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最後のキスは、煙草のフレーバーがした。 甘くて切ない香り。 俺の初恋はそんな歌のようだった。 あの事件の後、傷つき笑顔を無くし 殆ど喋る事も出来なくなっていた西野先生を 父さんは鎌倉の別荘へ移した。 その理由は・・・ きっと俺なんじゃないかって薄々は気付いてた。 だって、あんな姿を仮にも生徒の俺に見られて しかも毎日、何だかんだと世話を焼かれて 先生が、居たたまれなくなるのは分かってた。 でも、じっとなんてしていられなかったんだ。 大好きな人に元気になって貰いたいって思うのは 間違いじゃないじゃん? 俺のことなんて見えてないみたいに ぼんやりと外を眺める西野先生が心配でたまらなかっただけなんだ。 だから・・・ 学校から帰 ってきて先生が居なくなった時はパニックになるくらい慌てて 「先生、先生?  ・・・どこだよ!西野先生っ!!」 大声で名前を呼びながら家中を探し回った。 「脩・・・先生は、もう此処には居ないよ・・・」 奏の冷静さにさえ、頭に来て 「何でそんなに落ち着いていられるんだよ!」 と、つい大声を上げてしまうくらい焦っていんだ。 奏は困ったようにふうっ・・・と溜め息を一つ吐き出すと 「西野先生は多分、鎌倉の別荘だ」と言い放つ。 「脩・・・気付かなかった?」 「・・・え・・・何に・・・?」 奏の問いかけの意味が分からず、困惑気味に答えると 「先生は多分・・・  記憶が抜け落ちてるんじゃないかな・・・?  脩は勿論、俺や尚兄を見ても誰だか分かってないみたいだったでしょう?  ・・・虚ろな感じ・・・  きっと 、あの事件のショックが強すぎて  脳が、辛い記憶を思い出さないように働いてるんだよ・・・」 確かにそうかも知れない・・・ 先生は少し変な感じだった。 だけど・・・ 何故黙って鎌倉へ連れて行く必要がある? 「・・・鎌倉へ行ってくる!」 いても立っても居られなくなって叫べば 「待って・・・待ってよ!  話しはまだ終わってないから・・・」 奏が珍しく声を張り上げたから 無言で促すように見つめると 躊躇いがちに、父さんが一緒に居るはずだから 任せておいたほうがいいと言われた。 「・・・脩だって、さすがに気付いてるだろ・・・?」 奏の問いかけに返事をするのさえ嫌だった。 ・・・やっぱ、奏も気付いてた・・・ 俺の気のせいじゃないんだな・・・ あの日、先生の名前を何度も呼びながら 家に飛び込むように帰っ てきた父さんの慌てぶりは 尋常じゃなかった。 その日からは今まで殆ど家に寄り付かなかった父さんが 毎日帰ってきて、俺たちなんか見向きもせずに 真っ直ぐ先生が居る部屋へ入って行って朝まで出てこない・・・ 「・・・父さんのやり方は・・・・  間違ってると思うし、狡い。  家族なんだから、ちゃんと話してくれればいいのに・・・  何も言ってくれずに俺たちの気持ちも考えないで  自分勝手に動くのはもう止めて貰いたい。  俺も鎌倉に行って父さんの考えを聞きたいし・・・  答え次第では許さないかもしれない・・・」 そう一気に話すと、思い詰めたように押し黙ってしまった奏。 奏は交通事故以来 誰よりも、父さんとの間に溝が出来ていたし 身体だけじゃなく、心にも大きな傷を負っていた・・・ その夜、部活で疲れて帰ってきた尚兄に 鎌倉へ行くと二人して話合った事を告げた。 「・・・黙って連れ出すなんて納得出来ないんだよ!」 俺は尚兄に分かって欲しくて力を込めて、その優しい顔を見つめる。 