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丞と仁の夏休み日記(1)

「じゃあね、お母さんたち行って来るから。しっかり留守番頼んだわよ~! あ……(じょう)くん、ウチの(じん)のことよろしくね。いろいろ面倒見てやってちょうだい、仁ったらいい歳して何にも出来ないんだから!」 「あらヤダ、それを言うならウチの丞だって一緒よ? 仁ちゃんより年が上ってだけでね、てんで頼りないんだから!」  脳天気に甲高い笑い声なんぞを出しながら、はしゃいでいる両親たちを目前に、幼馴染みの丞と仁は呆れ半分、シラけた表情で互いを窺い合っていた。  学生時代から仲の良く、オマケに学内恋愛で結婚した親たちは、こともあろうか家まで隣りに構えて、かれこれ四半世紀にも及ぶ付き合いを続けている。二組の仲良しカップルは、五十歳近くになった今も未だ学生気分が抜け切らないらしい。  そんな彼らの子供として生まれた丞と仁は、幼い頃から本物の兄弟のようにして育った間柄だ。  結婚○周年を記念して――とか何とか都合のいい理由をつけて、十日間のハワイ旅行に出掛けようなんていう計画を打ち出したのは今年の春時分のことだった。以来、双方の両親たちは浮かれ気分で毎日を過ごし、夏休みに入ったと同時に早めのお盆休みを取って、今日からその○周年旅行とやらに出掛けるのである。玄関前で中年夫婦二組を乗せたタクシーを見送りながら、丞と仁は呆然と立ちすくんでいた。 「普通親だけで行くかよ? 子供を何だと思ってやがる……」  仁がボソリと嫌味を漏らせば、 「まあまあ、いーじゃねえの。今日から俺ら二人なんだしよ? こっちはこっちで自由にやろうじゃん?」  隣りにいた丞はすかさずそう言って、一歳年下の彼をなだめた。  だが、今春に丞と同じ大学に進学してから初めての夏休みを迎える仁にとっては、やはり海外旅行は魅力らしく、たとえ親と一緒でも行かないよりはマシだろうと少々ぶすくれ気味なのである。  相反して案外うれしそうな丞を横目に、軽い溜息がとまらない。この、何ともいえずマイペースでのんびりした様子も又、仁の不機嫌を煽る要因のひとつとなっているらしかった。 「ふ……っん、てめえはいいよな、いつも脳天気っつーかさ? あいつら(親たち)が豪華にリゾートしてるってのに、こっちはこの暑さの中で十日もボ~ッとお留守番なんてよ。あー、考えただけで腹立つー」 「はは、まあそうカリカリすんなって。それに俺らだって明後日からリゾート行くじゃん! ま、こっちは伊豆だけどさぁ、でも海にゃ違いねえんだし。うるせーの(親たち)もいねえし二人っきりで楽しんで来りゃいいじゃん?」 「は、やっぱ脳天気だなオマエ。ハワイと伊豆じゃなー、やっぱ悔しいっつーか……あ~あ~……」 「ほれ、いつまで愚痴ってねえで家入ろうぜ? 俺が旨いメシ作ってやっから~! そうひがむなって。なあ仁ちゃん?」 「あー? 誰が『ちゃん』だよ、誰がー!」  未だ口をヘの字に結びながらも、意気揚々と家の中へ入って行く丞の後ろ姿を追いながら、仁はフイと頬を赤らめた。  幼い頃からいつも明るくのんびりした気質の丞のことを、たまにうっとうしいなどと思いながらも、そんな大らかさが傍にいてとても心地よかった。  どちらかといえば人見知りで口数の少ないタイプの自分とは正反対の明るい性質に、密かに憧れていたものだ。何より小さいことを気にしないのんびりとした感じが一緒にいて心地よかったのは確かだし、そんな彼を見ていると、不思議と自分も大らかになれるところが気に入っていた。  そんなわけなので、高校はもちろん、大学までも丞の後を追うように同じところを目指し、常に彼と一緒の空間にいることが当たり前のようになってもいた。  仲のいい幼馴染み。  兄弟のように過ごしてきた。  ある種微笑ましい光景だが、そんな中で自然と湧き上がった甘酸っぱい感情に胸を締め付けられるようになったのは、高校に入った頃だったろうか。『隣りのお兄ちゃん』だった丞が急に眩しく映るようになったのは、確かその頃からだったに違いない。  当然のように同じ高校を目指し進学して、学内で偶然に遭遇した丞の着慣れた制服にドキリとさせられたのを今でも鮮明に思い出す。  『こいつ、俺の弟も同然だからよ』などと言って自分の同級生らに紹介してくる丞がひどく頼もしくもあり、そしてとてつもなく大きく感じられた。たまに学食などで鉢合わせれば、昼食をおごってもらったこともある。  