした時に視線を感じて目を上げると、真人が、同僚を見つめるのとは全く違う表情で怜を食い入るように見ていることは、たまにあった。それを認めるのは、気持ちを受け止めているよ、と言っているようで気恥ずかしく、気づかないふりをしていたが。それに、仕事に集中し始めると食事を忘れる怜に、弁当やおにぎり、スムージーなどをさり気なく差し入れてくれるのも真人だった。一度など、仕事にハマった時の癖で休憩室のソファで仮眠していたら、いつの間にかすっぽりと彼の毛布に包まれていたこともある。
「いつどこでも寝れなきゃ、システム開発はやっていけないじゃないですか。……それに、ここに置いとけば、急に思い立ってキャンプ行けますし」
そんな風に冗談めかして、彼は寝袋と毛布を職場のロッカーに常備しているのだ。
彼の毛布に包まれると温かくて気持ち良くて、普段会社で仮眠する時に比べて、格段によく眠れた。首を竦めて毛布の中に潜り込むと、ふんわり彼の匂いがした。
(えっ! これ……。春田に抱き締められてるみたいだ。あいつ、僕の寝顔見たのかな……。もーヤダ! 恥ずかしすぎる!)
自分の頬が熱を持つのに気づいて怜は慌てたが、今は毛布に埋もれているから誰にも見えないことを思い出し、安堵の溜め息をついた。
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