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第6話
女官やお針子が退室し、レヴェント親子とイーキン、そしてユスフの四人になると、レヴェントは今後の予定を話した。
「総出で作らせるので、衣装は明後日には揃うだろう。後宮入りは三日後だ」
花嫁衣装を脱ぎ、化粧を落としたユスフは、男物の軽装――とはいえユスフの普段着より何十倍も上等だが――で膝をついた。
「殿下を謀った罪人の身でお尋ねするのは恐縮ですが……ルウさまを育てる役なのに後宮に入る必要があるのでしょうか」
ある、とレヴェントがうなずく。
「縁談が舞い込んで仕方がないのだ。一人も妃がいないために、高官や貴族がこぞって私のもとに年頃の娘を寄越す。これがいいかげん煩わしくてな……」
うつけだ放蕩者だと噂されても皇太子。世継ぎのことも考えると、齢二十六で妃が一人もいないのは確かに異例のことなのだろう。
「お妃さまはいらないのですか?」
「だから、そなたがなってくれるのだろう?」
レヴェントは自分の長椅子をぽんぽんと叩いた。ユスフに隣に座るよう促しているのだ。
「おれは子守り役で……」
そう答えながら、ユスフは一礼して長椅子に腰を下ろした。柔らかな座り心地の、上等な長椅子だった。レヴェントが顔を寄せ、声を潜める。
「よいか、私は後宮でそなたを盲愛する愚かな皇太子だ。そなたも合わせてくれ。一度は妹のために捨てようとしたその命、私にしばらくの間預けてくれるな?」
レヴェントはユスフの手を取って、その指先に唇を落とした。静かな部屋に響くのは、ルウがおもちゃで遊ぶ音と衣擦れの音だけ。ユスフは顔を火照らせて首を振った。
「殿下、おれのような身分の者にそのような」
手を引こうとするが、阻まれて腰まで引き寄せられる。金色の瞳に射貫かれ、その美しさと恐ろしさに身体が硬直してしまう。
「拒むな、今日からそなたは私の寵妃だ。名を呼ばれたら微笑み、肩を抱かれたら頬をすり寄せろ。つけ入る隙のない夫婦を演じるのだ、いいな」
ユスフは素直に返事ができなかった。
一体どこの皇族が男を寵妃にするというのだ。すでに「帝国一のうつけ」などと不名誉な呼び名があるというのに、それを助長するようなことをしてどうするのだ、と。
「殿下のご命令じゃ、返事をせんか、返事をっ!」
先ほどまで反対していたイーキンに叱られる。縁談を逃れる口実だと分かって、納得したようだ。ユスフはしぶしぶ「はい」とうなずいた。
レヴェントは満足したのか「よくできました」と白い歯を見せて微笑む。老若男女種族問わず腰砕けにする、その美貌と色香をそばで浴びると思わず目眩がした。
「ルウが安定して会話ができるようになり、私の目的が果たせたら解放する。解放といっても表向きは、側室を臣下……つまりイーキンに下賜する形となる。そうすれば晴れて自由の身だ。同時に褒美を取らせる」
レヴェントの言葉にイーキンが「本当なら処刑されてもおかしくない者に褒美などと」と異を唱えるが、それを手で封じた。
「そのほうがやる気が出る、何が欲しい? 金か領地か、それとも身分か」
「いえ、殿下を謀った罪を許していただくためにこのお役目をいただくのですから、そのようなお心遣いは」
レヴェントは、欲がないな、と鼻で笑いながら一つ願いを言うよう命じる。
「……では、もしこのお役目が終わり、おれがまだ使い物になるなら、どうか騎士団に戻していただけませんか。騎士になるのが夢だったので」
「騎士に思い入れが?」
ユスフは騎士に志願した動機を打ち明けた。
野盗から助けてくれた騎士に憧れたこと、その騎士からもらった木刀を励みに剣術の稽古に取り組んだこと――。
「……頑張ってきたのだな。分かった、約束しよう。得物は何を?」
「半月刀です」
最近は異国から伝わってきた直刀が流行しているが、ユスフは助けてくれた騎士への憧れから、刀身が湾曲した伝統的な半月刀を愛用していた。古くさいとよく揶揄されるが。
「今どき珍しいが、半月刀なら私の宝物殿にいい刀工のものが揃っている」
「……どういうことでしょうか」
「刀を用意する。後宮での役目がいつ終わるかはまだ分からないが、騎士団復帰のために鍛錬は怠るな。ただし、後宮内で刀は隠しておくように。緊急時以外は騎士だとばれないように振る舞ってくれ」
ユスフは礼を述べて、その場で深く頭を下げた。謀った相手にここまで懐が深いとは思わなかった。放蕩者、うつけ者という噂とは大違いだ。
「お、温情を賜り、まことに――」
どす、と背中に何かが乗った。礼を言い終える前に、ルウがユスフの背中に子亀のように乗っかったのだ。
「おんぞうたみゃわり」
ユスフの真似をしてはしゃぐ。
「ル、ルウさま……?」
身体を起こしてルウを膝に載せると、その頬をレヴェントがつつきながら「そなた、そのようなかわいい声をしていたのだな」と顔をほころばせる。
「ルウ、今日からこのユスフがお前の子守り役だ。よく言うことを聞くのだぞ」
そう言われたルウは、分かったのか分かっていないのか、膝に座ったままユスフを振り返る。じっとまっすぐ向けられるその視線に、懐かしさがこみ上げる。孤児院に来たばかりの幼子たちも、こんな顔をしていたからだ。
(自分を受け入れてくれる大人か見てるんだ)
ユスフはゆっくりと目を細めて微笑んだ。孤児院で子どもたちにしてきたように、そして自分も孤児院の保育婦からそうされてきたように、言葉ではなく表情で訴える。
離別を味わった子どもは、大人を恐れながらも愛着対象を求める。自分を守ってくれる自分だけの大人を本能で求めるのだ。
ユスフ自身もそうだった。孤児院の保育婦が〝孤児全員の親代わり〟であって〝自分だけの大人〟ではないと分かると、奇跡的に息を吹き返した親が自分たちを迎えに来るのでは――と夢見て正門の塀に腰かけ、日が暮れるまで足をぶらぶらさせていたこともある。
(同じ境遇の子と巡り会ったのは、きっと何かの導きなんだな)
処刑をも覚悟していたのに、許された上に騎士団への復帰まで約束してもらったのだ。しばらくは、同じみなしごであるルウに尽くそうと腹を決めた。
「ルウさま、おれをおそばに置いてくださいますか」
ルウは紫の瞳をくるりと見開き、おずおずと鼻先を寄せてくる。ユスフの顔を、小さくてぷにぷにの手でいじくり回し、しばらくすると満面の笑みを浮かべた。
日差しを受けたルウの金髪は、ふわりと揺れると収穫前の小麦畑を思わせた。
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