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一章 育雛期 一節
1980年6月2日
この日のお昼休み、僕は高校のロビーで固唾を飲んで、成績順位表が張り出されるのを待っていた。
自信があるとはいえ、1位なのは確定ではないのでいつも緊張する。
脚立に乗った先生の手が丸めた紙を開いていく…徐々に見えてきた名前…
1位 北川信愛
2位 葉山蓮司
3位 京極秋高
4位 結城俊秀
5位 三好長輝
注目していた生徒達がどよめいた。
「え!?一位と二位がついに逆転!?嘘だろ?」
「え…あり得へん…」
皆の喧騒の声が遠くに聴こえて…僕はロビーに座り込んだ。
「おい、葉山…大丈夫か?」
「だ、大丈夫…。」
何とか教室に戻って僕は授業を受けた。
テスト明けなので、午後の時間も答案返却だ。
返してもらった化学のテスト…これのせいか…98点…
答案用紙を持つ手が震えた。間違えたのはどこだろう…
「ねーねー蓮司君~どうだった?」
後ろから当が覗いてきたので慌てて答案を伏せようとしたけど…
「あれ?ちょっと待って?僕の合ってる問題バツになってない?」
数少ない選択問題の一つを指差された…振り向いて当の答案を見ると…確かに合ってる。
「先生~!蓮司君のテストのマルつけ間違ってまーす!!」
大声で当が主張しだして僕は慌てて口を塞ごうとしたが遅かった。
「なんだって!見せてみなさい!」
先生に答案を渡すと、やっぱり採点ミスだったようで…。
放課後に順位表は書き換えられ、僕は学年1位に返り咲いた。
「お帰りなさいませ、お父様。」
家に帰るといつも通り玄関でお父様をお迎えする。今日も蘇芳兄様が一緒だ。
「蓮司、菊之助、テストはどうだった?」
お父様が開口一番尋ねてきた。
「はい、今回も学年一位…です…。」
僕が答え、
「勿論僕も一位です!」
菊之助も自信満々に答えた。
お父様が大きく頷き、僕の方を見た。
「何かあったのか蓮司、ちゃんと胸を張って答えなさい。」
「ごめんなさい…採点ミスがあって…最初は二位で…」
「は!?馬鹿じゃないのかお前!」
それを聞いた蘇芳兄様が声をあげた。僕は肩を竦めるしか無い。
「お前なんでいつも全部百点が取れないんだ…ニ、三教科いつも下らないミスで点数を落として…全問正解していれば採点ミスで足を掬われる事もないだろう!?」
「………本当に申し訳ありませんでした。反省しています。」
僕は土下座してお父様と兄様に謝った。
「………蘇芳の言う通りだな、結果的に一位になったものの一時でもニ位になったのは恥ずべきことだ。」
お父様が玄関を上がりながら僕に仕置を命じた。
「今夜は一晩蔵で反省しなさい。」
「…解りました。」
夕飯と風呂が終わったあと、僕は蔵の前に立った。
明日の事を考えて学ランを着ておいた。毛布一枚だけを渡され、蔵の錠前を外したお父様が顎で蔵に入るのを促す。
僕は粛々とそれに従い中に入った。
重々しい音を立てて扉が閉まり、ガチリと錠前が閉まる音がした。
しばらく真っ暗闇で何も見えないが、しばらくすると目が慣れて、小窓の僅かな隙間から差し込む月明かりが土蔵の中の物を浮かび上がらせた。
今日は月も出ているし晴れてて良かったな…寒くもないし…と闇と静寂の中で思う。
この蔵の中には先祖伝来の色々な物がある。鎧や武具、古文書や宝物など…お祖父様が東北の葉山家本家の建物から持ち出した物の中で大事な物やすぐに使わない物が入っている。
刀や槍や薙刀などの武器はきっと実際に使われた物なんだろうな…なんて考え出すと恐ろしくなるので辞めおこう。
明るい所で見たら結構楽しいんだけどな…これではほとんど何も見えないし…
ここに閉じ込められるのは3回目か…最初に小さな頃入れられた時は怖くて怖くて泣き叫んで抵抗して、その時はすぐに出してもらえた。
二回目の時は一晩入れられて…真っ暗闇がとても怖かった。
それに比べたら今回はだいぶ慣れてしまったな…
もしも蔵を開けてもらえなかったら…という不安は常につきまとうけど。そうじゃないと罰にならないよな。
……やる事が無いし寝るか。
と毛布を床に敷いて座ろうとすると、声が聞こえた。
「れんにぃ、れんにぃ。」
菊之助の息を潜めた声が聞こえた。
「菊か…」
小窓の方を向くと、カタリと何かが落ちる音がした。
拾いに行くと、それは壊れないように布で包まれた電池式のペンライトだった。
「…ありがとう。おやすみ。」
「おやすみ~れんにぃ、大好き!」
ペンライトのスイッチを入れると小さな光の筋が土蔵の中を照らす。
ちょっと物を整理でもしてみようかな…。
立ち上がってあたりを照らしてみる。
すると何か気になる感じが大きな木箱の中からした。
その箱を開けると中にも何個か箱が収めてあった。
「……??」
気のせいかな…なんだか呼ばれているような…
何個も入った箱を1つづつ出して行くと、ひときわ重い箱があった。
なんだ…金属…?石…?で出来てる…?
