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第12話
午前中から待ち合わせをして百貨店で買い物。
凛太郎からすればよくある休日のデートだが、家を出る前から楽しみで落ち着かないのは初めてだ。可愛い恋人は困り顔でスリッパを手にしたりエプロンを眺めている。
「エプロン...はおかしいよな?」
「おかしくはないだろうけど、料理は黒澤さんがメインみたいだよ」
玲が手にしていたのはフリルやレースのついたいかにもなデザインだ。男女の結婚祝いになら喜ばれそうだが、黒澤と元宮には向かない。
「元宮さんが裸エプロンするには似合うだろうけど」
「...し、失礼だよ。そーいうの」
「え?どういうの?」
かすかに頬が赤くなる様が可愛くてじっと見つめていると、凛太郎の胸を手で叩いて足早に離れていった。
(可愛い...!)
緩む口元を手で押さえつつ、脳内で淫らな表情をする彼を思い浮かべてしまう。
彼と一線を超えたあの夜から約一ヶ月。肌を合わせて触れ合う事を、彼は素直に受け入れただけでなく夢中になっている。
性的な行為にハマったんじゃないかと凛太郎は考えていた。玲がいわゆるタチポジションをしたいと言い出した時は驚いたが、同じ男だからこそ理解はできる。
(でも無理だからね。あんなに可愛いんだもん。...早くもっと真っ赤な顔で喘がせたいなぁ)
距離をとった彼を追いかけて、後ろから肩に顔を乗せて声を掛けた。
「凛太郎くんもちゃんと選んでよ。元宮さんのところに行く時間になるだろ」
「ん〜。なかなかいいの見つからないんだもんな〜」
くっつき過ぎ。と額を軽く叩かれたが、そんな触れ合いも嬉しいなんて。
「あ。お揃いの下着とかいいんじゃない?」
凛太郎の提案に目を丸くしていたが、他にこれといったものが見つからなくて採用になった。
二人が想いを寄せた相手へのプレゼントは、結婚祝いだ。新居へと引っ越した彼等はとても仲が良く、理想と言えるかもしれない。
既に何度かお邪魔しているが、今日はこれから彼等の愛の巣へ、改めて玲と二人で訪問する予定だ。
(プレゼントか...。まだ玲さんに何もプレゼントしたこと無かったよなぁ)
ぼんやりと考えていたが、百貨店の一角に並ぶブランドの商品が目に止まった。
「あとはケーキ買って行くだけだな」
「あ、待って。ちょっとトイレ行ってくるから」
この辺りで待ってる。と言う玲に頷いて離れた凛太郎は、姿が見えなくなったのを確認してから目当ての店内へと足を踏み入れた。
仰々しいものでは無い、軽い気持ちで受け取って貰えるもの。
すぐ目に入った革製のキーリングが気に入った。明るいブラウンとダークブラウンのカラーリングで、シンプルで実用的だ。
すぐにそれを購入した凛太郎は、包装を待つ自分の姿が映るウィンドゥを見た。幸せそうだと感じて、こそばゆい。
本音を言えば揃いの指輪を贈りたいところだが、玲の事だから「まだ早い!」と顔を真っ赤にしそうだ。
そうだ。いつになるか分からないが、彼とちゃんとセックスができた暁にはプロポーズしよう。
緩みきった表情をしていたせいか、商品の入った袋を受け取る際に「喜んで頂けたらいいですね」と店員に言われてしまった。
結婚のお祝いなんて用意するのは人生初だった。百貨店に買い物に来るのも初めてな玲は、高い天井と眩い店内にずっと落ち着かない。
お祝いに揃いの下着なんて。と戸惑ったが、凛太郎に連れられて目にした下着の並ぶ棚のプライスカードは、玲の知る下着の域を超えていた。
凛太郎は慣れた様子で男性店員と話を進め、やたらと派手な贈り物に決定してしまったが、本当に喜んでもらえるだろうか。
持っていた百貨店の袋をゆらゆらと揺らした玲は、大きな柱にもたれて女性客が行き交う辺りを見回した。
(凛太郎くん、トイレ長いな。お腹壊したかな?)
休日の化粧品売り場は、とても賑やかだ。ここの百貨店は大きな駅に隣接しているせいもあって、人が集まりやすい。
そう言えば、元宮がモデルをしていた化粧品はここでもあるのだろうか。いや、あれは男性用の化粧品の宣伝だから、売り場がまた違うのかな。
あちこちに綺麗に飾られているのは、各メーカーの宣伝写真だ。客よりも少し高い位置に飾られているそれらは、どこのものも芸術作品のようにクオリティが高い。
(わ、アレ凄く綺麗.......)
