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第1話
茶倉邸は元禄年間に建てられた屋敷だ。
見た目は伝統的な日本家屋で、重厚な数寄屋門の左右に瓦を冠した白塗りの土塀が伸びている。
三百坪におよぶ広大な敷地には松・椛・桜・棗・柘植・躑躅・椿・棗ほか多種多様な庭木が植わり、見事に剪定された枝を広げていた。
等間隔に並ぶ石灯籠は春ともなれば春霞に煙る薄紅の桜を、夏には猛々しいまでに緑萌える若葉を、秋には絢爛に散り敷く紅葉を、冬には静謐な雪を纏い、四季折々の背景に幻想的なシルエットを際立たせる。
今しも数寄屋門をくぐり、黒いランドセルを背負った少年が駆け抜けていく。
「ただいま帰りました」
坪庭の鹿威しが手水鉢を打ち、玄関の引き戸が軽快に滑る。礼儀正しく声をかけるも答えはない。出迎えが来ないのは慣れていた。
脱いだ靴をきちんと揃えて家に上がる。自室としてあてがわれた和室に直行し、学習机横のフックにランドセルを掛ける。
宿題を終えると暇になった。大きく伸びをする左手には数珠がはまっている。
『せんせー、茶倉くんが学校にいらないもん持ってきてるー』
『いいのアレ。お葬式で使うものでしょ、勝手に持ち出しちゃいけないんだよ』
余計なお世話じゃボケカス。ミサンガやリストバンドしとるヤツはようけおんのに、なんで数珠はあかんねん?
今日の出来事を回想し、鼻と上唇にシャーペンを挟んで渋面を作る。
『茶倉くんはどうして数珠をしてくるのかな。先生に教えてくれる?』
教え子のご注進を受け、猫なで声で詮索する担任に鼻白む。練は年不相応に聡い子だ。自分が扱いにくい生徒であるのは理解していた。とはいえ学校の成績は上々で、全教科90点以上を維持している。
担任が練を問題児と見なす理由は、彼がこの年で両親と死別し転校を余儀なくされ、周囲に心を閉ざしているからに尽きる。
もっとも練には練の言い分があった。
彼がごく早い段階でクラスに溶け込む努力を放棄したのは、関西弁をからかわれたから。『変な言葉』『芸人みたい』と嗤われカチンときた。
訛りをいじる友達はいらん。
それが練の出した結論だ。
案の定、孤立した。
通知表の備考欄には、毎度判で押したように『成績は非常に優秀なものの集団行動が苦手で協調性に欠けます』と書かれた。
面倒くさくてかなわん。
だから今日、授業終わりに担任に捕まえられ、左手に数珠をして登校する理由を聞かれた際に切り札を使った。
『お母さんの形見なんです』
練は器量よしの自覚があった。しおらしい伏目で母性本能をくすぐる打算も働く。
その一言で、担任は練の味方になった。
帰りがけに教室を覗いてみたら、転校生の数珠が校則違反でないか告げ口した教え子たちを、真剣な表情で諌めていた。
『茶倉くんはとても辛い体験をしたの。あの数珠は亡くなったお母さんの形見なんだから、そっとしといてあげなさい』
『は~い……』
担任に叱られうなだれる同級生たちを一瞥、留飲を下げてほくそえむ。
大人はちょろい。
世の中なめれば結構甘い。
甘くないのは祖母だけだ。
|茶倉世司《ちゃくらよし》は刀自である。
先祖代々退魔師を営む茶倉家の現当主として絶対的権勢を誇り、財政界のお偉方ともコネクションを持っている。
傘寿の今なお矍鑠とした物腰と怜悧に冴え渡る眼光は、微塵も衰えを感じさせない。
世司には十代で出奔した一人娘・|環《たまき》がいた。彼女は先天的に耳が聞こえなかった。
とはいえ茶倉の一族において、それは決して珍しい事ではない。茶倉の人間は五体満足で生まれてくる方が少数派だ。
彼等は神仏、あるいは物の怪に体の一部や感覚の一部を差し出す代わりに強い霊感を得てきたのである。
即ち、先祖が人外と契約を交わしたのだ。
環は大人しく従順な箱入り娘であり、いずれ母の決めた縁談に臨み、婿養子を迎える予定だった。
