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一章 育雛期 二節

その後、気がつけば朝になっていた。 寝た気がしないな…。 傷んだ上半身をカッターシャツと学ランで隠して、荷物をまとめる… 何を持っていこうかな…上手く働かない頭で学生カバンとスポーツバックに必要な物を詰め込む。 あ…角はちゃんと持っていかないとな… 胸ポケットを確認するとちゃんとそこにあった。 お父様と蘇芳兄様からはまるで居ないように扱われ、菊之助は無理やり車で学校に先に送られていった。 どうしようか…とりあえず自由登校だけど学校には行かないとな… 重い鞄を抱えて僕は門を開けた。 「あ~~!蓮司くんだ!!」 「…おはよう。」 当の脳天気な声…今はあまり聴きたくないんだけど… 「一緒に学校行こう!!」 「うん…。」 「今日は蓮司くんと一緒に学校行けて嬉しいな!いっつも会えないもんね~。」 「そうだな…。」 「あれ…?どうしたの…なんか落ち込んでるよね…。」 あまり聞かないで欲しいんだけどな…枯れた涙がまた出そうだ… 家が見えなくなったあたりでぽつりとこぼした。 「家…追い出された…。」 「ええええええええ!?!?!?!?」 叫ばないでくれ…頭が痛い… 「なんで…?なんでなんで??」 面倒くさい…もう嫌だ…顔見ないでくれよ… 電車に揉まれながらちょっとづつ事情を話した。 まずい…これで確実にクラス中に知れ渡る…どうしよう… でも、一人で登校するよりだいぶ楽な気はした。 「た!!た…!!大変だよみんな!!」 登校していたクラスの皆が僕らに注目した。 「蓮司君がおうちを追い出されちゃった!!!」 …最悪だ。 頼むよ…放っといてくれ… 「何だって!?」 僕は下を向いたまま自分の机に何とか辿りつき座って伏せった。 「京大の受験辞めて、東北大受けたいって言ったら滅茶苦茶怒られて帰ってくるなって言われたって」 「え…どういうこと…?」 うう…なんだこの空気…帰りたい… 「蓮司君、本当は京大の経済学部じゃなくて東北で考古学勉強したいんだって~別にいいよね~?」 その時誰かが近づいてきた。 「あぁ!いいぞ!京大でのライバルが一人でも減ればすごく助かる!手伝ったる!」 「!?!?!?」 あまりにも正直すぎる事をいう彼に思わず顔を上げる。 「ゆ…結城君!?」 「今日は俺の家でも泊まるか?歓迎するぞ!」 「いいの…?」 「応よ!」 「京極もいいだろ?蓮司のバック。」 「……葉山君には勿論協力するが…そういう露骨な本音を言うのは辞めろ、品のない…」 学年トップ争いをしている4人がこの1組には固まっている… 自然と皆の目がニ位の彼に集中する。 「…何だよ、見なくたって協力するに決まってるだろ。大事なクラスメイトじゃないか。というかなんで学年一位の蓮司君が家を追い出されるのか聴いてあげたいんだけど…。」 敵視されているとばかり思っていた信愛君の言葉に驚く。 「そうだよねぇ…僕、いつも学年で一番ビリだけどパパもママも僕の事好きだって言ってくれるよ~、蓮司くん、こんなに勉強できて教えるのも上手くていい子なのになんで〜?」 あ、当…お前… 胸がいっぱいで答えあぐねていると皆口々に相談をし始めた。 「まぁ…親は反対するよな。京大蹴るとか…」 「東大なら解るけど東北大は説得厳しかったか…。」 「考古学なぁ…お金にならへんって?蓮司君なら大学教員なれるから余裕やろ?」 「ちゃうって、親に逆らう事自体があかんねや…」 「歴史は浪漫!考古学さいこー!」 「よっしゃ、みんなカンパカンパ!」 「ってか東北大でええの?公立大は?」 「そっち方面受けるやつ居たっけ~?」 「あ、俺!東北の工学部受ける!受かったら一緒通おうぜ。」 「あ、そういや佐藤って親の実家東北じゃないっけ?行き方わかる?」 「日本海側なら寝台特急一本で行けるよ、って言っても東北は広いから…。」 血はつながってないけど…人ってこんなに暖かいんだな… 「みんな…ありがとう!!」 泣き笑いの酷い顔で僕はクラスメイト達に感謝を伝えた。 昼休み、お弁当を食べた後、菊之助がクラスに来た。 「れんにぃ…ごめん…お父様まだ凄く怒ってて…」 「そうだろうな…いいよ、何とかなりそうだから…。」 菊之助が見たことのない疲れた顔をしている、酷い隈だ…。 「今日の帰りもお父様が車で迎えに来るって…一緒に帰れない…」 「泣くなよ…菊之助…みんな見てるぞ。」 「だって…だって…」 「……ちょっと話そう。」 チャイムが鳴るまではまだ時間がある。 菊之助を促して、校舎裏の人気のない場所まで歩いた。 「………。」 「……………。」 沈黙が重い。緊張で唾を飲むと、僕は切り出した。 「菊之助、昨夜何された?」 じっと見つめると目を伏せられた。 「ん…えぇと…」 「ごめん…思い出したくなかったらいい…」 菊は首を振って絞り出すように答えた。 「無理矢理…何度も犯されて…やったこと無い事もされた…すごく奥まで…」 「何だって!?」 「今朝…車の中でも…」 「……………ッ!」 奈落に落ちるような気分だった。 「でも!大丈夫だよ!れんにぃがされた事に比べたら全然…!」 赤く腫らした目を潤ませて無理に笑う菊之助が居た堪れない。 こんなの…!自分が何千回鞭打たれた方がまだました! 菊之助が何をしたんだ!! 悪いのは僕で… こんなに憤りを感じた事があっただろうか。 許せない… 「れんにぃ?」 「……。」 ここまでして、鬼の角の件は僕がやらなければいけない事なんだろうか。 駄目だ…約束したんだ… あれは大事な人ともう千年以上離れ離れなんだ、諦めては…   でも、行きたい学校、進みたい道を願う事がそんなに罪だとは僕には思えない。 でも菊之助が…こんな目に… お父様の考えている事が僕には解らない… 「れんにぃ、れんにぃ?大丈夫!?もしかして傷痛む??」 「あ…いや…大丈夫…。」 「れんにぃ、どうして急にあんな事言い出したの…?」 「それは…今まで言い出しにくくて。」 