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第1話 狼少年と狩人の出会い

「おまえみたいなチビには無理だよ」 「だよな~。雷にだってビビって家に飛んで帰るようなチビには無理だよな~」 「うっさい! オレはチビじゃないっ」 「はぁ? 何言ってんだよ。ほーら、届かねぇだろ?」 「なんだよっ、返せよっ。返せってばっ」 「あっはは! やっぱチビじゃん!」 「返せって言ってるだろ!」  いじわるなナツヤは、「取れるもんなら取ってみろよ」って言いながら、オレから奪い取った帽子を高く上げてヒラヒラ振っている。  くっそー! オレの頭がナツヤの肩くらいしかないってわかっていて、こんなことをしたりするんだ。そりゃあ周りにいる奴らに比べたらちょっとは小さいかもしれないけど、毎日「チビチビ」って言わなくたっていいじゃんか! 「ま、チビには難しいだろうなぁ」 「それにビビりだし?」 「そうそう。ビビりでチビのおまえが人の家に盗みに入るなんて、絶対無理だよなぁ?」 「無理に決まってんじゃん」  くそっ、チビチビうるさいなっ。それに、みんなして笑いやがって! オレのほかにも雷が怖い奴なんてたくさんいるのに、オレばっかりビビりとか言いやがって、何なんだよ!  みんなしてニヤニヤ笑いながらオレをバカにしている。一番年下だからってバカにしすぎだ。オレだって成人した狼なんだから、人の家に盗みに入るなんて朝飯前だっつーの! 「オレにだって、そのくらいできるよっ!」  ニヤニヤしているナツヤから帽子を取り返したオレは、「見てろよな!」ってみんなを睨みつけて森へと走った。  オレたち狼は、成人すると人型に変われるようになる。みんなから散々チビだって言われているオレだって去年成人したからちゃんと人型になれるし、みんなと同じように人型で生活だってしている。  ……人型になってもみんなより小さいけど、でもオレだって立派な成人した狼だ。 「……よし、尻尾は見えてない」  水溜まりに映った後ろ姿を確認してから帽子を被った。  オレたちは、人型になっても尻尾と耳は隠せない。それは遠い昔にもらった魔女の祝福が消えかかってるからだとか、初めて人型になった白狼の血が薄まったからだとか教えられたけど、本当のところはわからない。  とにかく人型になったら尻尾と耳には気をつけること、これは成人するまで大人たちから何度も言われることだ。とくに人の近くに行くときは注意しないといけない。  尻尾はズボンの中に入れれば隠れる。耳は、お気に入りの帽子を被ればわからない。よーし、これで万が一人に見つかったとしても狼だってバレることはないはず。 「ええと、……こっちか」  森に入ったら道なりに歩いて、人が立てた標識の板が見えたら、緑色の字が書かれた板が向いてるほうに進む。そのままズンズン歩いていくと……。 「池があるから、それを右側にぐるっと回って……」  あ、あった! 赤い屋根の小屋が見えた。隣にはリンゴの木がある。ってことは、あの木のリンゴがナツヤたちが言ってた世界一うまいリンゴってことか……? 「でも、リンゴは家の中にあるって言ってたよな」  森の池の奥にある赤い屋根の小屋に、世界一うまいリンゴがある。それを取ってきたら一人前の狼だって認めてやる。でも家の中に盗みに入るなんてビビリでチビのおまえには無理だよな――ナツヤたちはそう言っていた。  ってことは、目の前にある小屋の中に目的のリンゴがあるってことだ。オレは窓からそうっと小屋の中を覗いた。 「……誰もいない、よな?」  部屋の中に人の気配はない。きっと労働っていうのに出かけているんだ。お日様が出てるあいだ、人は労働っていうので家にいないって教えてもらったけど本当っぽいな。 「ええと、たしか裏のほうに……あった! ……おおー、ほんとに開いた」  家には表の出入り口以外に、裏側にもう一つ出入り口がある。「表の出入り口が閉まっていても、裏は大抵開いてるもんだ」って言っていた三件隣のじいさんの話は本当だった。 「誰もいませんかぁ……? ……いないよな……?」  そうっと扉を開けて、中をキョロキョロ確認する。……うん、やっぱり人の気配はしない。それでも念のため、そろりそろりと足音を立てないように部屋の中に入った。 「ここは台所か? ……うーん、リンゴはないなぁ。じゃあ、あっちか」  台所っぽいところの真ん中にあったテーブルの上には、よくわからない草とか種みたいなものばっかりでリンゴは一個もない。じゃあ別の部屋にあるんだろうって考えたオレは、そろりそろりと忍び足で隣の部屋に向かった。  