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第6話
他人に打ち明けられないような、恥ずかしい昔話とかを打ち明けられると
距離が縮むような気がする。
俺と清介さんの関係は、前よりもさらに甘やかになっていった。
学年が違うから、校内ですれ違うことはあんまりない。それが寂しかった俺は、こっそりと二年生の校舎を覗いたりしていた。
バスケ部の元先輩に見つかったらどうしよう、という気持ちは薄れ始めていて、清介さんに会いたい気持ちが心の中を大きく埋めていた。
人並みの中に清介さんを探しても見つからないので引き返そうとすると、
誰かが俺のシャツの襟を摘まむ。
「凛ちゃん見っけ」清介さんだった。今日から夏服になり、半袖のシャツを着ている。冬服も好きだけど、夏服もいいな、とひそかに思った。
色素が薄い、白い肌。暑い季節を同じ時間の中で過ごしているはずなのに、清介さんの周りだけ空気が涼しげに感じる。
「凛ちゃん夏服似合うね」「せ、清介さんも似合いますよ」「そう?初めて言われたな」
こんな他愛もない会話でさえ、俺は嬉しかった。
清介さんが俺を見つめるまなざしは、優しさと何とも言えない色っぽい雰囲気があった。
「じゃあ、そろそろ次の授業始まるから、バイバイ」「はい」
清介さんは俺の顎のあたりを指で優しくなぞって去っていく。
わずか数分のやりとりが、こんなにも心の中を満たしてくれるなんて、知らなかった。
図書室に来たことは、今まで数回しかない。
こうして見てみると、意外とラインナップが充実している。
何をしに来たのかというと、情報収集に来たのだ。今の俺には何もない。バスケから逃げてしまった弱虫のままではいたくない。
だから、なにかヒントになるものが欲しかった。俺の今後の人生、このまましょげたままではいられないから、違う道を探さなきゃ、と思い図書室で情報を集めに来たのだ。
どうしてもバスケ関係の本が目についてしまうけど、見ると胸の内がざわざわ波打ってしまう。トラウマみたいに植え付けられた嫌な思い出が、
じりじりと滲んでくる。
俺はいまだに、バスケ自体を嫌いになることができなかった。もし自分にまたバスケをするような機会を与えられたら、俺は断るんだろうか。
それともまた始めるんだろうか。どちらとも言えなかった。
そういう中途半端な感覚が自分の中にあるのが嫌で、気持ちが悪くて、どうしようもなかった。
スポーツ関係の棚をすり抜け、俺は美術関係の本が並ぶ棚の前に立つ。
芸術に疎い俺には未知の世界だった。
日本画、油絵、水彩画。見てみると結構楽しくて、目にするものすべてが新鮮だった。清介さんもこういう本を読むのかな、と思うとちょっとドキドキしてしまう。
清介さんが描いてるのは油絵だったなと思いながら、油絵関係の本をめくる。
絵を描く人は皆、頭の中でどんなことを考えているんだろう。
頭の中で設計図を作りながら絵を描くのかな。
するとドアが開く音がした。特別気にすることなく本を読んでいたけど、足音がこちらに近づいてきていることに気づいた。
顔を上げると、清介さんが立っていた。「あ、」思わず大きな声が出る。
図書委員の人の咳払いが聞こえて口をふさいだ。
清介さんはうふふ、と笑っている。
「なにしてんの」小声でささやかれどきっとした。
「やりたいこと、探そうと思って…」「ん?」「俺、このままでいるのはいけないと思って…何か、別の目標探そうと思って来たんです」
「偉いね」清介さんは俺の頭を優しくなでた。
もっとしてほしい、と思ってしまうほど、その手つきからは愛情みたいなものを怖いくらいに感じるのだ。
「清介さんは何しに来たんですか」「気晴らし。なんか絵が進まなくてね」
清介さんは並ぶ本を指でなでながらつぶやいた。
「清介さんって、絵を描いてるとき何を考えてるんですか?」
「なんだろ…復讐かなぁ」声色はのんびりとしているけど、飛び出す言葉はとても重たい。
「そんな大そうなもんじゃないけどね。でも、これ以外になんて表現したらいいのかわかんないんだ」
こめかみについた傷を見ると、俺のこめかみまでもしくしく痛むような気がする。