目に入ったのは、男女二人の横顔のアップの写真だった。女性のメイクは非日常的なもので、目元に派手な色彩が広がっていた。額をつけて今にもキスをしそうな雰囲気で映る男性の方も、女性と同じように原色のラメが光るメイクを施されている。とても美しい写真だったが、見覚えのある顔立ちだった。
(.....凛太郎くんじゃない?)
その写真に惹き付けられるように足を踏み出した玲は、同じ様に注目していた女性客達の会話に気がついた。
「あれRiaがモデルよね?」
「隣のメンズも綺麗!」
「ご覧頂きありがとうございます。こちらで使用しているものと同じサンプルがございますが、よろしければいかがでしょう」
女性客の会話を聞き漏らさずに自然に声をかける店員が手にしたのは、小さなパックだった。
以前薬局で貰ったものと同じようなそれに、ポスターと同じ写真が見えて、思わず女性客が立ち去った後に店員に声をかけた。
同じものが欲しいんですが。と言うと、女性店員は眉一つ動かさずににっこりと微笑み、どうぞ。と玲に手渡してれた。
その場で見直して確認していると、手元がかげった。
「どこに行ったのかと思ったよ。何してるの?」
派手なメイクはしていないが、目の前に立つ長身の男は紛れもなく同一人物だ。
黙ったまま凛太郎を見上げていると、彼の表情が動揺へと変化していった。
「な、なんでこれ。あれ?もう出てるの?」
近くに飾られた大きなものに気がついた凛太郎は、慌てた様子で玲の手を掴むと足早に売り場から離れた。
「これ、凛太郎くんだよな?」
「...えっと、うん。この間話した別のバイトってやつ」
「...凄い...」
よく見るとメイクだけでなく、目元や眉毛の辺りに細かなラインストーンが貼り付けられている。なんて美しいんだろう。
「彼女、あの子だよ」
「え?なに?」
「この子。前に本屋で俺と一緒にいた子」
「...え!全然雰囲気違う!」
「やっぱりわかんないよね。凄く人気のあるモデルさんなんだけど、普段はメイクもしないんだって」
改めて女性モデルの方を確認してみたが、横顔でよく分からない。
「あの時は凛太郎くんしか目に入ってなかったから、全然わかんないや」
思わずそう言いながら笑うと、凛太郎が動きを止めていた。
「凛太郎くん?」
「...玲さんさぁ。無意識に煽るのやめてよ。キスしたくなるから」
大勢の人が行き交う場所でなんて発言をするんだと驚いたが、照れたように見えた彼の姿に胸がきゅうと音を立てた。
(キス、したいな)
考えを悟られた気がした。何も言わなくても、互いの視線で理解出来る。
試供品を持っていた玲の指に、凛太郎の長い指がそっと触れてきた。僅かに距離を詰めてくる彼の顔は、整っていてとても綺麗だ。
こんな場所で有り得ない。頭ではわかっていても、彼への愛しさが溢れて自制出来ない。
自然と瞼を閉じそうになったが、凛太郎の背後に現れた人影に慌てて後ずさりした。
「?、玲さん?」
玲の視線を辿って振り向いた凛太郎は、すぐに背中で玲を隠した。
「なんでここに?」
「事実確認をしに現場へ来たのよ」
凛太郎の前に仁王立ちしていたのは、長身でスタイルのいい女性だった。ベリーショートの髪が似合う顔立ちが凛太郎に似ている気がする。
「許可もなくこんな事をするなんて。今夜は実家に帰ってきなさい。いいわね」
「そんな、急には無理だよ。俺にだって約束があるんだからさ」
「うるさい。やかましい。お前に文句を言う資格は無い。言う通りにしないならマンション解約だからね」
凛太郎に向かって指を突きつけた女性は、背後にいた玲と目が合うと、じっと見つめてきた。
「...凛太郎。こちらの方は?」
「...チッ」
見つかった事に対して凛太郎が舌打ちすると、すぐさま頬を抓られて痛いと騒いだ。
「二十歳にもなって下品な事はしないで」
「いった!姉さんこそ、すぐに抓るのやめてくれよ」
「騒がしくてごめんなさい。私は凛太郎の姉で凜々子と申します」
差し出された白く美しい手に触れていいのかと手を差し出すと、がっしりと掴まれた。
「あっ、あの、俺、僕は、有坂玲といいます」
「.....有坂さん。不躾ですが、凛太郎とはどのような関係かしら」
「え。あ...の、と、友達です」
まさか凛太郎の家族に向かって恋人だなど言えるわけが無い。無難な返事をしたつもりだったのに、凜々子と名乗った凛太郎の姉は、口元を手で押さえて玲を凝視している。
(何か間違えたのか?)
