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丞の熱情夜日記(6)完結

 実のところ、仁に話しながら俺は自分自身に言い聞かせていたというのもあった。誰かに話すことで意識が固まるというか、何となく先々の不安が薄らぐようで、どうしても聞いて欲しかったんだ。そういうことってあるだろう――?  その後も仁は黙って俺の独り言のような話を聞いていたが、ふと人通りの途切れた公園の入り口で足をとめ、懐から煙草を取り出して、 「ん――」  お前もいるか? というように少し皺になった箱を差し出した。 「サンキュ」  俺たちは無言のまま深く煙を吸い、木陰の向こうで揺れている街の灯をぼんやりと眺めていた。 「いいんじゃね?」  ポツリと仁が言った。 「お前らしいっつーか。やっぱ適わねーな、お前には」 「ああ? 何が適わねえって?」 「ん、別に……何つーか、とにかくすげえよ。俺なんてそんなしっかりした展望なんかねえしさ。とにかく今だけで精一杯だし、それってお前におんぶに抱っこなんだよな。正直情けねえし、悪いなとも思うけど。でもうれしいよ、お前がその……そんなにちゃんと考えてくれてるなんて……」  ひねり消した煙草を携帯灰皿に仕舞う仁の頬が僅かに染まっていた。  少し俯き加減で染まっていた。 「な、俺もがんばるよバイト。俺、お前よか考え甘いし全然出来てねーし、とにかくガキだけど、やれることからやるしかねーし。それに……」 「それに――?」 「ん、それに……お前がそんなふうに考えてくれてるんだったら、何だかヤル気出てきたっつーか、とにかくがんばる気になれたし」  懸命な感じで俺を振り返り見つめる仁の瞳に、街の灯がキラキラと映っていた。  少し染まっていた頬が更に上気して紅が濃くなる。  俺は又、胸の奥がぎゅっとつままれたようになって、短くなった煙草をひねり消し、ヤツの髪ごと抱き寄せて額と額をコツンと合わせた。  キスをしたかったが、今はそれよりこうしていたかった。額と額を合わせて、近過ぎるこの距離を確認していたい――そんな気分だった。 ◇   ◇   ◇  帰宅ラッシュで満員の電車に揺られ、いつもの改札をくぐり、もうシャッターの閉まった商店街を二人で歩いた。  今日くらいは一緒に帰ってもいいよな?  いつもホテルに行った時には、その後ろめたさから時間をずらして帰っていたけれど、今日は共に歩きたい。非力なガキの俺たちにはデカ過ぎる夢だけど、それに向かって一歩、何かが進んだような気がするから。  だからこのまま、もう少しこのままお前と一緒に歩きたいんだ。  だってこれはこの先の長い道のりに繋がっているような気がするんだよ。  きっと気の遠くなるような長くて険しい道のりだろうけど。  でもどんな道であれ、自分たちの望むものなんだから。  何よりも大切にしたいものなんだから。  遠い未来に、延々と続くこの道の先に辿り着き、ふと後ろを振り返った時に懐かしいと思えればいい。そしてその時は必ずお前と一緒に振り返っていたいと思う。  今のように隣りに並んで歩きながら、振り返って微笑い合えたらいい。  この道はそれに続く第一歩でもあるんだから――そんな気分だった。  特別には話すこともなく、俺たちはただ並んで歩いた。時折、ふと横目に様子を窺いながら、そして目が合うとクスっと照れたように微笑い合って、また目をそらす。  遠くに見えてきた自宅の門柱の灯りがちょっと恨めしくもあったけれど、再び横目に仁を見れば、ヤツも全く同じような表情をしていて、俺は何だか無性に心が和むのを感じていた。 「そんじゃ、また――な?」 「ああ、バイトの面接行ったら報告しろよ!」 「ん、お前も――」  すぐ向かいの仁の家の玄関がやたらに遠く感じられて、名残惜しい気持ちがワーッと高まった。  そんな自分が可笑しくも思えて苦笑いがこみ上げる。たった今さっき、いろいろと決意を固めたばかりだというのに、すぐ目の前の現実に一喜一憂、振り回されてる自分が情けない。  でも明らかに昨日までとは何かが違う気がしていたのは確かだ。そう、いつまでもグダグダ悩んでたってしょーがねえな?  俺は大きく息を吸い込んで、 「よっしゃ! そんじゃーな! 面接がんばれよ!」 「おうよ!」  互いに意を決してそれぞれの玄関へ入ろうとした時だった。 「あらー、仁お帰りー! 丞君も一緒だったの? ちょうど良かったわよ、あんたたち!」  浮かれ調子で、仁の母ちゃんが玄関の扉を勢いよく開けて飛び出して来た。  今、正に玄関に入らんとしていた仁は、母親に引きずられるようにして再び俺の方へと連れて来られ――俺たちは何が何だか分からずに、唖然と仁の母ちゃんを見つめてしまった。 「あのね、実は同窓会が決まってね! お母さんたち来週の金曜から二泊三日で京都に行くことになったのー!」 「はあ!? 京都だー!?」 「そそそ! 今年は卒業からちょうど節目の年だからってね、それに幹事が京都の人なのよー。せっかくだから泊まりでお寺巡りでもしようっていうことになってね。丞君のご両親も勿論一緒よ! で、今から丞君のお家でツアーどれにしようか相談することになってー! ほらもう日が迫ってるから急がないといけないでしょ?」  仁の母ちゃんは上機嫌で、『ちょっと時間が遅いけど』などと言いながらも、ワクワクとした調子だ。 「ささ、行きましょ行きましょ! 丞君のお母さんたちも待ってるから~!」  小躍りしながら俺の家へと駆け込んでいくおばさんを見つめながら、俺と仁はしばしポカンと立ち尽くしてしまった。 「何だアレ……?」  呆気に取られてそう問い掛ける仁の瞳はまん丸で、とにかく俺はヤツを伴って自宅へと入った。 「あら丞、お帰り。仁君もいらっしゃいー! ちょうどそこで会ったんですってね~!」  リビングには既に旅行のチラシやパンフレットらしきものがごっそりと散らばっていて、俺たちは部屋の入り口で、またも呆然と立ち尽くしてしまった。 「仁ちゃんのお母さんから話は聞いたでしょ? そんなわけだから又二人でお留守番よろしくねー!」  上機嫌の最高潮といった様子で母親たちに微笑まれて、俺は硬直した。  来週末、二泊三日のお留守番――まるでさっきからの決意が一気に揺るぎそうになる。何だか気が抜けてしまったというのが本当のところか。 「ああいいぜ……。た、楽しんで来てよ……その、久し振りの同窓会だっけ?」  しどろもどろで舌を噛みそうになりながら、やっとの思いで俺はそう言って、お愛想笑いをして見せた。  強張った顔のその裏側で、だがしかし仁と二人きりの三日間に浮き足立つ気持ちが正直抑え切れなくて、俺はただただ愛想笑いを繰り返すしか出来ないでいた。 ――願ってもいない偶然な幸運を目の前に、少しの後ろめたさがよぎって心臓の奥がチクリと痛む。  チラリと仁を横目に見ればヤツも又、全く同じような曖昧な表情で俺を窺っていた。  何も知らない親たちに申し訳ない、でも正直ものすごくうれしい――  そんな思いが頭の中でグルグル回っていた。  心がワクワクし、そしてズキズキとしていた。  俺も仁も互いを見つめ合いながら、少しの苦い思いで微笑み合った秋の夜だった。 - FIN -

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