「れんにぃ…本当に家を出て遠い大学行っちゃうの?」 「いや…行きたいと思っていたけど…正直今は解らないよ、」 「そうだよね…ぼくもなんだか、わけわかんないや。」 「うん…」 項垂れる頭をそっと撫でた。 「………れんにぃ…!」 今の触れ合いで箍が外れてしまったようで菊之助が抱きついて来た。 「菊之助…!」 僕達は声を押し殺して泣いた。 昼休みの終わりを告げるチャイムの音を聴いて僕達は離れた。 その後の授業中や休み時間、クラスの皆がこっそり作戦会議をして僕を何とかして東北大学に行かせる方法を考え始めた。 ……でも問題は山積みだ。どうやって東北大の入試を受けに行くかが目下の問題だけど。 流石に正面を切って堂々と東北まで受験に行くのは憚られるから隠れて…と言う事になりそうだけど、みんなの話し合いでも良い案は出なかった。 午後の授業も終わった。 クラスの皆が自分の家に泊まれって言ってくれてるけどちょっとどうしたらいいか解らなくて… 部活に行こう…あまり声が出無さそうだけどちょっと元気が出てきた。 歌おう…。 部活は合唱祭の練習だった。コンクールの時より人に聞かせる方が楽しくていい。 僕らの歌うのは部員で歌う大地讃頌と、全体で歌うヘンデルのハレルヤコーラスだ。 そんなに難しい曲では無く、ちゃんと歌えたみたいなので早めに部活は終った。 「葉山君、レッスンする?」 先生が後輩たちが帰ったあと声をかけてくれた。 「はい、じゃあ一曲だけ、お願いします。」 こんな状態だけど上手く歌えるかな… 「じゃあ…何歌う?」 イタリア歌曲集をめくり、今練習している歌曲のページを開いた。 「Lascia ch'io piangaで、お願いします。」 前奏が始まった、姿勢を正して曲に入っていく。 邦題、私を泣かせて下さい…今の心境にぴったりだな… Lascia ch'io pianga mia cruda sorte 駄目だ…全然声になってない… 裏声は楽かと思ったけど掠れて… Il duolo infranga queste ritorte De miei martiri sol per pieta De miei martiri sol per pieta 見せ場で全然声を伸ばせなかった… 先生にこんな声聴かせられない… 「ごめんなさい…」 「どうしたの…?声があまり出てへんね…。蓮司くん、具合悪い?」 「は、はい…ちょっと…。」 「話されへん?」 「はい…。」 「葉山君は、勉強もできて、優しくて、ええ子やよ。」 「………。」 「でもね、あんまりがんばらへんでもええのよ、18歳でもう大人や言うても、まだまだ大人を頼ってもまだ全然構へん時期やから。」 「………はい。」 先生なら…大丈夫なのかな… 「あの…今晩、ちょっと…家に帰れなくて…。」 「あら…他にご親戚のお家とかお世話になれへんかな?」 「………あ、お祖父様が電車の2駅隣に住んでいます…。」 「お電話できる?」 「…はい。」 「準備室の電話、使ってええよ、外線もできるからどうぞ。」 先生が電話機の使い方を教えてくれて、お祖父様の家の電話番号をダイヤルした。 えっと…なんて言えばいいんだろう… 「もしもし、葉山です。」 ………あ、お祖父様の声だ。 「こ、こんにちは、蓮司…です。」 「……おお!蓮司か、どうした?」 「あの…あの…」 「ん?」 「お父様から…お叱りを受けて…今日は家に帰ってくるなと言われてしまいました…。」 「なんじゃと!?解った、今日はこっちに泊まりなさい、待っておるぞ。詳しくはその時に聞こう。」 いつもは菊之助と帰る通学路を一人で帰って、家の最寄駅を過ぎて、二駅先の駅で降りた。 何回かお祖父様のお家には行ったことがあるけど、いつも、お祖父様が僕らの家に来る事が多いので、少し駅からの道には自信がなかったけど、記憶を辿ってたどり着く事ができた。 門の前に立って、 「こんにちは、葉山蓮司です。」 と声をかけると、門が開いてお祖父様と同じくらいの年頃の世話係の人が出てきた。昔は僕らの住んでいる葉山邸の家令をしていた湧さん、今の潤さんのお父さんだ。 「蓮司ぼっちゃまですね、お聞きしております、どうぞ。」 玄関まで案内されると、お祖父様が笑顔で出迎えてくれた。 「おお、蓮司、正月ぶりじゃの。」 「はい、こんにちは、お祖父様。」 「うむ、あがりなさい。」 玄関にあがると、お祖父様が近づいてきて、頭を撫でられ、肩や背中を叩かれる。お祖父様と会った時のいつものスキンシップなんだけど… 「痛っ…」 「………。」 もろに傷口を叩かれよろける僕をお祖父様は深刻な顔で見つめた。 「………やられたか。」 お祖父様は全てを察したようだった…。僕は黙って頷く。 「とにかく、飯にしよう。来なさい。」 お茶の間に通されると食事が既に準備してあり、テレビからは大相撲の中継が流れていた。 「千代の富士の優勝は決まりじゃのう。」 丁度結びの一番が終わったようで、大歓声が上がっている。中継が終わるとお祖父様はテレビを切って、ちゃぶ台の僕の正面に座った。 「さぁ、お前の好きな豚の生姜焼きじゃ、たんと食え。」 聞き慣れた東北訛りの言葉で促され、僕は手を合わせた。 「いただきます。」 ……美味しい。うちの家令さんのお父さんの料理だからいつもの味とあまり変わらない。 付け合せの切り干し大根の煮物とご飯も美味しく頂いた。 「ごちそうさまでした。」 「うむ、もういいのか?」 「はい。お腹いっぱいです、美味しかったです。」 「よろしい。」 微笑むお祖父様の傍らに、お茶が持ってこられた。僕の前にも湯呑みが置かれた。 「ありがとうございます。」 「いえいえ。」 湧さんが息子さんと変わらない笑みを返してくれた。 「……さて、何があったか聴かせてもらおうか。」 お祖父様が手を組んで聴く体勢になった。 「はい…ええと…前から大学の進路については京大の経済学部に進むようにお父様から言われていたんですけど、本当は僕、東北で考古学を勉強して葉山家の歴史を研究したくて…その事を伝えて東北大を受験させて下さいとお願いしたんですが…」 「それで」 お祖父様が真剣な眼差しで僕を見つめている。 