そこは十人兄弟のオレの家よりずっと狭かった。小さい椅子と小さいテーブルが一つずつあるだけで、それなのにベッドだけはやたらでかい。 「なんでベッドだけこんなでかいんだよ……」  この小屋には人が一人しか住んでいないんだってナツヤたちが言っていたけど、嘘だったってことか? だってこんなでかいベッド、オレが四人くらい寝られるぞ。 「あー、ベッドのことなんてどうでもいいや。で、リンゴは、……って、何だよ。リンゴなんて、どこにもないじゃんか」  小さいテーブルの上にはパン屑が載っている皿とコップ、それに瓶が一本あるだけだ。部屋をぐるっと見たけれど、どこにもリンゴなんてない。 「リンゴなんてどこにもないじゃん。やっぱ庭のリンゴだったんじゃないかよ」  せっかく部屋の中に入ったのに、これじゃあ入り損だ。オレは嘘をついた仲間たちにプンプン怒りながら、テーブルの上にあった瓶を見た。 「なんだよ、残ってるのは水だけかよ。ちぇっ、もういいや。水だけ飲んで庭のリンゴもいで帰ろうっと」  瓶に半分くらい残っているのは、うすーい黄色に見える水だ。 「なんだこの色。人って腐った水とか飲んでんのか?」  狼はとびっきりきれいな湧水を飲むのに、人ってのはこんな色のついた変な水を飲むんだなと思いながら、クンクン匂いを嗅いでみる。 「……リンゴ?」  リンゴだけじゃない匂いもするけど、これは熟した甘いリンゴの匂いだ。もしかしてナツヤが言っていた世界一おいしいリンゴって、この水のことだったのか? 「……これ、持って帰ったらあいつらに取られるよな……」  ナツヤたちに何度も戦利品を横取りされたことを思い出して、グッと唇を噛む。きっとこの水も、持って帰ったら取り上げられるに違いない。そんなの納得できるはずがない。 「そうだ。中身はオレが飲んで、瓶だけ持って帰ろう!」  瓶さえ持って帰れば、オレが人の家に盗みに入ったって証拠になる。ちゃんと盗んできたって自慢もできる。 「ふふーん、オレだってもう立派な大人なんだってこと、証明してやるんだからな~」  ちょうどテーブルにあった空のコップに薄黄色の水を入れる。……うん、やっぱり甘いリンゴの匂いがする。クンクン匂うだけで涎が出てきそうだ。  まずは味見しようと思って、ひと口だけ飲んだ。 「…………うまっ! なんだこれ、すっげぇうまい!」  リンゴの匂いも甘かったけど、口に入れたらもっと甘くてびっくりした。それにしゅわしゅわして口の中がおもしろい。やっぱりこれが世界一うまいリンゴだったんだ。間違いない。 「……ぷは~っ。うっまーい!」  残りをぐびぐび飲み干した。やばい、すっげぇうまい。  これ、そのまま持って帰らなくてよかった。こんなうまいもの、ナツヤたちなら絶対に取り上げて、おこぼれすらくれなったに違いない。 「ふっふ~ん、こんなうまいの、あいつらにはもったいないよな~」  コップに二杯目を入れて、ごくごく飲み干す。飲み干したあと、思わず「ぷは~っ」なんて、隣のおじさんみたいな声が出てしまった。  口をごしごし袖で拭っていたら、なんだか段々楽しくなってきた。それにワクワクもしてきて、いつも遊んでいる丘の上まで走っていきたい気分になる。 「いまなら誰にも負けないもんね~」  どんなに頑張って走っても、いっつもオレはびりっけつだ。そうして、いっつも周りの奴らにチビだからだってからかわれる。成人したのにいつまでも子どもみたいな体をしてって、親父や兄貴たちもバカにする。  でも、いまなら誰よりも速く走れそうだし、なんなら兎の十匹や二十匹くらいは捕まえられそうだ。 「って、ウサギは十羽って数えるんだっけ……?」  あれ~? なんだか頭がふわふわしてきた。それにちょっとだけ眠い気もする。おかしいなぁ、昨日だって誰よりも早くに寝たんだけどなぁ。 「……あれぇ? もうなくなっちゃったや」  薄黄色の甘くてしゅわしゅわするリンゴは、気がついたら瓶の底に少ししか残っていなかった。もうコップに入れなくてもいいやと思って、瓶に直接口をつけて飲み干した。  こんなことを家でやったら行儀が悪いって怒られるんだけど、瓶のまま飲むくらいなんだって言うんだよ。そんなこと、オレの周りじゃみんなやっているってのにさぁ。  親父も兄貴たちも、そういうところだけ変にうるさいんだよな。オレが小さいとき、「母さんがいないぶん、しっかり躾するんだ」なんて一番上の兄貴が言っていたけど、母さんのことなんて全然関係ないじゃんか。 「……んー、眠くなってきたや……」  あー、でっかいベッドがある。よーし、ここでちょっと寝ちゃおう。 