「それでも、意思を持って絵を描く清介さんは、素敵ですよ」自分でも恥ずかしいことを言ってしまった、と思った。
ちらりと清介さんを見ると、驚いたような顔をしていた。
「今の、ドキッとしちゃった…」
綺麗な顔が近づいてきて、そっとキスされた。俺たちだけじゃなくて図書委員の人もいるのに、と内心物凄く焦ったけど、突っぱねる気なんてさらさらない。
奥のほうの本棚とはいえ、図書委員の人がこっちに来るかもしれない。
そう思っている間にも、清介さんのキスはどんどん深くなる。
足音に耳を澄まさなきゃと思うのに、耳に飛び込んでくるのは甘く湿った音ばかりでパニックになる。
緊張でどうしたらいいのかわからなくて、ただ手を力いっぱい握って立ち尽くすしかできなかった。清介さんはそんな俺を見ても笑うことなく、俺の体をそっと抱きしめてくれた。
固く握った拳を開くように、清介さんは俺の手を包み込む。
ひんやりと冷たい手の平が心地よくて、体から力が抜ける。
清介さんは俺の腰あたりをくすぐるように手でまさぐっていく。体の厚みを確かめるように這い上がってくる指は、まるで蛇みたいだった。
「すいません、ちょっと外出るんで、出るとき鍵だけ閉めてください」
図書委員の人が俺たちに呼びかけ、心臓が口から飛び出るかと思った。
「はーい」清介さんが返事をしたと思ったら、またすぐに唇が合わさった。
まるでキスしてないと息が出来ないとでも言いたげな仕草に、心の中が滅茶苦茶にひっかきまわされていく。
その時に、清介さんの頬がほんのりと赤い事に気が付いた。
清介さんも俺と同じような気持ちと分かって安心し、
俺も清介さんの腰に腕を回して抱き寄せてみる。すると清介さんは嬉しそうに笑って身を寄せた。
「焦んなくて大丈夫だよ」
放課後、美術室で清介さんが言った。「え、」「やりたいこと見つけなきゃって、焦らなくていいの。置いて行かれるとか、そんなの思わなくて大丈夫だから」
清介さんは自分の絵を描き進めながらそう言った。
「何にも属してないのが、怖い感じがするんです」「そうなの」
「なにかしらのコミュニティにいないと不安というか…怠けてるような気持になっちゃって」
「それなら、美術部に入ったら?」清介さんは俺を見つめてそういった。
「…だめですよ」「なんで?」
「だって…俺、絵なんて描けないし…ここにいる人たちの本気度が、怖いくらいに伝わってくるから」
座ってキャンバスを見つめている美術部員全員から、何とも言えぬ気迫を感じるなと初めてここに来た日からずっと思っていた。
そういう空間に、中途半端な人間が入りこんでくることがどれだけ迷惑か、考えなくてもわかる。
「俺がここの部員になることは、ここで活動している人の事を侮辱することになると思うんです。ほぼ毎日ここにきて先輩と話してるくせに何言ってんだって感じですけど…」
「凛ちゃん、真面目だね」清介さんが呟いた。
「その真面目さが凛ちゃんのいいところで、凛ちゃんの事苦しくしちゃうんだね」
筆がキャンバスの上をすべるざらざらした音が心地いい。
「じゃあ、今度俺とデートしよう」「え」
「今度の休み、行きつけの画材屋さんに用があるの。一緒に行こう。近くに美術館とか本屋さんとか、沢山あるよ」
なにか見つかるかもよ、と俺の頭をそっと撫でた。
「…行きます」「じゃ、約束」そういった後、先輩は俺に顔を寄せる。
指切りではなく、口づけで約束を交わす清介さんが好きだった。
「ついでに色んな所に行きたいね」キスの合間に清介さんが言う。
「甘いものは好き?」「はい」「お洋服見るのは?」「センスが無いから…」
「じゃあ、俺が選んじゃお」
心の中が暗く曇りそうなところに、清介さんが優しい色をさしてくれる。
それがあまりにも心地いいから、無くなった時のことが凄く怖い。
清介さんの方が先に卒業してしまうし、大人になるのもお酒が飲めるようになるのも俺より早い。
同い年でいたかった、と何度も思う。
いつまでこんな風に、この人に甘えていいんだろう。思わず泣きそうになるのを我慢しながら、デートに着ていく服の事を考えた。
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