手のひらに収まるほどの小さな箱…
「……これって開けてはいけないやつかな…。」
色々なおとぎ話の顛末を思い出して考えこんでしまったけど、眺めているだけでは埒が明かない。
僕は意を決して小箱を開けた。
「………これは…。」
白くて鋭く尖った円錐の物体…これは何かの牙かな…それとも…角?
ペンライトで照らしてじっと眺めてみたけど、良くわからない…
「崩れたりしないよな…?」
人差し指でそっと触れてみた。
_________________________!!
_________________________!!
_________________________!!
触れた瞬間、頭のなかに大量の映像が流れてきた。
「な…なんだ…これっ…!!!???」
現代とは違う服装の人々、栄える風変わりな建築の町…そして人が居て…
いや…人ではない…頭に角…?
「お…鬼!?」
驚いて指を離すとイメージは消えた。
_______さみしい
角が薄っすらと赤く発光したような気がした。
そして感じるのは…悲しい気持ち…
「な…何…?」
この角が語りかけてきているのか…??
全然理解が追いつかないけど感情だけが直に伝わってきて…
思わずもらい泣きしてしまいそうな強い望郷と、会えない誰かへの愛慕の気持ち…
理屈抜きで、助けてあげたいと思った。
_______かえりたい
「どこかに帰る場所があるの?」
_______そう
「どうしたらいいの…?」
_______つれていって
「え…??」
_____あっち
「あぁ…さっきの町に?………どこだか分からないよ。」
_____
もう一回角に触れてみることにした。
危ないものでは無さそうなので今度は手のひらに置いて握ってみる。
「これって…君の記憶…なのかな?」
角の持ち主の鬼の…ってことでいいんだよね…
視点の低い頃から始まって…少しずつ高くなってきて…成長してるんだな…
鬼の…家の中…木造の建物の中、家族らしき鬼が見えて…
特撮映画のようなその光景に僕はじっと集中した。
何かヒントになるようなもの…
あ、外に出た。
ここって山なのかな、地面が傾いてる所に建物が建てられているし、ここは山の中腹?
