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第10話

酔っ払いと言うのはとにかく重い。自分で立つ事もほぼ出来ないので、玲の肩に渡の体重がずっしりと乗りかかっていた。 渡と飲む時にはありがちなのだが、凛太郎がいない飲み会は初めてだ。今後は平日に彼と二人で飲むのは控えようと決意した。 (そうか。いつもは背の高い凛太郎くんが反対側で渡さんを支えてくれていたから) 玲も支えていたが、ほぼ役に立っていなかったと知った。 「ごめんなぁ〜。タクシー乗り場まででええから頼むわ〜」 そのタクシー乗り場は駅の反対側で、まだ距離がある。ふらつく足取りの渡に合わせていたら時間がかかりそうなので、背負うことにした。 「渡さん、じっとしてて下さいね」 リュックを前面にかけて渡を背負うと、弾みで彼の手から鞄が落ちてしまった。 「あ〜、落ちた〜」 腹に力を入れてアスファルトに落ちた鞄を拾おうと手を伸ばしたが、玲の手が触れる前に拾われた。 「はい」 拾ったのは凛太郎だった。突然の登場に驚いた玲は、差し出された鞄を無言で受け取った。 「格好いい人がいるなと思ったら、玲さんだった」 彼が笑うと、夜の暗がりの中でも明るく感じる。 「でも、これは俺が嫌だから。交代するね」 玲の背中から渡を引き取った凛太郎はすぐに歩き出し、玲もその後ろについて行った。 不意打ちの笑顔のせいか、徐々に体温があがっていく。夜の外気はもう冷たくなっているのに、頬が熱い。 タクシーに渡を乗せて見送ったあと、背を向けていた凛太郎は勢いよく振り向いて顔の前で手を合わせた。 「玲さん、ごめんなさい!」 手を合わせた音に驚いていると、今にも泣き出しそうな弱々しい目を見せた。 「なかなか連絡出来なくて、ごめん」 「あぁ、そのごめんか。気にしなくていいよ」 「…怒ってない?」 思ってもみなかった言葉だった。怒る?連絡がなくて確かに淋しいとは思ったが、怒ってはいない。 「ごめん、移動しようか」 タクシー待ちをしている人の邪魔をしていたらしく、凛太郎が玲の背中に手を当ててきた。 「じゃあ、近いからうちに来る?」 「え!」 「…嫌ならどこか店に」 「違う違う、嫌なんじゃなくて。玲さんち行くの初めてだから」 そうか。凛太郎の自宅と違って、玲の部屋は狭い。いつも当然のように彼の広い自宅で過ごしていたので、招いた事がなかった。 「…狭くてもいいなら」 「全然いいよ。いいに決まってる」 どこか興奮気味にそう言った凛太郎と、並んで歩いた。自宅に着くまで、何となく無言だった。 静かな帰路に気がついた。常に彼が玲に話しかけてくれていた事を。そんな所まで気配りが出来るなんて、やはり彼は凄い。 「凛太郎くんちに比べたら、凄く狭いから」 扉を開ける前に忠告したが、先に玲が靴を脱いで入らなければ、凛太郎は玄関の扉も閉められなかった。 玲は先に室内に入って、玄関に立つ凛太郎を見て改めて驚いた。 身長のある彼が立つと、玄関が完全に塞がれてしまう。 「…やっぱり、君には狭いな」 少し歩いたところに深夜まで営業しているファーストフードの店がある。移動を提案しようとした玲の言葉が口から出る前に、強く抱き締められた。 「り、凛太郎くん…?」 「ごめん…ちょっとだけ充電させて」 その声は少し疲れているように聞こえた。彼にしては珍しい声音に従い動かずにいたが、思っていたよりも長い。無音の空間で、彼の呼吸音が耳に届いた。玲の頭に、凛太郎の顔が密着している。 (…これ、匂い嗅いでない…?) 「凛太郎くん、ちょっと」 慌てて離れようとしたが、玲を閉じこめる腕の力は緩まない。 「待って、もう少し」 「風呂も入ってないのに嫌だって」 「じゃあ、シャワーしてからならいい?」 「…は?」 「玲さん、五分であがれるでしょ。俺、待ってるから。シャワーしてきて」 どうしてだ。家に来るなりそれはおかしいだろう。と、言いたいことはあるのに、どうやら本当に疲労が溜まっているらしい彼の必死な顔を見ると拒否できなかった。 凛太郎にはテレビをつけてやって、いつも通りの短い入浴を完了した。 八畳スペースのワンルームは、シャワーを終えた玲を驚かせた。狭い空間のせいなのか、室内に凛太郎の香りが漂っている。 「おかえり、玲さん」 立ち上がった凛太郎が一歩踏み出して手を伸ばしただけで、捕まってしまう。この狭い部屋に逃げ場はない。 「ま、まだ濡れてるから」 「いいから。ぎゅってさせて」 再び抱き締められると、胸の中までぎゅうと苦しくなる。 「…玲さん」 「な、なに」 「今度、俺んちで風呂入った後にぎゅうさせて」 慣れない台詞を向けられて恥ずかしさから返事が出来ずにいると、腕の力が緩められて顔を覗かれた。 「…玲さん、怒った?ヤダ?」 「ち、がうけど。その、恥ずかしい言い方…やめないか…」 「え?何が?」 今まで生きてきた中でも声に出したことがない。せめて普通に抱きしめたいと言われる方がマシな気がする。 「とりあえず一回離れて」 やっと距離をとれた玲は、首にかけていたタオルで髪をざっと拭いた。 「インスタントコーヒーしかないけど」 「ありがとう」 「床じゃなくてベッドに座ってて。