「駄目だ、って言われて…それでもお願いしたら覚悟を試されて…でも…結局勝手にしろと…」 事情を説明しているうちにいたたまれなくなって、思わず顔を伏せて謝った。 「駄目ですよね…こんな事突然言い出して…」 「やりなさい。」 「えっ?」 強い肯定の言葉に思わず顔を上げた。 「やるのじゃ、蓮司。これはお前にしか出来ない重要な使命じゃ。儂が責任を持って面倒を見てやる。金の事は気にするな。」 「は…はい!」 「うむ、榊には儂から言っておく、反省して東北行きはあきらめたとな。」 「え、えっ?」 「勿論それは建前。榊は勝手にしろと言ったのじゃから勝手にしてやるといい。」 お祖父様が含み笑いをしながら顎に手をやった。 「受験日の朝には儂が迎えに行ってやろう。試験に間に合うように東北大まで送ってやる。合格通知の類はここの住所を書け。榊には気付かれないようにお前の住所をここに移しておいてやる。あとは、何とかして葉山家を出れば良い。それくらいはお前が考えろ。」 「…はい。クラスメイトが協力してくれる事になっているので大丈夫だと思います。」 「ほう…それはいがったのう。」 お祖父様が目を細める。 「何から何までありがとうございます。お祖父様。」 「それは、東北大に合格して旅立つ時に言う言葉じゃ。……よしよし、今後の算段がついた所で風呂にしよう。」 お祖父様が立ち上がり、テレビのスイッチを入れてお風呂へ向かっていった。上がって呼ばれるまで、僕はぼんやりテレビを観て待った。家にはテレビが無いから適当にニュースを観ているだけでもなかなか面白い。 ニュースが終わる頃にはお祖父様が上がって呼ばれた。 「寝間着はあるか?」 「あ、はい。持ってきました。」 「上がったら薬を塗ってやる、お湯に背中を浸けたり擦ったりせんように。」 「解りました。」 相変わらずしくしくと痛む背中を庇いながらお風呂に入る。 背中以外を洗って腰まで湯船に浸かり一息つく。…これから自分はどうなるんだろう、家に戻れるのだろうか。 「痴れ者が!」 「!?」 突然、廊下の方からお祖父様の怒鳴り声が聴こえた気がした。確かあのあたりには電話機が…。しばらく耳を澄ませていたけど、それから何も聴こえなくなった。 お祖父様がお父様に電話した、ってことだよな…。何とかなったのかな…。 そろそろ上がっても良かったけど、しばらく様子を見てからお風呂から上がった。 「上がったか、向こうを向いて座りなさい。」 居間に戻ると、お祖父様が待っていた。傍らには薬壺が置いてある。 「はい。」 僕は浴衣をはだけて背中を見せた。 「…酷いな。」 辛そうな声でお祖父様が言った。 「葉山家秘伝の傷薬じゃ、これを塗ればじきに治る。」 「ありがとうございます…。」 丁寧な手つきで薬を塗ってもらいながら僕は尋ねた。 「お祖父様…お父様がこんな事をしたのは…どうしてでしょうか…。」 お祖父様の手が一瞬止まった。 「それは…榊がお前を愛しているからこそじゃ。」 「………そうですよね…。」 確かに、愛していないのならこんな事をするわけがない…だけど…。 「榊は葉山家の中でも特に愛情深い男だ。それは知っておくといい。」 「…解りました。」 いつかの一生の研究課題のように、理解できる時が来るのかな…。 膏薬が塗り終わると、上からガーゼを当てて包帯を巻かれて傷口を保護された。 「後はこれを飲んでおけ。」 と、薬包紙に包まれた薬と熱燗にしたお酒を渡された。こういう薬があるのはどこかで見た事がある…うちにもあったんだな。 「ありがとうございます。」 薬を飲み終わると、寝室へと案内された。 「来客用の部屋はここには無くてな、儂と一緒じゃが良いか?」 「はい、全然構いません!」 「よろしい。」 寝室には布団が二組敷かれていた。 「じゃあ…。」 僕は新しい方の布団に入ってうつ伏せになってそっと布団をかぶった。するとお祖父様が枕元に座った。 「あっ…いつもの…。」 お祖父様が微笑んだ。 「うむ、爺の昔話の時間じゃ。今宵は何の話をしようかの…蓮司、お前には儂の知る限りの事を全部話してやらねばならんな。」 「はい!」 これも葉山家の財産だ…しっかり受け継いで行かなきゃ…。 「今日は儂の話ではなく…父の話をしよう、お前のひいお祖父様じゃ。」 「えっと…名前は柳鷹様ですよね。」 顔も知っている、仏間に飾ってある歴代当主の遺影の中で一番新しい写真の人だ。 「そう、儂と同じく海軍士官学校を卒業し、巡洋艦の艦長まで努めた優秀な軍人だったんじゃが…向いとらんかった。」 「えっ…?」 「蓮司、お前と似て優しく気性の穏やかな男でな…」 「そうだったんですね…。」 「うむ、味方や敵の死にも胸を痛めるような男でな…そんな父を愛した男がおった。」 僕は息を呑んだ。お祖父様からこんな話を聴くのは初めてだ。 「葉山鷲吾、紫葉の五代目当主じゃ。兵卒からの叩き上げで戦闘機乗りになってな、米帝のエースを次々撃墜して敵からは恐れられておった。雄々しくて当主らしい性格をしていたのは鷲吾の方かもしれんの。儂が物心ついた頃には既に恋仲でしょっちゅう本家に来ては仲睦まじくしておった…。鷲吾は父の優しさを愛したんじゃな。」 ここまで聴いて疑問に思った。 「お祖父様は…?」 「ん…勿論父は私の事も愛してくれたよ。…鷲吾に父を取られたなんて思ったこともあるが…儂も子供じゃったからの。」 もしも榊お父様が僕ら以外の人と…ちょっと想像できないな…。 「二人とも出征して南方戦線で戦ったんじゃが…戦局は悪くなる一方での…。父の巡洋艦はレイテ沖海戦で撃沈して父は艦長として運命を共にした。鷲吾は助けようと零戦を飛ばしたらしいんじゃが…。」 「…………。」 二人共今は居ないのだから解っていた結末だけど…やっぱり改めて聴くと辛い…。 「出征する前に、父は言っておった。『一族全員、何があっても必ず生きて帰ろう。』とな。