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第8話

勤め先の工場の敷地は広い。その広さに反して喫煙所は狭く、工場の建物に挟まれた僅かなスペースしかない。 玲は喫煙はしないが、黒澤が喫煙者なので昼休憩の食後は飲み物を持参して同行する。今日はいい天気だ。朝夕と寒くなってきたが、昼間は日焼けしてしまいそうで、見上げた狭い青空に目を細めた。 「あぁ?」 缶コーヒーを飲もうとしたが隣から低い声が響いて手を止めた。 「なんだよ。付き合う事になったんならすぐに連絡しろよ。俺と汐月は知る権利あるだろ」 金曜の夜から土曜の朝まで再び迷惑をかけたので、報告をと思って話したのだが。どうやら遅かったらしい。 「凛太郎は急遽別のバイトで日曜もバイト休んだらしいしよ。お前からも連絡ねぇから、もしかしたらダメだったのかもって、心配してたぞ」 「元宮さん、心配してくれてたんですか」 彼はどこまでいっても心優しい。 「なんだよ〜。心配して損したな。じゃあ、昨日も楽しんでたのか?」 「…はい?」 「…ん?」 土曜の朝に黒澤宅から凛太郎の自宅へと移動したあとは、すぐに自宅へと帰った。夜に短いメールが来ただけだ。 日曜はいつも通り自宅で読書に勤しんだ。 「会えてねぇのか」 「はい。もしかしたら、その急遽っていうバイトのせいかもしれないです」 「お前、何も聞かされてねぇの?」 「…何か変ですか?」 「いや、当人がいいなら構わねぇけど。意外に淡白なんだな。俺はやっと手に入れたと思った瞬間一瞬でも離れるのが嫌になるタイプだからな」 そっちの方が意外過ぎる。顎髭がトレードマークで、男くさいイメージなのに。 「驚きました。じゃあ、元宮さんと二人の時はデレてるんですか?」 一緒に食事をしていても、そこまでは分からなかった。という事は、他人がいる時には隙を見せず、元宮にだけは素の自分を見せているということか。それは、かなり萌える設定だ。 (いや、違う。だから作品じゃないって) 自分の悪い癖にブレーキをかけつつ質問すると、黒澤はにやりと笑った。 「どっちかつーと、汐月の全部を知ってたい。トイレに行くのも離れたくないな」 「……そ、れは」 「はは。引くだろ?でも、あいつは俺がそう言うと嬉しそうだから、まんざらでもねぇみたいだぞ」 愛のかたちは人それぞれだ。本の世界が玲に教えてくれたことは、真実なのだろう。 「お前達も、自分のやり方で向き合えばいいって事だ。…てか、お前はいつの間にあのチャラすぎる男を好きになってたんだ?」 自分でも不明瞭な所を突っ込むのはやめて欲しい。玲は素直によく分からないと答えたが、玲らしいと笑ってくれた。 玲の携帯には、土曜日の夜にきたメール以降メッセージは届いていない。 今日は慌ただしくてごめんね。また連絡するから、待っててね。 それだけで、とても嬉しかった。 恋愛は凄い。好きになる相手が変わると、また初めての恋をするような新しい気持ちになる。 元宮を好きになった時は、自分でも驚く程行動を起こせた。本屋で働く彼に一目惚れした時は、相手が男性だった事に我ながら衝撃を受けたが、見ているうちに性別も気にならなくなる程好きになってしまったのだ。 押し付け過ぎて困らせた自覚はあるのに、彼は玲を友達として受け入れてくれた。 今でも変わらず優しい。それは、黒澤も同じだ。 入社当時から他人とコミュニケーションを取ろうとしない玲に、何度も話しかけてくれた人。彼こそ、大人の男だと密かに憧れている。玲は黒澤の直属の部下だが、関わりのない社員からも一目置かれているようだ。頻繁に上の人間に呼び出されては、遠方の工場に出張まで行く時がある。 凛太郎という恋人が出来て浮かれていたが、落ち着いて考えてみると、このままでいいのだろうかという疑問が湧いてくる。余りにも不釣り合いなのではないだろうか。 凛太郎は、背が高くて足も長い。派手な髪色が目立たない程整った綺麗な顔立ちと、人当たりのいい笑顔で誰とでも仲良くなれてしまう。 自分はどうだ。高校を卒業してすぐに今の会社に就職し、黒澤に世話を焼かれて、やっと他人と話せるようになった程度の陰キャな男だ。しかも、凛太郎より二つも歳上。