狭いから」 長い足を小さく折って座る姿を見るのが申し訳なくてそう言うと、ベッドの端に浅く腰を下ろした。そんなに気を使わなくていいのに。 「熱いから気をつけてね」 「うん。凄いね、本の量」 ワンルームの部屋が異様に狭いのは、壁にそって並んだ本棚のせいだ。 「…本棚なくても狭いか」 これが無くても、凛太郎にはベッドに座ってもらわなきゃならない。 「そんな事ないよ。俺の友達もみんなこの位の広さの部屋だよ。もっと散らかってるけど」 さりげなくフォローしつつも褒めてくれる。 嬉しく思いつつ、彼の隣に座った。 「あの、さっきの話なんだけど」 「…うん」 コーヒーのマグカップを小さなテレビ台の隅に置いた凛太郎が、軽く咳払いをした。 「お、怒ってるかなって、ずっと気になってて」 「それ、俺にはよく分からないんだけど。何を怒ってると思ったの?」 思い当たる節がなくてそう言うと、凛太郎の目が見開かれていった。 「え…っと。ほら、バイト先で会った時とか、俺から会いたいって言ったのにずっと行けなかった事とか」 バイト先。と聞いて、胸に思い出された感覚はあった。だが、それは怒りではない。 「会えなかったのは確かに淋しいなって思ったけど…。でも、忙しいなら仕方ないだろ。君は学生なんだし、優先させなきゃいけないことは沢山あると思う」 「…じゃあ、怒ってない?」 「怒らないよ。俺ってそんなに普段すぐ怒ったりしてたっけ?」 あまりにも何度も聞かれてしまうので、おかしくなってきた。 「や、玲さんが怒ってるの見たことないと思うけど」 「そうだろ?まぁ、女の子といる凛太郎くんを見た時は変な感じがしたけど」 「変な感じ?」 急に距離を詰めてきた凛太郎の手が、玲の肩を掴んだ。 「……うん。え、俺、変なこと言った…?」 「それってどんな感じ…?」 余り考えない方がいいような気がしていた所を指摘されて、玲は眉根を寄せた。 あの時は、二人の後ろ姿を眺めていて胸が苦しくなった。後を追いかけて声をかければ良かったのに、何故かできなかったのだ。バイト関係の人だと話していたし、邪魔をしてはいけないと思ったのは間違いない。けれど、それだけでは無かった。 「…なんか…。一緒にご飯も行けなくて淋しかった…のかも…」 彼と会う時は短時間で別れることはほとんど無い。食事は必ずと言っていいほど共にしていたのだ。 「そうか。だから、何となく後を追いかけられなかったのかな」 声に出してみると、自分の気持ちがわかった気がする。 「それだけ?」 「…え、他に何かある?」 「や、俺…。浮気だとか思われないかなって…」 思ってもいなかった言葉を聞いて笑いそうになったが、目の前にある整った顔立ちの凛太郎は、元気の無い顔になっていた。 「あのさ、俺…。慣れてなくてよく分からないけど、浮気だとか思ってないよ。だってその…、す、好きだって言ってくれただろ…?」 恥ずかしかったが、ここは誤魔化してはいけない気がする。 「凛太郎くんのこと、ちゃんと…信じてるから」 男の自分を好きだと言ってくれた。あの時の高揚した気分は、忘れられない。 「れ、玲さんっ!」 勢いよく抱きしめられた反動で、ベッドの上に押し倒された。 「絶対大切にするから!めちゃくちゃ好きだよ!」 凛太郎の重みを受け止めながら、笑顔で彼の背中を撫でてやった。 「…はぁ…やばい、いい匂いする…」 凛太郎のうっとりとした声と共に、頭皮に彼の息がかかった。帰るなり風呂に入る事になった理由を思い出したが、この状況はどうだろう。 「…く、くすぐったいよ。り、凛太郎くんっ」 犬に嗅ぎ回れているようだが、凛太郎の鼻先は髪の中から首や耳元へと移動している。 「ちょ…っ、ま、待ってっ」 「くすぐったいんじゃなくて感じてるよね?玲さんて敏感なのかな」 体験したことの無いやり取りに、寝転んでいるのに目眩がしてきた。 「た、頼むから、一旦ストップ!」 彼の肩を掴んで押し離そうとしても、腕に力が入らない。 首筋に息がかかったと同時に、ぬるりと熱いものが首筋を這った。 「びゃ!」 「ははっ。面白い声出たね。感じたの?」 舐められたのか。理解した瞬間、頭が爆発してしまうような羞恥に襲われた。 「ま、待て、って。凛太郎くんっ」 「ヤダ。…俺、玲さんが欲しい…」 被さる凛太郎の手が、玲の頬を撫でて覗き込んで来た。艶を帯びた彼の目は、確実に欲情している。見たことの無い凛太郎の表情は、玲の肌を落ち着かなくさせた。 欲しい。と言うのは、要するにセックスがしたいという意味のはずだ。 心の準備が出来ていないのに。しかも、まだキスすらしていない。付き合うことになったあの日、唇が重なる直前、携帯の着信に邪魔されたきりだ。 せめて先にキスをしたい。勇気を出して告げようとしたが、凛太郎の唇が玲の唇を食べてしまうような勢いで吸い付いてきて言えなかった。 「んん、んっ、ん!」 重ねるだけのキスではないそれは、玲の思考力を根こそぎ奪っていく。熱く柔らかいのに、意思を持って蠢く凛太郎の舌がいやらしく口腔を舐めて吸い上げていく。口を開くことしか出来ない玲は、されるがままに激しいキスを受け入れていた。

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