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第1話 朝は1杯のブラックコーヒーから始まる

俺のような引きこもりにとって、コンビニとスーパー以外の場所は、果てしない宇宙のような感覚に近い。 テレビで紹介している地元のデパ地下の惣菜屋さんも、近所にある有名だと言われているカフェも、「ある」ということを知っているだけ。 火星があることを知っていても、火星に行ったことがある人間なんて居ない。 俺にとって、それらは火星だ。 行ったこともないし、今後行く予定もない。 なぜなら俺は、親が残した遺産で悠々自適に暮らす、エリートニートなのだから。 エリートニートの俺は、今日も10時頃に起床する。 起きてすぐ湯を沸かし、ブラックコーヒーを入れて飲むのが俺の日課だ。 これは俺の親と祖母がやっていた。 一子相伝という訳だ。 テレビは夕方にしかつけない。 親がいた頃は昼もテレビをつけていたが、ちゃんと見ていたのかどうかも怪しい。 俺はワイドショーが嫌いだから、昼はテレビを見ない。 ワイドショーに出ているタレントらは、所詮人の人生を踏み台にして幸せになってる奴ばかりだろう。知らないけど。 ブラックコーヒーだけ淡々と飲むのも暇だ。 だから最近はYou○ubeで「朝 BGM」と検索をかけて、良さげな作業用BGMを流してる。 音楽の力は偉大だ。 限られた言葉と、無限に紡がれる音で様々な世界を作り出す。 音楽をかけながら小説を読むと、少し自分が賢くなったような気分になるのは何故だろう。 でも、明るい音楽をかけているのに、読んでいる本の内容はとてつもなくシリアスな時がある。 この組み合わせからして、俺が実はさほど賢くないことは明白であろう。 ブラックコーヒーは1時間かけて飲み干す。 後半はもう冷めていてアイスコーヒーになっているが、それをいちいち気にするほど繊細な心は持ち合わせていない。 コーヒーを飲み終える頃にはもう昼も近くなっている。 俺はようやっと重い腰を上げ、身支度をし、近所のコンビニへ向かう。 何もしていなくても腹が減るのは何故だろう。 人間は燃費が悪すぎる。 何もしていないなら、エネルギーなど使っていないはずではないのか。 だが、綺麗に並んだお弁当を目の前にして、欲求を抑えられる人間などいるはずもない。 少なくとも俺は、その欲求に抗うことなく、いつも通り唐揚げ弁当をカゴの中に入れ、レジに向かう。 「温めますか?」 俺は首を縦に振る。 俺にとっては、その日一日の貴重な会話だ。 それがまさか首を縦に振るだけで終了してしまうとは。 そう思っていたのだが、今日は少し違った。目の前の店員は俺の予想に反し、さらに話しかけてきた。 「お客さんがいつも唐揚げ弁当を買って行かれるので、気になって僕も買ってみたんですよ、唐揚げ弁当。」 突然の会話に驚きを隠せない。 あ、そうですか。 そう言おうとしたが、あ、までしか声が出なかった。 しかし、店員は特に気にする様子もなく、話を続ける。 「ここで働いて結構経つのに、唐揚げ弁当がこんなに美味いの知らなかったです。だから僕も、弁当買う時は唐揚げ弁当買うようになっちゃったんですよ。真似しちゃってすみません。」 初めてちゃんと店員の顔を見た。 爽やかで、笑顔が眩しい好青年。 歳はおそらく20代前半。 そして、髪色が少し派手だった。 こんな印象に残りそうな人物を、何故今まで認識すらしていなかったのだろうか? 逆に、こんなダサ地味メガネおじさんを、彼が認識していたのは何故だろうか。 グルグルと考えをめぐらせているうちに、唐揚げ弁当が温まった。 俺は店員から、弁当が入った袋を受け取り、ついでに店員の眩しい笑顔も受け取り、店から出た。 前言撤回。 コンビニは、宇宙だ。 そしてあの店員は、きっと火星人だ。

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