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シェアハピ
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夕食後の談話室は風呂の順番待ちをする部員たちで大抵埋まっている。いつもは談笑する小さな輪がいくつかできているのに、今日はすこしちがっていた。
談話室に集まっているほぼ全員が、寮内に唯一置いてあるテレビを囲っていた。テレビ前のソファにいるやつらもラグが敷いてある床に寝転ぶやつらも椅子に座るやつらも、そこにいる全員が、じーっと夢中で画面を見つめている。どうやら誰かが借りてきた映画を観てるらしい。銃乱射の音や爆発音の合間に呻き声が聞こえるから、たぶんゾンビ系。
ちょっとそういうのは気分じゃないなぁべつに嫌いじゃないけど……と、スマホをいじりながら入口付近の丸テーブルにひとり、陣取った。
今日もいつものように長風呂の守屋を待っていたら、
「ねぇねぇ、辻元ー」
「うわぁっ! えっえっ!?」
音もなくいつの間にか峰が隣に座っていた。テレビから聞こえる大音量より、その神出鬼没さのほうに悲鳴をあげた。
俺が峰を苦手だと思う理由の2つめは、間違いなくこのスキル。
「今日なんの日か知ってるー?」
あたかも最初からいましたみたいな自然さで、テーブルに片頬杖をつく峰は微笑んだ。泣きボクロのある目許から甘ったるい色気が、ただようどころかたっぷり注がれてくる。
どうして峰って、こんなに流し目をムダ使いしてくるんだろう……俺に。
「し、知らないけど……誰かの誕生日?」
「ちがうよー、正解はこれの日」
峰は片手に持っていた売店の袋からガザガサとなにかを取り出した。出てきたのは、見慣れた赤いパッケージのお菓子。
すでにあけられている箱からなんだかワクワクたのしそうに、チョコレートのついた棒菓子を1本抜き出して。はむっと口にくわえた峰は、また笑顔で言う。
「はい、アーンして?」
「えっ、ちょっと!」
お裾分けはうれしいし、チョコ菓子は好きだからもらいたい。もらいたいんだけど……
「う、ぐぇ……っ」
両手でガッチリ頬を押さえられているのは何故なんだっ! 向かいあうように引っ張るからものすごく痛い。どうしてふつうにくれないの……っ!
「いーから、ほらはやく……口あけて?」
「や、わか、わかったから引っ張んないでっ」
「ちゃんとくわえた?」
「ん……なにほれ?」
峰みたいに上手くしゃべれないんだけど、ていうかなんで峰は上手にしゃべれんの……待て。
よくよく考えてみるとこれ変な構図だよな。棒菓子の端っこと端っこくわえあって――
……ん? 恥ずかしくないこれ?
「避けたほうが負けね。負けたら、俺の言うこときくんだよー辻元」
「ふぇっ、どゆほと?……ふんんっ!?」
言われた意味がまったく理解できない。不鮮明に疑問を投げてみても、峰は説明する気なんてすこしもないらしく、ポキポキさくさく菓子を食む。
「避けないとちゅーするけどー? あと折っても負けだから」
「ふぁっ!?」
だからなんでだよっ! え、このままだと……そうなる、よな?
よ、避けたいっ! 避けたいけど、顔ガッチリされてるから動けない! 力強すぎるだろ、見た目を裏切るなよそんなところでっ!
そんな文句が頭を駆け抜けても、ぱりぽり食べ進む峰との距離はコンスタントに縮まっていく。綺麗なくちびるが、チョコの部分から持ち手部分へと――つまり俺のほうへと、確実に迫ってくる。
あせる俺の目に映るのは、苦手なニンマリした色っぽい笑みだし逃げられないなら当たるまでっ……なんてあきらめるのはすごくヤダ!
