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演技か本気か
十八時、まだ準備中の札がかかったその扉を勢いよく開ける。開店準備中でそこには誰もいない。掃除がちょうど終わった頃だろうか。奥のキッチンからひょっこりと顔を出した男は少し眠そうである。
「申し訳ないですがまだ準備中で…て、ひーちゃんじゃない。」
その厳つい見た目に反してフェミニンで物腰の柔らかな声色は、ほんの少し荒んだ心の拠り所である。
「どうしたの?えらく早いわね。」
「ま、色々ね…。ちょっとここで待ち合わせしてんだけどいい?そいつ来たら奥に引っ込むからさ」
「あたしは構わないわよ」
雨辻健二郎 はこのスウィンドーのオーナーだ。還暦前だがバリバリ仕事をこなし、最近別の場所にスナックを開業したらしい。和一の叔父で陽向の恩人でもある。
「あんた聞いたわよ。また和一にちょっかいかけたでしょ」
「なんの話?…覚えてないや」
バーカウンターのいつもの定位置に腰を下ろすと、健二郎は呆れたように昨日陽向が置いていった五万円をテーブルに突き返した。
「…これは返しておくように言われたわ。相当怒ってたわよ。」
「怒るようなことした覚えないんだけど」
いつも陽向と関わり合いたくない、そのような態度をされていたらこちらだって嫌味のひとつやふたつ吐きたくもなる。
「はぁあ、そんなんだとほんとに嫌われちゃうわよ」
「俺元々嫌われてるから」
自分では気にしていないつもりだが、いざ言葉にするとやはりなんとも言えぬ気持ちになる。そこら辺の人間に嫌われてもなんの痛みも感じないが、和一に嫌われていると自覚する度無性に腹が立って仕方がない。
「全く、…あたしはひーちゃんが心配よ。」
「何言ってんの。ケンジくんに心配されるようなことは…」
「ああーん?じゃあその袖捲ってみなさいな」
健二郎は鋭い観察眼で陽向のアザになった手首に気がついたのだろう。その指摘にバツが悪くなって、両腕をテーブルから下ろす。彼は小さくため息をついて、「…何があったかは聞かないけれど、自分を蔑ろにしちゃダメよ」と優しく諭した。
「俺ほど自分を大切にしている男は他に居ない」
欲望に従順で、金のためなら簡単に人を騙すことの出来る人間が自分を蔑ろにするわけが無いではないか。
「……そうね。まあ、とにかく!あんまり和一に意地悪しないでね。あと玲実ちゃんにもよ。」
(うげ!…あの女の名前なんて聞きたかねぇ)
陽向はあからさまに嫌そうな顔をして、「気が向いたらね」と感情の籠らぬ声で返事する。ただでさえ現在トラブルを抱えている陽向にとってあの女の名前は禁句だ。
「あたしおしぼり巻いてくるから」と健二郎が再び奥へ引っ込んでいく。それと同時にバーの入口がガチャリと開かれ、陽気で舌っ足らずな声が店内に響き渡った。…ようやく協力者が来たようだ。
普段そこで行うのはちょっとした占星術や除霊だ。どれもこれも本やネットで齧ったものにオリジナリティを加えそれらしくしている。だが今日ここに立ち入ったのは客ではない。
「まあ座ってくれ」
「うぃ〜」
いかにもアホそうに間延びした声で返事をするのは山下光輝 、陽向の商売には欠かせない相棒だ。見た目はどこにでも居そうなサラリーマン風の装いだが、陽艶時の未知なるパワーを込めた判子を作っている。
「どたの?またいい客捕まえた?」と前のめりで心躍らせる彼は陽向と同じく金に貪欲だ。だから気が合うのだろう。
「今日はその話じゃねぇんだ。…お前んとこに俺が流した顧客リストってある?そこに阿形って奴がいなかったか調べてくれないか」
陽向は明日までに正確な金を用意しなければならない。そうしなければあの動画が全世界に広まるわけだ。望みは正直薄い、その考え通り光輝は渋い顔をした。
「悪いけど、陽向から来た客のリストは作らんよ。」
「…はぁあ、だよなあ。」
ガックリと肩を落とし、陽向に「トラブル発生?」と楽しそうに聞いてくる光輝の性格は相当なものだ。そもそもまともなら詐欺師に加担してマージンを取るなんて事はしない。
