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第1話
ひどく寝苦しい夜だ。
じっとりとまとわりつくような嫌な質感の暑さ。肌にぺたりと貼りつくTシャツの気持ち悪さ。ベッドの上で何度寝返りを打っても、涼やかな安息地はどこにもない。
シン、と死にたえたように静止した蒸し暑い空間の中で、じわじわとこみ上げる不快感に叫びだしそうになる。
「……っ」
両頬に、誰かの手がそっと添えられた。
ひやり、と身体に染み込むような冷たさ。無意識に、ほう、と息が漏れた。思わず頬を摺り寄せると、頭の上のほうから差し伸ばされたその手が、すりすりと優しく撫で返してくれる。まるで猫でも可愛がるかのような手つきであやしながら、ふっと密やかに笑っている。
頬から首へ、ひんやりとした大きな手の平が、すーっと肌の上を滑っていく。その感触に、思わず笑みがこぼれた。
冷たい。気持ちがいい。ああ、そのまま。
もっと……。
ピピピピピ、と規則正しい電子音に、意識がさあっと浮上する。同時に、むわっとした不快な暑さが全身を包み込んだ。
「ぅ……」
呻きながらスマホの画面をタップして、けたたましいアラームを止める。汗まみれでしっとりとしたTシャツとスウェットに、二度寝を決め込む気も失せる。そもそも、あと一時間で出社時間だ。
早朝にしては重すぎる溜息を吐いて、俺はゆらりとベッドから身を起こした。
「……また、あの夢か」
首元に手をやる。ひやりとした指の感触が、まだ残っている気がした。
最近、同じ夢を何度も見る。
何度か見ていて、「ああ、またこれか」と思うような夢はいくつかある。けれど、あの夢は他とは違う。
いつから見ていたのかはわからない。けれど、はじめて気づいた二週間ほど前からずっと、毎日、あの夢を見ているのだ。そんな経験は、俺の今までの人生で一度もない。
寝苦しい部屋の中で眠る俺に、冷たい手が差し伸ばされる。多分大きさからして、男の手だと思う。そのくせ、やけに滑らかな感触で、撫でられていると心地よいと感じる。
男に撫でられて気持ちいいってどうなんだ。ちょっとやばくないか。
内容が内容なだけに、周りに相談するのも憚られる。というか、いい年した成人男性が『最近怖い夢を見る』なんて言い出したら、普通に引く。
だからこうして、今日もまた一人、俺は仕事帰りに家電量販店に足を運んでいた。
「何かお探しですか?」
ふいに背後から声を掛けられて息をのむ。振り返ると、家電量販店のマークがついたスカジャンを着た女性が背後に立っていた。おざなりに笑顔は浮かべているものの、目が笑っていない。
それもそうだろう。もう店内には蛍の光が流れ始めており、客は俺以外に見当たらない。
閉店間際にぼんやり売場を眺めている客に対する店員の感情といえば、『買う気がないなら早く帰れ』に決まっている。
「あ…エアコン、取り付け工事って、最短でどのくらいかかりますか」
どこのメーカーのでもいいです、とぼそぼそ付け加えると、女性は一瞬怪訝そうな表情を浮かべた。けれど、瞬時に営業スマイルに切り替えて、少々お待ちください、と言いながら急ぎ足でレジのほうへ向かっていく。
その背にぎこちなく軽く頭を下げながら、俺は小さく溜息を吐いた。
自室のエアコンが壊れたのは、一カ月前のことだ。
まだ暑くないし、毎日残業でほとんど夜遅くに寝に帰るだけだし、とずるずると直さずにいるうちに、八月になった。いくら夜とはいえ、真夏の蒸し暑さはさすがに堪える。あのおかしな夢も、暑さにうなされて見る悪夢なのかもしれない。
それが、ここ最近の良くわからない事象への、俺なりの精一杯の考察だった。
もう部屋が冷えればなんでもいい。そう願う俺に、戻ってきた彼女が告げたのは、最速でも四週間はかかります、という最悪の知らせだった。
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