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第2話

 さて。まず決行するのは、陸へ上がるための作戦だ。海の魔法使いのところへ行って、人間になる薬を処方してもらうのだ。そんで、王子に会いに人間の国へ行く。王子に会ったら、父ちゃん譲りの拳でぶん殴る。完璧にして華麗なる復讐計画だ!  天気晴朗にして視界良好、波も穏やか。目的がはっきりしてるって清々しいな。海を漂うプランクトンも心なしか微笑んでいるようだ。  さっそく魔法使いの棲家へ向かった。  魔法使いの家は海底火山に接しており、絶えずぶくぶくと熱湯が湧き出ている。茹で上がりそうな熱気にうろたえたが、勢いよく飛び込んだ。  熱湯のカーテンを抜ければ、怪しげな海藻がうっそうと生い茂って、波に揺れていた。  海蛇族の長にして海の魔法使いでもあるナガルに謁見を申し込んだ。  ナガルは半人半蛇の姿をした魔法使いだ。黒く長い髪が、神秘的なヴェールのようにナガルの顔のまわりで揺らめいている。  俺が部屋に入ると、彼は気だるげな表情をわずかに引き締め、ぴくりと眉を持ち上げた。 「私の聞き違いかな。人間になるって……カミーユ、正気なのかい??」  要件を伝えると、ナガルは驚いたように口を開いた。切れ長の赤い眼がサーチライトのように鋭く光る。 「そーだよ、ちゃんと聞こえてるじゃねーか、くそじじい。早く俺を人間にしやがれ!」 「ちょ、え、なにその態度ぉ、相変わらずクソガキ〜」  めんどくさそうな視線がじとっと向けられる。むっと、おじけずに俺も睨みかえす。  先にナガルが折れて、やれやれと肩をすくめた。 「復讐ってのは面白そうだけどね。魔法には対価がいるよ。さあ。きみは私に何をくれるのかな?」  ひいひいばあちゃんは、海の魔女との取り引きで、うつくしい声を差し出したと聞く。年端もいかぬ少女に、対価として体の一部を差し出せとか、まったく魔法使いってのは腹立たしい。 「あのさー、そういうとこ、時代が進んだくせに変わってねえの? 魔法ってヘボいよな〜。だから魔法使い志願者も不足してんだろ?」 「……ほんっとにきみは口が悪いねえ。あのね、魔法に対価が必要ってのは先代からの教えなの。勘違いしてもらっちゃ困るけど、魔法は何もない場所からは生まれない。価値あるもの同士を交換する術なんだよ。恵みを与えもするが代償として奪いもする」  そこで言葉を止め、ナガルはスッとまなじりを吊り上げた。爬虫類めいた双眸が妖しく光った。  魔術か妖術か。圧力めいたものを感じて、落ち着かない。 「お遊びで使おうってんなら、天罰が降るよ。人魚のぼうや」 「ぼうや」というとき、俺を冷笑するような薄笑いを浮かべて、ナガルはふうっと息を吐いた。紫煙がくるくると俺のまわりを渦巻いて、からかうように肩や腕を掠めては擽り、少しして消えた。  子供騙しみたいな脅しで、引き返したりするもんか。  腰に巻き付けていた布を外すと、その中にまとめていたものを、ナガルの前に、じゃらじゃらじゃらーっ!っと、ぶちまけた。  深海の色を宿したアクアマリン。人魚の涙を閉じ込めた琥珀。珊瑚礁が育んだ艶めくコーラル。太古の貝殻が宝石となったアンモライト。白銀に輝く大粒真珠に、虹を孕んだアヴァロン貝まで……。  ありとあらゆる海の宝物を、ナガルの前に放り投げたのだ。  ナガルが、「ほう」と呟いて目を見開き、唇の端を持ち上げた。アクアマリンの粒を指で摘みあげると、部屋の明かりに翳して、じっくり検分している。どれもこれも正真正銘の逸品。海神ポセイドン様に誓って本物だ。 「どうだよ。あんたがお望みの対価だ。これで文句ねえだろ」 「お子様にしては良いもの持ってるじゃないか。さすが人魚王の愛息子だ」 「沈没船からせしめた金貨や銀貨、怪しい壺だってある。対価ってんなら、こんくらいで十分だろ。ちゃっちゃと俺を人間にしやがれ!」 「はぁー……きみはその口の悪さを矯正してから地上に出たほうがいいと思うよ。まあいいか。めんどくさいし。はい。人に変化するなら、古来よりこの薬と決まってる」  小さな瓶をひとつ渡された。ねっとりした液体が、たぷんとガラス瓶の中で揺れている。思わず唾を飲み込んだ。これが、人になれる薬……赤や青、緑に黄色の光の粒が、瓶の中できらきらと明滅している。 「岸まで出たら、岩陰に隠れて、この薬を飲むように」 「全部飲めばいいんだな?」 「そうだよ。薬の効用は1週間。7日の間だけ、きみは人でいられる。その間に目的を果たすんだね」  ナガルは陸の上の世界について、さらっと教えてくれた。 「数年前、人の国では大きな政変が起きたらしい。きみに何かあったら、私が人魚王に刺されるんだから、くれぐれも慎重に行動しておくれよ?」 「よーしっ、まかせとけ! 待ってろよ、ひいひいばあちゃんの仇ぃぃぃ〜!!!!」 「……カミーユ、私の話聞いてる?」  瓶を掌中にしっかり握りしめると、ナガルの家をうきうきしながら飛び出した。  俺は人魚族の末っ子だ。  上には、逆立ちしたって敵わないような優秀な兄や姉たちが君臨している。  みんな悪気はないんだろうけど、 「カミーユは可愛いままでいいんだぞ。ダンベルは捨てなさい。ムキムキになっちゃいかん」  とか、 「カミーユ、お外は怖いのよ。お家でぬくぬくしてなさい」 「ちょいカミーユ、テディベア抱っこしてみ。ファッ、我が弟可愛い〜、海の至宝ぞ〜」  とか言われて甘やかされ、大事にされてきた。  期待されている感じは一切なくて、ペットとかマスコットに近かったと思う。ナチュラルにスポイルされちゃったのだ。甘えれば甘えるほど喜ばれたし、なにかに挑戦しようと意気込めば、大げさに心配されたあげく、家族会議を開かれる。  算術は苦手だし、筋トレも中途半端。趣味といえば、子供部屋のDIYが関の山……。  世間知らずのもやしっ子。そんな自分がコンプレックスだった。  だけど今日、俺は人間になれる薬を手に入れた。  俺だって一人前の人魚族になりたい。末っ子でも、一族のために何かできるって思いたい。  この世界には、俺にしかできないことがあるはずだ──。

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