「…俺のハメ撮りが流出するかもしれん」
「ギャハハハ!何それウケるぅ!」
ヒーヒーと腹を抱えて笑う光輝の頭にゲンコツを落とし、陽向はギロリと睨みつける。
「分かってんの?もし流出したら俺の客は確実に減る。そうしたらお前んとこに仕事回せなくなるんだぞ」
「…それは、分かるけど。でも、でも…ハメ撮りて…ひひ、何?どんなの撮られたん?女?教えて、協力するから」
涙を流しながら小馬鹿にする光輝にまたゲンコツを落として、陽向は机に突っ伏した。胃がキリキリ絞られて気分が悪い。このまま一生残るデジタルタトゥーをばら撒かれるのか。
「珍しいねぇ、陽向がそんなに落ち込むなんて。別いいじゃん!…それともそんなに変なの撮られた?」
そう問われても陽向は絶対に光輝にだけは言いたくない。昔からの友人だからこそだ。それにこの男は金を握らせなければ恐ろしく口が軽い。恐らく悪気なく共通の知人友人に言ってしまうだろう。陽向は光輝に二万円を握らせて「まあ何か分かったら教えて。あとこの事は誰にも言うなよ」と釘を指す。
「二万で口止め〜?まあ喋らないように頑張っては見るけど」
「…わかったわかった。ったく、お前の乞食精神には頭が下がるよ」
陽向は追加で二万円、合計四万光輝に握らせた。彼はニタリと下卑た笑みを浮かべて金をヒラヒラと仰ぐ。
「ラッキー!ま、一応事務所探してみるわ。期待しないでね〜」
大した時間もかからず四万円をゲットして光輝はウキウキで間切りカーテンを持ち上げる。彼が本当に帰ってから事務所を調べるのかは分からないが、徒労に終わった。
(うわあ、マジでどうすっかな…)
陽向は基本的に商売するにあたって大体の金額を決めている。占いは一時間七千円、三十分刻みで料金千五百円上乗せだ。
一番金になるのはやはり霊視や除霊で、霊視は三から五万、除霊は人を見て決めている。あまり金を引き出せない人間はプランA、引き出せそうな人間はプランB、といった感じで営業しているのだ。
『陽艶時』を崇拝している少し様子のおかしい客には光輝の所のなんでもない印鑑を素晴らしい力を込めたという事にして売っている。
(…阿形雨音の姉?とかいう奴はどのプランだったんだか。…返金しろってことは、占いコースではねぇよな。)
可能性としてはプランBだろう、…大体陽向はふっかけるので、多く見積って数十万だろうか。
「しゃあねぇ…腹くくるか」
ポリポリと頭を掻いて、陽向は自分の失態の尻拭いをする為数十万の損失をするだけだ。…金が好きな陽向にとってそれは苦痛だが動画をばら撒かれるよりはマシだと思うことにしよう。
「あら?和一どうしたの?今日は大丈夫よ」
時刻は午前一時を回った頃、雨辻和一は忘れ物を取りに叔父、健二郎の経営するスウィンドーに嫌々足を運んだ。ちょうど客が途切れたのだろう、店内は健二郎一人しかいない。
「いや、忘れ物をした」
「あ、サイフでしょ?」
健二郎はそそくさと奥に引っ込んでそれを取ってきてくれる。
その隙に目線は奥の間切りカーテンに向けられた。人の気配がないので今日は休業したのだろう。和一は安堵のため息をつく。
外崎陽向とは高校が同じだっただけの同級生だ。その当時からあの男は馴れ馴れしい男だった。友人に沢山囲まれて、女子生徒にもモテていたがいつも人を見下したような…一言で言うと嫌なやつだ。和一は絶対に関わりたくないと思っていた。
それに昨晩の暴言は許し難い。二人で選んだ結婚指輪を馬鹿にされて怒らない人間なんていないだろう。
「全くあんた抜けてるわねぇ!あ、せっかくだしなにか飲んでく?」
和一は「…いや、やめとく。悪酔いしそうだ」と眉間にシワを寄せたままサイフを受け取った。
「そう、それは良くないわね。でもそこ座んなさい!…昨日の話ちゃんと聞けなかったから!」
渋々和一はその場に留まることにした。どうせ帰ろうとしても健二郎は無理矢理にでも帰さないだろう。
「そもそもなんで喧嘩したの?」
