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模武たちの平行線 (4)

 翌日は、どんよりとした曇り空だった。  天気予報にはいくつもの傘マークが踊り、空気は重く、濡れている。  それなのに、神崎室長はものすごく元気だった。  昼休みのチャイムが鳴り始めたと思ったら、『キーンコーンカーンコーン』の『キーンコ……』のところでガバッと立ち上がり、傘立てからいつから置いてあるのか分からない白い持ち手のビニール傘を二本引っつかみ、エレベーターへと猛ダッシュ。  二人きりの庫内で全身をソワソワさせながら一階にたどり着くまでの数秒間を絶え、ディンっという音と同時に扉を無理矢理こじ開けて、またダッシュ。  待ち列ができる直前に目的の店に滑り込み、残っていた2つの椅子を確保したところで、室長は、必死に追いかけていたオレをようやく振り返った。  絶え絶えになった息を落ち着かせようとするオレの向かい側で、室長は平然としている。  マジか。  けっこうな湿度の中を、けっこうなスピードで、けっこうな距離をダッシュしてきたはずなのに。 「いらっしゃいませ」  差し出されたメニューには、3つしか選択肢がなかった。  周りを見渡すと、OL、OL、OL、OL、OL、OL、OL、OL、OL……と、時々すぎるサラリーマン。  質より量より何より、提供時間が優先される仕事人の昼休みのため、メニュー数を限定してるんだろう。 「よし、決めた」  室長はたっぷり30秒くらい悩んだ後、店員を呼んだ。 「Bランチひとつください」 「オレはAで」 「かしこまりました」  おしぼりで手を拭きながら、改めて店内を見回す。  ナチュラルウッドを基調にした家具が多く、目に優しい印象だ。 「室長、ここ来たことあるんすか」 「うん、何度か。混んでて諦めることも多いけど、今日は入れてよかった」 「へえ……」  会話が終わった。  なにを話したら良いのか分からない。  出世を狙うならしておいても損はない相手だろうし、OJT期間の業績評価者はこの室長だ。  コミュ力の高さをアピールしておきたいと思うのに、一緒に盛り上がれそうな話題がなにも思いつかない。  居心地の悪い沈黙が漂ってオレはソワソワしたけど、室長は特に気にした様子もなく、水を飲んでいる。  コップに添えられた左手の薬指できらめいたのは、シルバーのリング。 「室長、結婚してるんすね」  しまったと思った時には、もう全部口から出ていた。  室長はコップに口を付けたまま、目を見開いて固まってしまう。  でも、オレの視線が薬指に集中しているのに気づいて納得したのか、脈絡なくプライベートに踏み込んでしまったことを咎めることもなく、ただ首を横に振った。 「いや、してないよ」 「え、じゃあ彼女すか」 「ううん、違う」 「じゃあ、なんで薬指に指輪なんか……」 「彼女はいないけど、恋人はいる」 「……は?」  室長は、ひょいっと眉毛を上げてみせた。  どういうことだ?  彼女はいないけど、恋人は……って、もしかして、 「男……?」 「うん」  クイズ番組の司会者のように、室長はにっこりと笑った。  予想外の展開についていけずに、脈拍が乱れる。 「え? ていうか、そんな簡単にカミングアウトして良いんすか……」 「別に悪いことしてるわけじゃないだろ」  いや、そりゃそうだけど。  オレなら、打ち明ける相手はもっと慎重に選ぶと思う。  相手を間違えれば弱みを握られることになるし、少なくとも、出会って二ヶ月にも満たない新入社員に言うことじゃない。  全然納得いってないオレの前で、室長はあくまで平然と言ってのける。 「模武鴨くんは言いふらしたりしないだろ?」 「オレがバイだからすか」 「えっ?」  あれ。  もしかして、知らなかった? 「あー……いや、そういうことじゃなくて、悪い子じゃなさそうだから」 「はあ……?」  そりゃ、お前は悪人かって聞かれたら違うと答えると思うけど、良い人かと聞かれても、違うって答えると思う。  今まで自分最優先で生きてきた自覚はあるし、人間はみんなそうあるべきだと思っている。  一度きりの人生なんだ。  自分のために生きることは、悪いことじゃない。

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