鷲吾はその言葉を守って、生きて帰った後は儂の親代わりになって、呉服屋の修行の時も葉桜の立ち上げの時にも尽力してくれたが…あれは見てられんかったのう…。」 そうだろうな…愛している人が死んでしまったら…。 「儂以上に無茶苦茶に働いて、次の日も朝早くから酒の匂いをさせながら店に出て…案の定、十年も経たんうちにに父の所に逝きおった…。」 悲しすぎる…目頭が熱くなるのを抑えられない… 「蓮司、お前は東北に行っても必ず帰ってこい。お前にもおるはずじゃ、愛してくれる男が…。」 「えっ…そんな…僕なんかには…」 お祖父様の呆れた声が聞こえた。 「全く…罪作りじゃの。気付いておらんのか…」 「え?」 「お前を待っておる男が家に居るじゃろう。」 「あ…そういえば…僕…家に帰れますか…?」 お祖父様が頷いた。 「榊には反省しておると伝えておいた。落ち着くまで居ても良いぞ。」 「ありがとうございます、でも…帰りたいので…。」 菊之助が心配だ… 「無理はするなよ、また来なさい、昔話はまだまだ尽きぬからの。」 「はい。辛くなったらそうします。」 「ではの…おやすみ、蓮司。」 「おやすみなさい、お祖父様。」 僕は目を閉じた。 慣れない布団と枕だけど、昨日よりは寝れた気がする…。 「おはようございます、お祖父様。」 既にお祖父様は起きて身支度をしていた。 「おはよう、蓮司。」 今日も学校がある、行かなきゃな…。 朝ごはんを頂いて、身支度を整える。お祖父様に挨拶して家を出ようとすると、 「こんなもので良ければ…」 と湧さんが経木に包んだ大きなおにぎりを持たせてくれた。 「ありがとうございます。」 と有り難く受け取って、玄関へ向かった。 「行ってきます、お祖父様。」 「うむ、気をつけてな。」 「はい。」 お祖父様のお屋敷を出て、駅まで歩いて学校へと向った。 「おはよう、蓮司!昨日は大丈夫だったか?どこ泊まった?」 「おはよう、結城君。お祖父様の所に泊まってきたんだ、昨日は色々ありがとう。」 「何でもねぇよ、元気なったか?」 「うん、お祖父様が何とかしてくれるって。もしかしたらこれらその先を頼る事になるかもしれないけど…」 「勿論いいぜ。作戦は考えてある。」 結城君が聞かせてくれた作戦はこうだ。 卒業式の後のパーティー会場がクラスメイトの経営しているホテルだから保護者の目を盗んで私服に着替えて従業員の出入り口から抜け出して、神戸駅から電車に乗って京都で寝台列車に乗り換えて東北に出発するというものだった。なるほど… 「解った、上手くいくようにがんばろうね。」 「おうよ。」 そして今日の授業が終わった。 帰ろう…一日出ていただけなのに、なんだか緊張する…。 学校を出るとすぐに合流してくる菊之助が居ない…今日もお父様が迎えにきたんだろうか。 「た…ただいま帰りました。」 「…おかえり、蓮司。」 震える手で玄関の戸を開けると待ち構えていたかのようにお父様が立っていた。 「あ…あの…」 「何をしている、自分の家だろう。上がりなさい。」 「は、はい。」 慌てて靴を脱いで玄関に上がると、すれ違いざまに耳元に囁きかけられた。 「風呂から上がったら私の部屋に来なさい。」 そっと背中に触れられ体が固まる。答える間もなくお父様は自分の部屋へと戻っていった。 「れんにぃ!!れんにぃ!!!」 入れ違いに菊之助が廊下を走ってきた。 「おかえり、れんにぃ…寂しかったよ…!」 駆け寄る菊之助をしっかりと抱きとめた。 「ただいま、菊…。」 「大丈夫?大丈夫?まだ背中痛いよね…。」 涙声で僕の胸に顔を埋める菊之助の頭を優しく撫でてやる。 「ありがとう…大丈夫だよ。菊の方こそ大丈夫か?」 「うん、なんでもないよ…れんにぃに比べたら…。」 「そうか…」 しばらく僕らはしっかりと抱き合った。 自分の部屋に戻るときも菊は離れようとしなかったけど、今は僕も離れたくなかった。 「れんにぃ…寂しかったよ…。もうどこへも行かないで…。」 「あぁ…。」 「ごはんまで、こうしてていい…?」 「いいよ…」 何度となくキスを交わして、二人一緒に過ごした。気を遣ってくれているのか、菊もそれ以上を求めては来なかった。 「頂きます。」 「いただきます。」 久し振りな気がする潤さんの晩御飯だ。 今日はうまづらの煮物とほうれん草のおひたしと、蛤のお澄ましと豆ご飯だ。 美味しい…けどこの後の事を考えるといつもどおりの食欲が出ずにおかわりは出来なかった。 食後、何も言わずにお茶を飲んで出ていくお父様に兄様と菊は首を傾げていたけど、その意味を分かっている僕だけが暗い顔で濃いめの玉露を飲み下した。 それからも菊之助と過ごして、お風呂も一緒に入ることにした。 服を脱いで洗い場に入ると、菊之助の体を洗ってやった。 「れんにぃありがと…」 今日も石鹸で洗うのは無理そうだな、と背中に冷水をかける。 「れんにぃ…大丈夫?まだすごく痛そう…」 「ちょっとは良くなったよ、もう暫くは普通にお風呂に入れそうにないけど…。背中以外、洗ってくれる?」 「うん!」 傷のある所を避けて、丁寧に菊が体を洗ってくれた。 「傷跡…残っちゃうかな…」 辛そうな問いかけが聞こえて、そっと古傷の周りを菊の指がなぞった。いつもの習慣で菊のおでこの傷跡をなぞる。 「どうだろうな…。」 自分では見えないし、なんとも言えない…。 「終わったよ。」 ゆっくりお湯をかけてもらって体を洗い終わった。 足からゆっくり湯船に浸かり、腰から上も浸かろうとしてみたけど、やっぱり痛かった。 「一日二日じゃどうしょうもないな…」 苦笑する僕を見て、菊之助が悲痛な顔で隣に浸かった。 「当たり前だよ…れんにぃ…無理しないで…」 「あぁ…ごめん…」 「…………。」 暫く二人でお湯に浸かって温まる。この後お父様の所に行かなければいけないと思うと不安で菊の手を握った。 上がって浴衣を着込んで一旦自分の部屋に戻って、菊之助も自分の部屋に戻るのを待ってからお父様の部屋に向かった。 何度か深呼吸をして息を整えて、襖越しに声をかけた。 