「喧嘩はしていない。向こうが絡んでくるだけだ」
「でもなにか原因あるはずよ。ひーちゃんはなにも理由が無いのに絡みに行かないわ。」
「ない」
「いいえ!ゆっくり考えてみて…」
健二郎は唇が乾いたのかリップクリームを付けながらそれらしい事を言う。ピアノの優しい音色が店内に響いているが和一の心は穏やかではない。しばらく考え込んだ和一の思い当たる事なんてほんの少しだけ。
「…あいつは多分玲実に気があるんだと思う。」
和一は薬指の指輪を優しく撫でる。これは彼女との愛を誓った大切な物だ。値段ではない。
「…なるほどね。だから和一にちょっかいかけるの?」
「それ以外思い当たらん」
「玲実ちゃんを奪いたいだとかそんなんじゃなくてね、きっとあんたと友達になりたいのよ。」
「叔父さんは現場に居ないから分からない」
「いなくてもあの子の行動は分かるわ。」
ふふ、と笑った健二郎は陽向の話をする時いつも子供の心配をする母親のような顔になる。
(また始まった。…叔父さんはいつも外崎贔屓な所がある)
健二郎がいつから陽向と知り合いなのかは和一は知らないが、きっとあの詐欺師に丸め込まれ変な母性を感じているに違いない。
「…少しでも優しくしてあげてね。あんたと話したいのよ」
和一は話を早く切り上げたい一心で引き攣った顔のまま「…気が向いたらな」とぶっきらぼうに答えた。
階段を少し上った所に見えるのは見上げるほど高いマンションだ。金持ちたちはそこから街を見下ろしているのだろう。浮かない顔で間の歩道をウロウロと徘徊する陽向とはそれこそ天と地の差がある。空は今にも降り出しそうな厚い雲が覆い、周りの木や地面が水分を含んだ匂いを発して…陽向は傘を忘れたことを悔やんだ。
(あー、行きたくねえ。なんだって金払いに行かなきゃならんのだ)
胸ポケットの茶封筒には五十万を忍ばせているが、陽向は中々マンションに近づかない。早くしなければ雨に濡れてしまいそうだが、どうしても行きたくないと思ってしまう。それは学校に行きたくないあまり仮病を前日から仕込む子供のような気持ちである。陽向は大抵そう思った時は意地でも行かなかった。汚い押し入れの中に引きこもって、よく母を困らせていた記憶が蘇る。ふっ、と綻んだ表情はとても優しげで柔らかい。
雨がぽつりと陽向の頬を掠めた。生温くて気持ちの悪いそれは地面をゆっくり濡らしていく。小走りで雨を避ける人々とは違い、陽向はぼんやり革靴が水玉を弾く様を見ているのだ。それは感傷に浸っている訳では無い、…単純に嫌がらせするためだ。
陽向はその歪んだ性格の為、身を粉にしてもずぶ濡れになる事を望む。雨足は思惑通り強くなって、服に、髪に、肌に滲んでいく。(五十万円分部屋中ビタビタに汚してやるか)と悪巧みを考えていると、ふと地面に影が出来た。
「風邪引いちゃいますよ」
俯いていた顔を上げれば、不思議そうな顔をしてこちらに傘を傾ける男と目が合った。その傘が受け止めるポリエステルはバツバツと雨音を響かせ、彩度の落ちた世界で一際存在を目立たせる。
陽向は過去に何人か芸能人と呼ばれる連中と関わったことがあった。美人やイケメンなんてのは沢山いる世界だが、阿形雨音はなにか引き寄せられるような魅力があるのだ。
「部屋、分からなかった?」
そのタレ目に見詰められると、どうにも居心地が悪いと感じてしまう。
「…まあ、そんなとこ。……今日オシャレだね。あのクソダサメガネ気に入ってたのに」
「じゃあ陽向さんにあげますよ。それより早く家に行きましょう。雨、酷くなるから」
自然に男は陽向の肩に触れる。その指先に背筋が泡立って、陽向は逃れるように体を捻った。雨に濡れようと関係ない。「触んな」と冷たく拒絶してさっさとエントランスへ向かっていく。
陽向は金を渡しにやって来たのだ。あのような屈辱的な動画を撮影されなければ放置で良かったのに。