初めて外で意識して見る彼は、普段の『隣りのお兄ちゃん』とはえらく違って大人びて見えた。  夏に着崩した制服のシャツが、  秋には衣替えで羽織った学ランが、  何とも言えずに眩しかった。  そんなひとつひとつが新鮮に映り、図らずもドキリとさせられて、戸惑ったのを覚えている。『仲のいい隣りのお兄ちゃん』だった丞が、仁の中で違った存在になっていったのはその頃からだった。  そのせいか、異性に対しても全く興味が湧かなかったのも、この年頃の男にとっては珍しいことだったといえようか。だがそんな本人の意向とは裏腹に、仁は両親に似て彫りの深い異国的な顔立ちだったのもあって、校内でも結構人気が高かった。  バレンタインやら学際やらといったイベントの際には勿論のこと、同級生、先輩後輩を問わずかなりの数の女生徒らから誘いや告白めいたものを受けたが、当の本人は今一興味が湧かなかったのである。  元々無口なのもあって、いつでもはっきりとしない仁の態度に業を煮やした彼女らが、次第に無愛想で冷淡な男などと触れ回ることも少なくなかった。そんな悪循環も相まってか、仁の異性に対する興味は益々薄れていったといって過言ではなかった。  片や丞の方といえば、仁とは正反対の愛想のいい性質からか、男女問わずいつでも周囲に人が集っているような賑やかさだった。そんな様子を遠巻きに見る度にチクリと胸の奥が痛むのは、やはり自身の中に淡い恋心のようなものが芽生えていたのは否定できない。  それに気がついてしまって以来というもの、仁は丞に対して何となくよそよそしくなっていくのが嫌でもあったが、当の丞が大らかな性質だったので、格別にはギクシャクすることもなく幼馴染みを続けてこられたといったところだった。  会えばついつい憎まれ口のようなものを叩いてしまう。けれどもその直後に必ずといっていい程、甘い疼きが浮かび上がる。自分の嫌味めいた言葉にも逆に不適な笑みで大らかに受け止められて、そうされる度にどんどん彼に魅かれていくのが怖くもあった。  まあ異性に興味が湧かないとはいえ、だからといって同性である学友たちなどに特別な感情があるかといえばそうではなく、だから仁は自身をいわゆるゲイだというふうにも自覚してはいなかった。相手が男だから必ずしも心が逸るというわけではないのだ。  仁にとっては男とか女とかそんなものは関係なく、ただ丞を目の前にしたときにだけ甘く疼くような感覚が湧き上がるのであって、だからこそ、ここ最近は何かと始末が悪い思いをしていたのも確かだった。  大学にも無事入学してとりあえずの悩み事など何も無い。いわば余裕のある状態の中でだからこそ、丞に対する自身の気持ちが余計に厄介に思えたりする。他に考えることがないからそればかりが気になってしまうのだろうが、こればかりはどうしようもなかった。  近頃では来る日も来る日も考えるのは丞のことばかりだ。  向かいの部屋の電気が点いていれば『ああ、もう帰ってるんだ』と思うし、車庫に車がなければ何処に出掛けているんだろうと不安になったりもする。いい加減女々しいと思いながらも、気になるのはとめられないのだ。  自分は丞に惚れてしまっているのだろうか?  同性の、しかも幼馴染みの男になんて――と、溜息を漏らして自己嫌悪に陥れど気持ちの疼きはとめられない。  いい加減ヤバイ。  重苦しい気持ちが晴れないこんなときに両親同士の旅行の話である。今日から十日間もの間、丞と二人きりの生活になるのだ。  しかも夏休みの今は大学に通うこともない。バイトをしているわけでもないし、サークル活動があるわけでもない。気まずい程にベッタリ二人きりなのだ。  しかも根っから暢気な性質の丞のことだ、きっと夜はどちらかの部屋で一緒に過ごそうなどと言ってくるに違いない。今さっきだって『俺が旨いメシを作ってやるからよ』だなんて、すっかり二人で『生活』する流れになっているじゃないか。  親も学友もいないこんな中で一体何をしゃべればいいのだろう。きっと今まで以上によそよそしくなってしまうに決まってる。その上あろうことか、明後日からは二泊で伊豆へ小旅行ときている。  この先のことを思うと気が重くなる一方で、二人きりの生活に期待感が皆無というわけでは決してなく、仁は乱れる自身の心に翻弄されながらもやはり頬の紅潮するのをとめられずに、玄関へと入っていく丞の後ろ姿を追いながら深い溜息を落とした。

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