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慈しみ深き 友なるイエスは 罪 咎 憂いを 取り去りたもう 心の嘆きを 包まず 述べて などかは 下ろさぬ 負える 重荷を 離れの縁側に置かれた足踏みオルガン。 叔父から奏でられる音色に誘われ離れに赴けば 叔父は笑って私を向かえ入れ 「鍵盤に指が届かないだろ?」と 恥ずかしがる私を膝に乗せてはまた微笑み 私の指に叔父の指を添え弾き方を教えてくれた。 音を出す為、踏板をふむ度に その振動が私の腿裏に伝わり 下腹部辺りから湧き上がるむず痒さを覚え 急に不安になってしまい 鍵盤から指を退けギュッと膝の上で握りしめる。 それを気にも留めず叔父の指は鍵盤の上を踊り続けるので 私は不安を隠すように叔父から奏でられる音色に その讃美歌の歌詞を重ねた。 叔父の名は春さんと言い、右目にいつも眼帯をしていた。 幼い頃、酷い怪我をし右目が駄目になってしまい 叔父は義眼を嵌めており それを気持ち悪がる使用人を気遣って 眼帯をするようになったそうだ。 毎夜、叔父の風呂上りに 父がその義眼を消毒しガーゼを交換する。 その間、私も住み込みの看護婦も 診察室に近寄ることを許されなかった。 母屋の大半は開業医である父の神聖なる領域で 幼い頃の私は 「患者さんがいらっしゃる時は足を踏み入れてはなりませんよ」と きつく姉やから言われていたので 扉続きで待合室のある玄関は決して使わず 尋常小学校からの帰りは勝手口を使っていたせいもあり 陽が落ちるのが早くなる秋口から冬にかけては 夕焼けを背にするように建てられた叔父の住む離れが 赤く染まっていくのを目にしては 肉を喰らってもなおまだ足らぬと 血に染まった口を大きく広げた化け物が 離れの家屋ごと、呑み込もうとしているように見え 叔父までも喰われて消えてしまいそうに思い よく、恐ろしくなったものだった。 叔父は右目が見えないだけでなく 私が尋常小学校に上がって次の年に胸を患ってからは 浴衣姿で床に臥せっていることが多かった。 そのせいもあってか嫡男である私は姉やから 「坊ちゃまはあまり離れに行かれますな。    春様のご病気が移ってはなりませぬから」とも きつく言われてはいたが 雨粒が屋根を弾く音に混じり聞こえてくる オルガンの清らかな旋律が 何故だか悲しい音色に変わり・・・ その寂し気な音色を耳にすると 私は姉やの目から隠れては離れに足を向けていた。 そんな・・・ 雨の日だけ・・・ 愁いを含んだ笑みを浮かべて 私を迎えいれてくれる叔父を その小さな手で抱きしめたくなったのを覚えている。 叔父のことを思い出す度、浮かんでくるのは その時の愁いを含んだ笑顔で。 けれど・・・ その笑顔は何時しか消え 私に差し出された白い腕は雨粒に濡れ 痛々しそうに見える眼帯と 白いガーゼで隠されているはずの義眼は消え ぽっかりと空いた窪みから私を見ているような錯覚に陥る。 何故、私がそう感じてしまうのか・・・ その笑みと眼帯に隠された秘め事を知るまでは ただの私の勝手な空想だと思っていたが 全てを知った時・・・ 私が感じ取っていた物全てが形となり 私を襲うことになる。 だが・・・ それは・・・ 随分と後の話だ。 私の母も叔父と同じく胸を患い 私がまだ乳飲み子の時に亡くなったと聞かされている。 母の顔を知らない私にとって 白い肌にほのかに赤く色づいた唇に笑みを浮かべ 眼帯を隠す為か散切り頭ではなく 男性にしては少し長めの髪をした叔父を母のように慕っていたし 父も母が亡くなってから後妻は娶らず 叔父が胸を患い姉やが来るまでは 私は叔父と長い時間を共にしていた記憶が残っている。 けれど・・・ 母屋で叔父と一緒に遊んだ記憶はなく 決まっていつも離れの質素な部屋で 私の前に広げてもらった挿絵の多い本を 叔父に読んでもらった思い出ばかりだった。 叔父は・・・ ガーゼを交換してもらう時だけ母屋に来ていたと思う。 食卓を一緒に囲んだ覚えが全くなく 姉やや他の使用人の叔父に対する態度も 幼い私の目から見ても明らかに違い 父や祖父母、私から比べればどこか下に・・・ 蔑んで見てるような気がしていた。 そのことをまだ、幼く思慮深くなかった私は 違和感こそ感じ取れどもそれだけに留まり 叔父の置かれている身の上までには考えが及ばなかった。 一度、まだ幼かった私は叔父のガーゼ交換に行くのを 叔父にもっと絵本を読んで欲しいとぐずり 叔父の足に纏わりつき診察室まで付いて行き 父に酷く叱られたことがある。 叱る父の声に驚き泣きわめく私をばあやが抱き 寝室のある二階へと連れて行ってくれたのだが その肩越しに見えた診察室の扉を 今でも鮮明に思い出すことが出来る。 夜だと言うこともあり灯りを落としていたからだろうが 長い廊下の先にある扉の上に診察室と書かれた鈍く光る札が 叔父に読んでもらった絵本の西洋の死神の持つ鎌に見え 今にもその鎌が叔父の首を目掛け落とされ 常闇に叔父を連れ去ってしまうように感じて 更に声を荒げ泣きだしたのをばあやが宥めてくれた。 「死神などどこにもいませんよ」と。 だが・・・ 全てを知った今・・・ その常闇はそこに・・・ 存在していたのだと思う。 少なくとも叔父にとっては。 叔父は妾の子だった。 その妾の子を敵意からかいたぶり 右目を傷つけ奪ったのは・・・ 父だった。 父のその憎悪の念は叔父の右目を奪っただけでは飽き足らず 更に歪んだ方向へ捻じ曲げられた想いは いつしか黒く螺旋を描いた思慕へと変わり 母を死に追い詰め そして・・・ 叔父まで死に追いやってしまった。 老年、病気を患った父から 遺書に同封された手紙によって その事実を知らされた私は 幼かった自分を・・・ 何も知らずにいた自分を・・・ 心の底から恥じた。 そして・・・ このような形で懺悔をした父を 私に懺悔をし己の罪荷を下ろそうとした父を 今でも私は・・・ 赦すことが出来ずにいる。

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