不安になって凛太郎に目をやると、彼はムッツリと不機嫌な顔をしていた。
いつも笑顔を絶やさない彼の姿に気を取られていると、凜々子が突然抱きついてきた。とは言え、高身長の女性が相手なので、母が幼い子供を抱き締めるような格好になってしまうのだが。
「何してるんだよ、姉さん!」
「有坂さん、凛太郎の様な人間とお付き合いして頂きありがとうございます。どうぞ、これからも仲良くしてやって下さい」
「え、あの、はい」
訳の分からないまま頷くと、離れ際によしよしと頭を撫でられてしまった。
「マジでなにしてんだって!玲さんから離れろよ」
凜々子の腕の中から凛太郎の腕の中へと移動した玲は、周囲に人だかりが出来つつあることに気がついた。
「愚弟がなにかしでかしましたら、いつでもご連絡をお願いします。堀田!」
凜々子が言うと同時に、彼女の後ろから飛び出してきた黒いスーツ姿の男性に名刺を手渡された。
彼は玲に一礼した後、凛太郎にも丁寧にお辞儀をした。
「堀田さん、まだ姉さんとこにいるんだ」
「凛太郎様。お元気そうで何よりです」
「殺される前に転職した方がいいのに」
物騒な言葉に驚いたが、堀田と呼ばれたスーツの男は細身の眼鏡を指先で押し上げると、もう一度深く頭を下げた。
「行こう、玲さん」
「う、うん」
腕を引かれて百貨店を後にしたが、振り向くと百貨店の社員らしき者達が集まっていた。
彼等は並んで姿勢を正して凜々子に何度も頭を下げている。
「は〜、もう。なんであんな所で会うかな」
「なんか、凄かったな。凛太郎くんのお姉さん。なんて言うか...格好良かった」
「は?どこが?あの天上天下唯我独尊女の何が?」
「格好良かったよ。顔が凛太郎くんとよく似てた」
歩きながら口を開いた凛太郎は、またなんとも言えない表情をしている。
「だから、煽るのやめてって言ってるのに」
「さっきも言ってたけど、煽るってなに?」
「ナチュラルに誘わないでって意味」
「そんな事一言も言ってない」
「あ!ほら、約束の時間まで少ししかないよ。ケーキ買いに行かなきゃ」
早足になった凛太郎に手を引かれて歩きながら、気の強そうな姉の話はしない方がいいような気がした。
既に何度か訪れている新居の玄関に入ったところで、玲と並んで頭を下げた。
「ご結婚おめでとうございます」
玲が贈り物の袋を差し出すと、元宮は可愛らしい笑顔で受け取った。
「ありがとう、玲くん。わざわざプレゼントまでええのに」
「いえ、あんまり期待しないでくださいね」
「え〜。そんなん言われたら逆に期待してまうねんけど」
「あっ、開けるのは後にしてくださいっ」
リビングへと歩きながら慌てる玲の背中を見て微笑むと、コーヒーを運ぶ黒澤と目が合った。
「...ども」
「いらっしゃい」
ニヤニヤと笑う顎髭男に向かってケーキの箱を差し出すと、礼を言われた。
「俺と玲さんはチーズケーキだから」
「へいへい」
「わ!ケーキまでくれたん?しかもめっちゃあるやん!オレ、チョコレートがええな」
キッチンでケーキの箱を開ける黒澤の背中に張り付く元宮は、相変わらず幸せそうだ。
二人を見つめる玲も、嬉しそうな目をしている。
「よくよく考えたら変な取り合わせだけどね」
「ん?何が?」
並んでソファに座ると、玲が顔を覗き込んできた。人が苦手だと話していた彼も、すっかりこの面子だと気を許している。長い前髪で顔を隠していた頃は、こんなに綺麗な黒い瞳をしているとは知らなかった。
「俺と玲さんは元宮さんにフラれたじゃん。黒澤さんとはライバルだったのにな〜って」
「それゆーたら、そっちのが驚きやんか。まさか、玲くんと仲くんがくっつくとは思わんかったし」
「...いつぞやは大変ご迷惑をおかけ致しました」
隣で深々と頭を下げる玲にならって、凛太郎も頭を下げた。