――と、テンパる鼻先に夏色の指先がすっと伸びてきた。
「なにしてんですか、アンタら」
俺と峰をつないでいた棒菓子を器用にパキンッとふたつに割って、風呂上がりだけど上半身は裸じゃなくてちゃんとジャージの守屋は、呆れた顔で見下ろしてきた。
「辻元のくちびる奪おうとしてたー」
「俺、そういう笑えない冗談好きじゃないです」
「冗談じゃないけど?」
「なおさら好きじゃないですけど?」
お互い始終にこやかな、この殺伐とした会話はどうやら日常茶飯らしい。はじめて見た時から気になって観察してみれば、けっこう毎日頻繁に繰り返されているから、だいぶ慣れた。黙って成り行きを見守るのが正しい対処法なのも、覚えた。
「戻りますよ、辻元先輩」
「むぇっ、ちょ……引っ張んな!」
たのしそうに片割れの棒菓子をポリポリする峰に手を振られながら、守屋にズルズルと引きずられて、俺は談話室から連れ出された。
「……ちょっと待って、守屋っ」
スタスタさっさか歩く守屋は、呼びかけても無言を通し。廊下の角を曲がってすぐに、引きずったままだった俺を壁に押しつけた。
いわゆる壁ドンなんだけど……怒っている守屋からの壁ドンはときめかない。もっといえば、ほんのりトラウマだったりする。
「な、なんで怒ってんの?」
「怒ってませんよ、呆れてんですよ。いい加減自覚してください」
「え、なにを?」
「……とにかく、あの人から安易にモノをもらったらダメです」
「ふがっ」
守屋は急に俺の鼻をつまんでくるから、変な声が出た。苦しくてひらいた口に、守屋は俺の手から抜き取った棒菓子を突っ込んでくる。
「避けたら負けです。負けたら俺の言うこときいてくださいね?」
そう言って、意地悪く笑むくちびるが反対側をはむっとくわえる。くちびるからくちびるまでの距離は、ちょうど指1本分程度。ほぼ鼻先が触れあうその位置で、
「あと折っても逃げてもダメですよ?」
やっぱりワケのわからないルールを説明される。
いやちょっと待って。それ以前に通路でなんてことされていんの俺! こんなところ見られたら一瞬で変なウワサたつだろ!
そうあせる俺の心の声は、現実にそれを呼び寄せるから更にあせる。
「なんか昨日さー変な動画送られてきたんだけど」
「それ俺も来たわ。なに、流行ってんの?」
――……みたいな、どうでもいいよくある日常会話が段々近づいてくる。
冷や汗と心臓の音がヤバい。間近に見つめてくる守屋の目は据わっているから余計にヤバい。ああもうこれ、引く気ない目だ。知ってるけど、そうだろうけど、守屋ってそう。
「どうします? 折りますか、逃げますか?……真尋さん、お仕置きなにがいいか考えておいてくださいね?」
「んぇっ!?」
おいおい、なんでお仕置きされなきゃいけないんだよ! というか、なんでそんな器用に鮮明にしゃべれんの峰より流暢じゃ……いやちょっと待てもうすぐそこまで来てるじゃん! 絶対こっちに曲がってくるだろ見られるだろ!
――どうする……っ!?
「はやくしないと、見られますよ」
どうする……ど、どうしよう?
「……どうしたら俺がどくか、わかってますよね?」
どうしよう……――って、わかってたよそんなこと!
すぐそこに迫る笑い声と足音に、心臓をぎゅっと縮めながら。涙の底から敵意を込めて、たのしげに細められている目をにらんで。ひとくちで、ほんのわずかな距離を飛び越える――
「……んっ」
ゼロ距離の微熱――を、
「……ん、んんっんッ!」
すかさず割って入ってくる計算外な舌先に、
「んっ、ふ……ぁ」
「……声は出さないでください」
口の中のチョコといっしょに、俺の腰も融点を越え――ちゃいけない。
「……おい、この確信犯ていうか知能犯ていうか守屋」
「あま……俺フツーのよりメンズのほうが好きなんですよね」
「それは俺もそうだけど……って、聞けよ」
「そんなにらまないでくださいよ」
「わかってただろ、おまえ……こっちまで来ないってッ」
近づいてきていた話し声たちは、角の手前の部屋に入っていった。そんなこと一体いつから気づいていたんだと、峰の神出鬼没さとおなじくらいこわくなる。
「見られたほうがよかったですか?」
ペロリと、くちびるを舐める守屋は平然としていて本当にムカつく。いたずらに縮まった俺の寿命を返せ。
「よくない! 面倒なことになるの嫌なんじゃないのかよっ」
「……隠してるほうが面倒だと思いません?」
バレたら恥ずかしいのもあるけど、けっこう真面目なつもりの悪態をおなじように真面目に返されるから、まさか……と嫌な予感に襲われる。
「え……それ、冗談だよな?」
「どっちだと思います?」
「じょ、冗談じゃない!」
「じゃあ、これから遠慮なく仕掛けますね」
「ちが、そういう意味じゃない! そっちの意味じゃない!」
半ば本気っぽい感じの言い方に、すごくあせる自分もいるけど……
「わ、笑えない冗談は俺も好きじゃないからなっ」
「冗談じゃないです」
「え、冗談だろ……」
この理不尽から逃げられないのは、もはや日常茶飯事だと。やっぱりあきらめる――11月のお菓子の日。
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