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続・じゃない人たちの、一方その頃。

「お疲れ様でした」 「おう、お疲れ。気をつけてな」  角を曲がる赤羽(あかばね)さんの背中を見届け、大きく身震いする。  日が落ちると、一気に気温が下がるようになった。  昼間がまだ暖かい分、寒さがより身に染みる。  思わずほうっと息を吐くと、乳白色の小さな塊になって可視化された。  ふよふよと漂う行き先を見守っていると、なにかに当たってあっという間に消えていく。 「お疲れ」 「理人(まさと)さん!」  左手を上げたのは、もうとっくに家に帰っているはずの理人さんだった。  朝別れた時のスーツ姿のまま、小走りで駆け寄ってくる。 「どうしたんですか。もしかして、今帰り?」 「うん」 「残業ですか?」 「あー、それもある。けど、一緒に帰りたかったから」  そう言うと、理人さんは俺の左手を取った。  おかしい。  辺りが闇に包まれているとは言え、まだ人通りの少なくない時間だ。  いつもなら、絶対に自分からこんなことしないのに。  動けない俺のことなんておかまなしに、理人さんは指と指の間をひとつずつ埋めていく。  冷えた指先が手の甲に触れると、絡み合った手を持ち上げ、薬指で輝く指輪を愛おしそうに眺めた。 「あの、理人さん……?」 「今日、後輩の女の子に告白された」 「は……?」 「家庭の事情で退職するらしくてさ。今日が最後だから、未練残したくなかったんだって」 「そう、ですか」 「それで俺に『一度だけ抱いてくれ』って」 「はあッ!?」  え、は、えぇッ!?  抱いてくれ!?  嘘だろ!?  いや、俺だって理人さんがモテ男なのは嫌というほど思い知らされているし、これまでも「また告白されちゃった、キャッ!」なんて話を聞いたことは何度もあるから「告白されたなんて、またまた〜」と疑っているわけではないけれど、まさか『抱いてくれ』とは。   「すごいですね。大胆っていうか、勇者っていうか……」 「うん。俺もびっくりした」  理人さんは顔全体で苦笑して、でもすぐにいらやしい笑みに変えた。 「なんですか、その顔」 「気にならないのか?」 「なにが?」 「俺の返事」  ……ふーん。  あ、そう。  なるほど、そういうこと。 「なりません。聞かなくてもわかるし」  咄嗟の自惚れたフリには成功したけれど、急に不安になってくる。  まさか、あり得ない。  そう思いつつも、理人さんならありそう!ーーとか疑ってしまう自分がいないわけでもない。  好きになってくれてありがとう。  本当に一回だけだぞ?  とかなんとか言いながら、どこの馬の骨とも知らない女に突っ込んだりしてないよな?  まだ、俺にも突っ込んだことないくせにーー 「あ、ちょっ……!?」  突然腕を引っ張られ、淫らな思考がどこかへ飛んでいく。  傾いた上半身が理人さんにぶつかったと思ったら、 「んっ」  唇を奪われた。 「ありがとな」 「へ……?」 「後輩の子、震えてたんだ。きっと俺の答えなんて最初からわかってただろうに、勇気振り絞って思いを打ち明けてくれたんだなあって思ったら、佐藤くんのこと思い出した」  アーモンド・アイが輪郭を変え、どこか遠くの方をうっとりと見つめる。  まるで、記憶の彼方にいる俺たちを見守っているように。 「俺は、震えてなんかいませんでしたよ」  どんどん熱くなる頬には気づかないフリをして、俺は精一杯強がった。  でも、今夜の理人さんにはなんの効果もないらしい。  さらにニヤニヤを追加した視線で、俺をからかってくる。 「震えてたよ」 「なんでわかるんですか」 「手、重ねただろ」 「重ねたって……」  なんか言い方が、 「エロい」  途端に、理人さんの視線が〝変態〟を見るそれに変わった。  たったそれだけでもうっかり股間がきゅんっと反応してしまい、俺は慌てて頭を振る。 「ていうか、あのカフェの時は告白なんてしてないでしょ!」 「似たようなもんだろ。『やだ〜行かないで〜』って俺のこと引き留めたんだから」 「それ、理人さんの方だから!『クリームソーダってやつを、俺と飲み直そうじゃないか。ん?』って王子様みたいに俺を誘ったじゃないですか!」 「そんな言い方してないし、佐藤くんが先だった!」 「そっ……れはそうですけど!」  理人さんは、悪戯に成功した子どものように「ふふん」と笑って、俺に背を向けた。  遠ざかっていく足取りが、やけに軽い。  ああ、もう。  これは完全に調子に乗ってるな。  かわいいけど、なんだかものすごく悔しい。  始まってもいない勝負に負けている気がする……! 「うわっ」  その悔しさをバネに、俺は理人さんの身体を思い切り引き寄せた。  倒れ込んでくる背中を胸で受け止め、鎖をかけるように理人さんの腹の前で腕を交差させてから、首筋に顔を埋める。 「……で?」  俺の息が肌に落ちると、理人さんの呼吸が止まった。 「なんて返事したんですか」  腕の中にすっぽりと収まった身体が、ふるりと震える。  冷えた指先が、俺の手の甲をゆっくりとなぞった。 「気にしてないんじゃなかったのか?」 「気にしてないけど教えてください」  くつくつと喉で笑い、理人さんがくるりと身体を回転させた。  見下ろし、見上げられ、重なった吐息が白く絡み合う。  そっと首を傾けると、応えるように理人さんが背伸びする。  俺の耳元で弾けたのは、バニラアイスよりも甘い言葉だった。  fin

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