「蓮司です。」 「…入りなさい。」 襖を開けて部屋に入ると、お父様の傍らに薬壺が置かれていた。 「座りなさい。薬を塗ってやろう。」 「はい。」 お父様に背を向けるとどうしても一昨日の事を思い出してしまって体が固まる。動けないでいる僕の浴衣をそっとはだけさせて、お父様が薬を塗り始めた。 「………。」 「考え直したか。」 「はい、申し訳ありませんでした。ちゃんと京大を受けます。」 「…あぁ、良かった。」 お父様の指がひときわ優しく丁寧に古傷をなぞる。 「家族は一緒に居るものだ。離れ離れになることなど私には考えられないよ…蓮司…。」 聞いたことのないお父様の弱気な言葉に僕は動揺して、目を閉じて堪えた。 脳裏に浮かぶのは、昨夜の曽祖父様の話と、さっきのどこへも行かないで…という菊之助の願い…。 「蓮司…お前は大切な私の息子だ…どこへも行かせたりはしない。」 最後に打たれて皮膚が裂けた傷に薬が塗られ、最後に上から包帯が巻かれた。 「飲みなさい。」 薬包とお酒が渡される。 「はい…。」 飲み終わると、そっと肩を抱かれて耳元で囁かれた。 「蓮司、愛しているよ…」 「はい…お父様…」 そして優しく啄むような口づけをされた。何度も唇を重ねながら振り向いてお父様に身を任せた。 体中を優しく愛撫されて、部屋に来た時の緊張は解きほぐされていた。 そして布団にそっと寝かされた。腕枕をされ、額を撫でられて眠るのを促される。 「えっ…」 「どうした?」 「あ、あの…お務めは…」 お父様が微笑んだ。 「何だ、やりたいのか?」 「い…いえ…。」 「明日は休みだし、ゆっくり体を休めなさい。」 「はい…おやすみなさい…。」 「おやすみ、蓮司。」 何年ぶりだろう、お父様と何もせずに眠るのは…なんだか懐かしい気分だ。 横になって少しはだけたお父様の胸元に顔を埋めて寝る体勢になる。 優しく髪を撫でられ、お父様の匂いに包まれて、眠りに落ちていった。 翌日から、表面上は何事もなかったかのような日常が戻ってきた。 皆があの夜のことなどまるで無かったかの様に振る舞っていた。ただ、僕の傷だけがあの日の事が現実であることを主張するかのようにじくじくと傷んだ。 あれからも毎日されたお父様の手当の甲斐もあって、一週間を過ぎるとようやく痛みが引いてきて、元通りお風呂に入って仰向けに寝れるまで一ヶ月近くかかった。 そうこうしている間に二次試験の日が近づいて来た。 それまでに、時折お祖父様が学校帰りの道中に突然現れて、試験当日の動きについての指示を告げて行ったり、気がつけば鞄の中にメモが残されていたりした。 それによると、当日の朝、京大の試験会場についたらすぐに抜け出して、大阪空港に向かって飛行機に乗って東北大まで向かうそうだ。 搭乗手続きなんかをやっていると到底間に合わないということで、自家用の飛行機を出しくれるそうだ…そこまで…と思ったけど、絶対にやると決めた事だし、ここはお祖父様の厚意を有難く受け取っておくことにしよう。 1981年2月25日 ついに試験日がやってきた。 お父様にお願いしてなるべく早くに試験会場に送って貰った。 「頑張ってきなさい。」 試験開始二時間前を切ってるけど…何とかなりそうだ。 試験会場に入るとすぐに出て待ち合わせ場所の送って貰った正門と反対側の駐車場に走った。 「来たな。」 そこにはお祖父様が待っていた。 「はい、今日はよろしくお願いします。」 「うむ、儂も付いて行ってやりたいところじゃが、打ち合わせ通りこやつに送ってもらえ。」 そう言うと隣に立っていた中年の男の人を杖で差した。 「葉山きっての碌でなしじゃが、父親譲りで乗り物の運転の腕前は確かなのでな。」 紹介されて黙礼した人を見る。親族で集まった時とかでも会った事のない人だったけど、葉山家の人だというのは顔立ちや雰囲気からすぐにわかった。父親譲り…って事はもしかして…?と思ったけど今は訊ねている時間はない。 「蓮司です、よろしくお願いします。」 「鷲六です。では参りましょう、蓮司ぼっちゃま。」 と、ヘルメットを差し出された。手伝ってもらいながら被る。 「バイクに乗った経験はありますか?」 「いえ…これが初めてです。」 「そうですか…まんず、だいたいは自転車と一緒ですので。最初は控えめに行きます。」 「はい、すみません…。」 「では…こちらへ、しっかり掴まっていて下さい。」 「あ…はい、失礼します…」 バイクの後部座席に跨って鷲六さんの腰に手を回した。 「それでは、出発します。」 「よし、くれぐれも気を付けてな。頑張って来い。」 「はい、お祖父様。」 勢い良くバイクのエンジンがかかり、空港へと駆け出した。 最初の方こそ確かに控えめだったけど、僕がカーブの時の体重移動を覚えたのを確認すると、凄いスピードで市街地の車の間を縫ってバイクが走った。 やむなく信号にかかった時はトランシーバーで誰かとやりとりして、道路の状況を逐一確認して最適な道順を選んでいるようだった。 あっという間に高速の入り口まで着き、鷲六さんが回数券を料金所の窓口に放り投げるとバイクは更に加速した。 高速を降りて、バイクが空港の滑走路の側まで滑り込んだ。 「こちらです、蓮司ぼっちゃま。」 早足で既にエンジンがかかった小型飛行機まで導かれる。ちょっとふらつきながらも翼の上まで引き上げて貰って後部座席に乗り込む。 鷲六さんが慣れた手つきで計器を操作して離陸の準備をしている。 「シートベルトはしっかり装着されましたか?出発します。」 「はい、お願いします。」 エンジンが唸りをあげて機体が動き始めた。飛行機に乗るのは初めてじゃないけど、離陸する時は緊張する…。 滑走路をで充分に加速した機体は無事に離陸して、僕は密かに胸を撫で下ろした。 「一時間しないうちに仙台まで行けると思われます。試験開始には間に合うかと…。」 「あ、はい。ありがとうございます。」 それからは特に会話もなく、持ってきた受験対策の本も読む気にもなれなかったのでぼんやりと眼下の景色を見ていた。 