「ええんよ。ちゃんと気持ち確かめあえたんやし。仲良くしてるんやったら、万事OKやん」
にっこりと笑う元宮に、玲もつられて微笑んでいる。可愛らしい二人を眺めて思うのは、黒澤がいなければ天国なのに。という本音だ。
「あ、そうだ。見てください、これ!」
ケーキに手をつける前にカーディガンのポケットからチラシを出した玲が、それをテーブルの上に置いた。
凛太郎とRiaがモデルをしたものなのに、凜々子の登場に驚いてすっかり忘れていた。
「えっ。仲くん、モデルデビューしたん?」
「お〜。すげぇじゃねぇか」
「今回だけですよ。大学の友達に頼まれて引き受けただけなんで」
さらりと話してチーズケーキを口に入れたが、実の所は少し違う。
玲が褒めてくれるかもしれないと期待して引き受けたのだ。赤く染めた頬で元宮がモデルをしたチラシを見つめていた姿に、少しだけ嫉妬した事が引き受けるきっかけだった。
我ながら口にするのは恥ずかしいと理解しているので、頼み込まれて仕方なく。といった設定にした。
「元宮さんのも綺麗でしたけど、凛太郎くんのも負けずに綺麗ですよね」
自分の事のように黒い瞳を輝かせて話す玲を横目で見て、嬉しかった。褒めてもらえるのが嬉しいだなんて、子供みたいだ。
「まぁな。汐月はガキん時から飛び抜けて可愛かったからな」
ドヤ顔で言った黒澤は、元宮に膝を叩かれていた。
「凛太郎くんも負けてません」
「全体的に言えば汐月のが断然可愛さで勝ってるだろ」
「元宮さんは勿論可愛らしいです。でも、凛太郎くんのこの顔、よく見てください。この女性モデルの方より目立ってて綺麗でしょ」
テーブルに乗り出して真剣に黒澤に言い返していた玲を見て、驚いた。
「お前、変なところ頑固だよな。上司をたてるって気はねぇのかよ」
「俺は素直に思ったことを言ってます」
「はいはい。好きな人は素敵に見えてまうんは当たり前のことやから、引き分けでええやん」
黒澤の前でいる玲は、凛太郎には見せない雰囲気がある気がする。
(考えてみたら、平日に仕事してる時はこの顎髭とずっと一緒なのか)
改めて、面白くない。どうせなら全く知らない赤の他人の方が、いちいち嫉妬しなくて済むのだが。
「仲くんは将来モデルになるん?」
突然話を振られて、思わず顔の前で手を振って返事をした。
「派手な仕事のが似合ってるよな。書店員より」
顎髭の発言が妙に癇に障る。元宮と同じ職場なのが気に食わないのだろう。そんなもの、お互い様だ。
「そう言えば、仲くんから就職の話は聞いたことなかったなぁ。おうちがなんか経営してはるんやった?それを継ぐん?」
「あ〜、あんまり考えてないっすけど。でも多分そーなるでしょ」
「そんなに大きなお家の子なのか」
黒澤の言い方にカチンとしたが、まぁね。と返事をしておいた。
今のやり取りで思い出してしまった。今夜はまた自宅に玲を泊まらせて、夜は楽しむ予定だったが、実家へと向かわなければいけないだろう。
(思い出したら腹たってきたな...)
二十歳にもなって、年の離れた姉の言いつけに逆らえない。ルールを破ってモデルなんてバイトをした事を、咎められるのだろう。
憂鬱でもやもやとし始めた凛太郎がコーヒーを飲むと、隣から視線を感じた。
「...玲さん、どうかした?」
「あ、いや。...えっと、な、何かあったらいつでも聞くから...」
何を。とは言わなかったが、今の話の流れで、凛太郎が家のことにはあまり触れられたくないと感じたのかもしれない。不器用な彼が気遣ってくれている。心配される事が嬉しいなんて、幼い頃には感じなかった。
「うん。ありがとう、玲さん。大好き」
素直に伝えて彼の肩に頭を乗せると、向かいに座る新婚夫夫に冷やかされた。
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