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第3話
人の都のほど近く。岸辺の石の陰で、俺はナガルにもらった薬を飲み干した。
じわじわと尻尾が痺れだした。ぽろりぽろりと鱗が剥がれはじめ、下半身がかっと熱くなる。岩陰に潜んだまま、体の変化が安定するのを待った。
青々とした翠玉をちりばめたような鱗はもうどこにもない。下半身は魚類から人の足へと変化していった。
「おお〜っ、これが足か! なんか白くってムチムチしてんなぁ!」
格別短いわけでも長いわけでもない。なんつーか、生っ白くて肉付きのいい形だ。腰から下を確かめるように触ってみる。丸くてむっちりとした尻がある。そんで、尻と尻の間が割れていた。へええ、人間ってこうなってんだなぁ。
こうして人の姿を手に入れた俺は、素っ裸で遭難者のフリをして、よちよち歩きで陸にあがった。
結論から言えば、おとぎ話に出てくるようなお城もなければ、王様も王子も誰もいなかった。ぜいたくな暮らしにうつつを抜かす彼らを、ブチ切れた庶民がとっちめて、王族はみーんな、いなくなったらしい。処刑されたのだ。
俺の復讐は、知らない人間の手によって終わっていた。
それでも、せっかく二本の足で地上を冒険できるのだからと城跡を訪ねれば、昔を知る老人が墓守をしていて、王族の末裔が今も暮らすという葡萄畑を教えてくれた。
「よぉしっ! じゃあ俺、そいつを一発ぶん殴って帰ろっと!」
そしたらきっと、スッキリした気持ちで海へ帰れるはずだ!
決意も新たに足を伸ばしたその村は、へんぴなところだった。馬車も通らないし、店も少ない。したがって旅人も通らない。放牧が盛んなのか、道をゆくのは羊や牛。ときどきロバがぼんやり突っ立っている。
とんでもねえド田舎だ。
しかし墓守の老人が言ったとおり、高貴な容姿の青年がひとり、その村に住んでいた。
人間の姿になって三日目。俺は「どーもー! 歴史研究家でーす!」と大嘘をついて、そいつのいる場所を訪ねた。
「……あんた、昔は王子様だったって、本当?」
「たしかに僕は王子だった。もう昔のことだよ」
そこまで言うと、王子だったという男は、ふっと目を伏せた。
二十歳前後くらいの、涼やかな美男子だ。耳にかけていた髪が、はらりと頬に流れる。星の光で紡いだ糸のような、美しい金髪だ。長いまつ毛も、黄金で作った毛鉤みたい。
俺より十センチ近く上背があって、肩とかはガッチリしてるけど、全体に華奢に見えるっていうか、少し表情に翳がある。俺の姉ちゃんたちが読んでたロマンス小説で言うところの「守ってあげたくなるタイプ」か?
落ちぶれたはずの元王子の姿に、自然と目が吸い寄せられた。
「……復讐しようとか、王様になってやろうとか、考えたりしなかった?」
俺の問いに、元王子はゆるゆるとかぶりを振った。
「命があるだけで有難い。ここは母の生まれ故郷でね。葡萄を育てていればどうにか暮らしていける。僕にはこれで十分だよ」
うわー……いい子ぶってんのか?
むしょうにイライラしてくる。俺だったら、身内を殺されて自分だけ生き残ったとして──のんびり田舎暮らししたりできないと思う。神経が図太いんだろうな。
「本気でそう思ってんの? なんでそんな悟りきってんだよ? 贅沢な暮らしがしたいとか思うだろフツー」
「きみの言うフツーがどういうものか、想像はつくけど……」
元王子はふっと薄く笑った。
「革命は、誰が悪いとか簡単には言えない話だもの。王侯貴族は処刑、家臣も処罰されて騎士団も解体。王宮に眠っていたお宝は略奪された。僕は前王の庶子だけど、長く市井で暮らしてたおかげで処刑を免れた。即位したばかりの腹違いの兄は、街の広場で首を刎ねられたそうだよ。会ったことも話したこともないから悲しめなかったけど」
憂いを帯びた緑の瞳は、昏く沈んでいる。1日の仕事を終え、土で汚れたくたびれた服を着ているけど、それを差し引いても元王子は、目元涼やかですらりとした美男子だった。
外見だけじゃなく、中身もいいやつだったりして。それってなんか、やりづらいよな。腹ん中真っ黒のほうが復讐もやりやすいのにな。
「じゃあ、あんたは今、母親と暮らしてんだ?」
「母はずいぶんまえに流行病で死んだよ。今は僕ひとり。それより……」
元王子は顔を上げて微笑んだ。
「きみの名前、まだ聞いてなかったね」
元王子がちょこんと首を傾げた。俺は一発ぶん殴るだけのつもりできたから、名前なんて教えてやる義理はないのだが……。あさっての方角に放り投げるみたいに、ぞんざいに名乗った。
「カミーユ」
「カミーユ……? きれいな名前だね」
「言っとっけど、女みたいな名前だとかほざいたら、ぶん殴るからな! いちおう気にしてんだ!」
「そんなこと言わないよ。カミーユか……いいね。きみに似合ってる……」
「ふんっ。で、あんたは?」
「僕はジーク。よろしくね、カミーユ」
ジークが笑うと、端整な容姿が少しだけ人懐っこそうに笑み崩れる。
「暗くなると、村境には獣が出て危ない。今夜は僕の家に泊まるといいよ」
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