左に山が見えて、眼下には平地が見渡せて右に海が見える、そんなすごく眺めのいい町だった。
「綺麗な景色だね…」
平地には田んぼのようなものが見えて海には大小の船が見える。
「すごく昔みたいだなぁ…紀元前…?海もあるし何だか山が少なくて京都じゃないみたいだ…」
______
「あ!もしかしてここにあったって事はお祖父様の居た東北のどこかなのかな?きっとそうだよね?」
______
「そうか…ちょっと探してみないと解らないね…明日から調べてみるよ。」
僕は角を箱にしまって学ランの胸ポケットに入れた。
夜も更けてきた…何時ぐらいだろう…場所の候補を考えたかったが流石に睡魔が襲ってきたので僕は毛布に包まって眠った。
ガシャリ、と錠前が音を立て、扉が開く音で目が覚めた。
すぐに正座をして朝の挨拶をする。
「おはようございます、お父様。」
「…おはよう、蓮司。どうだ、反省はできたか?」
「はい…次は満点で一位を取れるよう頑張ります…。」
お父様が頷いて言った。
「…朝食だ、出なさい。」
「はい。」
お父様が蔵を出るように促す。僕は毛布を持って外に出た。
朝日が眩しい…。
あと床で寝たのでちょっと体が痛い。
それから、僕はいつもの勉強に加えてこの角の見せてくれるイメージの場所を特定する事を日課にした。
日本中の地図を見て検討したけど、太陽と海の位置からして、日本海側のどこかなのは確かなようで…やっぱりあの山から見下ろした広い平地はお爺様の故郷の東北の山形県の庄内平野のような気がする。
数年前行ったんだよな、お祖父様の故郷の山形県…
米沢と鶴岡にお父様の出張にお供をして旅行させてもらったんだけど、都会と違って空気も綺麗で城下町の雰囲気も好きで…鶴岡の分家のお屋敷を訪ねたあたりで兄様が頭痛がするって倒れてしまって大変だったけど…
そして、鬼の角から生前の記憶を見せてもらって調べれば調べるほど、僕ら葉山家の人間の祖先は鬼だったという言い伝えは単なる比喩ではない可能性が高まってきた。でなければこんなに鬼の角に触れて共感を感じる事はないだろう。
そして、この角を元居た山に還す事は、とても重要な事で、自分の使命だという自覚が不思議と湧いてきて…それが葉山家の為になると言うことを確信していた。
東北に行きたい、いや行かなければいけないという気持ちは強くなる一方だった。
この間の進路相談のアンケートにはお父様の意向通りに地元の京大の経済学部を第一希望にし、第二希望の東大の経済学部、第三希望には東北大の経済学部を書いておいた。
だけど、第一希望以外は有り得ない、家を出て他県の大学に通うなど許さん、とお父様の言葉に従い、京大を受験することに決めた。
受験勉強に夢中になっているといつしか季節は春から夏へ変わり、合唱コンクールは関西大会で金賞を取れたが3位で全国大会には出場できないいわゆる駄目金という結果だった。
だけど、今までは銅賞でたまに銀という結果だったので進歩したものだ。
金賞を取って自信をつけた後輩たちに後を託してぼくら三年は引退して受験勉強に専念することとなった。
そして、秋が来て、冬となり、年が明けていよいよ受験シーズンとなった…共通一次の成績は問題なく得意科目は満点で他も数問落としただけで何とかなりそうだった。
そして国立大学の願書提出日、夕食後に兄様と菊の見守る中、僕はお父様と対峙していた。
「お願いします、東北大を受験させて下さい。」
「何を突然…駄目だ。」
「ごめんなさい、でもやりたい勉強があるんです。」
「家でやれ、何故わざわざ東北に行く必要がある?葉桜の為になら京都で勉強するのが一番だ、認めん。」
「葉桜だけではありません、葉山の家の為にしたいことがあります。」
「どういう事だ。」
「考古学を学んで葉山の過去を調べたいんです、きっと葉山の為になると思います。」
「聞いていないぞそんな事!しかもそんなあやふやな理由では認める訳にはいかないな。」
「絶対、葉山の未来を繁栄させる結果にしてみせます。」
「どうしてそんな予測がつく?」
「………頑張ります。」
お父様がため息をついた。
「世の中頑張れば何でも出来ると思ったら大間違いだ。何がそこまでお前を動かしているんだ、蓮司。」
「………この家が好きだからです。」
蔵から出てきた謎の角の声を聴いて…なんて言ったら間違いなく気が触れたと思われるだろうからそこは言えない…。
「話にならん、東北大の受験は許さんぞ。」
怒気を含んだ声に思わず従いそうになるが、土下座の姿勢になる。