奏はゲーム機から目を上げずに尚兄の答えをただ黙って待っていた。 ゲームの機械的な音楽だけが、ピコピコと響くなか 暫く、う~ん・・・と唸っていた尚兄がやっと口を開く。 「じゃあ・・・俺も連れて行ってくれる?  但し、期末テストも終わって・・・  そうだな・・・夏休みになってからね?」 そう言って、ニカっと笑った。 試験は半月以上先だ・・・ 「尚兄・・・そんなに待てないよ。  早く会いに行きたいんだ」 俺は一刻も早く西野先生に会いたくて駄々を捏ねる。 「脩の気持ちは分かるけど・・・  西野先生を静かな鎌倉へ移して静養させるのは  父さんだけじゃなくて、西島先生や弁護士の先生達の考えだと思うんだよ。  西野先生はふわふわしてみえるけど・・・そんなにヤワじゃない。  今はまだ、そっと見守ってあげようよ?  きっと今回の事を乗り越えられるハズだから・・・  父さんも・・・西野先生との関係をやり直す時間が必要だと思うんだ。  少し時間をあげようよ?」 尚兄の最後の言葉に俺は唇を噛んで俯いてしまう。 「・・・脩は、西野先生が心配なんでしょ?  西野先生に元気になって貰いたいよ・・・ね?」 尚兄の優しい声に俺は頷くしかなかった。 俺は、先生が本気で好きだから・・・ 先生が父さんを好きで 父さんがそばに居ることで先生が笑えるなら・・・ 俺はそれを受け入れるしかない。 先生が俺のせいで、辛い想いをしたり、泣いたりするのは・・・ 絶対に嫌だ・・・ 始めから・・・ 何となく叶わない恋のような気がしていたんだ。 先生の中で、俺はただの騒がしい生徒で・・・ いつだってガキ扱いされてた。 先生の相手が・・・ 父さんってのはマジで笑えないけど ちゃんと父さんや先生の気持ちを知りたいと思った。 「尚兄・・・俺、尚兄の言う通りにするよ。  でも・・・父さんの、先生への気持ちが中途半端だったり  俺達への態度が、今までと変わらなかったら  俺、先生を父さんから奪ってもいいよね? 」 「そのときは・・・俺も、協力するよ」 奏がゲーム機から視線を俺に向け、きっぱりと俺の意見に賛同してくれた。 でも・・・ 尚兄は何も言わなかった。 きっと・・・ そうならないって分かってたんだと思う。 試験も終わり、お盆も過ぎやっと訪れることが出来た鎌倉の別荘。 そこで、俺が目にしたのは・・・ 先生と父さんが抱き合っている衝撃的な光景だった。 でも・・・ 俺は不思議と想像していたよりも冷静にその事実を受け止めていた。 先生が父さんの名前を呼ぶ。 「・・・亮一くん・・・」という 甘い声の響きを耳にして 想いの深さを感じたからなのか・・・ それとも、胸の奥で重苦しくのしかかっていたモノが ストンと落ち着いたからなのか・・・ 父さんと先生が身体を重ね合わせるような関係なんだと はっきり分かった事で俺のなかでくすぶっていた初恋は終止符をうたれた。 でも・・・ 先生との関係が本気なんだと聞かないうちは 俺は父さんを許せなかった。 父さんへ向かって 「先生が好きだ・・・!」と、気持ちをぶつけた後 俺達や母さんを・・・先生さえ捨てたくせにと 今更どうにもならない事だと分かった上で キツい言葉で父さんを詰った。 けど・・・ 父さんは初めて自分をさらけ出して気持ちを語ってくれた。 ・・・母さんへの気持ちも、あの事故の事も・・・ 奏は帰りの車の中で無言だったけれど 奏は強いから・・・ それにひとりじゃないから・・・ 尚兄が奏にはいるから・・・ きっと大丈夫だと思う。 先生も俺達に頭を下げ続ける父さんを庇うように 話しをしてくれた。 「俺、亮一くんが好きだ。  