が、逃げた。
娘の裏切りに激怒した世司は、孫の誕生を手紙で知らせ、復縁を望む環に勘当を言い渡す。
その後いかなる運命の悪戯か、環と夫は事故であっけなく他界し、まだ幼い孫の練が茶倉家に引き取られることになったのである。
世司の人柄を一言でまとめるなら、厳格。癇癖が強く頑固で気難しい。特に孫の躾には厳しかった。娘に苦汁を飲まされた経験が多少なりとも影響してるのだろうか。
食事中練の手を叩いて左利きや箸の持ち方を矯正するのは序の口。生粋の関西弁を標準語に直そうと腐心するも、こちらの成果はさっぱりでない。そもそも本人に直す気がないのだから推して知るべし。
同居初日から練には一日二回の禊が義務付けられた。
朝は五時起きで井戸端に赴き、桶一杯の水を浴びる。学校から帰り、入浴前にもう一回。冬でも怠けるのは許されない。世俗に塗れた孫の身を清め、後継者の器に仕立てるのが世司の目的だった。
風邪で寝込んだ時はさすがに許されたが、仮病を使ってサボろうとしてもすぐばれる。世司には愛用の竹定規があり、これで孫の背中を叩く。裸に剥いて徹底的に。納戸で正座を命じられる事もよくあった。
権高な女刀自と小学生の孫の二人暮らしは、常に緊張感を孕んでいた。
正直な所、祖母は苦手だ。得意な人間がいるならお目にかかりたい。世司と暮らし始めるまで体罰を加えられた経験などなかったし、飯を抜かれる事もなかった。
しかし練は自分を格別不幸とは思わない。
彼の周囲にはもっと酷い目に遭い、もっと酷い死に方をした者が犇めいていたから。
「よっしゃ」
椅子を軋ませ立ち上がる。
帰宅後真っ先に宿題を片付けるのは、提出物を忘れて祖母に恥をかかせない為。
教科書とノートを閉じ、静かに襖を開ける。再び運動靴に足を突っ込み、母屋を回り込んで庭へ行く。
そこに、いた。
「今日は何して遊ぶ?」
甲高く澄んだ鹿威しの音が響き、楠の下に集った子どもたちが振り向く。
「僕サッカーがいい」
「自分足ないやん」
「おままごと」
「また?飽きてもた」
「かくれんぼはー?」
「マンネリやね」
学校にいる間はひとりぼっちだが、家に帰れば大勢友達が待っている。
練は物心付く前から普通に幽霊が見えた。
家で、街で、学校で。日常的に彼らの声を聞き、ともすれば触ることさえできた。両親と死別し、祖母に引き取られてからも生来の霊感は衰えず……否、強くなる一方。
常日頃から数珠をはめているのは実の所おしゃれでもなんでもない、そうしないと悪霊が寄ってくるからだ。
練を囲む子どもたちは一様に青白い顔をし、体が半ば透けている。怪我を負い血を流している子、体の一部が欠けている子、中身が出ている子もいる。
最年少は幼稚園児の果歩で、目玉が片方とれたぬいぐるみを大事そうに抱っこしていた。そして裸足。
幽霊になった理由をたずねた所、「ママにベランダに出された」と舌足らずに答えた。
『極寒のベランダに放置され女児死亡 無職の母親(25)を逮捕』
祖母に命じられ古新聞を束ねている時、偶然果歩の写真を見付けた。
「ほならかくれんぼにしよか」
結局果歩の提案を採用した。オニは恨みっこなし、じゃんけんで決める。
霊たちは基本従順で、リーダー格の練の決定に逆らうことは滅多にない。
あっさりオニが決まり、子どもたちが歓声を上げて散開する。普段のかくれんぼは五十数えるが、今回はおまけで百にした。参加者に片足のない少年がまざっていたからだ。
「いーち、にーい、さーん、しーい、ごーお……」
間延びした声を背中に受けて走りながら、ぼんやり考える。
アイツはもともと少年サッカークラブにおった。将来の夢はプロ選手。せやけど100メートルも車に引きずられて死んだ。右足はちぎれてもた。
おばあちゃんは僕に水浴びさせるけど、果歩のおかんみたくベランダに放り出したりせん。ちゃんとご飯もらえるし、学校かて行かせもらえるし、車に轢かれて体ちぎれたりもしてへんし、すごい幸せか聞かれたらちゃうかもやけど、物凄い不幸てこともないか。