「……うわぁ、ふっかふかだぁ」  靴を脱いでボフンと倒れ込んだベッドは、オレがいつも寝ている麻袋なんかよりずっと気持ちよかった。これならゆっくり寝られると思った途端に一気に眠たくなって、いつもどおりあっという間に眠ってしまった。   ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ 「ええと、これってどういうことかな」  今日は客が少ないからということで、昼までで食堂の仕事が終わった。途中でパンやら肉やらを買って帰ってみれば、どうしてかベッドにこじんまりした膨らみがある。  どこからか動物でも入り込んだかなと思って毛布をぺりっとめくったら、ちびっ子がスヤスヤと気持ちよさそうに寝ていた。あまりにも気持ちよさそうな寝顔だったから起こすのをためらったくらいだ。 「どこの子だろう。それに帽子被ったまま寝てるなんて。……あれ?」  ずれていたニット帽をそっと取り上げたら、黒髪の中からニョッキリと獣の耳が出てきた。  髪の毛と同じ黒い毛に覆われた耳は、内側にはふわふわの白い毛まで生えていて、作り物にしては出来がいい。街では秋の収穫祭にこういう被り物をする人たちがいるけれど、祭りでもない日にまで着けている人は見たことがない。  よほどお気に入りなんだろうなぁと思いながらそっと触ってみたら、ピクピク動いてさらに驚いた。 「本物……? ん? ここが耳?」  確認するために、頬を覆っている髪の毛をそっとめくった。本来、耳がある場所に耳はなく、ふわふわの黒い髪の毛で覆われている。 「……うーん、これは狼……っていうか、まさか子ども……?」  起こさないようにそっと触った頬は、やたらと温かかった。  まだ幼い顔立ちの寝顔だけれど、この獣耳はどう考えても狼だ。森の近くには狼たちの大きな群れが住んでいるから、迷い込んだのかもしれない。 「しかし、こんな小さな子どもまで人型になれるなんてね」  いままで出会った人型の狼たちは、みんな体が大きい大人ばかりだった。狩人組合で共有している情報でも、人型になれる狼は成人した大人だけだと聞いている。  でも、目の前で眠っているのは明らかに子どものように体が小さい。小さい個体なだけかもしれないけれど……それにしては、やっぱり小さいような気がする。 「さて、どうしたものかなぁ」  人の街に出てきて悪さをする狼なら、捕えて処罰する。森や山で人に危害を加える狼なら、罠を仕掛けて捕まえる。どちらにしても狩人組合に依頼が届き、正式に受理してから行動することになっている。 「でも、この子は僕のベッドで気持ちよさそうに寝てるだけだしなぁ」  あ、違った。どうやら朝、飲み残していたシードルを盗み飲みされたらしい。テーブルを見ると空っぽになった瓶が目に入った。 「なるほど、それで酔っ払って眠ったのか」  もし子どもだとしたら、シードルなんて飲めば眠くもなるだろう。 「うーん、どうしようか……」  盗み飲みされたのは瓶半分ほどのシードルだけ。それは僕が飲み残したもので、盗まれたというほどでもない。この程度ならわざわざ捕まえる必要はないし、なんといってもこんな小さな子がやったことだ。  ベッドで丸まって眠っている狼……小狼をチラッと見る。  黒髪はふわふわで、触った白い頬はもっちりしていた。きっと尻尾は耳と同じ黒毛で、やっぱりふわふわしているんだろう。裾から伸びる細い手足は見るからに華奢で、狼らしい力強さは微塵も感じられない。 「……なんというか、違った意味で捕まえたくなっちゃうなぁ」  そんなことを思いながら、そんな趣味はなかったはずなんだけどと笑ってしまった。まぁたしかに、華奢で小柄な男が好みではあるけれど。 「さぁて、いつ目覚めることやら」  日が落ちかける頃まで目覚めないかもしれない。そのくらい深い寝息を立てている。 「とりあえず、ご飯の用意だけはしておくか」  買ってきた肉にハーブやスパイスを練り込んでおけば、あとはサッと焼くだけでおいしく食べられる。  狩人になってから始めた料理だけど、きっと僕の性に合っていたんだろう。自分でスパイスを調合するのは楽しいし、あれこれ試作するのもおもしろい。臨時従業員なのに店の厨房まで任されるようになったということは、そこそこ腕も上がったということだ。  台所に戻り、出しっぱなしにしていたスパイスからいくつか手に取る。一応子どもの舌でも平気なものを選んで、肉にまんべんなく塗り込んでから保存庫に入れた。 「そうか、もし子どもだったとしたら、食後のデザートもあったほうがいいか」  ちょうど庭のリンゴが熟れだしたところだ。