そして仙台空港に飛行機が滑り込み、再び用意されていたバイクに乗って東北大の試験会場に向かった。 試験開始10分前…間に合った…! 会場の教室の椅子に座って気を落ち着けて試験に臨んだ。 試験の内容はおおむね想定の範囲内で全部正しいと思える答えを書く事ができた。 そして試験が全て終了した。帰りも急がないと…。 「お疲れ様でした。」 試験会場を出ると、鷲六さんが待ってくれていた。文学部は経済学部よりも受験科目が少なく、早く終わったので帰りは少し余裕がある。また鷲六さんのバイクに乗せてもらって空港に向かい、行きと同じ軽飛行機に乗った。離陸してしばらくして水平飛行に移ってから、鷲六さんが口を開いた。 「それにしても…榊様に内緒で別の大学を受験とは…蓮司ぼっちゃまは剛毅ですね…。」 「あ…はい…。どうしてもやりたい事があって…。」 「流石に実のご子息には私のような処分はしないとは思いますが…」 鷲六さん…お祖父様にも言われていたけど一体何をしたんだろう…。訊くわけにはいかないけど気になってしまうな…。 「あの…聞きたい事があるんですけど…。」 「なんですか?」 「もしかして、鷲六さんのお父様って、鷲吾さんですか…?」 「えぇ、そうです。お祖父様から聞きましたか?」 「はい、僕、葉山家の昔の話を聴くのが好きで…よければ鷲吾さんの事、教えてもらって良いですか?」 「………。」 鷲六さんが黙ってしまった。まずかったのかな… 「沢山教えて差し上げたい所なのですが…あまり父との思い出はなくてですね…。」 「そうですか…ごめんなさい。」 「いえ…小さな頃はあまり家に居付かずにあまり会話がなかったですし、復員したあとの父は酒ばかり飲んでいて…。もっと話しておけば良かったなと思っています。そうすれば俺も…」 「………。」 今度は僕が黙る番だった。鷲吾さん… そして、飛行機が空港に着陸した。朝と同じ京大の駐車場まで送ってもらった。 「では、私はこれで…陰ながら応援しています。」 「今日は本当にありがとうございました。」 お辞儀をして挨拶を済ませると、鷲六さんは黙って一礼してバイクに跨り去っていった。 大学の校舎を通り抜け、正門まで来ると、お父様が迎えに来ていた。 「どうだった、蓮司。」 「はい、手応えありました、合格できると思います。」 「よろしい、疲れただろう。今日は帰って休みなさい。」 「はい、そうします。」 本当に疲れたな…。帰りの車の中で、お父様にもたれて少し微睡んだ。 それから二週間後、京大の合格通知が葉山家に届いた。大切に神棚に置かれ、手続きをされる偽物を見て複雑な気分になった。 本物の東北大の合格通知は登校途中にお祖父様が渡してくれて、学校で手続きをしておいた。 これで受験は終わった…あとは高校を卒業してから東北に出発するだけ…。 覚悟は決めたはずだけど、気にかかるのは菊之助の事だ。一日会えなかっただけであれだけ取り乱されたんだ、家を出ていこうものなら…。 別れが辛いのは当たり前だけど、菊之助と離れる事が殊更に辛く思うのは、僕も… でも、人を愛するって事は尊い事だけど、僕にはまだ難しい。 誰かを幸せにするには一生ちゃんと面倒を見る甲斐性が必要だし、そんな立派なことは僕には全然出来なくて… いや…自意識過剰だ。ひょっとしたら、ずっとからかわれてるだけかもしれないし。 僕は首を振ると財布に東北行きの切符をしまった。 そして、翌日に卒業式を控えた日の夜。 「いい…?」 「あ、うん。」 いつもの何気ない声かけをしてから菊之助の部屋に入る。 「どうしたの?れんにぃ」 そろそろ床に就こうと布団の側に立っていた菊之助に近付くと、ぎゅっと抱きしめた。 「卒業祝い、今夜貰ってもいい…?」 「うん…いいよ…でもどうして今夜…?」 「明日は多分お父様とだから…」 勘付かれるのは想定内だけどあまり詮索はされたくなかった。 「んっ…」 眼鏡を外して枕元に落とすと、早急にキスをして舌を絡める。少し歯磨き粉のしょっぱい味がする…。 風呂上がりで少し湿った髪を掻き混ぜて、菊之助の匂いを思いきり取り込んで… 本心を隠しながら交わる罪悪感を振り切るために行為は急かされ、激しくなった。 息を継ぎながら深い口付けを続け、浴衣を一気に剥いで上半身を露出させ、すでに反応してつんと上を向いている乳首を刺激してやる。 「ん…んっ!ん…」 唇を離すと目尻を赤くして蕩けた顔が見えて興奮が煽られた。首筋を舐めながら胸に頬を寄せて乳首への刺激を続ける。 菊、最近ちょっと逞しくなってきたな…僕も負けてられないな。受験も終わったし鍛錬しよう… 逞しく成長した菊之助を想像すると、それはそれでそそるものがあるけど、もうしばらく華奢な姿を見ていたいかな… …いけない!何を考えているんだ! 慌てて前戯に身を入れる。 緩んだ帯を解いて、腰を下ろして胸から腹に舌をやる。既に勃起して先走りをじわりと零している性器を握り込んでしごいてやると、甲高い嬌声をあげた。 「あぁっ…!あっ!れんにぃ…気持ちいいよ…!」 よがる菊之助の腰を抱いて布団に寝かせて唇を舐めて再びのキスを促す。応じて口を開けて舌を出されると舌先から絡めあってから勢いよく食いついた。 しばらく息も継がずに口を吸いあって、ようやく顔を離すと唾液を零しながらお互い大きく息をついた。 菊之助の滑らかな膝を軽く持って脚を開かせると自分から開いて腰をあげて秘部を露出させた。いつもの事だけど大胆だな…。 性器を扱いていた手を離して、少し湿った指を口に含んで更に湿らせる。 「指…入れていい?」 「うん、いいよ…」 頷く菊之助のそこに指を這わせてゆっくりと指先を沈ませていく…そこは緩やかに収縮しながら僕の指を受け入れる。 「痛くない…?」 「うん…大丈夫…動かしてもいいよ。」 「わかった。」 最初は控えめに出し入れしながら中を探って菊之助の良い所を刺激してやる。 「あっ…!」 奥の一点を擦ると体が跳ねた。ここだよな… 「ごめん、痛かった?」 「ちがうっ…!