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慈しみ深き 友なるイエスは 我らの弱きを知りて 憐れむ 悩み哀しみに沈める時も 祈りに応えて 慰めたまわん 庭が見渡せる縁側に置かれたオルガンは 母の形見の品だ。 母は敬虔なクリスチャンだったそうだ。 没落華族と言えばご理解頂けるだろうか? 朽ちていく家族を・・・ 両親や兄弟を少しでも助ける為と言えば聞こえはいいが 母は金の為に父の子を身籠らされた。 敬虔なクリスチャンだった母が妻のいる男と躰を重ね 子を儲けるなど・・・ 聖書に記載されていることが全てであり 神父の言葉で形成されていた母の心は その行為は罪でしかなく 姦通罪を犯してしまった意識に苛まれ 精神を病んでしまった母は自らの命を絶ったそうだ。 何よりその行為が罪だと・・・ 母の信じる神が決して赦さない行為だと 考える事すら出来ぬほどに 母は追い込まれしまっていたのだろう。 こうまでして・・・ 僕が世に産声をあげなければなかった理由は一つ。 兄にあたる秋さんに子種がなかったからだ。 そんな・・・ 神からすれば憐れみはあれど 救われないほどの嘆きではない理由で 僕はこの世に生を受けた。 五辻家は華族でこそなかったが名家であり 没落貴族を一代くらいならば 細々と暮らすのに事欠かない金を用意できるほどの資産家だった。 とは言え、血の繋がりだけで言えば父は 五辻家の直系ではなく分家の当主であったが それでも、血を絶やすことは許しがたかったのか 一粒種だった嫡男の秋さんが12の歳に麻疹で高熱をだし 床に伏せった後 それなりに歳を重ねた妻にではなく 若くて美しい母に白羽の矢をたてたのだ。 そんな僕を継母が良く思うはずもなく 五辻家に引き取られてからは 母屋から庭を隔てて建てられた離れで ばあやによって僕は育てられた。 継母は僕を疎ましく思うだけでは物足りず 僕の存在を世間からも抹消したかったのか 使用人には多額の金を積み口止めをした後 僕は離れだけで過ごさせ 身の回りの世話は腰の曲がったばあや一人。 勉学は日々決まった時間に訪れる学生から教わった。 庭に出ることさえも許されなかった僕は 勉強と食事の時間以外は 父から与えられた古書を開くか 母の形見のオルガンに触れるだけの日々だった。 そんな寸分の狂いもない暮らしが変わったのは 家業を継いだ秋さんが結婚して2年が経った頃だろうか? 深夜になると寝床に義姉さんが 毎夜、添い寝にくるようになり 僕の子を身籠ったのか・・・ 数日・・・ 否、半月ほど経ったある夜 義姉さんではなく 秋さんが寝床に訪れると 何も言わず僕の右目を 夜目にも映える銀色の鋭利なナイフで一突きした。 その夜から・・・ 僕は毎夜、風呂上がりに消毒を兼ね 母屋の診察室に向かうのが日課の一つに加わった。 僕の右目から赤い血でなく 黄色の膿が流れ出すようになり 右目を摘出しその失った右目を埋めるようにして 義眼を嵌め込んだ頃・・・ 義姉さんから男子の産声があがった。 名前は和。 僕の・・・息子だ。 そして和が誕生してから 毎夜行われていた義眼の消毒だけではなく 秋さんの性の捌け口として扱われるようになった。 セルロイドで作られた眼帯を外され 当てていたガーゼを取り除かれると 何処を捉えているのかわからない義眼が 秋さんの前に晒される。 その義眼を消毒薬の匂いがする秋さんの指が 躊躇することなく義眼を取り出し 用意されていた液体の中に漬けられる際にでる水音。 それがやけに遠く聞こえるのは この部屋の灯りが暗くされているせいだろうか? それとも・・・ 窓の外で揺らめく灯篭の火を 秋さんの肩越しに捉えてしまったせいだろうか? 闇の中に僕の一部が堕とされ 父からもらった古書に描かれていた地獄の火に 失った筈の右目が焼かれているように思えて 義眼を取り出されぽっかりと空いた眼窩が 熱く爛れて感じてしまう。 それがとても怖くて秋さんに手を伸ばせば・・・ その伸ばした指先から 常闇に呑み込まれそうな感覚に陥り それを掻き消すように 見えている筈の左目の瞼を閉じても 闇は広がるばかりで。 お前も闇に堕ちてこいと言わんばかりに 空洞になっている眼窩を指で抉じ開けられ 舌先を捻じ込まれれば更に奥深く闇を感じ 今度は右目だけでなく 業火に僕の全てを焼かれてしまう。 