以上が茶倉練の嘘偽りなき所感だった。
多分、練は「普通」からズレていた。
彼の常識は麻痺してる。何せ物心付いた時より幽霊は近しい存在で、普通に触れて喋れたのだ。
今でもハッキリ覚えている。
『ねえ練くん、あっちでみんなと一緒に遊ぼ。その方が楽しいよ、一人じゃツマンないでしょ』
幼稚園の時、保育士に誘われた。
練は顔も上げず言った。
『この子と遊んでるからええよ』
保育士には練の「お友達」が見えなかった。今考えればみんながしてるチューリップの名札も付けてなかったし、青いスモックを着てないのは不自然だった。
年齢が上がるにつれ徐々に生者と死者の見分けが付くようになったが、周囲に奇異な目で見られるのは変わらない。
だから練は、自分が見たものを口に出さない分別を身に付けた。
見えない人たちがこの世の大半を占めるなら、自分が見聞きしたものを話した所で気味悪がられるだけで得がない。
それにまあ、見えない人たちに仲間外れにされても霊と遊べるなら寂しくない。
「!痛ッ、」
足を出した拍子にずきりと背中が痛む。
一昨日祖母にぶたれ、みみず腫れができていた。おかげで今日の体育は見学だった。
「あとで軟膏ぬっとこ」
確か救急箱にあったはず。独りごちて足を速める。
祖母は面倒ごとを嫌い、人前で着替えるなと孫に命じた。故に練は転校してからこちら、ずっと体育を見学している。
練は祖母の仕打ちを虐待と見なしてない。
たとえ朝五時に禊に行かされても、掌に線香の灰を落とされても、全部自分が至らないからだと戒めている。
『おばあちゃんは本当は優しい、いい人なのよ』
生前の母の口癖を思い返し、背中の痛みを虚勢で欺く。
仮に担任が練の痣や傷に気付いても、児童相談所に通報が行ったかはわからない。茶倉世司は地元の名士で、現職の市長とも繋がっている。世司がその気になりさえすれば、一教師の報告を握り潰すのは簡単だった。
心の奥底で祖母の異常さに気付きながら、意地でも可哀想な子と呼ばれたくない練は、庭の片隅の蔵を目指す。
巨大な鉄扉が軋みながら開き、埃っぽい暗闇が目の前に広がる。
固唾を飲んで踏み込む。
唯一の光源は天窓から斜めに注ぐ陽射しだけ。その隧道の中を塵芥が舞っている。
蔵は二階建てになっており、一階には埃を被った家具調度が犇めいていた。蒔絵の化粧箪笥、漆塗りの鏡台、文机、箱枕、衣桁、屏風、柱時計、壺、甲冑、日本刀、長持ち、葛籠……木製の棚に飾られているのは、さらに得体の知れない骨董の数々だ。
猿の手のミイラ。人魚の標本。亀の甲羅。鬼の髑髏。木簡。藁人形。仏像。マリア観音。能面。水晶玉。幽霊画。曼荼羅。風水羅盤。
好事家として知られる歴代当主の蒐集品か、さもなくば依頼人が持ち込んだのか、本物か偽物かも判じかねる胡散臭い呪物がおどろおどろしい瘴気を放ち、棚に詰め込まれているのは壮観だった。
別名、近所の住人も塀越しに避けて通る「呪い蔵」。
納められた物の八割は曰く付きらしい。
祖母に引き取られて間もない頃は呪い蔵の存在がただただ怖かった。用足しの行き帰りに目に入るのさえ避けていた。
だが、じきに慣れた。
世司は拝み屋で練は拝み屋の孫。
将来は祖母の後を継ぎ、茶倉家四十七代目当主となる。
即ち、呪い蔵をまるごと相続するのだ。見方を変えれば宝物殿である。
十年後か二十年後か、自分が当主になった暁にはテレビの鑑定番組に出し、一切合切売り飛ばす計画を立てていた。
「呪われとる以外は高級品やし、寿命が五年十年縮む位気にせんかったらええねん」
それにここは人が来ない、一人でゆっくり過ごせるのが有難い。
祖母に叱られ泣きたくなるたび、両親の不在が寂しくなるたび、こっそり呪い蔵に逃げ込んだ。