そこ…気持ち良かったから…」 「そうか…良かった…」 「うん、もっとして…あっ!あっ!」 言われたとおりそこを押して擦ってやると、余程良かったようで甘い声をあげて顎を反らせて感じている。 明らかにそこは僕の唾液の湿り気だけではなくぬかるんで、これから入るものを受け入れるように弛緩してきている。 指を増やしても難なく咥え込んで、菊のそこは準備が整ってきた。 「もう挿れてもいい…?」 「うん、来て…!」 僕のも充分に勃って挿れる準備は万端だ。 潤んだ孔を何度か先でなぞってから、柔らかく開くそこに亀頭を侵入させた。 「あ…はっ…れんにぃの…すごい…!」 「くっ…」 口を開くそこに合わせて亀頭が完全に入るとくびれの部分が締め付けられて、すごくいい… しばらく小刻みに腰を揺らしてその感触を味わっていたけど、このままだと全部挿れないうちに出してしまいそうなので、腰を突き出して奥へと進んだ。 「あ、あっ!」 良い所を張り出したところが刺激したようでまた菊の体が跳ねた。 「ここ…?」 「ん…!あっ…!そこっ…!」 もう一度その部分をめがけて突いてやると身体をくねらせて快感を示した。 色付いていた肌が更に赤く染まり、汗が滲んで艶めいた肢体は見た目にも欲情を煽られる。 どうしてだろう…こんなにも僕が欲情できるのは菊之助だけだ…。 これがお父様の言う“葉山家の呪い”なのかな… 弟を欲望の対象にしてこういう事をするのは、どれだけ正当化しても褒められたことではないはすだ。 呪われているというのは正しい認識だろう。 本心を隠して罪悪感に駆られて別れを惜しんで…こんな陰鬱な感情に支配されながら身体を重ねた事は今までになかったはずだ。 あの日の夜、菊之助に酷い事をしたお父様に憤りを感じたけどそれと何が違うのだろうか。いや、こうして一旦は気分良くさせている分、僕のほうがよほど性質が悪い。 僕は卑怯だ。 別れを惜しむ気持ちと、裏切りの後ろめたさが綯い交ぜになった頭の中を快楽で塗り潰すのは容易ではない。 でも、身体は正直に弟を求めている。 最初は菊之助の身体を気遣って腰遣いも控えめだったけど、全力で腰を打ち付けて絞るように収縮するそこを蹂躪して快楽を貪った。 「あっ…あっ…!れんにぃっ…大好きっ!!」 「僕も…!」 何度も強く突き上げられながらも、菊之助の指が僕の背中の傷をなぞる。僕も菊の額の傷に口付けて、舌で愛撫した。 他の男性とそんなに経験があるわけではないけど、菊之助の中はまるで設えたように僕のものをぴったりと嵌めさせて、精を搾りとる。 技術も何も無くただ腰を打ち付けるだけで受け入れる身体はしなやかに仰け反り思う存分に快感に鳴く。 兄弟でするのは良いっていうのはこういうことなのかな… 「菊…イキそう…」 「いいよ…好きな時にイッて…!」 腰の動きを更に早めて菊の好きな辺りを重点的に擦ると、一際甲高い嬌声をあげて、締りが強くなった。駄目だ…堪えきれない! 「あ!イく!!あ!!あ!!!イッてる!」 「うっ!!僕も…!」 ほぼ同時に僕らは絶頂を迎えた。菊の足が僕の腰に絡んで腕も回されしっかり抱きとめられる。 こうやって密着して交わるのが菊之助は好きだからな…。 残滓も全て中に出すように腰を使いながら、僕もじわりと汗ばんだ菊之助の身体をしっかりと抱きしめた。 「どう…?気持ちよかった?」 いつも気にしているけど、今日は特に不安に駆られる。 「うん…良かったよ。」 菊が微笑んで僕の頬を両手で包み込んだ。 「そうか…」 何度もキスを交わしながら、お互いの興奮を落ち着かせた。 「ねぇ、れんにぃも気持ちよくしてあげるよ。」 そう耳元で囁かれて、寝ている上に覆いかぶさられた。 「うん、お願い…。」 今夜は菊にとことん付き合う事に決めている。 抱き潰して明日の夕方までへばってくれたらいいけど、僕でもそんな経験はまだ体力のなかった精通したての頃ぐらいしかないから無理だろうな。でも元気いっぱいの状態で出発まで追い掛け回されるのは困るし…。 「れんにぃ大好きだよ…。もっと上手に抱いてあげたいなぁ…」 睦言を囁かれながら何度も口や顔や首筋にキスをされる。ああ…内容がもっと健全なら微笑ましく思えるのに…。 「脚開いて…」 「うん…」 従うと、菊は体勢を変えて僕の顔に跨った。 「舐めて…」 先程から触るまでもなく勃起しているそこを口に含んで唾液をまとわりつかせる。 菊も僕のを口に含んで舐め始めて、萎えていたそこはすぐに芯を持つ。それほど菊の舌技はすごい…僕の良い所は完全に把握していて、いつどの力加減で刺激すればいいのかを適切に使い分けている。 「ん…ちゅ…れんにぃ元気だね、もうこんなだよ。」 口を離すと根本を持たれて揺らされた。指摘されると恥ずかしいな… 「れんにぃ、足開いて。」 言われた通り足を開いたけど、更に膝裏を押し開かれて、秘部が全部菊の目の前に晒された。 「んっ…」 嫌な予感がする…そしてすぐにそれは的中した。 「はっ…!菊!そこは駄目!!あうっ…」 尻の割れ目の奥を上から下まで舌でなぞられ、体が跳ね上がる。 「あはっ、恥ずかしがるれんにぃ可愛い…」 一旦口を離して喋る菊之助の吐息がそこにかかって身悶える。 「やめろったら…!」 「気持ちいいくせに~」 そう言われてわざと音を立ててそこにキスをされる。駄目だ…止めようがない… 周囲からねっとりと湿らせて、孔の際を舌先で突かれ… 「れんにぃのここ…美味しい…」 嘘をつけ!と叫びたいのを抑えて、意趣返しのつもりでいきり立って先走りを止め処なく垂らすそこを噛みつかんばかりに食らいついて、ひと舐めしただけの指を菊門に挿し入れた。 「あうっ!」 さすがの菊之助もいきなり責められるのには堪えたらしく、そこから顔を離して、嬌声をあげた。…少しは溜飲が下がったかな。 「あっ…!はっ…すごいよ…れんにぃ!」 そこは僕の精液のお陰で乱雑に突っ込まれた指を容易く受け入れて、粘性を失った透明な液体が掻き回すたびに指に絡んで伝い落ちた。その卑猥な光景に思わず下半身に熱が篭る。 