「お願いします、受験させて下さい。僕ももう十八歳、自分の将来は自分で決めたいんです!」
苛立ったお父様のため息が聞こえる。
「……………そこまで言うならお前の覚悟、見せてもらおうか。」
お父様が立ち上がる。
「庭で待っていろ、蔵の前だ。蘇芳、菊之助、お前たちも来い。」
「はい。」
「は…はい!」
お父様が居なくなってから、蘇芳兄様が激怒して掴みかかってきた。
「何て事してくれたんだ!今すぐ撤回してお父様に謝れ!」
「やめて!すーにぃ!」
菊之助が制止してくれたけど、あからさまな処刑宣告をされた僕はまともに返事ができる精神状態ではなかった。
「何とか言え!」
言えたとしても喧嘩になるだけだし…
菊之助と揉み合いながら尚も僕に怒りを向ける蘇芳兄様を菊之助がなだめる。
「すーにい!僕らも行かなきゃお父様が…!」
「くそっ…!」
菊之助を振り払って蘇芳兄様が庭へと向かって、僕らもそれに続いた。
葉山邸には隠された地下室がある。
榊は荒々しく物置の扉を開けて中に入った。
そして普段は誰も注意を払わない五月人形の入った大きな箱をどけてその下にある扉を開けて階段を降りた。
埃を蹴立てて裸電球を灯し、奥にある目当ての物を手に取る。
すぐに庭へと行こうとした榊だったが、荒々しい叫び声をあげて暗闇を殴った。
そこには木の格子があって、殴られた振動で激しく軋む音がして埃が舞った。
…そこには座敷牢があった。その中には何も見えない。
渡り廊下から庭に降りると、お父様もすぐにやって来た。
手に縄と細くしなる竹に糸を巻いた棒を持っている。
「蘇芳、菊之助、お前たちはそこで見ていろ。」
その棒でお父様が渡り廊下の上を指した。従ったニ人を見てお父様は、棒を振った。
ブン、と低い風切り音がなり、一瞬でそれの使い道が解った、解ってしまった…
弦を張らない弓に見えたあれは…笞…今からあれで僕が打たれるんだ…全身が硬直する。
「あぁ…どうして私はこんな事をしているんだ?蓮司…息子を鞭打つような事など私はしたくない…私はお前を愛しているんだ…」
心底、嫌そうな声でお父様が告げる。
お父様が確かめるように何回も何回も素振りをして風切り音が耳に突き刺さった。
「今、撤回すれば許してやらん事もない…どうだ?」
「………。」
口が乾いてきて声は出ないけど首を振って意思表示をする。
「そうでなくてはな…葉山の男が一度言った事を違えてはいけない。」
お父様が命じた。
「蓮司、上半身の服を脱げ。」
頷いて手早く学ランとカッターシャツと肌着を脱ぎ捨てて上半身裸になった。
切腹する武士の覚悟ってこんな感じだったのかな…
いや、そんな生易しいもんじゃないか…
お父様が巻かれた荒縄を解いて近づいてきた…縛られるとすごく痛そうだ…
「し、縛らなくても…いいです……動かずにじっとしていれば良いんですよね……。」
震えを抑えながら、何とか言うとお父様が高笑いをして縄を投げ捨てた。
「いい度胸だ、褒めてやるぞ。向こうを向いて正座して座れ。」
言う通りに座って、衝撃に耐える為に全身に力を入れた。
この判断は合っていたのかどうか…
「いいのか?蓮司…私はお父様ほど上手ではないからな、動けば失敗して骨を打って痛い思いをするかもしれないぞ?」
え…お祖父様が!?
一瞬動揺してしまった瞬間背中に最初の一撃が入った、衝撃の後に焼けるような痛みが背中に走る、痛い…!
「く…!」
「蘇芳!回数を数えろ!」
「は…はい、一回!」
「ほら…蓮司、痛いだろう…私はこんな事、したくない…。」
「…………。」
二回目、さっきより強い一撃が背中に入る。
「に…二回!」
怯えきった兄様の声が庭に響く。
「さて…何回まで打たなければいけないかな…どうする?蓮司?」
二回目と同じ場所をもう一度打たれた。
「わ…解りません…」
「あぁ…私もまだ決めていない…」
「さ…三回!」
次は唐突に脇腹を打たれ、体が傾く。
駄目だ…背中だけとは限らないんだ…歯を食いしばって耐える姿勢に戻る。
「よ…四回!」
お父様がため息をつく。
「全く…こんな事労力の無駄だと思わないか…蓮司、痛いだろう?」
更に強い衝撃が背中にきた。痛い…!
荒く息をついてやり過ごす。
「五回!」
「どうしてそこまでこの家を出たがる…?」
「六回!」
「…答えなさい!」
「な、七回」
「葉山家の為に…」
「八回!」
「…本当にか?」
「九回!」
「………はい。」
背中全体が熱を持ってきたように痛む…だけど耐えるんだ…耐え抜いて見せないと…!