ある時はマリア観音と仏像と藁人形を一列に並べて水晶玉でボーリングをし、ある時は時間を忘れ曼荼羅に見入り、ある時は亀の甲羅を叩き、ある時は甲冑を着て遊び、妖刀を鞘から抜いてみる。好奇心に任せて呪い蔵を探検するうちに自然と心は晴れ、気付けば涙も引っ込んでいるのだった。
斯くして茶倉邸の北東、鬼門に聳える呪い蔵は練の格好の遊び場となったわけだが……。
黴臭い暗闇に瞬きし、棚の一隅に歩み寄る。
蝶々結びにされた赤い紐をほどき、丁寧な手付きで化粧箱のふたを外す。
そこに保管されていたのは大人の痴態を赤裸々に描いた、春画の束だった。
男女、男男、女女……実に色々な組み合わせがある。大蛸や妖怪など、人外との交わりも描かれている。
まだ十歳の練にはその行為が意味する所がぴんとこないが、今鑑賞しているのがいかがわしい絵である事実は漠然と理解できた。世が世ならご禁制だ。
コイツを見付けたのは偶然だ。こないだ棚を漁っている時に化粧箱を落とし、中身がなだれでたのである。
「ご先祖さまのお宝?ドスケベやん」
春画を見比べ首を傾げる。吸盤の並ぶ触手をうねらせ、女体を貪る蛸の怪物がおぞましい。
ばれたらまたお仕置きされる。
わかっていてもやめられない。
立ち入り禁止の呪い蔵に忍び込み、薄暗がりの中でご先祖の春画を盗み見る行為に、疚しさと紙一重の倒錯的な興奮を覚える。
「…………は」
春画に凝視を注ぐ一方、股間の中心に熱が集まっていく。
じれったげに股を押さえ、おずおずと下着に手を入れる。まだ皮も剥けてない未熟なペニスが赤く尖り、腰がぞくぞく戦慄く。
「んッ、ん」
いけないとわかっている。でも止まらない。下着の中に忍んだ手が動き出す。目の前に広げた春画では男と女がまぐわい、富士額の美女が異形のばけものに犯されていた。
「ァっ、あ」
あかん、かくれんぼの最中なのに……唇を噛んで喘ぎを殺し、前のめりに突っ伏す。
気持ちええ。よすぎて止まらん。無我夢中で股間を捏ね回し、そそりたったペニスをしごく。左手の数珠が弾み、尿意に似た排泄欲が尿道を行ったり来たりする。
「コレ」をしている間は嫌なこと辛いこと全部忘れられる、寂しいのも苦しいのもなかった事にできる。
冷たく暗い蔵の中で性に目覚めた練は、幼いペニスを狂おしくしごきたて、涎をたらして自慰に耽る。地面には扇状に広げた春画。
紫の服紗の上に鎮座まします水晶玉が、反対側の鏡が、淫らによがる練の姿をまざまざ暴き立てる。
「ンっく、ァあっや、ぁっふ」
水晶玉と鏡が顔を歪めて映し、凄まじい羞恥が苛む。
「~~~~~~~~~~~~~~~~ッぁあ」
限界まで高まった排泄欲が爆ぜ、勢いよく迸った尿が股間を濡らす。
練はまだ精通してない。故に射精に至らず、放尿に代えて熱を逃がす。
あかん。こんなん変態やん。
股間を押さえて突っ伏す練の耳に、背後の鉄扉が軋む音が飛び込んできた。
ひゅっと喉が鳴る。
「おばあちゃん……」
逆光を背に立ち塞がっていたのは祖母の世司……練がこの世で最も恐れる人物だった。
ズボンを引き上げあとずさり、一生懸命弁解する。
「勝手に蔵に入ってごめんなさい。すぐ片付けます。せやから、だから許してください。友達とかくれんぼしてて、その……」
「はしたない子だね」
底冷えする軽蔑のまなざしに身が竦む。ズボンの内側を伝い、黄色い雫がぽたぽた垂れる。
勘が鋭い世司は状況を一瞥し、全てを悟ったようだ。
折檻を覚悟し、ギュッと目を瞑る。しかし世司は何も言わず、値踏みするように孫を眺めていた。
「来なさい」
世司が身を翻す。練は大人しく付いていく。ズボンはびしょ濡れのまま、尿の匂いが鼻を突いた。
その後世司に命じられ、念入りに体を浄める。今回は特別に女中が手伝ってくれた。大人の女性に裸を見せるのは恥ずかしいが、命令を拒む度胸はない。
風呂から上がると灰色の袷が用意されていた。
「下着は?」
「そのままで良いそうです」
女中がそっけない返事をよこす。わけがわからない。これも何かの罰だろうか?
