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第4話 甘いものには蟻が付く

「……この毛布、春田のだよね? 貸してくれて、ありがとう」  寝顔を見られた気恥ずかしさを誤魔化そうとするあまり、ぶすっとした表情で、怜は真人にお礼を言った。 「いえ。余計なお世話かとも思ったんですけど、昨夜けっこう寒かったし。大島さん、毛布掛けたら、自分で身体にぐるぐる巻きつけてたんで、やっぱり、寒かったんでしょうね」  真人の微笑みは、会社に泊まり込んで働く同僚へのいたわりだけだけでなく。憎からず思っている相手を自分の毛布で包んでやってキュンとした胸の高鳴りでコーティングされていて、猛烈な甘さだ。ウグッ、と怜は頬を赤らめ、素っ気なく彼に毛布を突き出した。 「へー、春田さん優しいー! 俺、大島さんが仮眠してるとこ、見たことないんですよ。野生動物と同じで、寝てるとこ人に見せないってイメージ(笑) 春田さん、大島さんの寝顔見ました? どんなでした?」  面白がって若手が寄ってきたが、真人は、さらっと受け流した。 「見たよ。でも、俺だけの秘密。誰にも教えない」 「う……っわ~。ご馳走様です」  からかわれても、敢えて素のままという高度な返しに、若手も呆れて自分の席へ大人しく戻っていった。  二十代の多い若いチームに、真人はあっという間に溶け込んだ。それは服装だけ見ても明らかで、入社初日こそ、少しドレッシーな出で立ちだったが、今では他のメンバー同様、Tシャツと柄物シャツの重ね着にコットンパンツなど、カジュアルを着こなしている。今日はボーダーのTシャツだが、広い肩幅や筋肉が薄く付いた胸が分かるくらい、身体に程良くフィットしている。たくし上げた袖口から覗く腕も逞しく、ランニング用の大ぶりな腕時計が良く似合う。なかなか良い身体をしていると、彼を性的な目で見ている自分に気づき、怜は一人赤面した。  その夜、今日はちゃんと自宅に帰って寝ようと、仕事を適当なところで切り上げて会社のビルを出ると、怜は、背後に人の気配を感じた。はっと振り向くと、ビルの谷間に、密着する一組の男女がいた。タイトスカートにハイヒール、ロングヘアの女性には、見覚えがある。ゲーム事業部のグラフィックデザイナーだ。  彼女が口づけを交わしている背の高い男性は――真人だ。女性の肩に添えられている腕は、ボーダーTシャツに包まれており、見覚えのある腕時計をはめている。  顔や頭の血が逆流する音が聞こえるようだ。カーッと顔は熱くなり、こめかみがズキズキと脈を打っている。怜は、足早にその場を立ち去った。普段は歩いて帰るのだが、あまりに動転していたので、転んだり自動車に轢かれたりしかねないと思い、電車に乗った。こんな時でも、ああ、自分は苛々しているな、と冷静に自分を外から観察していることに苦笑し、唇の両端を持ち上げたら、頬の筋肉に押された目じりから涙がこぼれ落ちる。 「何だよ、それ……」  怜は弱々しく独り言ちた。  お前は、僕が好きだと言ってたじゃないか。  なのに、誘われたらホイホイと、誰とでもキスするのか。  それとも、もう僕のことなんか好きじゃなくて、あの子のことが好きなのか。  真人を問い詰められるなら、言ってやりたいことは、次から次へと思いつく。だが、部下とは付き合わないと最初に釘を刺したのは、他ならぬ怜自身だ。ファッション誌のモデルをするほどルックスに恵まれた男を、周りが放っておかないのも、痛いほど良く理解できる。  帰り道をどう通って来たのか、まるで記憶がない。気が付けば、自分の部屋のドアに背中を(もた)せかけて、頬を涙でぐちゃぐちゃに濡らしていた。  上司部下の関係性に囚われて、真人を恋愛対象として好きになっていたのに、ちゃんと意思表示しなかったんだから、自業自得だ。悔恨で唇を噛みしめ、怜はその夜、枕を涙で濡らした。  翌朝は、さすがに瞼のむくみがひどかった。シャワーを浴び、蒸しタオルで目を温めて幾分マシになったところで、何事もなかったような顔で出社した。ただ、眠りが浅かったからか、どうも頭が冴えず、プログラミングが進まない。苛々と爪を噛み、お尻の収まりが悪いと言わんばかりに、社内のあちこちに席を移動した。いつもなら、フリースペースの窓際に座れば落ち着くが、今日はどんより曇り空だからか、気分は冴えない。残業時間に入ってしまった。怜は自分の首筋や肩を揉みほぐしながら、深い溜め息をつく。 「お疲れ様です」  その時、温かい缶コーヒーを、怜の肩に載せてくれたのは真人だった。おお……うう……と言葉にならない返事をすると、こわばった肩の筋肉をマッサージするように、缶を何度もシャツの上で転がす。そして、指先で温度を確かめて、怜に手渡した。 「これくらいの温度なら飲めます?」  部下が飲み物を買ってくれ、身体をいたわってくれたのだ。チームリーダーとしては、笑顔でお礼を言うべきところだろう。頭では分かっていたが、昨日のキスシーンが鮮烈に脳裏に甦り、彼の顔を見ることができない。 「……なんで知ってんの? 猫舌だって。言ったことないよな?」  まるで彼を責めるような、憮然とした言い方になってしまう。可愛くないと自分でも分かっているが、憎まれ口が止まらない。 「見てれば分かりますよ。熱いの飲むの、いっつも大島さんが最後ですもん」  そう言いながら怜を見つめる真人の眼差しは眩しそうで、甘さが滲んでいる。  くすぐったいような嬉しさはあるが、昨日のことを思うと素直に喜べない。結局、怜は、ぶうたれた表情のまま、一応「いただきます」と形ばかりにお礼を述べ、貰ったコーヒーを飲む。 「大島さん、腹減りませんか? ちょっとコンビニか牛丼でも行きません?」  コーヒーを飲み終わるタイミングを見計らい、真人は首を傾げて怜を覗き込んでくる。 「いや、腹減ってないし」  にべもなく断った瞬間、ぐうと腹の虫が鳴いた。口よりも、よほど正直だ。怜の顔は火を噴く。真人は、笑ってはいけないと口をへの字に曲げ、視線を逸らして(こら)えている。 「……やっぱ、減ってるみたいだから、行っても良いけど?」  肩をそびやかし、つんと顔を上に向けて、虚勢を張る。 「やったあ。じゃあ行きましょう」  真人は素知らぬ振りで、愛想の良い笑顔を浮かべる。 「ラーメンが食べたい。○○屋の」  気まずさを誤魔化すように、怜は、食べ物に話題をずらした。

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