身勝手な陽向の思惑に、どこか余裕の表情を浮かべて彼はゆっくりと傘を畳んだ。石突きから滴る雨粒を丁寧に振り払う。そして陽向に触れぬように耳元で「俺の部屋、次から覚えてくださいね」と妖しい囁きを残して肩頬を上げた。
ふわふわのタオルで水分を取って、おろしたての服に袖を通す。それはほんの少し大きくて、男として負けたような気持ちになった。
「一応乾燥機に掛けましたけど、クリーニング出した方がいいですよ」
玄関や部屋を水浸しにされても顔色ひとつ変えず簡単に掃除している。それも陽向に敗北感を植え付けるのだ。
まるで自分の部屋のように陽向はソファーにどっしりと座ってヨレヨレの茶封筒をその隣に置いた。落ち着きなく足の指先を開閉させてどうにかいつもの調子を保っている。
(次、とか言ってたけど…)
なんのつもりなのか、雨音はそのような含みのある言い方をした。これはあまり良くない方向に事が進んでいると内心嫌な気持ちである。
陽向ならば、揺するネタがあれば一回で逃がさない。良いATMとして常に稼働させるだろう。…目の前で着替える男が同じ脳みそだったなら"次"は確かに存在するが、これだけ金がありそうだとわざわざ陽向を揺する理由もない。
(…それとも単純に嫌がらせしたい、とかかもしれねぇな)
しっかり管理されたしなやかな背筋はちょうど良い筋肉で覆われている。上から下った布は肉体美を隠した。完成された美術品を見ている時のような感覚は嫌いじゃない。
「なにか付いてます?」と雨音は背を向けたまま問いかける。こいつはきっと背中にも目が付いているのだろう。
「いや…別に。」
「…ふーん。」
優雅に歩く雨音は、拳ひとつ分位間を開けて陽向の隣に腰掛けた。ソファーがゆっくり軋んで、その重みが伝わってくる。
「…なんか近くないか?」と直ぐに距離をとると、直ぐに開けた分だけ距離を詰め、「話しようと思って」と適当な言葉を吐いた。
「話なんてこんなに近くなくても出来るだろ。それに、そんなに長居するつもりはねーから。」
覗き込む瞳を遮るように陽向は茶封筒を雨音に突き出した。
「ありがとうございます。ちゃんと調べてくれたんですね」
雨音はわざわざ陽向の手の甲をそっと撫でるように触って茶封筒を受け取った。それにまた背中がゾワゾワと総毛立つ。
(…なんなんだこいつ。)
茶封筒から飛び出した金を長い指先で数え始めた。金が捲られる様を陽向はじっと見ることしか出来ず、五十枚分辛抱を続ける。彼は数え終えると何とも言えない表情で陽向に視線を向けた。
「どうして五十万円しか無いんですか?…本当に調べた?」
何か汚物を見るように冷たい表情に心臓が硬直する。どうやら金額が違ったようだ。
「おっかしいなあ、…たしかに五十万だったと思うんだけど…。」と苦し紛れの嘘を平然とつく。それに腹が立ったのか、雨音は陽向の顎を手のひらで掴んだ。
まつ毛の奥の据わった瞳に睨まれて、蛙になった気分である。
「本当の事言えよ」
低く威圧感のある声は甘いマスクからは想像できない。その指はぶにゅ、ぶにゅと唇の感触を確かめる。顔を逸らしたとて、今度は両手でホールドされてしまえば逃げようが無い。
「はあ?うぜぇなあ。そもそも一々客のことなんて覚えちゃいねーよ。…金返したんだから問題ねーだろが。」
その暴論に雨音は眉ひとつ動かさず、静かに聞いている。表情がないと人形のようだ。
「…それに、俺は一人の客から五十万以上は取らねーよ。」
「本当に?」
「………多分。時と場合による。」
自ら陽向に貢ぎたいという変わり者からは金を貰ったりするが、それ以外は大体五十万にも満たない。これは陽向が誠意を込めたつもりの五十万だった。
「じゃあ陽向さんは…覚えてないんですね」
「…だから、悪かったってば。調べたけどダメだったんだよ」
「……そう、ですか」
ゆっくりと離れた両手の間にはどこか悲しそうにしょんぼり眉を下げる男がいる。それは捨て犬のようで陽向はバツが悪い。昔から動物だけは好きだったからか、おかしな罪悪感が生まれるのだ。
なにか言葉を掛けようと口を開きかけた時、雨音は遮るようにハッキリと訳の分からぬ事を言い出した。
