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第9話
何故自分のバイト先の本屋になんて連れていったのか。
玲に声をかけられて初めて、まずかったんじゃないかと気がついた。本屋を出て駅までRiaを送った後、動揺していた凛太郎は玲に連絡も入れず帰宅した。
自宅のリビングでソファに腰を下ろした瞬間、女の子に対する習慣が自然と出ていた事に愕然とした。
玲に対して変な態度をとったに違いない。自覚はあるくせに、メールも電話もいれるのが怖い。
(どうしよう...。き、嫌われた?俺...)
女の子に嫌いだと言われるのが怖い。子供の頃から凛太郎の芯に重く沈んでいる事実だ。原因は明確ではないが、おそらく姉と母の影響だ。正義感が強く自分を曲げない強い女性が家庭に二人もいると、嫌でも影響を受ける。特に年の離れた姉は凛太郎に厳しかった。自分のコンプレックスを姉になすりつけるわけではないが、か弱き女性に優しくするのがお前に出来る唯一の取り柄だと言い聞かされて育ったのだ。
それでも、その言い訳を恋人には出来ない。凛太郎は冷たくなる指先でメールを打った。
今から会えるかという凛太郎のメッセージに、すぐにレスがあった。
明日でもいいかという返信に、凛太郎の心は浮いたり沈んだり忙しい。
返事は嬉しい。けれど、今日はダメなのかと思うと、期待していた自分に気がつくのだ。会えないのか。それは淋しい。この不安を抱えたまま夜を過ごすのは嫌だな。
自分勝手なことを考えていた罰なのか、一翠から電話が入った。
引き受けるんじゃなかった。思わず呟きそうになったが、引き受けた時の動機を思い出して唇を噛んだ。
今から会えるかな?
ごめん、明日の夜でもいいか?
分かったというメッセージの一分後には、急用が入ったからまた連絡するね。の文字が並ぶ。
また。と言うのは、一般的に何日くらいを指すのだろう。
「また携帯見てるん」
肉が炭になるやろ。あきれた顔をした渡は、焼き過ぎて縮まった肉を玲の取り皿に入れてくれた。
「珍しく俺と二人やのに、そんなに嫌やった?」
「すみません。そうじゃないです」
「マジレスかいな。気にしてへんよ。仲くんおらんかったら、淋しいよなぁ」
スーツの上着を脱いでいた渡は、仕事帰りに玲を焼肉に誘ってくれた。いかにもな日本のサラリーマンの夜の姿だ。
「…あ、あの、渡さん」
「んん?」
大きな肉を口に入れたところに話しかけてしまったが、彼は咀嚼しながら「どしたん」と聞いてくれた。
「また連絡するって言われたら、どのくらい待てばいいもんですか?」
「それは恋人?」
「.....はい」
素直に頷くと、渡は楽しそうに笑った。
「有坂くんは素直でええなぁ。恋人の連絡を律儀に待っとるんやね」
「律儀...?」
連絡すると言われたから待っているだけなのだが。
「なんか懐かしいなぁ。昔の汐月を思い出すわ」
納得しながらビールジョッキを傾ける彼は、学生の頃に付き合っていた元宮を思い出しているらしい。
「あぁ、いつまで待てばええんかやったな。そんなん、連絡したかったらしたらええやん」
「...え」
「恋愛にルールはないやろ。若い時にアホな事したから言えるけど、話したい事あるんやったらゆーといた方がええで」
勇気づけてくれている。それは嬉しいが、大丈夫かと思わず言いそうになる程度には辛そうに見えた。
「メッセージ送るくらいやったら、相手も忙しくても見れるやろし。喧嘩して連絡しにくいとかちゃうんやろ?」
「喧嘩はしてないです。俺が...勝手にモヤモヤした感じなだけなんで」
取り皿の中で冷たくなる肉を箸でつついていると、目を見開いて固まっている渡に気がついた。
「凄いやん、有坂くん!めっちゃ恋してるやん!」
渡の大きな声が二人の席から周囲に響いた。
「渡さん、声が大きいです」
「いや、良かったわ〜。ずっと汐月に未練あるんかと思ってたから。なぁ、どんな子なん?ちょっとだけ教えてや」
自分から聞いておいて、通りがかりの店員を呼び止めてビールのおかわりを注文した。
すぐに運ばれてきたジョッキに口をつけ、一口飲んだ渡がこちらを見た。
「...背が高くて...凄く綺麗な人です」
「有坂くんより高いん」
「はい。…変ですか?」
「なんも変やないよ。有坂くんはそこも好きなんやろ?」
「す、好きです。いつも笑顔で爽やかだし、一緒にいると元気になれます。楽しくて...ずっと一緒にいたいって...」
玲の手は箸から離れ、白いおしぼりを掴んだ。言葉にすると、会いたい気持ちが溢れてしまいそうだ。
「わ〜。なんや、可愛いなぁ」
「でも俺、恋人って初めてで。だから、何をどうしたら良いのか分からないんです。渡さんは話したければそうした方が良いって言ってくれましたけど、言ってダメな事だったら嫌われたりしませんか?」
思わず一息にぶつけてしまったが、渡は優しく微笑んでくれた。
「もし有坂くんがあかん事言ったら、怒ってくれるんやない?俺は喧嘩するんも大事やと思う。...偉そうに言えへんのやけどな。俺は、若い時も大人になっても、結局は言いたいこと言えへんであかんくしたから」
「…喧嘩するのって大事なんですか...?」
「大事に決まってるやん。そら、せんに越した事はないやろうけど、喧嘩しても仲直りしたらええんやもん」
即座に記憶の引き出しから探し出したのは、大好きなラノベ作品での仲直り場面だった。本音をぶつけ合って喧嘩をしたあと、仲直りをする彼等は絆を強くしている。
本の中のお話と現実は違うと分かっていたが、参考には出来るのか。
「そうか...。喧嘩になるようなイメージは無かったけど、仲直りができると思えばなんでも話せるかもしれない」
渡の一言だけで、ここまで気持ちが楽になるとは思わなかった。友人とは、本当に素晴らしい存在だ。
「はは、なんか急に元気な表情になったやん。有坂くんは、ほんまに可愛いなぁ」
ふにゃふにゃとした口調の渡に気がつくのが一歩遅かった。今夜は凛太郎がいないのに、かなり酔いが回っているようだ。
すぐに店員に言って水を頼んだ。
「渡さんの方はどうですか?お仕事大変ですか」
「ん〜、まぁ。お陰様で、最近は嫁に逃げられた話題は消えてきたかな」
挙式直前で結婚相手から破談にされた渡は、辛い思いをしていても辞めずに働いている。
玲からすれば、それだけで賛辞に値する。
「なので、まぁ、順調やで。有坂くん、いつも気にしてくれてありがとうな。仲くんもやけど、二人にはほんまに感謝してるねん」
順調だと笑う彼の目尻に、疲労が見える。玲には編集部の仕事はわからないが、楽して稼げる仕事などない。
「感謝してるし何か恩返しせなあかんな〜とは思ってるねんけど」
そこまで話した渡は、ビールジョッキを掴んだままゆっくりと額を取り皿の上に落としていった。
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