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散らせた紫の 華は匂えど 姿はあらず 僕は兄さんの言いつけに背いて 半月ぶりに 学校へ行く前に兄さんの住む家に寄った。 庭からそっと兄さんの部屋を覗けば そこには抱き合って眠る二人の姿があった。 兄さん・・・ どうして? どうして敵兵と・・・!! 僕は悔しくて・・・ 拳を握り締める。 大好きな兄さん。 大好きな兄さんを敵兵に盗られた。 僕は悔しくて。 僕はあの敵兵が憎くて。 拳を握り締めたまま泣いた。 それからの事はあまり覚えていない。 気付けば二人の憲兵を連れて兄の家にやって来ていた。 無理矢理兄から引き離され 何度も殴られ 何度も蹴られ それでもずっと兄の名を呼ぶ敵兵。 彼の瞼が腫れ上がり 綺麗な青い色をした目が見えなくなった。 それでも殴ること止めない憲兵。 僕は自分で彼らを連れ来ておきながら 「それ以上殴ったら死んでしまう!」 そう叫んでいた。 憲兵は気を失うまで敵兵を殴りつけ 「後から事情を伺いに来ます」 そう云って敵兵を連れて行ってしまった。 ごめんなさい ごめんなさい 何度も謝って泣き崩れた僕。 そんな僕の隣に座り 兄は僕の頭を撫でながら 「和・・・泣かなくていい。  和は俺を守りたかったのだろう?」 そう訊き 「和、誰かを守る為には誰かを傷つけなくてはいけない。  和は俺を守る為に彼を傷つけ  俺は彼を守る為に和を傷つけたのだな、ごめん」 そう僕に謝った。 「違う・・・僕は・・・僕は・・・」 僕の言葉に兄は笑って 「分ってる。和の気持ちは分ってるから。  でも、和・・・これだけは覚えておいてくれ。  大切な人を守る為に誰かを傷つけるなら自分を傷つけろ。  その痛みがお前を強く、優しくさせるよ」 そう云って 敵兵を助けた時と同じように 視線を落として微笑んだ。   それから暫く泣いていた僕だったが 「大丈夫。あとの事は俺がなんとかするから」 そう兄に背中を押され学校に向かった。 一日、そわ付きながら授業を受け 学校から走って兄の家に行った。 走って荒くなった息を吐きながら 庭から兄の家に入れば 藤の木が綺麗な紫の華を満開にさせ 風に揺られてた。 撓垂れた藤の花に見え隠れする兄の姿。 「兄さん・・・?」 兄は縁側で写生帳を大切そうに胸に抱いたまま 手首から血を流し 柱に眠るようにもたれ掛かっていた。 「兄さん・・・兄さん!!」 揺すっても 何度兄の名を呼んでも 兄は二度と目を覚まさなかった。 抱きしめている写生帳を開けば そこには紫の華を満開にさせた藤の木と 青い目をして微笑む敵兵が描かれていた。 昭和20年8月。 日本は戦に負け終戦を迎えた。 俺はあの時 こっそりと持ち帰った写生帳を 今も大切にし 時々、開いては兄を思い出していた。 兄はあの日 自ら命を絶ち 自ら口を封じたのだ。 父や母 そして俺を守る為に。 兄が死んだことで 真相は闇に葬られた。 兄は敵兵に辱められ それを悔い自殺したのだろうと噂された。 今まで 兄に後ろ指を指していた村人達の目が この事件で一変した。 皆、口を揃えて『可哀相に・・・』と 俺たち家族に哀れみの言葉をかけ あの敵兵の姿も二度と見る事は無かった。 俺は兄と同じく東京の大学に進み 医学を学んだ。 兄が志半ばで病に伏せ諦めた医者に俺はなった。 今年も綺麗な紫の華を満開にさせた庭の藤の木が 風に揺られている。 俺は兄が住んでいた家を改築し小さな病院にした。 「和先生、遊んでたらこけた」 膝小僧から血を流してべそをかいてやって来た 近所に住む准一。 その隣には 心配そうに見つめる青い目をした男の子。 大学を卒業して帰って来た村は 俺が暮らしていた頃よりも拓けており 空気が澄んだ自然の美しいこの村には 療養を兼ねた外国人が訪れ 住むようになっていた。 俺ももう30を過ぎ 大好きだった兄よりも年上になった。 「ほら、消毒は終わったぞ!次からは気をつけろよ!!」 俺の言葉にうん!と大きく准一は頷くと アリガトウと片言でお礼を云う 青い目の男の子の手を引っ張り 「和先生、ありがとうございました。キース、行こう!」 そう云って走って行く・・・ 俺はその二人の背中に 大好きだった兄と 海のように青い色の目をしていた彼を重ねた。 兄さん・・・ 俺はあなたの云う強く優しい人間になれたでしょうか? 庭で風に揺れる紫の華に 兄のあの時の笑みを思い出し 俺は問うてみる。 風に揺られ 藤の華が擦れ合う音に紛れ 兄とあの青い目の彼の笑い声が聞えたような気がした。 了

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