焼け爛れていく肌に酷く痛みを感じるのに そこに甘美な痺れを伴って 僕は自ら闇へと堕ちていく。 秋さんが奪った右目を埋めるように 秋さんの舌先が僕の眼窩に挿し込む行為が 秋さんにとっては僕と躰を重ねる引き金のようだった。 診察台の上に横たわる僕の着物の裾を荒々しく開けると 剥き出しになった脚を持ち上げられ 背中が軋むほど揺らされ 僕の背と簡易の診察台がもう無理だと悲鳴を上げても 秋さんが一方的に欲を僕の中に吐き出すまで その行為は終わらない。 何時もはワセリンを塗ってくれるが 秋さんの機嫌が悪い日は何の施しもなく 熱り勃ったモノを突き立てられ 僕が痛みに顔を歪めようとも 秋さんが怒りと共に白濁を僕の中に吐き出すまで 律動は終わることはなかった。 きっと・・・ 秋さんは僕が・・・ 憎いのだろう。 憎くて・・・ 憎くて・・・ こんな辱めだけでなく 本当は・・・ 僕を殺したいのだろう。 それを止めているのは・・・ 医者としての理性だろう。 それでも・・・ 僕が憎くて、憎くて、仕方がなくて 右目だけでは足りず 僕を女子(おなご)のように扱うことで なんとか精神を保っているんだろう。 それがわかるから・・・ こうして組み敷かれている際に伝わる 触れ合ってる肌の熱からも 腹の奥に感じる熱からも 痛いほど・・・ それが伝わってくるから 僕は・・・ 快感など一切与えられない行為でも 耐えることが出来た。 僕は・・・ そんな哀しい秋さんを・・・ 僕の兄さんを・・・ 僕の中に流れる半分の血が 憐れんでいたからだと思う。 そして・・・ あの日が訪れた。 母と同じく姦通罪に心を病んだ義姉さんが 和の首を絞めた。 それを見つけた継母が義姉さんを 東京から遠く離れた療養所へ送ってしまった。 世間には胸を病んだと偽って。 継母はどこまでも世間体気にする人だ。 それを制さない父はどこまでも身勝手で 子孫を残すことだけしか頭にない獣のような人だ。 そんな二人の言いなりになるしかない兄さんは 善良な仮面を被らされた人形だ。 その仮面の裏にある 闇に塗れた悪魔の顔を知っているのは・・・ 僕だけだ。 だから・・・ 兄さんが父や継母からどんなに煩く言われても 後妻を娶ろうとしないのは 僕への憎しみからだけではないとも知っている。 善良の仮面に押し潰された兄さんは 手招きする悪魔に身を委ねたのだ。 そうすることで自分を・・・ 心をなんとか保っているんだ。 けれど・・・ 聖書における性行為の本性は 神の内的三位一体と呼応する 結合的で豊穣に結び付くもののみ赦されている。 同性である僕と・・・ 半分と言えども血の繋がった弟である僕と 毎夜、行ってる行為は・・・ 神の見前では逸脱的な性行為なのだ。 それを受け入れた・・・ 憎しみからとは言え悪魔からの囁きを受け入れた兄さんは 如何に懺悔をしようとも赦されるはずはなく・・・ 地獄の業火へと突き堕とされる。 その日は・・・ もう目の前に迫っている。 兄さん、知ってますか? あなたが頑なに後妻を娶らないから・・・ 和だけでは不安な父と継母が 僕に妻を宛がうことにしたのを・・・ 兄さん・・・ あなたは知っていますか? あなたは今夜も僕をその手で・・・ あなたのその憎悪の炎で焼いた杭で僕を穢そうとも あなたの心は決して晴れることはないことを。 僕がこの世に生を成している限りは。 だから・・・ あなたに穢されたこの躰で和を抱き 形見のオルガンで讃美歌を弾く。 あなたの痛みを憐れんで。 神にあなたの懺悔が届くようにと。 どんなにあなたが僕に酷くあたろうと それでも僕は・・・ 兄さんの苦しみがわかるから。 兄さんが憎しみから僕を穢していても その心は・・・ 哀しみで涙してることを知っているから。 そんな兄さんを・・・ 僕は憎むことは出来ないから。 僕がこの世に生を受けなければ あなたは罪を犯さずに済んだのだから。 兄さん・・・ 僕にあなたの罪を分けて下さい。 僕があなたの代わりに罪を背負い 地獄の業火に焼かれましょう。 例え、神があなたを赦さずとも 僕があなたを赦します。

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