このあたりに自生するリンゴは珍しい春成りで、“魔女が祝福したリンゴ”と呼ばれている。果実は小ぶりだけれど、甘味と酸味の混じり具合がちょうどいい。完熟する前のものでも甘く煮るとおいしく食べられる。  リンゴのコンポートは子どもも大好きだし、たとえ“魔女が祝福したリンゴ”だとしても、一個や二個くらいなら知り合ったばかりの狼が食べても問題ないはず。 「そうと決まれば、サクッと作るか」  ベッドのほうを見れば、まだ丸くなってスヤスヤと寝ている小狼が見える。その姿がやたらかわいらしくて、思わず笑ってしまった。  さて、夕飯の用意はすべてできた。あとは肉を焼いてスープを温め直すだけだ。外もうっすらと暗くなってきている。 「よく寝てるなぁ」  いくらシードルを飲んだからといって、人が住む家でここまで熟睡するとは肝の座った小狼だ。しかし、いい加減起こしたほうがいいだろう。  夕飯は食べさせるにしても、家では家族が待っているに違いない。狼は独り立ちが早いといっても見るからにまだ小狼、心配する家族だっているはず。 「おーい、そろそろ起きてくれないかなぁ」  体を軽く揺すってみたけれど、ムニャムニャ言いながら起きる気配はない。 「朝だよー……って、夜か。おーい、もう夜だよー」  ふっくらした頬を親指と人差し指で摘んでムニムニしてみる。おお、これはいい弾力具合だ。朝のパンにちょうどよさそうな柔らかさだなぁなんて思ってしまった。 「それにしても全然起きないな。これだけ人が近くにいるのに目が覚めないなんて、もし子どもだとしても狼としてどうなんだ」  子どもの狼なんて見たことがないから、これが普通なのかおかしいのかはわからないけれど。そもそも、本当に子どもなのかすらわからない。こんな事例は狩人組合でも把握していないはずだ。 「あぁそっか、子どもなのかもしれないのか」  ピンとひらめいた。  台所に行き、スパイスとハーブで程よい状態になった肉の塊を切り分ける。いつもより少し分厚く切ったのは、体は小さくても狼だからと思ってのことだ。  鉄のフライパンの下に火を入れて、オリーブ油でさっと鍋肌を濡らす。同時にスープの入った鍋の下にも火を入れて温め直す。 「狼ってレアがいいのかなぁ。……お腹壊したら大変だし、ミディアムくらいにしておくか」  分厚い肉をフライパンに入れれば、ジュッといい音がした。チラッとベッドを見たけれど、まだ小狼の様子に変化はない。 「さて、裏面を焼きますよー」  台所には肉が焼けるいい匂いが満ちている。扉で仕切られていない隣の部屋にも、この香ばしい匂いは漂い始めていることだろう。  もともと狩猟時期の寝泊まり用に作られたこの小屋は、かろうじて台所が別になっているだけで、とにかく狭い。トイレはあっても風呂はなくて、いつも勤め先の店で拝借している。ベッドだって小さなテーブルのすぐ横に置かなければいけないくらいで、くつろぐためのソファすらない有り様だ。  そんな狭さだから、おいしそうな匂いは間違いなくベッドまで届いているはず。そう思ってベッドを見たのと、小狼がむくりと起き上がったのはほぼ同時だった。 「肉だぁ。今日は肉の日だったっけぇ……」  寝ぼけているのか、右手で目を擦りながらも頭はまだ眠そうに揺れている。  なるほど、反応は子どもと同じなのか。であれば、ご飯の匂いに起こされて当然だ。とくに狼は人より食欲旺盛だから起きると思った。  分厚い肉を皿に移し、火を消してからベッドへと近づく。小狼はまだどこで寝ているのか思い出せないようで、半分目が閉じたまま頭がゆらゆら揺れっぱなしだ。  まったく、狼なのに危機感がなさすぎじゃないだろうか。それとも小狼ってこんな感じなのかな。それはそれでかわいいけれど。 「起きた?」 「んー……、ん、起きた」  いやいや、まだ目が開いていないよ? 「じゃあ、とりあえずご飯にしようか」 「ん、食べる……」 「今夜はお肉に、豆のスープだよ」 「えぇー、オレ、豆は苦手って言ったのにぃ…………。あれ……?」  ようやくお目覚めかな。開いた目はくりっとしたきれいな緑色で利発そうに見える。寝ていたときよりは年上に見えなくもないけれど、……やっぱり子どもに見えるよなぁ。 「ここ、どこ……?」  うーん、まさか迷子とかじゃないよな。まぁ、いろんなことはご飯を食べてからにしよう。僕ももうペコペコだ。 「とりあえず、ご飯にしようか」  僕の言葉に小狼は戸惑っているようだったけれど、素直なお腹がグーッと勢いよく返事をしてくれた。

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