1 / 3
第1話 朝は1杯のブラックコーヒーから始まる
俺のような引きこもりにとって、コンビニとスーパー以外の場所は、果てしない宇宙のような感覚に近い。
テレビで紹介している地元のデパ地下の惣菜屋さんも、近所にある有名だと言われているカフェも、「ある」ということを知っているだけ。
火星があることを知っていても、火星に行ったことがある人間なんて居ない。
俺にとって、それらは火星だ。
行ったこともないし、今後行く予定もない。
なぜなら俺は、親が残した遺産で悠々自適に暮らす、エリートニートなのだから。
エリートニートの俺は、今日も10時頃に起床する。
起きてすぐ湯を沸かし、ブラックコーヒーを入れて飲むのが俺の日課だ。
これは俺の親と祖母がやっていた。
一子相伝という訳だ。
テレビは夕方にしかつけない。
親がいた頃は昼もテレビをつけていたが、ちゃんと見ていたのかどうかも怪しい。
俺はワイドショーが嫌いだから、昼はテレビを見ない。
ワイドショーに出ているタレントらは、所詮人の人生を踏み台にして幸せになってる奴ばかりだろう。知らないけど。
ブラックコーヒーだけ淡々と飲むのも暇だ。
だから最近はYou○ubeで「朝 BGM」と検索をかけて、良さげな作業用BGMを流してる。
音楽の力は偉大だ。
限られた言葉と、無限に紡がれる音で様々な世界を作り出す。
音楽をかけながら小説を読むと、少し自分が賢くなったような気分になるのは何故だろう。
でも、明るい音楽をかけているのに、読んでいる本の内容はとてつもなくシリアスな時がある。
この組み合わせからして、俺が実はさほど賢くないことは明白であろう。
ブラックコーヒーは1時間かけて飲み干す。
後半はもう冷めていてアイスコーヒーになっているが、それをいちいち気にするほど繊細な心は持ち合わせていない。
コーヒーを飲み終える頃にはもう昼も近くなっている。
俺はようやっと重い腰を上げ、身支度をし、近所のコンビニへ向かう。
何もしていなくても腹が減るのは何故だろう。
人間は燃費が悪すぎる。
何もしていないなら、エネルギーなど使っていないはずではないのか。
だが、綺麗に並んだお弁当を目の前にして、欲求を抑えられる人間などいるはずもない。
少なくとも俺は、その欲求に抗うことなく、いつも通り唐揚げ弁当をカゴの中に入れ、レジに向かう。
「温めますか?」
俺は首を縦に振る。
俺にとっては、その日一日の貴重な会話だ。
それがまさか首を縦に振るだけで終了してしまうとは。
そう思っていたのだが、今日は少し違った。目の前の店員は俺の予想に反し、さらに話しかけてきた。
「お客さんがいつも唐揚げ弁当を買って行かれるので、気になって僕も買ってみたんですよ、唐揚げ弁当。」
突然の会話に驚きを隠せない。
あ、そうですか。
そう言おうとしたが、あ、までしか声が出なかった。
しかし、店員は特に気にする様子もなく、話を続ける。
「ここで働いて結構経つのに、唐揚げ弁当がこんなに美味いの知らなかったです。だから僕も、弁当買う時は唐揚げ弁当買うようになっちゃったんですよ。真似しちゃってすみません。」
初めてちゃんと店員の顔を見た。
爽やかで、笑顔が眩しい好青年。
歳はおそらく20代前半。
そして、髪色が少し派手だった。
こんな印象に残りそうな人物を、何故今まで認識すらしていなかったのだろうか?
逆に、こんなダサ地味メガネおじさんを、彼が認識していたのは何故だろうか。
グルグルと考えをめぐらせているうちに、唐揚げ弁当が温まった。
俺は店員から、弁当が入った袋を受け取り、ついでに店員の眩しい笑顔も受け取り、店から出た。
前言撤回。
コンビニは、宇宙だ。
そしてあの店員は、きっと火星人だ。
ともだちにシェアしよう!