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第14話

先週末に職場の上司の家で別れてから、実は心配していた。 いつもならば電話やメールが間を置かずに届くので、こちらからすることはあまり無かったんだな。と、気がついてしまうくらいには音沙汰が無かったのだ。たかが数日だが、玲にとってはそれで充分だった。 忙しいのだろうか。とも考えたので、電話をするか躊躇していたところにメールが届いた。 「次はあれ!」 楽しそうに笑う恋人を前にして嬉しいのだが、たった今回転するアトラクションから出てきたところだ。直後のコーヒーカップはいただけない。 「ごめん、凛太郎くん。ちょっと休憩しない?」 振り向いた彼は玲の顔色に気がついたようで、すぐに慌て始めた。 少し疲れた程度だからと言い聞かせ、近くのベンチに腰掛けた。 「はい、玲さん」 売店で飲み物を買ってきてくれた彼の手には、一つのカップに二つのストローがさしてあった。 空で静止した玲の手に、そのカップが押し付けられる。 「あ…りがとう」 「同時に飲めなんて言わないから安心して」 単純に二つは飲みきれないと思っただけ。そう言われて、しまったな。と反省した。 経験値に差があるのは仕方ないことだが、そのせいで彼に嫌な想いをさせるのは避けたい。 男同士だけれど、手を繋いで歩いたりすることも玲にとっては不快なものでは無い。ただ、相手の性別以前に、誰に対しても未体験だからぎこちなくなるのだ。 という事を、話しておけば良いのだろうけど、凛太郎の様子が気になってコメント出来ずにいた。 いつもと変わらず笑顔なのだが、どこか違和感がある。 「疲れちゃった?」 「少し休めば大丈夫だよ。…遊園地なんて子供の頃以来だから」 「あ〜、なるほど」 思春期の喜びや悲しみを共有するような相手がいなかった事実を、彼は知っている。 だから、こうして人生初の恋人と週末の遊園地でデートが出来て、とても幸せだ。 「…玲さん、楽しい?」 「楽しいけど、ハードな乗り物の連続はちょっとキツい」 「じゃあ、次はソフトなやつにしよっか」 園内マップを広げた彼は、玲に肩を寄せてきた。二人で次は何に乗るか話している間、顔が近かった。さり気なく周囲を見渡したが、通り過ぎる人達は誰も二人を見ていない。 (男同士だからって誰も見ないよな。そもそも、今の俺はそーいうのどうでもいいし) 人は、いつどの瞬間からでも生まれ変わることが出来る。 他人との関わりを遮断していた頃に、愛するキャラクターが言った言葉だ。 初めて人を好きになって、踏み出す勇気を持てた。初めて恋人が出来て、毎日が楽しくなった。 (凛太郎くんのお陰だなぁ) 学生の頃の自分からは想像できないだろう。 家族としか来たことの無い遊園地に、同性の恋人と来ているなんて。 「ぉわっ」 足元へ転がってきた物に驚いて声を上げた。 前を歩いていた男性が抱いていた女の子が、クマのぬいぐるみを落としたらしい。 玲はぬいぐるみを拾い上げて男性を呼び止めた。 「すみません、ありがとうございます」 「いえいえ」 すぐに離れたのだが、抱かれていた女の子は玲に向かってずっと手を振っていた。玲も応えて手を振っていたが、人混みで見えなくなるまで続いた。 「なぁ、今の子見たか?すっごい可愛いこだったよな」 「…玲さん、子供は苦手じゃないんだ」 「苦手かどうかわかんないけど。接する機会もないし」 「…ふぅん」 そこで消えた笑顔に、やはりいつもとは違うと感じた。 「俺は好きじゃないかも」 「え?」 彼から否定的な言葉が出てくるのは珍しいかもしれない。笑いながらではない、どこか傷付いたような真剣な面持ちで、賑やかな笑い声が聞こえる遊園地は不似合いだった。 「凛太郎くん。…何かあったのか?…その、先週実家に行った時とか…?」 触れられたくなさそうだったが、心配だ。 「ううん、何も無いよ。ね、玲さん!観覧車行こう」 笑顔になった彼に手を引かれ、敷地の奥にそびえる観覧車へと向かった。 最近手入れをされたのか、外観も中も塗装がとても綺麗だ。 「乗ると思うけど、結構狭いよね」 向かいに座る彼の声が狭い個室に響いて耳がおかしくなったかと思った。 「俺、本当に小さい時にしか乗ってないから、こんなんだった?って今驚いてるよ」 「はは、マジで?そっかぁ。俺は結構他のテーマパークとか行ってるなぁ」 「近くにあったか?」 「一泊で行くんだよ。誕生日プレゼントにホテルとテーマパークのセットでしてあげると、絶対喜んで貰えるからさ」 「あぁ、そうか…」 そうだった。彼は歳下だが、玲よりも沢山の経験を積んでいる。 友人として付き合っている時には普通にしていた会話なのに、今聞かされると少し心臓に悪い。 変にざわざわとする胸の内を誤魔化す様に、見晴らしが良くなる景色を眺めてみた。 「…ごめん。嫌なこと言った」 「ん?」 外から向かいに座る彼へ視線を戻すと、玲の手を取って手の平にキスをした。 「な、なにっ」 「キスしたい」 外だぞ。と言おうとして、外じゃないかと口を閉じた。前後にも人は乗っているが、もう頂点まで近いらしく人の姿は見えなくなってきていた。 「い、いけど…」 身を乗り出した凛太郎の唇が重なる時、ぐらりとバランスが崩れて玲の方が僅かに沈む。怖さを感じたのは一瞬だった。それよりも、彼の優しいキスが嬉しくて。 「…今日、付き合ってくれてありがとう」 ゆらゆらと微かに揺れる狭い箱は、ゆっくりと地上へと降りていく。 「ありがとうはこっちだよ。誘ってもらわないと来る事ないしな。夕飯はどうする?前に話してた焼き鳥食べに行くか?」 広がる景色も夕焼けの色に染まり始めている。 「…ごめんね。俺、これから用事あるからもう帰んなきゃ」 「そ、うなのか…。なんだ、ちょっと残念だな。凛太郎くんちに泊まるつもりだったから」 帰らないと。と、聞いた瞬間から淋しさが込み上げて、思わず言ってしまった。 「……うん、ごめん」 彼の返事は、それだけだった。 明らかに様子がおかしいのに、どこか玲を拒否する様な雰囲気を感じて、何も聞けなかった。 遊園地からの帰り道も駅まで同じはずなのに、彼は遊園地を出たところで帰ってしまった。 出口のゲート前には、遊園地の外だが園内と同じ土産が買えるショップがある。 来た時は、帰りに彼とこの店に入ってお土産を買うつもりだった。世話になっている上司へと、もしかしたら凛太郎と揃いのキーホルダーくらいなら買えるかもしれない。そんな風に期待していたのに。 何故、楽しそうな人が行き交う場所に一人で立っているんだろう。 自宅へと辿り着くまで、玲は自分が何かしてしまったんじゃないかと、必死で考えていた。

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