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第2話

初めてのキスは 甘酸っぱいイチゴの味だと言うけれど 俺は口紅の味しかしなかった。 忘れられないキスは、煙草の味と絵の具の匂いに包まれていた。 忘れられないんじゃない。 忘れたくない・・・ 初恋の痛みは・・・瞳を見つめあって繋いだ傷跡。 これ以上・・・誰かを純粋に、そして真剣に愛することなんて ・・・二度と出来ない・・・ 「先生・・・ねぇ・・・先生?」 何度目かの呼びかけで、やっと憂いを含んだ綺麗な横顔が此方を向いた。 長い睫毛と垂れ気味の二重に縁取られた水分が多めの瞳。 スッと伸びた鼻筋の下にはふっくらとした唇。 思わず見惚れてしまうくらいの美人顔。 けれども、その表情は迷惑そうに曇ったままで 溜め息混じりに「嫌だ」と言われた。 「・・・まだ、何も言ってないけど・・・」 「でも、嫌だ・・・」 取り付くしまがないっていうのは、こういう事を言うんだろうな。 でも、逃げられると、追いかけたくなるのが人の心理だろ? 俺を見ても揺らがない瞳を真っ直ぐ睨みつける。 「まずはさぁ・・・ライン交換から・・・」 「・・・しつけぇよ・・・お前は生徒だろ?  しかも、男だし未成年だ。  何才、年が離れてると思ってんだぁ・・・?  俺を犯罪者にするつもりか?」 俺が言いかけた言葉に被せられるように発せられた間延びした声も、纏った雰囲気も柔らかい。 けれどもその瞳は、誰も寄せ付けない暗く冷たい光を放っていた。 踏み込めない・・・ どうして? 俺じゃあ、先生を笑顔にすることは出来ない・・・? 去年の夏休み、1つ上の兄の尚が通う高校の所属する部活で合宿があった。 その時、馬鹿なあいつは下着一式忘れて行きやがった。 双子の片割れとジャンケンして負けた俺は、仕方なく学校までそれを届けに来た。 第一志望校だったこともあり 家に帰ってもする事もなかった俺は、暇つぶしがてら 見学も兼ねて、校内をウロウロしていた。 蝉の声と、部活動の連中から聞こえる声に包まれた校庭から、校舎のなかへ入ると 人気がないせいか、驚くほどシンとした静寂が広がっていた。 何となく屋上へ出たくなって、階段を上って行った。 ドアに鍵が掛かっているかも知れないと一瞬頭を過ぎったが、呆気なくそこは開いた。 大きく伸びをしながら、頭上を見上げれば 夏特有の大きな入道雲が北の空に広がり、真っ青な空とコントラストを成していて 思わず「すげぇ綺麗だ・・・」と唇が勝手に動いていた。 一歩踏み出したとき 給水棟の陰に2つほど置かれたベンチがあることに気が付いた。 そしてそこには、遠目でも人が寝ているように見える。 恐る恐る近づいてみれば、やはり人がひとり寝転がっていた。 え・・・? 思わず覗き込んでみれば、ボタンが二、三個外されてはだけたシャツの襟元に くっきりと残された紅く色づいた跡に目が吸い寄せられる。 少し眉間に皺を寄せて寝息をたてる綺麗な顔。 その白いシャツには、所どころ青い色の汚れが付着して、ふわりと絵の具の匂いがした。 屋上を吹き抜ける生ぬるい風が、彼の少し茶色の髪をさらさらと靡かせる。 ・・・男・・・だよなぁ・・・? 何故か心臓が、ドキリと波うったが俺はその時、それが何か分からなかった。 それが西野先生との初めての出会い。 その後、また馬鹿な兄キが練習試合に弁当を忘れたので持って行ったと時 体育館の窓越しに西野先生の後ろ姿を見かけた。 猫背で、黒っぽい眼鏡をかけた横顔。 俺の胸は、またドキドキと煩いほど脈打ち始めた。 先生は、この学園の理事長で 親戚の芹沢のおじさんと 並んで何かを話しながら歩いていた。 その姿が視界から消える前・・・ おじさんの手が、先生の髪をくしゃくしゃと撫でた。 その瞬間、西野先生はびくりと身を捩った。 視力の悪い俺でも、はっきり見えた。 えっ・・・なんだあれ・・・・・? ・・・先生の・・・あの日見てしまった、キスの跡・・・ その相手は・・・もしかして・・・おじさん? ・・・いや、まさかね・・・? 女好きだって、おばさんが呆れたように嘆いていたし・・・ 女の子の口説き方や扱い方を、教えてくれたのは 殆ど家に居ない父さんじゃなくて おじさんだった・・・。 ・・・きっと何か、寒い下ネタのジョークでも言って 先生に絡んでるのだろう・・・ その時、俺は そんな風に自分勝手に解釈をして それっきり、その事は忘れていた。 俺は見た目が派手なせいで 遊んでいるように見られがちだけど・・・ ちゃんと芹沢のおじさんや その息子で学園の事務局長の久人さんに相談しながら 女の子と付き合ってきた。 だから・・・まぁまぁ、ぼちぼちぐらいの経験はある。 エロ本もAVも、健全に楽しんでいるし 当たり前だけど、男よりは女の子が好きだ。 でも・・・それなのに・・・ 西野先生を見ると心臓が跳ね上がり、胸が痛いくらいに苦しい。 櫻川 脩、16歳。 俺は年上の、しかも男の教師に 淡く、ほろ苦い・・・恋をした。 それが、一生に一度の燃えるように激しい恋になるなんて・・・ その時は思いもしなかった・・・

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