「十回!」
「葉山の呪いから逃げたいか?」
「いいえ!!逃げません…!」
終わりの見えない痛みと責め苦の中思う…
お父様の言うことに間違いはない、僕の覚悟を試している。
最後まで…これを最後まで耐えてみせたら…
僕はこの家を出て、葉山の事をもっともっと調べて、僕が家族の皆を好きな理由を探せるんだ…!
怖いものは何もない。
いや、家族の縁が切れてしまう事だけが僕は怖い…。
この痛みが、この辛さが、どんなに離れていても
僕らの絆を教えてくれる…!
そのために僕を鞭打つんだ
そうでしょう…!?
お父様…!!
そう考えると、痛みが少し薄れる気がした…
「がっ…!!!!」
「ろ、六十一か…い…」
肩甲骨の古傷に当たった…ここは駄目だ…!!神経に当たった!!手が痺れる…!!
情けなく叫んだりせずに何とか耐えたいと思ってたけど思わず腰が浮いた。
すると次は肩を打たれ蹲ってしまう。
「起きろ!蓮司!」
「く…う…。」
動けないでいると鞭で顎を上げられ強制的に体を起こされてすかさず次の鞭が入る。
「六十ニ回…」
骨を打たれると本当に痛い…体が動かなかった…
続けざまに二回打たれる。
「は…八十八回…」
また続けて二回。
「八十九回…」
「おい!!蘇芳!!間違えるな!!」
お父様の叱責が飛び…
「90回!!」
絶叫のような菊之助の声が聞こえた。
お父様が冷酷に告げる。
「八十八回だ。」
菊之助の唸り声が聞こえ、兄様を睨みつけているのが見なくても解る。
僕はいい兄弟を持ったな…兄様も菊も…ごめん…こんな事させて…
「百回!」
終わり…か…!?
「全く大した男だよ…蓮司、お前は。」
「ひゃ…百一回…」
「まさかここまで」
「百ニ回…」
「音を上げずに耐えるとはな…」
「百三回!」
「だがな…」
「百四回…」
「志望校を変えることは許さん。」
「百五回。」
「それでも受験するというなら勝手にしろ。そんなに行きたいのならすぐに出て行け。」
今までで一番強い一撃だった、耐えきれず顔から地面に倒れて砂を噛んだ。視界がぼやける。
「百六回!」
からんと鞭を投げ捨てる音がした。
「そ…そんな!!!」
「……明日の朝までは待ってやる。この家を出て行け、帰ってくるな。」
菊之助が叫ぶ。
「お父様!酷いよ!!れんにいを追い出さないで!!」
「煩い!!こっちへ来い…!」
激痛の中振り向くと、菊之助がお父様に無理やり連れて行かれるのが見えた。
「き…菊…!」
痛みで動けない僕は為す術もなく見送ることしかできなかった。
蘇芳兄様はあまりのショックに呆然と渡り廊下にへたり込んでいる…
この痛みに耐えて…耐えたのに…
覚悟を…見せた…はずなのに…
どうして…
家を出たいとは言ったけど…
そんなにも早く家を出されたら僕はどこへも行く所がない…
それに…関係ない筈の菊之助まできっと酷い事を…百回打たれるよりもその方が辛くて…
もう…泣くしかなかった。
「蓮司ぼっちゃま…ここに居るとお風邪を召してしまわれますよ…。」
我に返った兄様が部屋へと歩いて行ってしばらくして爺やの優しい声が聞こえた。
そういえば、今は1月…急に寒さを感じた。
「…立てますか?足だけでもお風呂に浸かって温まった方がいいかと…。」
「うん…」
手の甲で涙を拭って立ち上がる。
すると爺やがさっきの最後の鞭で吹き飛んだ眼鏡を拾って渡してくれた。
「ありがとう…」
奇跡的に傷も歪みもなかった眼鏡をかけて、痛む背中をかばいながら風呂場に向かった。
最初に背中に水をかけて灼けるような痛みを冷まして、半身だけお湯に浸かる。
こんな時でも、お風呂に入ると少しは心が解れるな…。
風呂から上がると寝間着の上に軟膏が置いてあった。
爺や…本当にありがとう…
こんな時だから、爺やのさり気ない優しさが心に沁みた。
背中に薬を塗って寝間着を着ると、部屋に戻ってうつ伏せで寝転がって…
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