きっとずっと、これからも・・・  俺と亮一くんのこと、赦せねぇって言うんなら  もう二度と亮一くんには会わない。  けど・・・好きって気持ちは変えれそうにもねぇよ。  だから・・・お前達の父親だけど  亮一くんのことずっと好きでいさせて欲しい」 俺の初恋が終えるには十分過ぎる言葉だった・・・ 俺なんかが入り込める、余地なんてどこにもなくて ここまではっきりと言われちゃったら まだ子供の俺なんかが二人に太刀打ちなんて出来ないよ・・・ 本気でそう思った。 「・・・なぁ、まだ帰って来ないの?」 鎌倉から、実家へ戻った後も 俺達兄弟は何も変わらない生活を続けていた。 色んな葛藤もまだあるけど、先生と父さんに家に戻って貰いたかった。 奏に俺の想いを伝えると 「勿論、俺もそう思ってるよ・・・  父さんはともかく、西野先生に非はないからね?  それに・・・あの2人をからかって遊んでやろうと思ってる」 そう言ってニヤリと唇の端を上げた顔を見て 兄弟ながら奏だけは敵に回したくないと心から思った。 俺はその夜、父さんへ電話をかけた。 「俺さぁ・・・父さんが先生をちゃんと大切にしてるか  近くで見張ってないと心配なんだよ。  ・・・後ろめたい事がないなら早く帰って来いよ。  それとも・・・俺に先生を取られるのが怖い?」 俺の言葉に、父さんはフッ・・・と 受話器の向こうで笑いを零し「ありがとう・・・」と呟いた。 父さんから初めて聞く感謝の言葉だった。 鎌倉から東京へ戻ってくる横山さんが運転する車を待つ間 俺はコスモスを見ようと庭へ出た。 コスモスは母さんが好きな花で いつも家の中に切り花が飾ってあった。 一本だけだと小さな花だ。 けれど・・・ その花を何本も纏めるとふわりと大きな一つの存在感のある花になる。 俺達家族も・・・ 色んな想いが一つ大きな道になってその道を前に進んでいけたらいい。 笑顔が咲き誇る日が必ず来ると信じよう。 「・・・櫻田・・・」 ぼおっと花を眺めていたからか車がついたのも 先生が背後から近づいて来ることに気がつかなかった。 「心配かけたな・・・  お前が来てくれなかったら、俺はあの時・・・」 「やめない・・・?」 俺はその話を遮る。 先生が何を話したいのか分かっていたから。 「もう終わりにしない?  なかったことには出来ないし、簡単には忘れられないけど・・・  忘れる努力はしてもいいよね?」 俺の言葉に先生は俯いて小さく頷く。 先生には・・・ 俺の大好きだった西野先生には・・・ 早く、何時ものふにゃあ・・・って笑顔に戻って欲しい。 でもそれは・・・ 俺の役目じゃないんだ。 それが何だかちょっと悔しくて 俯いたままの先生へ近づくと、その細い顎をぐっと持ち上げてやった。 え?って目を丸くして俺を見つめた先生の唇に 俺は自分の唇をサッと重ねる。 キスなんて言えないくらいの、ちょっと触れただけの唇・・・ それなのに・・・ 煙草の香りがした。 父さんの煙草の匂いだ・・・ 「シケた顔して油断してるからだよ・・・  俺なんかに無防備に寄ってくる先生が悪い。  父さんに、ピタッとくっついとけよ?」 俺の精一杯の強がり・・・ 去っていく先生の背中が滲んでぼやけて見えた。 父さんと先生が並んで歩く背中を見て 微笑ましく想う日がきっと来るだろう・・・ それでも・・・ 本気で好きだったことを恥じる事なく そっと記憶の片隅に置いておくことは・・・ 罪じゃないはずだ。 俺にとってはたったひとつの・・・ 大切な初恋だったのだから・・・ end

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