菊之助はしばらく腰を揺らして、僕に翻弄されるに任せていたけど、またそこに食いついてきた。 「んっ…やめっ…!」 両手で尻を割られて、さっきより奥を舐めあげられる。 「れんにぃのここはよく締まるからしっかり慣らさないとお互い痛いよ?」 だから、敏感な所に息がかかって…!絶対わざとだ… 「っ…そうだけど……あ…!」 今度は唾液で濡れた舌先を孔の奥を突くように尖らせて舐められた。 性器への愛撫と違って強い快感は無いけど、羞恥心と相まってじわじわと僕を快楽へと追い立てていく。 「れんにぃのココ…艶々してちょっと開いてきたよ…すっごく可愛い…そろそろ指入れてもいいよね…。」 「あぁ…」 と答えになっていない喘ぎを聞くより前に菊之助の細い指が挿し込まれた。 じわじわと人差し指を潜り込ませながら周囲の肉輪を舐められて、菊への愛撫が覚束なくなってくる。 もっと奥まで抉って気持ち良くして欲しいという焦燥感と、早急に身体を暴かれる拒否感とが僕の中でせめぎ合っている。 「もっと感じてもいいんだよ、れんにぃ…奥を触って欲しい?」 羞恥に顔を背けながら答えた。 「言わせないでくれ…知ってるくせに…」 そう…そこまで単純な性格ではないつもりなのに驚くほど僕の気持ちに寄り添った行動を取る菊之助… 「あはっ、だってれんにぃのお願い聞きたいんだもん…」 第一関節までしか挿れずにゆるゆると指を回して焦らされる…。 「やだ…うぅ…」 どうして…お父様に抱かれるよりも菊之助に抱やかれる時の方が僕は乱れてしまう。 「もっと…いっぱい奥…触って…挿れて欲しい…」 「れんにい最高…!大好き!」 言うなりキスで口を塞がれ口内を犯されながら、後ろも存分に掻き回された。。 「んんっ…!!ん……!!!」 「挿れるよ…れんにぃ」 「あ………!」 待ち兼ねたモノが入ってきて僕は震えた。 「う……!」 軽い絶頂さえ覚える。 菊之助が大きく息をついた。 「れんにぃ…いい顔…」 頬を染めて菊之助が囁いた。 「…ぅ」 恥ずかしい… 「動くよ…!」 お互い夢中になってを腰を振って僕らは心を交わさないまま、交わった。 果てたあと、菊之助が布団に倒れ込んだ。 「ねぇ…れんにぃ…」 「どうした?」 来たな… 菊之助が起き上がって上から僕の顔を覗き込んだ。 「れんにぃ…卒業したらどこか行こうとしてるよね…行かないで!!」 「何言ってるんだ??そんなわけないだろ…」 「嘘…」 「嘘じゃない…」 菊之助は絶対知っている。 僕が出ていく事を、どこまで計画がバレているか解らないからこっちも万全を期している。 「本当??本当だよね!!」 まっすぐ見つめ合う視線が交錯する。 お互い瞳孔の真ん中をじっと見つめ合いその奥の心を見せあった。 「……。」 「……。」 「行かないで…。」 「解った、行かない…。」 菊之助が目を逸らした。 「菊…」 「何???」 嘘をついて、騙して…僕は卑怯だ。 少し離れただけであんなに泣きじゃくる菊を突き放す… どうしてこんな僕が好きなんだ? 「菊…僕の事…どうして僕なんかの事好きなんだ?」 「………。」 「?」 「僕なんかって…そういうとこかな…でも…わかんないそんなの…」 「………。」 苦しそうに顔を顰める菊… 嘘まみれだけど、一番酷い事を言うかもしれないけど、言わせてほしい。 これだけは…これだけは…本当だ!!!!! 「菊之助。愛してる。」 「え??」 「愛してる」 「れんにぃ…ほんと??」 しっかりと菊之助を見つめて言った。 「本当だ。」 「れんにぃ…!!!!!」 僕らはしっかりと抱き合って何度もキスをして… 朝までずっと交わった。 朝が来た、決行の日だ。 「お父様、今日までお世話になりました。」 「あぁ、行ってきなさい、私も後から行く。」 黒紋付に着替えたお父様に僕は玄関で挨拶した。 よし…これからだ…!! 送辞…答辞…式が済んでホテルの祝賀会の会場へ向かった。 うまく支配人がクラスメイトのホテルを選んで、みんなが親をうまく操ってお父様の目を反らしてくれている。 上手くいくかはわからないけど遠目なら見た目が判別つきにくいように似た背格好の髪型の影武者も用意してくれている。 お父様の足止めはこれで大丈夫として、読めないのが菊之助の動きだ。 財布に入れてある切符を見ていてどう動くかの二択だ。 これを囮と見抜くかどうかでどの寝台列車に乗るかが決まる。 お祖父様が監視をつけてこっそり教えてくれている。 菊之助は今もどこかで僕を探しているだろうか…絶対そうだ。 一番パーティーが盛り上がる時を見計らって合図が来た。 「蓮司!!!卒業おめでとう!!!がんばれ!!!!」 「イエーイ!!イエーイ!!!」 お父様は母親達に取り囲まれて完全に死角だ。 影武者が胴上げされる瞬間に僕は従業員出入り口に走った。 「蓮司ぼっちゃま!弟君はこっちの駅です!!」 解った!! 切符の列車の時間どおりの所に菊之助が向かっている。 すばやく待機していた車に乗って切符の駅の先から別の寝台特急に車で追いついて乗ることにしている。 「………。」 式の最中、在校生席から心配そうに僕を見ていたのが最後に見た菊之助の顔か… 僕は絶対菊之助に許してもらえない…でも… カバンの中の角に触れた。 君のこと、助けてあげたいから… 「菊…どうしているかな…」 駅について寝台列車に乗って扉の直前で発車を待つ。 引き止めに来るか…来ないか… 汗で濡れた手を握りしめながら駅の階段を見つめた。 もしも追いつかれたらまた動かないと… 発車ベルが鳴った。 自動ドアがしまって列車が動き始めた… 一瞬、階段を登ってくる姿が見えた気がした。 「菊…ごめん…本当にごめん…」 僕は………鬼だ。 涙を拭うと僕は寝台で眠りにつくことにした。 僕は鬼の角を握った。なんだか喜んでいる…? 必ず…必ず帰してあげるからね…もう少し待ってて… 優しく角を握ると僕はそのまま眠りについた。

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