身長も凛太郎に比べてかなり低い。趣味はラノベを読む事。 何もかもが違うのに彼といる時間が楽しいのは、彼が人を楽しくさせるのに長けているからだ。 きっと、誰もが凛太郎といると彼を好きになるだろう。 (だからといって、修正した方がいいとなにか指摘された訳でもないし。不釣り合いな俺を分かっていて告白してくれたんだよな。…また浮かれちゃいそうだ) 仕事帰りの道程を深呼吸しながら自宅へと向かう途中、元宮が勤務する本屋が見えた。そうだ。最近はあまり覗いていなかったから、新刊が出ているかもしれない。 書店の大きな自動扉の前に立った時、扉の硝子に映る作業服の自分の姿が目に入った。 徒歩で通える距離だからと作業服のままで行き来していた。服には興味もないし、センスもない。だから、こうして決められた服装があるのは玲的には助かっているのだが。 勿論、バイト終わりの凛太郎と待ち合わせる時はなるべく私服に着替えてから来るようにしているが、時間の無い時は作業服のまま居酒屋へ行ったりしていた。恋人としての今後を考えるなら、これは改善した方が良さそうだ。 服装か。と考えていたせいか、無意識に雑誌のコーナーへと足を向けていた。 お洒落な表紙のそれらには全く無縁で、買った経験がない。 (…どれを買えばいいのかも分からないしな) それこそ、センスのある凛太郎と買い物に行って選んでもらえばいいはずだ。そうだ。そうしよう。雑誌の棚からラノベの方へと向かおうとした玲の足が、視界に入った長身の男女の姿に止まった。 肩ほどの髪をした手足の長い女性は、外の寒さに反抗しているのか、丈の短いスカートを履いていた。男だからまずそこに視線が向くのは自然だが、隣に立つ長身の男を見て思わず声を出してしまった。 「凛太郎くん?」 「え。あ!玲さん!」 玲に気がついた彼はいつものように笑顔になったのだが、すぐにその笑顔を消してしまった。 「や、これはあの、新しいバイトで一緒に働く人なんだ」 「あ、そうなのか。思わず声かけちゃってごめんね」 仕事の話をしているのを邪魔したのかも。と、玲は足早に移動した。 偶然会えて嬉しかったのだが、あまり話が出来なくて残念だな。落ちかけた気持ちをあげるように、新刊が並んだ棚を見ていると、突然誰かに肩を押されて隅の方へと押しやられた。 「わっ、あ?元宮さん。お疲れ様です」 「玲くんもお疲れ様。って、そうやないねん。仲くんとどないなったん?」 元宮は本を運んでいた途中だったのか、何冊か抱えたままだ。 「それは…。あ、そうか。黒澤さんには今日話したんですけど、お陰様で恋人としてお付き合いする事になりました。何度もご迷惑かけてしまってすみません」 背筋を正して一礼すると、元宮はきょとんとした可愛い顔になってしまった。 「…元宮さん?」 「ちゃうやろ。ほんなら、なんで今、仲くんの前素通りしてきたん」 「挨拶しましたよ。素通りじゃないです」 「……あ〜、そう。まぁええや。新刊チェックしに来たんやろ。玲くんの好きなやつ結構出てたよ」 元宮に言われた通り、五冊のラノベを購入した。 レジで精算したあと袋に本を入れる元宮に、改めて新居に遊びにおいでと誘われた。凛太郎と引越し祝いを買いに行かなければ。 元宮に礼を言った玲は、まだ店内に凛太郎がいるかと探した。派手な二人連れはすぐに見つけられたが、丁度書店を出て歩いてるところだった。後を追って店の外へ出た玲は、二人の後ろ姿を見て声をかけるのをやめた。 行き交う人々の中でも、すぐに見つけられる。凛太郎と同じ様に綺麗な女性は、並んで歩く姿が自然だった。 (あれ) 追いかけたいのに、足が動かないのは何故だろう。突如、頭に浮かんできたのは疑問ばかりだった。新しいバイトって? どんなバイト? 俺は会えて嬉しかったけど、凛太郎くんは違ったかな? 隣の人はとてもお似合いに見えちゃうんだけど、それだけでどうして胸が痛いのかな。 元宮が言いたかったのは、こういう事なのだろう。 本当に、すべきことが分からない。そんな情けない自分がとても嫌だ。 玲は本の入った袋を掴む手に力を込めてその場を去った。

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