着物に袖を通し、女中に導かれて奥座敷に赴く。上座には世司が待ち構えていた。
「座りなさい」
「はい」
言われるがまま正座に直る。下半身がスース―して落ち着かない。世司は真っ直ぐ練を見据え、訊く。
「何歳になった?」
「十……もうすぐ十一です」
鹿威しが鳴る。
手水鉢に浮かぶ笹舟が不安定に揺らぐ。
「頃合いじゃな」
祖母がため息を吐き、語り始める。
「練。うちの事をどこまで知ってる?」
「えーと……平安時代から続く由緒正しい拝み屋の家系で、ご先祖さまは偉い人で、悪霊や化け物退治が仕事……ですよね?」
あってますか、と自信なさげに確認をとる。
母の実家に引き取られ、初めて稼業の実態を知らされたが、別段驚きはない。それ以前から霊や化け物と接してきたので、拝み屋に偏見を持ち合わせなかったのだ。
とはいえ練も小学生、退魔師の響きにはちょっぴりワクワクした。
祖母が厳めしい顔で促す。
「他は」
「日本中のええ感じな霊能者の血を取り込んで、最強の術師をこさえるんが目標」
やっぱ漫画みたいやな、と心の中で呟く。世司が静かに付け足す。
「日本だけじゃない、古今東西の術士の種も取り込んだ。茶倉の血筋が雑ぜもの筋といわれる所以じゃ」
「ヒンシュカイリョウですね。おかんの瞳が灰色だったもんも外人の血が入ってたから……」
「アレはどうでもええ。所詮茶倉の家を捨てた女じゃ」
亡き母を「アレ」呼ばわりされ、かすかに顔が歪む。
世司は構わず続ける。
「茶倉の先祖には人外の血もまざってる。うちのご先祖さまは強い神さんや化け物を下ろす為、何代も血を捏ねまぜて器を整えて来たんじゃ。順番で行けば環が次の器になるはずじゃった。けどな練、お前の母親は逃げた。神さんを下ろさんうちに、ただの人間の男と駆け落ちしたんじゃ。とんでもない薄情者の恩知らずめ、一体何の為に腕によりをかけて苗床を耕したと思っておるんじゃ」
「どういうことですか?」
祖母が気色ばむ。
「まだわからんか。茶倉の当主は神を下ろす、化け物を憑かせる、そしてより強い権能を得る。しかし誰も彼もが契れる訳じゃない、神に見初められた者だけが本物になれるんじゃ。環は試練を擲ち逃げた。お前はどうする、練?」
曰く、神と器には相性がある。
曰く、神を下ろすには試練を克服せねばいけない。
曰く、試練とは地下牢にこもることである。
「地下牢って、どこにあるんですか」
「呪い蔵の下じゃ」
「知らんかった」
「最後に使ったのは十二年前か」
十二年前。母がいた頃。
「あそこにいる間は絶対目隠しを外すな」
「なんで?」
「神を直視するなど恐れ多い」
「神さんやのォて化け物かもしれんのに」
「茶倉の人間に使役され、茶倉の家に貢献するなら、どちらでも同じじゃよ。それに化け物ならなおさら危険じゃ、目が合うなり食われるぞ。さあどうする練、この試しをうけるか?お前も茶倉の人間になるか」
たった一晩、地下牢にこもるだけ。そうすれば一族の人間として認めてもらえる、肩身が狭い思いをしないですむ。
祖母が膝を詰め、暗示にかけるように囁く。
「世の中の役に立ちたくないか」
大それたことは望まない。
「人助けがしたかろう」
ただ月並みに、人並みに暮らしたい。
その神様だか化け物だかと仲良くなれば祖母はもっと優しくなり、母を見直し練を可愛がってくれるだろうか。
「やります。やらせてください」
世司が莞爾と微笑み、折り畳んだ布を載せた三方を押し出す。
深呼吸で姿勢を正し、白い布を顔に巻き付ける。
練が自ら目隠しするのを見届け、世司がその手を引いて歩き出す。初めて握る祖母の手はしわしわで、温かくしめっていた。
鹿威しが鳴り、笹舟が転覆する。
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