「…悪かったと思うなら俺と付き合って下さい」
「…は?」
硬直した体は後ろに引っ張られるような感覚があった。それは陽向がここから逃げたいと思っているからだろう。それを察してか雨音は陽向が逃げないようがっちりと手を掴む。
「だから俺と付き合って」
「………あは、は。なんか変なからかい方だぁ〜…」
何かの冗談だろう、それともこれも嫌がらせの延長なのか。混乱する陽向に「冗談じゃないですよ。本気です」と追い打ちを掛ける。
「意味がわからん。普通、自分の姉貴を騙した男にそういう事言う?お前こそ本当のこと話せよ」
陽向の体温は上昇している。脈も普段より早く刻んでいるだろう。それが手から相手に伝わらないか不安で仕方がない。
「実の所、騙された姉なんていないです。」
「……はあ!?」
「陽向さんと接点を持つ為にでっち上げました。動画を撮ったのも次の口実を作るためで、本当にばら撒くつもりは無いです」
陽向は呆気に取られてあんぐり口を開けてしまう。ここ二日程悩みに悩んだというのにそれが全て嘘だった、詐欺師が騙されたのだ。
「お前、やるね…。見事五十万騙し取ったわけか」
「…お金は返します。」
「当たり前だろうが!……にしてもなんだってこんなおかしなやり方を…フツーに初めからそう言えばいいだろ」
雨音は少し困ったように笑うとその日初めて視線を逸らした。ちょっぴりその潮らしい様子は可愛げがある。
「あなたは難攻不落だって知り合いの女の子から聞いたんです。結構俺の周りの子達はそうだって言ってたから…」
どこのどいつか知らないが意味のわからぬ噂を流されていたようだ。確かに陽向は客から好意を寄せられることが多かった。それは相談相手として話しているうちに、というものが殆どだ。勿論愛は金にならない、更に時間も食うのでお断り、というスタンスでやっている。それを今後も変えるつもりはない。
「それに…あなたは覚えてなかったじゃないか。だから少しでも印象に残るように努力したんです…」
「覚えてないって…過去に会ったことあった?」
その言葉に雨音はしょんぼりと肩を落とす。そのような反応に悪い気はしない。先程までの立ち位置が逆転して、再び陽向が優位になっているのだ。
「…そんな事より返事、聞かせてください」
ギュッと雨音手のひらに力が入る。緊張しているのか微かに震えて、薄ら涙が浮かんでいるのだ。
(…おいおい、…勘弁してくれ)
絶対に飼えない捨て犬を見捨てた時と同じ気持ちだ。通り過ぎた時、黒目がちな瞳で陽向に縋るいつかの捨て犬と同じ。
その後の罪悪感を陽向は嫌という程知っている。ここで中途半端な同情を与えるべきではないことは年齢を重ねているのだから分かるはずだ。
「まだ会って間もないのにそう直ぐには決められねーだろ。」
「…俺、金ならあります。あなたが必要なら幾らだって出します」
「はあ?…最悪愛情はいらねーってか。悪いけどその提案なら却下だ。」
自己犠牲的な奉仕など陽向は必要としていない。金なら自分で稼ぐ。金に依存しても人には依存してはいけない。
「…そんなに俺と付き合いたいなら惚れさせるくらいの甲斐性見せろ」
「分かりました。俺、あなたに好きになって貰えるように頑張ります」
だが結局陽向は捨て犬を見捨てきれない。この思わせぶりの発言は厄介事を招く筈だ。
気がつけば外の雨は少し弱まって、帰るならば今だろう。陽向はやんわりと重ねられた手から離れる。
(どうせ直ぐに飽きるだろ…)と見越して深く思考する事を放棄した。陽向にも時間が必要だ。
「簡単にいくと思うなよ。あと傘借りるから」
捨て台詞を吐いた陽向はさっさと玄関に向かった。勿論五十万は回収して。
その背後で「うーん、難しい人だ。ま、押しに弱いのは分かったけど」と不敵に笑う男になど気がつくことも無く、陽向は小雨に傘を回しながら一旦スウィンドーに戻ることにした。
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